視 線

 


 無意識のうちに、目が追いかける。あのひとの一挙手一投足から、目が離せない。
 最初は少し、まずいかも知れないと思った。これは、重症なんじゃないか? そのうち周囲のひとたちだって、不審に思うかも知れない、と。
 だけど、今はもう、開き直ってしまった。仕方がないことだと思う。だって、相手があの一条薫、なんだから。
「ぼんやりしてるな。疲れたのか?」
 満身創痍でくたくたなのは一条さんのほうなのに、穏やかな声で問いかけられて、俺は物思いからさめた。
「ぼんやり、じゃないです。一条さんを見てたんです」
 山道を歩き回った。3号の遺体を発見したあとのこと。全治三週間の怪我のうえに、更にどれだけの負傷を上乗せしたのか解らない一条さんには、車でゆっくり休んでいてもらいたかったのに。俺ひとりが周囲を捜索することを、がんとして許さなかったから、仕方なく二人で歩き回るハメになった。第3号を殺した奴が、まだこの近くに潜んでいるかもしれない、という一条さんの主張に従って。
 暗い道を、一条さんに手や肩を貸しながら歩くのは、それはこんな状況下で考えては不謹慎なほどに楽しいことだったけど、それでも、怪我をしてる身体のことはずっと心配だった。時々、苦しそうな息をつく。足をひきずるようにする。でも、驚くほどに無表情で、痛みなんか感じてないフリをしてるから、俺もそれにつきあって、なにも気がつかないフリを続けてた。
 周り中を見終わって、なんとか納得して車に戻ってくれたときには、どれだけほっとしたか知れない。
「そんなに、穴が開くほど見蕩れてたのか?」
「違います! どこまで無茶する気なのかって、呆れて見てたんです!!」
 見蕩れてたことには違いありませんけどね。そんなこと、もう解りきってるじゃないですか。今更、こんな狭い車のなかで、そういう話するのって・・・まずいでしょう? 見詰めていたい。抱き寄せたい。口づけしたい。なんてこと、際限もなく言い出してしまったら。負傷してる身体のことも、忘れてすっかり夢中になってしまったら。
 絶対、まずい・・・ですよね?
 と、思うんですけど。思いながらも、俺の手は一条さんのさらさらで茶色い髪をなでていた。
 早く救急車をよぶべきなんじゃないのか? なんてことは解ってるのに、大丈夫だという一条さんの言葉に甘えて、一緒にいられる至福の時間を楽しんでいる。
 そんな俺に、一条さんは不意打ちのように微笑んだ。もう、そんな表情を間近で見せるなんて、犯罪です。いや、俺に犯罪者になれってことですか?
「おまえ、俺より、俺の髪が好きなのか?」
「はぁ?」
 がくって、顎が落ちる音、しませんでしたか? というくらい、びっくりした。
「よくそうやって、嬉しそうに触るから」
「そう、でしたっけ?」
 そうかも知れない。でも、あんまり考えたこともなかった。確かに、手触りがよくって大好きな髪だけど。
「これ、染めてるわけじゃないって、知ってたか?」
 一条さんが、真顔で聴いた。誰が見ても、どう見ても茶色い髪を指差して。
「警察官らしくないと思われるかも知れないが、最初からこういう色なんだ」
 思わず信じそうになるくらい、真剣な顔と口調だった。
「駄目ですよ、一条さん。そんなの、俺には通じません。伊達にずっと見てるわけじゃないですもん。たまに、色の濃さ違ってますよ。忙しいのにマメに染めてるなぁとは思いますけどね」
 俺の言葉に、一条さんが目をまるくする。とても、意外そうなようすを見せる。
「誰も、疑わなかったのにな。日頃の行いが違うから」
 いったいいつから染めていて、何人その日頃の行いパワーで騙したものか。恐ろしくて聴けなかった。
「昔、本当に地毛が茶色い、―いや、あれは白に近かったか―、同級生がいたんだ。彼は、その色のせいで、ほかの子供たちから疎外されてるようなところがあった。悪質ないじめなどはなかったが、妙に浮いてたことは確かだった」
「それで、一条さんはその子につきあって、染めたって言うんですか?」
 正義感の強い一条さんなら、やりかねない話だとは思う。だけど。
「でも、そうしたら、ある日、急に茶髪になった一条さんを、先生は注意したでしょう? いくら日頃の行いが良くても、染めたのなんて一目瞭然じゃないですか」
 なのに、一条さんは余裕の笑みを浮かべる。
「そんなのは簡単だ。今までが黒く染めてたって言った。でも、校則が禁止しているのは『髪が茶色いこと』ではなくて『髪を染めること』であるはずだ。だから、校則違反を改めましたって言ったら、先生ばかりかみんな信じたぞ。しかも、地毛が白っぽい子も疎外されることがなくなった」
 日本という島国では、ほとんどのひとが同じ髪の色、同じ目の色、同じ肌の色を持っていて、同じであること、に価値があるかのような風評がある。外見の、目に見える色に価値なんかないのに。色に価値があるとしたら、きっとそれは心のなかにある色のほう。
「なんか、心配になってきちゃいましたよ。その白っぽい髪の少年は、一条さんに惚れちゃったんじゃないですか?」
「なんだ、こんどは随分あっさりと信じたな」
 拍子抜けした、とでも言いたそうに一条さんは、思わせぶりに髪をかきあげた。
「えー、嘘だったんですか? ひとが、いい話だって感動してたのに」
「感動、じゃなくて、心配してたんだろう?」
「もう、はぐらかさないでくださいよ!」
 一条さんは、見かけよりずっと子供っぽいところがある。実は、かなりの負けず嫌いだ。さっき、俺が茶髪に染めてることをいとも簡単に看過したことを根に持って、適当な嘘をでっちあげたとしても、不思議じゃない。
「ずっとまえに、ニュースで見たんだ。別に、いじめられたとかいう話ではなく。ただ、髪が茶色いから注意された女子中学生がいて、彼女は納得いかないながらも親の勧めに従って、仕方なく髪を黒く染めて通学してたって話。なんだか、無性に腹立たしく思えてな」
「一条さん、まさかそんな理由でいつも茶色く染めてるんじゃ?」
 と言った俺に、一条さんがまた意味深な含み笑いを見せた。
「俺は、おまえのほうが心配だよ。そんな簡単になんでも信じて」
 うわーっ。また嘘だっていうんですか?
 俺は、狭い車内でじたばたと暴れた。
「一条さん、もう、どっからホントでどこまで嘘だったんですか?」
 ふっと一条さんの表情が神妙なそれに変わる。
「だから、この髪、ホントは染めなくてもこういう色なんだよ」
 すっかり、話が戻ってしまった。
「もう一条さん。また、俺で遊んでましたね。そんな余裕があるんなら、襲っちゃいますよ〜!!」
 ふざけ半分、でもあわよくばって気持ちもちょっとはあって、俺は一条さんに覆い被さろうとした。そのとき。
 くるっと背中を向けて、一条さんはそれを防いだ。
「ああ、なんだかいい夢が見られそうな気がしてきた。おやすみ、五代」
 なんてことを言われてしまえば、こっちはもうフリーズするしかなくって。かなわないなぁ、と、頭を抱えてみたりする。
 ずっと一条さんの体調や怪我の具合を心配してたこと、知られてた。だから、軽口を叩いて、元気だって知らせたかったんでしょう? とっても、ひねくれた、まわりくどいやりかたで。それでも、一条さんだなぁ、って思う。思って、目尻が下がりまくってしまう、俺はかなりの重症。
 やがて、規則正しい寝息が聞こえてくる。その呼吸音に合わせて、大好きな茶色い髪もかすかに上下する。
 これだから、一条さんから目が離せない。俺の視線は、ずっとずっと、一条さんだけを追いかけていく。
 まだ、俺にとっての至福の時間は続いている。
 
 

fin.2000.11.15