滑 落

 

 グリップの握り具合が、少々細い。しっかりと太ももで押さえたタンクも、少しだけ小ぶりなようだ。渡されたヘルメットのシールドを下ろすと、見えてくるのは、綺麗に舗装された曲がりくねった道路。両脇には、椰子の木が等間隔に植えられている。脇にそれる小道のさきには、小さな庭付きの赤い屋根の家々。
 青い空には、入道雲。季節の設定は、真夏だけなのだろうか? ふと、そんな疑問が頭を過ぎった。
 そのとき、スタートを告げる電子音が耳に響いてきた。
 雄介は、少しだけ緊張してセルスイッチを入れる。
 耳に響いてくるエンジン音は、どういう仕組みなのかガソリンの匂いまでリアルに運んでくる。
 発進はスムーズだった。
 風を切って気持ちよく走る。どこかで見たような、どこでもないようなのどかで美しい風景が、みるみるうちに流れさっていく。
『五代、聴こえるか?』
 いつもの台詞。聴きなれた耳に心地よい声が呼びかける。
「一条さん。よく聴こえます!」
『あと500mで三叉路に当たる。青いライトの光ったほうに進んでくれ。一瞬だから、見落とすなよ』
「解りました」
 雄介は元気よく返事をすると、アクセルをふかす。スピードまで指定されていないが、ぎりぎりの速度でなければデータ収集の意味がない。一条の指示した青い光というのが、どういうタイミングで点灯するのかは解らないが、精一杯精神集中をはかって、目を、感覚を、研ぎ澄ます。
 道はわずかに右にカーブしながら続いている。
 景色にはいくつかのパターンがあって、それが繰り返されているらしいことが解ってきた。今、両脇に見えているのは、田園風景だ。
 カーブを曲がりきったさきに、一条の言った三叉路が見えてきた。
 三叉路、とは言っても直進と直角に左右の道があるのではなく、直進と、直進より30度ほど左右にそれぞれ分かれている二つの道である。スピードののったバイクでも無理なく方向を変えられる角度に調整されているようだ。
 ただ、青い光がその左の道を指し示すべく点灯したのは、雄介が進路変更出来るぎりぎりのタイミングだった。
 なんとかクリアして、雄介はほっと息をつく。
『五代、次は工事現場だ。左右に障害物が置かれている。うまく避けて走ってくれ』
「了解です」
 メニューは、なかなかハードに作られているらしい。ほとんど休む間もなく次が待っている。
 設定された仮想工事現場は、一般道ではあり得ない緊密さで、障害物が設置されていた。まるで教習所のクランクが縮小されたうえに、いくつも重なったような按配である。
「これじゃあ、まるで曲乗りだな」
『無駄口は控えろ。全部、記録されるぞ』
「はーい」
 ついつい漏らしてしまった独り言のはずのぼやきだったが、生真面目な一条から注意されて肩を竦める。
 そうして、三日前に一条からかかってきた電話のことを思い出した。一条さん、気合い入ってるようだもんな、と、こんどは声には出さずに心のなかだけで呟きながら。
 
 
 めずらしく店の手伝いに精を出して、ランチの客が一段落ついた午後2時過ぎ。一条から電話が入った。
『科警研が君のライダーとしてのデータを取るために、シミュレーション用のマシンを用意したんだ。協力してもらえるか?』
 一条の声は、どこか嬉しそうだった。
「データって、どういうんですか?」
『BTCSはそもそも君のために開発されたマシンだが、まだまだ付加機能を搭載する余地があるだろうということになったんだ。君自身の能力が、開発当初よりも数段上回っていることを考えると、マシンのほうもそれに合わせて微調整を行う必要があるだろう』
 戦闘能力。とは、言わなかった。言わなくても、それがあの金色の力を指し示していることは明らかだ。
 だが、一条にしろ科警研の榎田にしろ、少しでも雄介のバックアップが出来る方法を模索しようと必死で頭を働かせてくれているのだろうことは解る。
『俺は行ったことがないんだが』
 一条は、そこで言葉を切って、少しだけ迷うような間を置く。
『なんでも、ゲームセンターにあるゲームみたいなものだから、気楽に来てもらえれば助かると、榎田さんからの伝言だ』
 一条薫と、ゲームセンター。それは、確かにあまりにも不似合いな組み合わせだ。なにをやらせても、それなりにこなしてしまう器用さを持ち合わせている一条である。うまく出来ないことのほうがめずらしいものだから、それで初めてゲームなどやってみて、うまくいかなければかえってムキになって熱くなるかも知れない。そんな姿は、かなり可愛くて、一度でいいから見てみたい、と雄介は思う。
「それじゃあ、一条さん。こんど一緒にゲームセンターに行ってみましょうよ!」
 だから、ついつい、そんな言葉を漏らしてしまったのだが。
『行くわけないだろう。そんな、子供の遊び場になど』
 と、あっさり却下されてしまった。
『ゲームセンターのゲームはあくまでもたとえ話だ。これは、遊びじゃない。三日後に科警研に行ってくれ。当日は俺もそちらに行くようにするから』
 一条も来る。という言葉で、雄介はさっきゲームセンター行きを却下されたことなど、すぐに忘れてしまう。
「解りました。三日後に、行きます!」
 雄介の快諾を当然のように受け取って、一条はあっさりと電話を切ったのだった。
 
 
 雄介は今、そのゲームのようにバイクをヴァーチャルな世界で走らせながら、またゲームセンターのことを思い出していた。
 俺も、最新機にはあんまり詳しくないけど、ゲームセンターバージンなんて、今時おとなでもめずらしいよ。一条さん、シューティングとかやったら、無茶苦茶恰好いいだろうなぁ。
 おもちゃでも、ライフルはライフル。一条が構えた姿は、それはそれは恰好いいに決まっている。
 またうっかり口に出しそうになって、焦りながら、雄介はそんな空想に思いをはせる。過酷なクランクの連続を、ようやく脱したところで、少しだけまた運転に余裕が出てきたところだった。
『五代、次は下り坂だ。気を抜くな!』
「はい!」
 一条さん。どっかで見てるのか、それとも喋らなくても考えてることが解っちゃうのかな?
 などと、雄介は内心で焦りながら、言われた通りに気を引き締める。
 下り坂は放っておいてもスピードがのりやすい。油断しているとバランスを崩す。このシミュレーション機で、バランスを崩した状態がどういうものなのか想像がつかないが、出来る限り正確なデータを収集してもらうためには、いつも通りに走らなければならない。
 再び、精神集中して意識を前方に集めたとき、雄介の身体を衝撃が襲った。ガクッという大きな振動と、身体のバランスが崩れる感覚が同時にきた。しっかりととらえていた路面をタイヤが手放して、そのあとにやってきたのは派手な滑落だった。
「うわぁっ!!」
 視界に入るすべては特別仕様のヘルメットが見せている幻影で、身体に伝わる振動もシミュレーション用のマシンならではのリアルさで人工的に作られた仮想現実であったはずだ。
 それなのに、雄介の身体にダイレクトに伝わる衝撃は洒落にならないほどの激痛を伴っていた。
 なにが、どうなったんだ?
 わけも解らぬままに、雄介の意識は激痛から逃れようとするかのように、暗転した。
 
 
「五代。五代雄介! しっかりしろ」
「五代君。五代君っ。目を覚まして!」
 遠くから誰かが呼びかけているのかと、最初は思った。切実な声。今にも泣き出しそうな、とても辛そうな声が、自分を呼んでいる。
 どうして、そんなに哀しそうな声なんだろう?
「五代! 五代! 起きろ!!」
 あれ? 一条さんの声だ。
 雄介は、そう気がつくと同時に、ゆっくりと目を開いた。
 一条の真剣な眼差しと、榎田の泣きそうな顔が、雄介を覗き込んでいた。
「良かったぁ」
 榎田は、目を覚ました雄介を見て、安堵の声とともに、その場にしゃがみこんだ。なので、ベッドに寝かされて上を向いたまま目を覚ました雄介の視界には、なおも心配そうな表情の一条の顔だけが残る。
「一条さん、俺、どうして?」
 呼びかけた声は、掠れていた。
「プログラムにバグがあったらしいんだ。それで、例のシミュレーション中に、君の神経に負荷がかかりすぎて、倒れた」
「ごめんなさい、五代君。こんなことがないように、なんどもテストしたはずだったんだけど。変身したあとの、君の集中力を少なく見積もり過ぎてたの」
 普通の人間にとってなら、坂道を転げ落ちたくらいで激痛が伴うほどの仮想世界ではなかった。けれど、鋭敏になった変身後の身体にとっては、それは実際に同じ速度で同じ角度の坂から滑落したのと同じ痛みを伴うものだった。
 雄介は、ゆっくりと半身を起こして、肩や腕を少しずつ動かしてみる。
 どこにも、痛みは感じられない。気を失ったのは、一時的に感じていた激痛のせいで、本当にどこか怪我をしたというわけではなかったようだ。
「すまなかった」
 神妙な顔で謝罪する一条に、雄介は笑いかける。
「大丈夫、もうなんともありません。こういうことも、含めての、データ収集だったんでしょう? やってみなきゃ、解らないことだったんだし」
「だが、痛い思いをさせる予定などなかった」
 切り換え早く前向きに言ってみても、一条はまだすまなさそうにしている。
「一条さん、そんなに俺に悪いって思ってるなら、お願いひとつ聴いてください」
 雄介は、にやけてしまいそうなのを堪えながら、期待いっぱいの目で一条を見る。
「出来ることなら、いいが」
 雄介がなにを言い出すかなど、想像もつかない一条が消極的に頷く。
「やった。出来ますよ。簡単なことですから。約束ですよ!」
 ベッドのうえで飛び上がらんばかりに喜んでいる雄介を、一条と榎田は複雑な表情で見ていた。なにせ、さっきまでは目を覚まさなかったらどうしようかと、おろおろ心配していた対象なのだ。
「それで、いったいなんのお願いなんだ?」
 逃げ腰気味の一条の問いに、雄介はあざやかに微笑んでサムズアップをきめる。
「こんど一緒に、ゲームセンターに行きましょうね!」
 渋々といったようすで頷いた一条を見て、雄介は崩れまくった笑顔を榎田に向ける。
「こういうシミュレーションなら、いつでも大歓迎ですから、またよんでください」
 榎田は、明暗くっきり分かれた二人の表情を見比べたあとで、あやしい含み笑いとともに頷く。
「そんなに元気なら五代君。これからまた続きをやりましょうか」
 どこぞの監察医と同類の匂いがするあまりにも非情な言葉に、雄介は危うくベッドから滑落しそうになったのだった。

 

 

fin.2000.10.18