約束通りに時間を作って、五代の待っているはずの『ポレポレ』に着いたのは、閉店ぎりぎりの時間だった。
「いらっしゃい」
と、そっくりな笑顔の二重奏で、五代と七緒君が迎えてくれる。店主も、いつも通りのおだやなようすで、そろそろ片づけを始めようかという時間だろうに、迷惑そうなそぶりひとつない。
「俺、看板しまってきまーす」
踊るような足取りで、五代が店を出て行く。看板・・・とは言っても、この店に似合いの可愛らしいもので、夜になるとひっそりと灯りがともって慎ましやかに自己主張している代物だ。閉店するときには、これの灯りを消して、ドアの内側に仕舞うのが習慣になっている。いつもならもう仕舞ってあっておかしくない時間なのだろうに、多忙な刑事を待ってくれていたらしい。
いつものカウンター席に腰を下ろすと、七尾君がおひやを運んできてくれて、そのままちゃっかり隣の席に着いた。
「夕飯まだですよね? なににしはります? メニューはカレーばっかりやけど、一条さんが食べたいって言ったら、なんでも作りますよ、五代さんが」
相変わらずの早口で、言いたいことを並べ立てる。五代から聴いた話では、随分と深く落ち込んでいたということだったが、もう立ち直ったのだろうか? 思ったよりもずっと元気そうだ。だったらなにも、嫌な話を蒸し返すことはないだろう。
「一条さん、俺、今日はほんまにキレそうやったんですよ!」
と、知らないふりをしておこうかと考えた矢先に、七緒君のほうから言われてしまった。
「五代から聴いた。残念だったね」
「ですよね。五代さんの言うことなんか聴かないで、やっぱりぶっ殺したったら良かった」
「七緒君。残念の意味が違う。オーディションの話をしたんだ」
七緒君は、こちらをじーっと見て、それからぷっと吹き出した。
「一条さん、ほんまに真面目なおひとですねー。冗談に決まってますわ。いくらなんでも、刑事さん相手に殺せば良かったなんて、本気で言うはずないし」
と、七緒君が言ったとたん、その頭に拳骨が降ってきた。ごん、という鈍い音とともに、七緒君が涙目になって上を見上げる。
拳骨の主が、怖い顔をして弟分を睨んでいた。
「俺の一条さんをからかって遊ぶなんて、百万年早いぞ」
「別に、からかわれたわけでは」
「ああ、いいんです、一条さん。こんな奴かばわなくても」
「ひどいやないですか、五代さん。傷心の若者をつかまえて、こんな奴呼ばわりやなんて!」
七緒君が大袈裟に騒ぎ立てると、五代も負けずと大きな声になる。
「おまえなんか、こんな奴で充分だよ。殴った相手に、殴った理由を説明して、だからもう一度殴らせろなんて言って、挙句にまた倍殴られたうえで、すっかり意気投合して、この店にまで連れてきて」
七緒君は、想像以上に立ち直りが早いタイプだったらしい。順応性が高い、というべきだろうか。
「そうだったのか?」
「そうです。それで、さっきまでそこで二人で飯食ってたんですよ、店の手伝いもしないで」
「店の手伝いをしないことに関しては、五代さんにとやかく言われる筋合いありませんやん」
「うっ」
五代はだって、クウガなんだぞ。君たちの笑顔を守るために、使いたくもない拳をふるって戦っている。なのに、店の手伝いなんて次元で責められたらあんまりだ。と、思いはするものの、まさか割って入ってそれを説明するわけにもいかない。
「五代、すまないが夕飯まだなんだ。カレーをもらえるか?」
それが一番、手間がかからないだろうし、早いはずだと思って頼んだのだが。
「カレー以外だって、なんでも好きなものを言ってくださいよ。うでによりをかけますから」
カウンターのなかで五代が腕まくりしてみせる。
「いや、カレーがいいんだ」
「遠慮しないでええんですよ、一条さん。五代さん、料理の腕は確かやし」
「こら、七緒! 料理の腕も、だろ」
すかさず訂正を入れた五代に、七緒君は笑って肩をすくめている。
二人の親密な空気に、居心地の悪さを感じてしまった。本物の兄弟のような、家族のような、遠慮のない言葉の応酬。そのなかにも、感じられる互いへの気遣いと思いやり。
兄のような・・・もしかしたら母のような・・・五代の七緒君を見るやさしい瞳。自分には決して見せることのない表情。
どうしようもないな、と思う。
まったく、我ながら呆れることだ、と。
恐らくは、そんな表情以上に、五代は自分には優しくとろけそうな笑顔をくれている。会えば、本当に嬉しそうに、楽しそうに、はずむように笑ってくれる。愛しくてたまらない、という切ない視線をおくってくれる。
これ以上欲張ってどうする?
これより多くを望むなど、馬鹿げているだろう?
自分に言い聞かせようとしても、思う気持ちを止められない。なにもかも、すべてが自分に向けられたものであればいいと願ってしまう。
「一条さん?」
「ん?」
「出来ましたよ。愛情たっぷりの雄介スペシャルカレーvv」
「なに言ってるんやろ、五代さんってば。それ、煮込んで作りおきしてあったただのカレーやないですか」
「うるさい、こういうのは気分なんだ、気分」
「ありがとう。いただきます」
言ってスプーンを手にとる。けど、七緒君の視線が至近距離から追いかけてきているのが解って、どうも落ち着かない。
「そんなに見られてると、食べにくいんだが」
と、言ってみたが、七緒君は動じない。ひらひらと手を振って屈託なく言う。
「かめへん、かめへん。僕のことは気にせんといてください。ちょっと、一条さんの美貌で心の傷を癒そうとしてるだけですから」
「もう充分癒されただろう? あの子とだってさっきまで、仲良く話しててすっかり友達になってたじゃない」
「けど、オーディションを途中でエスケイプしてきた事実は変わらへんやないですか。最後までいっとったら、絶対僕の役やったのに」
「そんなに自信があるなら、次はきっと大丈夫だね」
「そら、もちろんですわ」
七緒君がそう言って、サムズアップしてみせた。すっかり、五代の真似をしている姿がまたさまになっている。
再び感じてしまう疎外感。いや、これは単なる独占欲だろうか?
食事を終えて、店の片づけを手伝おうとしたら止められて、結局よく働く二人を眺めつつコーヒーを飲みながら、何度目かの物思いに沈んでいるうちに、すっかり閉店のしたくが整った。
約束通り五代の部屋にお邪魔したのだが、店で感じた疎外感を引きずったままでいる。
「一条さん、もしかしてなんか気に障ることでもありましたか?」
「え?」
「七緒の奴が、なんか失礼なこと言ってました? それとも、俺、かなぁ?」
でも、身に覚えは無いんですよね、なんだろう? などと、五代はぶつぶつと呟いている。
「違う」
「けど、なんか機嫌悪そうなんですよね。ここに皺寄ってるし」
と、五代は人差し指で自分の眉間を指差した。
「それなら、奴らのことでも考えていたせいだろう」
誤魔化そうとしたのだが、五代は納得してくれなかった。
いきなり引き寄せられて、強い力で抱きしめられた。
「それなら、身体に訊いちゃおうっかなぁ。ちゃんと話してくれるまで、夜通し責めさいなんじゃうとか、どうです?」
「ふん」
思わずそう答えてしまったのは、五代には絶対に出来ないという確信からだった。
「あ、一条さん、鼻で笑いましたね。もう、俺には無理って思ってるでしょう?」
「思ってる」
「俺も、そう思います」
五代は、あっさりと認めて作戦を変えた。
抱きしめる腕から解放して、代わりに胸にすがりついてごろごろと甘えかかる。
「ホントは俺、こと一条さんに関しては、全然まったく、まるっきり自信なんか欠片もないんです。だから、ちょっとでも一条さんが憂鬱そうだったり、なにか辛そうに見えたりすると、どうしていいか解んないんですよ。不安で、たまらなくなるんです。俺、テレパシストだったら良かった。一条さんの心だけ、言葉にしないでも読めるなら、どんなに良かったかって、そう思うくらいなんです」
脅しの後は泣き落とし、ということらしい。しかし確かに、これはかなり効く。
「だが、心なんか読めないほうがきっと幸せだ」
「なんでです?」
「君に迷惑な、醜い感情まで読めてしまうから」
「俺に対する思いなら、どんなものでも大切です。一条さんの感情を、醜いなんて思うはずがないじゃないですか!」
だから、お願いですから言ってください、と、大きな上目遣いで催促されて、結局全部説明する羽目になった。
五代と七緒君とのやりとりを見ていたときの疎外感や、独占欲。五代のどんな表情も、仕草も、言葉も、全部全部他人になんか渡したくないと思う、どうしようもない病気の心。
語り終わると、待っていたのは、眩暈がするような抱擁と、深く激しい口づけだった。
「病気なんかじゃありませんよ。俺だって、ずっと思ってますから。一条さんのこと、誰にも見せたくない。俺以外の誰かと話すだけでも、ホントは嫌だって。ああでも、これが病気って言うのかも知れないですね。病名は、かなり解りやすいですけどね」
五代はそうして、耳元に囁いた。
「恋煩い、でしょう?」
fin.2000.12.6