焦 土

 
 呆然と、目のまえの廃墟を見下ろした。
 町ごとまるまる、奴らのひとりに焼き払われてしまった。こんな殺戮を、許したくはなかったのに。
 己の無力さに、拳を握り締めた。
「五代、これは・・・警察の失態だ」
 悔しい思いは、俺以上なのだろう。一条さんが、辛そうに言って、俺の肩を叩いた。
 一条さんと最悪の被害状況の町まで来たのは、まだ奴らの痕跡がどこかに残っているかも知れないと考えたからだった。町を焼き尽くして逃げた未確認生命体は、その後なりを潜めていて、反撃の機会を持てずにいる。こんなことをした許し難い敵を、早く葬りたいのに。
「違いますよ、一条さん。悪いのは、全部やつらです」
 誰の責任か、と世間はとかく警察を責めたがるようだが、そうじゃない。犯人は明らかなんだ。奴ら以外に、責められるべき存在などありえない。
 一条さんは、俺の言葉に複雑な表情で俯いた。
 そのとき、焼け崩れた建物の向こうから、かすかな音が聞こえてきた。
 俺たちは顔を見合わせた。
「もしかしたら、まだ生存者が?」
 という言葉とともに、町全体を見渡せる高台を駆け下り、音のした方向へダッシュした。
 警察と機動隊も出動して、付近一帯は隈なく捜索されたあとのことだ。見かけは壊滅状態ではあったが、倒壊した建物の下敷きになりながらも、なんとか命だけは取り留めたひとたちが少しはいた。
 けれど、被害は甚大で、取りこぼしがあってもおかしくはない。
 あちこちに転がっている瓦礫を避けながら走って、歩きにくくなっている狭い場所でつまずき転びそうになった俺を、一条さんが支えてくれた。初めて会ったときと変わらない、すごい反射神経だ。
「気をつけろ!」
「じゃあ、手をつないでくださいよ」
「ばか!」
 あっさり却下されてしまった。当然か。
 そうして、俺たちは音のしたあたりをしばらく走りまわったが、生存者は見つからなかった。
「風で、瓦礫の一部が崩れただけだったのかも知れないな」
「そうですね」
 事件から、四日が過ぎている。もしも生存者がいれば、助け出さなければ危険な状態になっていることだろう。けれど、警察も機動隊も、必死の大捜索をしたはずだ。そう簡単に取りこぼしがあっていいはずもない、か。
 気がつけば、確かに風が強くなってきている。
 夏の暑い太陽が、少しずつ傾きかけている。
 見上げれば、嫌になるくらいの晴天で、今の俺たちの気持ちとは皮肉なくらいに対照的だ。
 町の周囲一帯をすべて通行止めにしてあり、復旧作業は日曜のために休みという状況のなかなので、今、ここには一条さんと俺しかいない。耳を澄ましても、聴こえてくるのは風の音くらいだ。
 まるで、この世に二人きり。
 こんな状況でなければ、舞い上がって喜んでしまうのに。
 なにげなく足許の瓦礫をどけてみると、下から使い古された野球のグローブが出てきた。
「ここ、子供部屋、だったのか」
 つい5日前までは、平穏な暮らしがあったのだろう。どこもかしこも、予想のつかなかった被害になにも備えていなかったせいで、生活感そのままに時を止めている。食卓に並べられていたと思しき料理が腐って異臭を放っていたり、たった今までそこで遊んでいたらしい子供のおもちゃが砕けて焼け焦げていたりする。
 俺は、いたたまれない気持ちになって目を背ける。
 だけど一条さんは、淡々と作業にかかっていた。軍手をはめた手で、瓦礫をどかしては、奴らの手がかりを探す、という単調で辛い作業に。
 眉間に皺を刻んで、厳しい表情で、手を休めることもなく。
 その整った横顔に、濃い憔悴の色が痛々しい。
 俺も、感傷に浸ってる場合じゃなかったっけ。
 気を取り直して、作業にかかる。今は、辛いとか悔しいとか、そんな気持ちに浸ってちゃさきに進めない。
「五代、これは・・・」
 背中合わせで、作業していた一条さんが、戸惑った声をあげた。
「なにかありましたか?」
 振り返って見ると、壊れたプランターのうえの瓦礫をどけた一条さんが、大きな目でそれを見ていた。
「ああ、ローズマリー、ですね」
「ローズマリー?」
  その花の名を、一条さんは知らないようだった。
「はい。そういう名前のハーブの一種です。薬用にもなるし、香水に使われたりもします」
「詳しいんだな」
「これも、技のうちで」
 感心されて、ちょっと照れながら俺は、その花に手を伸ばす。
「古くは『記憶・思い出』という意味があって、故人を忘れずに偲びつづけるようにと弔いにも使われたものです。こんな場所に生き残ってるなんて・・・なんだか象徴的な感じがしますね」
「そういう花なのか」
 哀しげな一条さんの顔を見ていたくなくて、俺は空元気で声を明るくした。
「それだけじゃないですよ。属名はロスマリヌス。ラテン語のロスがしずくって意味で、マリヌスが海。海のしずく。ロマンチックな名前そのまんまの可愛い花ですよね」
 言って、土ごと手のひらにのせて小さな青い花を差し出した。
「そうだな」
「持って帰って、それぞれの部屋で育てましょうよ。この焦土を忘れないために」
「それはいいが・・・俺は・・・」
 一条さんが、もの思わしげに口ごもる。
「この花、嫌いですか? それとも、同じ花を育てるなんて照れくさい?」
「ばか。そんなんじゃない。ただ、忙しいから枯らしてしまうかも知れない、と思って」
「大丈夫ですよ。それなら、問題ありません。俺が、足しげく通って、絶対枯らしたりしませんから!!」
「それなら、別々の鉢に分けずにおまえが全部育てればいいんじゃ・・・」
「まぁまぁ、そんな細かいこと気にしないで、ね」
 不服そうな一条さんを、無理矢理黙らせた。一条さんは、曖昧に頷いて、またローズマリーの花を見詰めた。
「故人を忘れないための・・・海のしずく」
 静かに呟きを漏らした一条さんは、涙を流しているわけでもないのに、その瞳は泣いているように、俺には見えた。
 たまらない気持ちになって、俺はそんな一条さんを背中から抱き締めた。
 心は泣いているのに、ホントに涙を流すことも出来ずに、耐えている。哀しいほど、強いひと。
 ローズマリーは、その香りが強くていつまでも残ることから、『愛における貞節』のシンボルでもあるんだけど、それは内緒にしておこう。
 そんなものなくても、信じてるし。
「ねぇ、一条さん。俺たちの部屋で、またこの青い花を咲かせましょうね」
 一条さんは、声もなく、ただ静かに頷いてくれた。
 
 

fin.2000.8.5