真 相

 


 単に引っこみがつかなくなった。それが一番の理由かも知れない。それから、自分にとって都合のいい淡い期待と、少しの意地と。勝てる見込みのない賭け、と。
 雄介は、さらさらの砂浜に寝転んで、嫌になるくらい澄み渡った青空をぼんやりと見上げながら考えていた。
 当初の計画通りであれば、この青空をともに見上げているはずだった、最愛のひとのことを。
 そうして、その計画が脆くも崩れ去るにいたった、あの日のことを、寄せては返す波の音をBGMに、少しずつ思い起こしていた。


「狙うときは、ここを狙ってくださいね」
 椿に教えられた弱点を一条に打ち明けて、腹を指差しながら言った。
 一条はひどく辛そうな顔で絶句した。雄介はそんな一条に、なんでもないことを話すような調子で笑いかける。
「もしも究極の闇をもたらす存在になっちゃったらの話ですけどね」
 不吉な言葉など、聞かせたくなかった。それでも、言っておかなければならなかった。
 そして、そういう状況下であれば、どれだけ生真面目な一条であっても、わがままを聞いてくれるのではないかと期待した。
「だからもし、俺が無事で一条さんのところに戻れたら、そのときは一緒に旅に出ましょうよ」
「・・・・・・」
「長期休暇をとってください。そのくらい、とる権利あるでしょう。この一年、一条さんはホントに休む間もなく働きづめだったじゃないですか」
「・・・五代」
「二人で、最高に綺麗な青空を見に行きましょう。ただぼんやりと、寄せては返すだけの波を、見ていましょうよ」
 一条は、はしゃぐ雄介を、不思議そうに見た。
「君は、今がどういうときか、解っているのか?」
「もちろんです。だから、約束が欲しいんです。こんなときだからこそ、絶対守るための約束をしていきたいんです」
 一条は、少しの間当惑の表情で押し黙った。
 雄介は、どきどきしながら一条が決断してくれるのを待った。
「駄目だ、五代。俺には、守れないかも知れない約束なんか出来ない」
 一条から渡された返事は、雄介の期待を大きく裏切るものだった。
「第0号によって、多くの命が奪われて、このさきも当分は残務整理で慌しい日々が続くだろう。俺は、警察官なんだ。そうした後処理を他人に押し付けて自分だけ休暇を申請することなど出来ない」
「そうじゃないでしょう」
「え?」
「本当は、そんなことが理由じゃないでしょう。一条さん、俺が帰ってこないかも知れないって思ってる。だから、そうなったとき、こんな約束を置いていかれるのが迷惑だって、そう思うから仕事のことなんか理由にして、俺をごまかそうとしてるんだ」
 雄介は、言ってしまってから、自分の耳を疑った。
 誰より大切で、大好きな一条に、とんでもない言いがかりである。
 そんなことを言ってしまうくらい、ぎりぎりの瀬戸際に立たされて、どうしようもなく気持ちが昂ぶっていた。そして、本当に自分の無事な生還を信じきれずにいるのは、むしろ雄介自身のほうだった。だから、一条に甘えてわがままを言って、そんな自分に苛立って、真面目にあくまでも真摯に相手をしてくれる一条に、さらに甘えかかるような恰好になってしまった。
「君をごまかすつもりなら、約束してやるだろう。出来ないって解ってて、それでも了解だと言えばいい。だが、俺はそのあとのこともちゃんと考えてる。絶対勝てると思っているからこそ、適当な返事など出来ないんだ」
 本来なら、一条が怒ってもしかたがないような状況だった。
 なのに一条は、やさしい声でゆっくり諭すように雄介に話しかける。
「君は俺など気にしないで、よく晴れた青空や、綺麗な海を見に行けばいいんだ」
 微妙な精神状態にある雄介を、どこまでも思いやっての言葉だったのだと、時間が経ってからなら解る。けれど、そのときの雄介には、火に油を注がれたようなものだった。どれだけやさしく囁かれた言葉でも、その内容で、突き放された、と感じてしまった。
「もういい。解りましたよ。俺、ひとりで行ってきますから。もう、行ったら当分帰れないかも知れませんからね!」
 それでも、一条はかすかに笑って頷いた。
「それが、本来の君の日常だったのだろう?」
 その日常を、早く雄介に取り戻させたいと心から願っての言葉だった。
 けれど、はりつめた心で聴いた雄介には、素直に受け止められなかった。
「よく解りましたよ一条さん。やっぱり俺、ずーっと片思いだったんですね。俺がいつだって一条さんと一緒にいたいって思うほど、一条さんは俺のこと、必要としてないんだ」
 そんなことを言いたいわけじゃなかった。最後になってしまうかも知れないのに、喧嘩したいわけがない。一条を、怒らせたいと思うはずもない。それなのに、苛立ちのままに口にのぼる言葉は、ナイフみたいに尖っていた。
 一条はただ黙って首を振る。そして、雄介の瞳を凝視した。
 その真っ直ぐな視線から、さきに目を逸らしたのは雄介のほうだった。
 諦めたように、溜め息をもらして、それから少しだけ肩をすくめる。
「見ててください、俺の変身!」
 そうして白い戦場へとおもむいた。言う気のなかった多くの言葉を、一条の耳に届く以前に引き戻すことも出来ないままで。


 あまりにみじめで、情けない気持ちで、恰好悪い自分が嫌で、泣きながら戦った。
 戦いながら考えた。あの一条のようすでは、このまま勝てたとしても、やはり残務処理に精を出すつもりなのだろう。一緒に旅をするなど、夢のまた夢だ。
 一条には解らない。青空も砂浜も二の次で、ただ一条と二人きりで過ごしたいのだ、ということを。
 雄介が欲しかった約束の、本当の意味も。
 ならば一人で行くしかないのだろう。しばらく離れていたら、一条にも少しは自分のことを考えてくれる時間が出来るかも知れない。こんなに大好きな一条を相手に、一生片思いを続けるのは辛すぎる。ならば、賭けにでてみよう。負けてもともと、なんて気持ちにはとてもなれないけれど、それでも、なにもしないでいるよりは、はるかにマシだと思えるから。
 長く、そばにいるのがお互いに当然みたいになっていた。
 その雄介が離れれば、仕事を急いで片づけて、追ってきてくれるかも知れない。
 そんな甘い期待を抱いたから、雄介は皆に予告した通り、戦いのあとそのまま冒険に旅立った。


 三ヶ月は長かっただろうか? それとも、短い期間だととらえるべきか?
 雄介は風に流されていく綿菓子みたいな雲を目で追いながら考えていた。
 ついて早々に、絵葉書を出した。この浜辺の写真を、メッセージとともに一条に送った。
 けれど、残務処理のあとには配置転換が待っている一条には、長期休暇をとる余裕などどこにもない。どれだけ待っていても、迎えに来てくれる気配もない。
 そもそも根本的なところで誤解があるのだ、迎えに来るはずもない。
 一条は、冒険に旅立った雄介が、ひとりでも幸せにしていると信じている。雄介の幸せは、そこにあるのだと確信している。
 そんな一条だから、連れ戻そうなどという発想それ自体、思い浮かびもしないのだろう。
 雄介は両手を広げてごろりと横に転がった。どれだけ砂浜でごろごろしても、乾いたさらさらの砂なので、汚れる心配もない。
 そんな雄介の視線のさきに、若いカップルが向こうから連れ立って歩いてくる姿が見えた。
 男性は明るい金色の髪を波風にさらしながら、女性にやさしく微笑みかける。
 女性のほうは・・・茶系のセミロングで、瞳の虹彩も茶色。綺麗に通った鼻筋や、涼しげで美しい目元。その白い腕が、男の腕に絡みつく。
 そうして、人目もはばからない熱い抱擁。
「・・・・・・一条さん?」
 よく見れば、似ているのは髪と瞳の色くらい。なのに、焦燥感に背筋が冷えた。嫉妬で、眩暈がしそうだった。
 雄介は、砂を蹴って勢いよく立ち上がった。
 傍らに置いたリュックを肩に背負って、歩き出す。
「俺、やっぱり帰ろう」
 決意をこめた雄介の独り言は、熱い風がさらっていった。
 
 

fin.2001.1.27