広い公園の、大きな木にもたれて放心している七緒に、雄介は走り寄って体当たりした。
「うわっ、なにしよるっ!」
きつい目で振り返った先にある、ほんわかと温かい笑顔に、七緒がふっと脱力する。
「五代さんか」
「随分、男前があがったねー」
あごと右頬、目のしたあたりに、大きなあざをこしらえた七緒を見て、雄介はそう言って目を細めた。
七緒は、そんな雄介をしたから睨む。
「僕は、ずっとまえから、これ以上ないほど男前やないですか」
へこんでいても、減らず口なら負けないらしい。
「ひとを殺したいと思ったんだって? まさか、ホントに殺してきてないよね?」
まったく、信じてもいないようすで、雄介は訊いた。
七緒は、握り締めた自分の拳を見詰めながら。
「殺して・・・追いかけてくれるのが一条さんなら、それもええかも知れんって思いましたけど」
「七緒君!!」
雄介の驚いた声に、七緒は満足そうな笑みを見せる。
「あのひとは今、未確認の事件で忙しいから、無理やろうし・・・あんなんのために殺人犯なんてアホらしいから、殴るだけで勘弁しといてやりましたわ」
「勘弁・・・って、七緒君のほうも随分殴られたように見えるけど?」
驚かされた仕返しなのか、雄介が少々意地の悪い口調で言った。けれど、七緒は唇をかみ締めるだけで答えない。
「それ、オーディションのことと関係あるのかな?」
雄介は、そんな七緒を痛々しげに見て、やさしい兄貴の口調に戻った。
「課題が、好きなひとを目の前で未確認に殺されたって役やったんですわ。いくらタイムリーでもアホらしいこと考えよるわ。って、気ぃ悪くて、どうもならんって思って」
その場面を思い出したように、七緒はしばし押し黙り、それからまた早口になる。
「けど、最終選考に残った奴が『先生が未確認に殺されたの役に立ちそうだな』なんて言いにきたから」
「それで、これを使ったの?」
雄介は、心配そうに七緒の顔を覗き込みながら、拳を振って見せた。
「他人の痛みを察することが出来ひんやつなんか、畜生以下やんか。そんな奴に言葉なんか通用せんやろ、せやから、しゃあないやろ」
どこか言い訳じみている台詞に、その自覚があるのだろう。七緒は、雄介から目をそらしたままだ。
雄介は、握り締められたままだった七緒の拳に、そっと手を重ねた。
「だけど、痛かったでしょう?」
「そら、思いきり殴ったったから、ちょっとはな」
「違うよ。ここよりも、こっちが痛かったんじゃない?」
と、雄介は七緒の顔をあげさせて、拳から手を放して、自分の胸を指差した。
七緒は、虚をつかれたような表情で、そんな雄介を見上げた。
「ひどいことを言われたと思うよ。でも、話をするまえに通じないって諦めてこれにものを言わせたら、七緒君のしたことも同レベルじゃない?」
雄介の長い指が、またそっと七緒の拳に触れた。
「これを、使わないですむのがいいよね。すませるように、話してみたらどうかな?」
七緒は、そんな雄介の手を振り払って立ち上がる。
「五代さんの言うこと、奇麗事ばっかりや!」
「そうだね。でも、出来るかも知れないことを、そんな言葉で諦めないでいたいよね」
不服そうに唇をかみ締める七緒に、言葉を重ねようとしたそのとき、少し離れたところに駐車していたBTCSの無線が呼び出し音を聞かせた。
呼んでいるのは、一条だろう。躊躇するうちにも、呼び出し音は続く。
「ちょっと、ごめん」
雄介は、七緒に断って無線に応答する。事件現場が推測出来たという一条の報せにすぐに行くことを伝えて、振り返るともう、七緒の姿はそこになかった。
なんとか海の戦いに勝って、雄介は一条の乗っていた海上保安庁の船に救出された。
濡れた服を着替えて、陸に着くまでの間に、雄介は一条に、七緒のことをかいつまんで話した。
「俺ね、一条さん。ちょっと、きつく言い過ぎちゃいました。このまえの、度を越した自分の戦いぶりを思い出しちゃって。あいつが自分に似てるから、余計にあいつのあんな姿見ていたくなくて」
一条は、しょげかえったようすの雄介の頭に手を置いて、なでるのか髪を乱すのか解らないようなしぐさで、乱暴にかきまわした。
「よしよし」
「一条さん!」
「解ってくれるさ。あの子なら、君が伝えたかったことを」
「一条さん、随分、あいつを信頼してるんですね?」
雄介は、唇をとがらせて上目遣いに一条を見る。
「七緒君をじゃなくて、君を信頼してるから。だから、解ってもらえるだろうって言ったんだ。言葉を選び間違えて、多少厳しい言い方になったとしても、それにこめられた君の誠意は本物だろう?」
一条の言葉とともに贈られた綺麗な微笑みひとつで、さっきまでの落ち込みが、すっかり消えてなくなってしまう。
現金なものだと思いつつ、雄介は途中で放り出す恰好になってしまった、七緒のことが気にかかる。
「あいつ・・・どうしたかなぁ」
「仲がいいな」
「は?」
「七緒君になら君は、そうやって加減を忘れるくらいに言いたいことが言えるんだろう? それだけ、親しいってことだ。少し、羨ましいかな」
雄介は、思わず、というフリで一条に抱きついた。
「俺、いつだって加減忘れるのは一条さんとこうしてるときがいいです!」
そこは、海のうえ。海上保安庁の船のなか。乗組員は、数名。その部屋にはいなかったが、壁が分厚いとは思えない。鍵をかけてこもれるような場所ではない。そして、陸まではあと少しだろう。
「五代」
「はい」
「時と場所は選べ」
言って、一条は雄介の身体を押し返す。
「すみません」
しゅんとなった雄介の耳元に、一条は小声で告げる。
「ちゃんと選んだら、加減を忘れてもいい」
その言葉に、雄介は懲りずに抱きつこうとしたが、それを察した一条に、あっさりとかわされた。
「もうすぐ着くぞ。俺も、七緒君のようすを見に行こうか?」
「そうしてやってくれますか? 一条さんの顔を見たら、あいつもすぐに元気になると思います」
「寛大だな」
「はい。おとなの余裕です!」
言って、雄介はサムズアップした。実際には、七緒をダシにして、一条が訪ねてくれるのを喜んでいるのだろう。
「それじゃあ、俺が七緒君と話す間、君は店番だ」
「うっ」
「おとなの余裕はどうした?」
「わっかりました! 俺が、店番。はい、了解です」
明らかに嫌なのをぐっと堪えるようすで答えた雄介を見て、一条はまたその頭をくしゃくしゃにする。
「話が終わったら、君の部屋に行くから」
一条の言葉に、文字通り一喜一憂する雄介と、それを楽しげに見ている一条を乗せた船が、港に着くのはもうすぐだった。
fin.2000.11.29