聖 夜

 


 ガラガラガッシャーン。
 派手な音をたてて、雄介がトレイをとり落とした。昼のかきいれどきで、満員の客たちが一斉に雄介に注目する。
「失礼しました〜」
 と、皆に向かって最敬礼する。照れたような笑いで、丁寧に頭を下げられて、客たちはまたそれぞれの会話に戻っていく。
「お待たせしました。コーヒーに、アイスティーです」
「あら、カフェオレと、ホットミルクを頼んだんだけど」
「すみません、ただいますぐに!」
「お兄さん、コーヒーとアイスティーは、こっちだよ」
「あ、はーい」
 雄介は、単純なオーダーの取り違えに、またしてもぺこりと頭を下げて、忙しくテーブルをまわる。
「五代さん、なんか今日はようすがちゃいませんか?」
 そんな落ち着かない雄介をさして、七緒が叔父に声をかけた。
「今日はイヴだからねぇ。デートの約束でもしてるんじゃないのかね」
「五代さんがデート? おっさん、相手だれか知ってます?」
 聞き捨てならない、とばかりに七緒が身を乗り出す。
「さぁ、誰だろうね。ただ、この頃ちっとも冒険にも行かないから、彼女でも出来たんじゃないかと思うんだよ」
「彼女?」
 七緒は首を傾げて考える。雄介が、こんなに浮き足立ってそわそわするような相手には、心当たりがある。けれど、それは決して「彼女」では、なかった。
「・・・のような相手と約束があったとしても、変やなぁ。あのひと、クリスマスなんか気にするようなタイプやない気がするんやけどな」
 その七緒の呟きが、オーダー間違いにあたふたしている雄介に聴こえなかったのは、彼にとって不幸中の幸いだったかも知れない。
 
 
「ちょっと相談したいことがあるから、部屋で待っててくれないか?」
 と、一条から電話があったのは、今朝早くのことだった。合鍵は渡されているものの、そう易々と部屋に押しかけるわけにもいかないでいた。忙しい一条への気遣いもあり、まだ数えるほどしか訪問したことのないマンションである。そこへ、一条のほうから呼び出しがあったのだ。しかも、12月24日の朝に。
 相談、だなんて一条さんてば照れちゃって。
 と、雄介は、すっかり盛り上がっている。そうして、一条が帰るまえにシャンパンとケーキと美味しい料理を用意しておこう、などと考えては、トレイを落としたり、オーダーをミスったり、ということを繰り返しているのだった。
 料理はなにがいいだろう? 一条さん、グルメなわけじゃないのに、案外こだわりあるし、食べられない野菜とか多いから、気をつけないと、そこらじゅう、地雷だらけなんだよな。シャンパンは、口あたりの軽いやつがいい。二人だから、ケーキはテーブルを飾れる程度で、小さくていいよな。飾るのは、ケーキだけじゃなくて、キャンドルとかもいいかな。でも、どんなに綺麗なキャンドルも花も、一条さんのまえじゃかすんで見えるよな。
 等々。もう、考えればきりがなく、それがまた楽しくてたまらない。
 七緒やおやっさんの呆れ顔もなんのその。迷惑をかけまくった客たちにも、いつも以上に明るい笑顔で謝りたおして閉店の時間を迎えると、一目散に一条のマンションまでバイクを走らせた。
 午後十時。雄介が、料理やシャンパンのセッティングをすべて完了した頃に、この部屋の主が帰還した。
「おかえりなさいvv」
 語尾にしっかりハートマークつきで出迎えた雄介に、一条は大きな包みを差し出した。
 これが、真っ赤な包装紙でくるまって、緑色のリボンでもついていようものなら、クリスマスプレゼント以外のなにものでもなかっただろう。けれど、残念ながらそれを包んでいるのは、茶色い油紙だった。
「これは?」
 一条の厳しい表情に嫌な予感を覚えながら、雄介が訊いた。
「新しい探査装置なんだ。体臭と、音との、両方で奴らを探索することが出来る」
 一条は、目を輝かせて説明する。
「科警研の榎田さんの自信作なんだが、君が緑に変身したときの能力と併せて使えるようにならないものかと思って」
「・・・一条さん。まさかあの、相談って、あれはこれのことだったんですか?」
 呆然と訊いた雄介に、一条はなにを解りきったことを訊くのかというようすで、頷いた。
「そうだ。本当は本部まで出向いてもらったら早いだろうとは思ったんだが、このまえ来てもらったばかりだし、君も年末で店が忙しそうだと思ったものだから、それでここに来てもらうことにしたんだ」
 店が終わってからなら、君の保護者にも迷惑をかけずにすむだろう、と一条は当然のように説明した。
「そ・・・そうだったんですか。えっと、とにかくこんな玄関で話すこともないでしょう。ね」
 雄介は、がっくりと肩を落としながらも、一条を居間にいざなって、温めたスープを饗した。
 レースのテーブルクロスのうえに飾られた赤いキャンドル。七面鳥のロースト。サンタクロースの人形がのっている小さなケーキ。シャンパングラス。
 一歩その部屋に足を踏み入れて、こんどは一条のほうが驚いた顔になった。
「まるで、パーティでも始めるような・・・」
「ような、じゃなくて、パーティのつもりだったんですけどね。てっきり、一条さんも今日が24日だから俺をよんでくれたんだと思ってましたよ」
「俺は、仏教徒だぞ」
 一条の即答に、雄介はまた首を傾げる。
 すっかりクリスマスを忘れていたにしては、反応が早すぎるような気がしたのだ。
 が、追及はせずに席に着くと、シャンパンを二つのグラスに注ぎ分けた。
「相談もいいですけど、とにかく乾杯しましょう!」
 雄介が笑ってグラスをあげると、一条はしばし躊躇したあとで、しかたなさそうにグラスをぶつけた。
「メリークリスマス!」
 元気に言った雄介に対し、一条は困ったような表情で小さく「ああ」と、呟いたのみでグラスに口をつけた。
「一条さんもちゃんと言ってくださいよ〜」
「仏教徒だと言ったろ。それより、まだそれの話が済んでないんだ。あんまり飲むなよ」
 部屋の隅に置いた探査装置を視線でさして、一条が釘をさす。
「えー、本気でこれからまだそんな相談する気なんですか?」
「そのために来てもらったんだからな」
「だけど一条さん、クリスマスイヴなんですよ。いくら仏教徒だって、そんなの関係ありませんよ。無節操だと言われても、クリスマスの経済効果はバカに出来ないものがあるでしょう。シャンパンも、ケーキも、子供の玩具も、大量に売れる。消費が増えれば、それだけ経済は活性化しますよね。21世紀にむけて、いつまでも不況じゃあ困りますもん。ね、仏教でも神道でも無関係にイベントとしてクリスマスを楽しめる国民性は、素晴らしいことだと思いませんか?」
 長い指をひらひらさせながら、大袈裟な身振り手振りで雄介が力説する。
「どういうわけか、日本では、クリスマスイヴは大好きなひとと一緒に過ごすことに相場は決まってるんですからね!」
 一条は、そんな雄介を見て、くすくすと笑いだした。
 それはまるで発作のようで、肩を震わせてなかなか笑いがおさまらない。
「一条さん?」
 雄介は、なにを笑われたのかが解らずに、そんなようすを心配そうに見る。
「大丈夫ですか? なにが、そんなにおかしいんです?」
「もういい。解ったから」
 一条は、そう言いながら探査装置に手を伸ばした。
「解ってないじゃないですか〜」
 雄介は、情けない声で止めようとした。今は、奴らのことなんか話していたくない。
「そうじゃないんだ」
 一条は探査装置の上蓋を外して、なにやら平べったい包みを取り出した。包装紙には、白地にクリスマスリースの模様が入っている。
「どうせ今日ここによべば、君はさぞかし浮かれていることだろうと思って。あんまり甘やかすのもどうかと思ったんだが」
 言いながら、一条はその包みを雄介に差し出した。
「これは?」
「本当の用件はこっちだ。これを、渡そうと思ってな。俺も、たまには日本の経済に貢献したということだ」
 雄介は受け取った包みと一条の顔を見比べながら訊く。
「開けていいですか?」
「ああ」
「わぁーっ!!」
 一条の返答と同時くらいに包みを開けた雄介は、なかから出てきた72色の絵の具に歓声をあげた。
「ありがとうございます!」
「今は、金色や銀色まであるんだな。それで、空でも海でも、好きなものを描くといい」
「一条さんを・・・好きなものなら、一条さんを描きたいです!」
 もらった絵の具を胸に抱きしめて、雄介は一条に訴えた。
「俺、プレゼント用意してないから、だから、一条さんを描かせてください。そしたら、それをプレゼントします!」
「いらない」
 盛り上がってる雄介に、思い切り水をさすように、一条は言い切った。
「俺の絵なんか、いらないから、だから・・・」
 勢いをそがれて、しょんぼりとした雄介の耳元に、一条はそっと唇を寄せて囁いた。
「どうせなら自画像でも描いてくれ」
「描くのはいいですけど、それはプレゼントしたくないです」
「何故だ?」
「だって、絵より本人、ずっと見ててもらいたいですから!」
 クリスマス仕様の豪華な料理や、シャンパン、ケーキなどよりも、とにかく互いにばかり気を取られている二人が、冷めた料理に気がついて苦笑いで顔を見合わせるまでには、まだもう少し時間がかかりそうだった。
 今世紀最後のクリスマスイヴに。今世紀最強のバカップルの甘い夜がふけていく。見守るのはただ、赤いキャンドルライトと、忘れ去られた料理たちのみであったのは、すべてのシングルたちにとっての不幸中の幸い、だったかも知れない。
 
 

fin.2000.12.24