無 限

 
 まだ少し暑いけれど、シャツをはためかせていく風には、少しだけ秋の気配が混ざりこんできている。
 バイト先で、ランチタイムが終わるったあと、夕食の時間帯までは、少しだけヒマが出来る。日によっては、お茶だけのお客さんがそこそこ途切れ目なく来る場合もあるが、その日は、ランチがもの凄く混みあったあと、まるでエアポケットに入り込んでしまったのかと思うくらいのヒマな時間が出来た。
 雄介は、どこから持ち出したものか、アコースティックギターを手にして部屋から降りてくる。
「おやっさん、俺ちょっと、外でこれ弾いてくるね」
「めずらしいな、雄介。弦、伸びてるんじゃないか?」
「大丈夫。ちゃんと張り替えてあるよ。じゃあ!」
 雄介は元気にサムズアップを決めて、店を出た。
 行き先は、近所の公園。店の二階でギターを弾くとうるさがられるので、公園のベンチに陣取ることにしたようだ。
 大きな広葉樹が張り出したそのしたにあるベンチだから、うまい具合に日陰が出来ているし、木が風を遮ってくれるから、譜面を置いても飛ばされないですむ。
 けれど、雄介はその譜面を見て弾こうというのではない。彼が手にしてきたそれは、まだ書きかけである。
 少し上目遣いに宙を睨み、なにか考えこんでいるかと思うと、唐突にギターをかきならし、気に入ったフレーズを書き留める。まだ、歌詞は考えていないらしく、適当なハミングをしながら、しばらくギターに集中するかと思うと、パタリと手を止め、眩しげな視線を空に飛ばしたりもする。
 ギターも作曲も、彼の何番目かの技であるらしい。
 おそらくは、この調子なら作詞、というのも技なのだろう。
 明るくて、ノリのいいメロディーライン。大きく身体でリズムを取りながら、目を閉じて、意識を耳だけに集中する。
 時折犬をつれた近所の主婦らしき女性や、散歩らしい老夫婦が行き過ぎたりするが、雄介のギターの音に耳を傾け、足を止める者はいない。
 少し離れた場所にある砂場やブランコでは幼児が遊んでいるけれど、子供たちも特に注目するようすはない。
 誰にも見咎められず、雄介はすっかり自分の音の世界に没頭していた。
 おかげで、小一時間のうちに曲はほぼ完成した。まだ歌詞はまったくないので、ハミングだけで一曲弾ききる。
 いい調子で、ジャーンと、ギターをかき鳴らしてフィニッシュを決めると、後ろから拍手が聞こえてきた。
「うまいものだな」
「い、一条さん!」
 心底感心したようすでゆっくりと雄介のいるベンチのほうへ歩みを進めてきたのは、一条薫そのひとだった。
「いつから聴いてたんですか?」
「いつって・・・そうだな、♪ラララ〜ララ〜 あたりかな」
 生真面目な一条は、耳に残っているフレーズそのままに、聴き始めた箇所を教えた。
 雄介は、その音の正確さと声の良さに、目をまるくした。
「す、すごい! 一回聴いただけで、そんな覚えちゃったんですか?」
「なにを驚いてるんだ? 覚えやすくてやさしいメロディだったじゃないか」
 なんでもないことのように、一条は言ったが、雄介は大袈裟なくらいぶんぶんと首を振った。
「驚きますよ。俺、一条さんの歌、聴いたことなかったし。いい声なのは知ってましたけど、こんなにうまいって、今まで知りませんでした!!」
 一条は、力の入った雄介の言い方に苦笑する。
「うまいって、そんな、たったあれだけで、解るものか」
「解りますよ。一条さん、すっごく歌うまいでしょう」
「別に、人並みだろう?」
 少し照れたように答えた一条を見て、雄介はなにかを企むように目を輝かせた。
「これね、今、出来たてほやほやの曲なんですよ」
「作曲、してたのか?」
「そうです。でね、もう一回、最初から弾きますから、一条さん、このギターの伴奏で歌ってください!」
「歌うって・・・・・・歌詞はどうしたんだ?」
 歌なんか歌っている場合ではない、と返されなかっただけ、一条も今日は時間があるのかも知れない。雄介は、ここぞとばかりにたたみかける。
「歌詞なんか、適当でいいです。ずっと、ハミングでもなんでも」
 だが、一条に「適当」は難しいことのようで、ひどく困った顔をする。
「俺のハミングなんかいらないだろう。いい曲だったようだから、ギターだけ聴かせてもらえないか?」
「なに言ってるんですか。俺なら、ギターなんかなくても一条さんの歌、アカペラで聴きたいくらいなのに!」
 雄介は、ベンチのうえで足をばたばたさせながらまくしたてる。
「歌詞もね、考えてはいるんですよ。でも、なかなかいいのが浮かばなくて。だから、一条さんの声で聴けたら、きっといい歌詞が出てくるんじゃないかなぁって思うんですよ」
「そう言われてもな」
「じゃあ、♪雄介、あいしてる〜、ってずっとそれだけの歌詞ってどうですか?」
 雄介は大きな目を上目遣いにして、一条のようすを伺う。
「帰る」
 一条は、冷たく言い放ってくるりと踵を返した。
 雄介は慌ててギターをベンチに置いて、立ち上がると一条の腕をつかんで引き止めた。
「冗談ですよ! 待ってくださいよー!!」
 目尻を下げて、思いっきり情けない声で雄介が引き止めると、一条はしぶしぶながらも足を止めた。
「近くまで来たから店に寄ったら、こっちでギター弾いてるって教えてもらったんだ」
 今更なタイミングなのだが、一条はここに来た経緯を説明した。
「ここしばらくは奴らもおとなしいようだ。それで、君の身体の具合はどうかと思ってそれを確認したかっただけだ。だが、元気そうなのが解ったから署に――」
「あーっ!」
 一条の言葉を強引に遮って、雄介が大声をあげた。
「どうした?」
「元気ないです。ホントです。もう、本日、現在、たった今から、元気なくなりました」
「なにを、言ってるんだ?」
「だって、せっかく会えたのに、一条さんすぐに帰るなんて言うし。歌もうたってくれないし。だから俺、もう、元気なんかどこにもないです」
 雄介の必死の訴えに、一条は呆れたように息をつく。
「おまえがちゃんと歌詞のある歌も弾けるなら、一曲くらいなら歌ってもいい」
「やった、ラッキー!!」
 雄介は飛び上がって喜んだ。一条の歌に感心した雄介だったが、彼もたいてい一度聴いた曲は譜面なしでも自己流で弾きこなせるだけの腕があった。
「一条さんが歌ってくれるなら、なんだって弾きます!」
「それじゃあ」
 一条が口にした曲のタイトルは、少しまえのヒット曲だった。しっとりとしたスローバラードで、かなり歌唱力がなければ歌いこなせない難しい曲だ。
「さっすが、一条さん。渋い選曲ですね」
「弾けないか?」
 ちょっとだけ、残念そうなようすを見せて訊かれ、雄介はまたしてもぶんぶんと否定の意味で首を振る。
「大丈夫です。任せてください!!」
 雄介はジャカジャカとピックでかき鳴らすだけではなく、アルペジオも出来るところを披露した。
 郷愁を誘うような、どこか懐かしいメロディー。雄介の暖かな響きのギターに、一条の耳に心地いい声が重なる。
 雄介のギターだけだったときには、気にもとめないようすだった通りがかりの人たちや、公園で遊ぶ子供たちが、いつのまにか彼ら二人のベンチのほうに注目していた。
 とくに、学校帰りらしい高校生や、犬の散歩にきたらしい近所の主婦らは、熱心に耳を傾けるようすで足を止めている。
 一曲歌いきると、そんなオーディエンスから大きな拍手が贈られた。
 一条は、雄介のギターの音と、歌うことばかりに集中していたせいか、歌い終わって初めて、そんな状況になっていたことに気がついたようで、強張った表情でかたまってしまった。
 雄介は、くしゃりと笑顔になって、みなと一緒に拍手している。
「一条さん、やっぱりすごいうまいじゃないですか。もう、聴き惚れちゃいましたよ、俺。いやぁ、まえから惚れてはいますけど、もう、惚れ直しましたね」
 あたりはばからぬ告白に、一条は雄介を視線で咎める。
「これで、元気が出たんだろう? もう、帰るぞ」
「え? でもほら、みんなが」
 拍手の音は、いつの間にか調子をそろえている。なかには、はっきりとアンコールと騒ぐ女子高校生もいる。
 まるで、野外コンサート場であるかのような様相を呈してきている。
「きりがないだろう? それに、もう夕食の時間で、店が混むのじゃないか?」
 指摘されてみれば、確かに随分と気温も下がり、夕陽が遠くに見えていた。
 アンコールを叫び、嬉しそうにしている女の子たちと、一条の顔を交互に見た雄介は、あっさりとギターをケースにしまった。
「まだ、一条さんの歌、聴きたいところですけど、確かに限度無くなりそうだから、我慢しますね」
 こんどは先ほどのような駄々をこねることなく帰るようすを見せた雄介に、一条はほっとして微笑みかける。
「おまえの作曲の邪魔をしてしまったな」
 雄介は、ギターケースを肩にかけ、一条の脇にそっと寄り添い声を低めて言った。
「それはいいんです。でも、こんどはちゃんと歌詞も作りますから、俺の作った曲も歌ってくださいね!」
「それはいいが、あまり変な歌詞にするなよ」
 一条は、雄介の冗談をまだ覚えていたらしく、そう釘を刺した。
「とびきりの歌詞を考えますよ。だから、俺だけが聴けるところで、歌ってくださいね」
 独占欲丸出しの雄介の台詞は、どうやら、熱狂していたオーディエンスに対する対抗意識からきたものらしい。
 そうと気づいて、一条はくすりと笑う。
「子供っぽいな。それで、すぐに帰る気になったんだ」
「解ってますよ。俺だって、こんなに心狭いの、ガキだなって。でも、果てがないんですよ。一条さんに対する気持ちだけ、際限なく、欲張りになっちゃって、自分でもどうしていいか解らないくらいで―――」
 暮れかけた空のしたで、顔がはっきりとは見えないせいだろうか。雄介が、日頃はあまり見せないような弱気な表情で本音をもらす。
「あんないい声で歌ってもらっちゃったら、それに拍車がかかっちゃいましたよ」
「俺もおまえのギターを聴かせてもらって・・・・・・」
 一条は、雄介よりも更に小さな声で、さきほど雄介が言ったのと同じ意味の告白をした。
 雄介は、足を止めて一条の顔を間近から覗き込む。
「ホントですか? 一条さん」
 一条は、そんな雄介から目をそらすと、遠くの空を見た。
「夕陽が綺麗だな」
 日々深まる雄介の一条への思いも、一条の強情なまでに照れ屋なところも、どちらにも果ては見えないようだった。
 
 

fin.2000.8.31