もうとっくに子供と呼べるような歳ではないはずなのに、まるで子供のような、としかほかになんと形容したらいいのか解らない笑顔を見せる男。どこにも根拠の見当たらない「大丈夫」という言葉にも、あの笑顔つきのサムズアップが加われば、いつの間にか納得させられてしまうから不思議だ。
五代雄介は、これから訪ねていこうとしたポレポレにいたる道の途中にある公園で、幼稚園児と遊んでいた。追いかけたり、追いかけられたり。小さな子供たちと一緒に駆けずりまわって、大口をあけて笑っている。そうやってはしゃぐ姿は、子供たち以上に楽しげに見える。
それだから、一条薫は声をかけあぐねて、公園の入り口付近に立ち尽くした。
スーツを着て、その他大勢とは明らかに違う緊張感を身に纏った毅然とした立ち姿は、その美貌が遠くからは見えにくくても衆目を集めるのに充分だ。
乳母車を引いてきた若い母親や、ベンチで日向ぼっこをしていた老夫婦などの視線が、いつの間にか周囲から浮き立っている一条のほうに向かっていったのも当然といえば、あまりにも当然のことだった。
そして、そんな公園内の微妙な空気の動きに、園児らと夢中で遊んでいた雄介も気がついた。
ふと立ち止まって、皆の視線のさきを追うように振り返る。
そこに、一条の姿をみつけ破顔する。さっきまで園児に紛れて浮かべていた笑顔とは、また微妙に異なる、心から嬉しくてたまらない、という表情で。
それから園児たちに向かって声をあげる。
「今日は、一条のお兄ちゃんも来てくれたぞ」
園児たちは揃って一条に注目する。目を輝かせているのは、新しい遊び相手が増えたと喜んでいるせいだろうか。それとも、単なる好奇心なのか。
一条は、もちろん雄介に用があって来たのであって、子供と遊びに来たわけではない。日々忙しく働いているのだ。今日も雄介に新しい武器を渡したら、すぐに本部に戻らなければならない。
それなのに―――。
「だーれ? ゆうすけおにいちゃんのおともだち?」
などという園児の質問に、雄介は笑って一条を手招きしながら答えた。
「うん。友達で、それでとってもとっても大切なひとだよ」
などと、真面目な顔をして答えている。子供になにを言い出すやら、と一条は苦笑を浮かべながら雄介たちに歩み寄る。
そこへ、園児のひとり。ピンクのゴムで髪をふたつに結わいた女の子が、とことこと一条のまえにやってきて見上げる。
「こんにちは。いちじょおのおにいちゃん。ささみなえです。あたしね、おっきくなったらゆうすけおにいちゃんのおよめさんになるの」
いきなりの宣戦布告である。雄介の「とってもとっても大切なひと」という言葉に、子供ながらになにか感じるものがあったのだろうか?
なんと返事をしたものかと戸惑う一条のまえに、もう一人の女の子――これも園児のひとり――がやってきて言う。
「ちがうの。ほんとは、わたしがおよめさんにしてもらうの」
「えー、ちがうもん。あたちだもん」
「ゆうすけおにいちゃーん。ほんとはあたしだよね!」
男の園児たちがきょとんとした顔で見守るなか、ほとんどの女の園児たちが参戦して、公園内は大騒ぎになってしまった。目尻を下げて、情けない顔になりながら、一条を見る雄介。
「もてるな。取り込み中みたいだから、出直す」
一条は武器の件はまたこんどにするしかない、と判断して身を翻した。いや、翻そうとした。のだが、上着の裾をつかまれていて、かなわなかった。
「いちじょおのおにいちゃん、いっしょにあそぼ」
上着を掴んでいたのも園児だった。しかし、女児はみんな雄介の手を引っ張り合って騒いでいる最中である。一条を引っ張っていたのはきかん気そうな顔をした男の子だった。
「いや、俺は・・・・・・」
仕事があるから。忙しいから。そんな言い訳が頭に浮かんだけれど、頷いてくれなきゃこの手を放さないぞ! という決意みなぎる必死な眼差しに見詰められ、それが何故だか少し離れたところで女児に囲まれて弱りきっている男のそれと重なって、一条は続く言葉を口に出来ない。
「ゆうすけおにいちゃんのともだちなら、ぼくらにもともだちでしょう?」
それは、なんだか違うんじゃないか? だいたい、自分たちの関係は友達と呼べるようなものなのだろうか? などと、子供のまえでシリアスに悩むひまなどなかった。一条が、動揺を押し隠すような無表情のしたで、必死に自問しているうちに、男児はその手をとって引っ張る。すると、また別の男の子が反対側の手をとって、ぶらさがるように繋いでくる。
「おにいちゃんは、なにしてあそびたい?」
「ぼくは、さっきゆうすけおにいちゃんがおしえてくれた、いしけりのつづきがいいな」
見ると、地面には丸い輪っかがいくつか描かれている。
「おにいちゃんも知ってる? こうやって、けんけんでね」
最初に一条の上着の裾を掴んだ男児が、説明しながら石蹴りをする。ほかの子供がそのあとに続く。これはもう、しばらくの間でも付き合ってやるしかなさそうだ。一条は、時計を気にしながらも覚悟を決めた。すでに、雄介の笑顔に見蕩れているうちにかなりの時間を無駄にしてしまっているのだ。それがあと30分やそこら増えてしまっても、もう上司に頭を下げる回数は同じだ。と、開き直る。
石蹴りや「だるまさんがころんだ」などという他愛ないお遊びにも、ローカルルールというものが存在する。地域や世代によって、ルールが微妙に異なるのだ。雄介が園児に教えたそれは、一条の記憶していたものとは、少し違っている。それが新鮮で、面白いものだな、などと思いながら、一条は子供らに混ざって石を蹴る。
しかし、スーツ姿で革靴で。園児に紛れるには、かなり無理のある目つきの鋭さで。しかも、一条はなにをするときにも真面目で真剣だった。それがまた、周囲から浮き上がってしまうことになど気がついていない。
雄介はそんな一条に目を細める。そして、取り囲んだ女の子たちにしゃがみこんで視線を合わせると、ひどく真面目な顔で宣言した。
「俺は、みんな大好きだけど、およめさんにはしないよ。ごめんね。一番大好きなひと、もう決めてるから。でもね、みんなにもきっともっと大きくなったらそういうひとがあわられるから。大丈夫だよ、ね」
そうして、みんなに向かって全開の笑顔を振り撒く。
さすがのマセガキたちも、この笑顔にはかなわないらしい。みんなちょっと不服そうな顔をしながらも、おとなしく引き下がった。
「一条さーん。俺も石蹴りまぜてくださーい」
雄介が、まるでむきになってしまったように石蹴りをしている一条に声をかけた。
そうして近くにやってきた雄介に、一条は小声で囁いた。
「おまえがロリコンだとは知らなかった」
「そんな、一条さん。誤解ですよー」
さっき以上に目尻を下げて、情けない顔で訴える雄介に、石蹴りをしようと言い出した園児が訊く。
「ろりこん、ってなーに?」
返事に詰まった雄介の横から、一条が指をさす。
「こういうおにいちゃんのことを言うんだ」
「そうかー。じゃあぼくもろりこんになる」
「ぼくも、ろりこん!!」
雄介に憧れているらしい男の園児たちが、競うようにぼくもぼくもと言い出した。日向ぼっこの老夫婦や、犬の散歩らしい近所の主婦の非難の視線が痛い。
「一条さ〜ん。子供に変なこと教えないでくださいよ〜〜」
「ああ、もうこんな時間だ。これからまた捜査会議なんだ。またな」
一条は、時計を見るとこんどこそ少し慌てたようすで踵を返す。
「いちじょおのおにいちゃん、ばいばいー」
子供たちがその背中に手を振る。
公園の出入り口で一条は振り返り、屈託のない笑顔で子供たちと雄介に向かって手を振った。
まるで、雄介の無邪気さが伝染したような、警察関係者が見たら驚くような表情だった。
それを見た雄介は、とたんに元気を取り戻し晴れやかに笑い返して、飛び上がらん勢いで両手を大きく振った。
園児たちや公園に居合わせたひとたちの視線など、もう眼中になかった。
こんな衆人環視のなかでも、二人の世界を作れるあたり、無敵の童心は、もしかしたら二人が共通に持ち合わせている宝物かも知れなかった。
fin.2000.5.6