誰にでも向けられる真っ直ぐな眼差しと、温かい笑顔を宝物のように思っていた。
無防備に無邪気に向けられる信頼と、思いやりが、心地よくて嬉しかった。
だからこのまま、やさしい距離を保っていて。これ以上近づくことも、離れることもないままで、一番二人に居心地のいいはずのスタンスで、ともに歩き続けることが出来るなら、どんなことでもしよう。どんな犠牲を払ってもいい。
身勝手な思い込みであることくらい、とうに自覚している。私に心地よい距離が、あいつにも変わらず心地良いものだとは限らない。そんなことは、百も承知だ。
それでも、と思ってしまう自分がいる。
傲慢なわがままだと、解っていても願わずにいられない想いがある。
戦いが終わって変身がとけて、無事な互いの姿を確認したせいでふっと気が抜ける。
でも、すぐにまた心配になる。大丈夫が口癖で、いつも笑って根拠のない楽観論を並べるような男だから、自分がちゃんとしなきゃいけないと思う。本人が自分自身をいたわれないなら、そばにいる人間が気にかけなきゃいけないんだ、と。
濡れた服のまま五代は私を見て、のほほんと笑っている。さっきまでの辛い戦いも、それで命をはっていることさえ、忘れてしまったような平和な顔をして。
「どうした、五代。早く着替えないと風邪をひくぞ」
「え?」
そんなことには気がつきもしなかった、とでも言いたげに、聞き返されて苦笑する。
「だから、その格好じゃ風邪をひくだろうと言ったんだよ。川のなかでなど変身をとくからいけないんだ。どうして、こっちにあがってくるまで待たなかったんだ?」
理不尽な言葉で責めている。そんなこと解ってる。でも、言わないでいられなかった。クウガの姿でなら、川のなかでも寒くない、のかどうかも解らないのに、である。
五代は笑いながら、言い訳した。自分ではそこまでコントロール出来ないのだと。ふざけて茶化して、全部笑い話にしてしまいたいみたいだった。深刻に、最悪の事態なんか考えてもしょうがない。前向きに明るく、大切なひとの笑顔を守るのだと公言してはばからない。それはとても五代らしい態度だと思う。どんなときでも笑っていられる強さには、いつも頭が下がる思いだ。
「変身とくのにも、呪文とかあったらわかりやすくていいんですけどね。どろんっ、とか」
そんな言葉やおどけた態度についつい笑わされて、でもすぐに気を引き締める。おちゃらけた五代のペースにはまってる場合じゃないんだ。
「バカなこと言ってないで、行くぞ」
ついてくることを確信して背を向け、歩き出す。五代は、早足で隣に並んで目を輝かせて訊いてくる。
「行くって、どこ行くんですか?」
「ここから一番近くて、着替えと着替え場所が調達できそうなところだ」
とにかくシャワーで雑菌いっぱいの川の水を流させないと、それに濡れたままの服だって乾かさなきゃいけないし。
「あ、でも俺バイクですから」
「すぐ近くだから鍵をかけてそこに置いていけ。そんな格好で風を切って走るなんて持っての外だ」
「はぁい」
五代は、目をぱちぱちさせながら俺を見て、機嫌をとるように返事をした。
この男は時々、先生の顔色をうかがう小学生みたいに見えることがある。あんな恐ろしい未確認生命体と互角に戦える、唯一の存在であるのに、とてもそんな屈強の戦死には見えない可愛らしさだ。
「どこだろう。着替えと着替え場所って言ったら、どっかの高そうなホテルとかですかー?」
やたらに声が弾んでいるので、また笑ってしまいそうになる。でも、どうしてそういう発想になるのか解らない。
「なんで、おまえとホテルなんか行かなきゃいけない?」
咎めるような口調で言ったのに、五代は上機嫌で笑っている。
「一条さん、それって俺のこと意識してくれてるんだ。嬉しいな。いいでしょ、一緒にホテルでも。着替えも着替え場所もあるし。俺、一条さんのこと大っ好きだし!!」
犬や猫が主人になつくような気持ちではないのだろうか?
変身して戦ったときに、身近にいた人間。そして、今は味方として、その秘密を知る理解者としてそばにいる人間。だから、特別な存在だと、そう思っているということじゃないのだろうか?
「五代、寝言は寝て言え」
冷たく突き放す以外、どんな態度で接したらいいのか解らない。あまりにも無邪気に真っ直ぐに向けられる好意を、どうやって受け止めたらいいのか解らない。五代を大切に思っている、その気持ちはきっと誰にも負けない自信がある。ただ、そんな気持ちは目に見えない。見えないものは、心にしまっておく以外、どうしたらいいのか解らない。
エリートだと言われ、キャリアだと呼ばれ、なんでもそつなくこなしてきたはずだ。子供の頃から決めていた職業である警察官として、迷ったり揺らいだりすることなんか今までなかった。解らないことなんか、そうそうたくさんあることではないと、過信してきた。
それなのに、五代雄介というこの男に出会って以来、解らないことばかりが増えてしまった。
そうしているうちに、一番近い派出署に着いた。建て替えられて間もないので綺麗だし、規模はそこそこ。ここでなら、シャワールームを借りられるはずだ。
「ここ、着替え場所はあるかも知れないけど、着替えはないじゃないですか?」
五代は不服そうに唇をとがらせた。時おり見せる、子供じみた表情もまたこの男には妙に似合ってしまうから不思議だ。
「バスタオルならあるんだ。それと、夜勤のためにシャワーがある。で、近くにコインランドリーがあるんだ」
「はぁ?」
だからなんだ? と訊きたそうだ。民間人なのに交番を銭湯がわりにするのは気が引ける、というタイプでもないのだろうが、やはり居心地のいい場所ではないのだろう。
「シャワー浴びて、バスタオルにくるまってる間に衣類を乾燥機にかけてきてやる」
「一条さんだって、川に落ちたじゃないですか。一緒にシャワー浴びます?」
「バカを言うな。俺はおまえが戦ってる間に自然乾燥したから大丈夫だ」
ずっと川縁にいて、風も強かったせいですっかり乾いている。川に落ちたことなんか、もう忘れてくれ、と言いたい。
「とにかく、早く服を脱げ」
一刻も早く濡れた服を乾かしにいこうと手を差し出した。なのに、五代は何故かうろたえているようすだ。
「だって、衣類って下着も? 一条さんに渡すの? イヤです。俺、お婿にいけなくなります」
こんなことまでギャグで通したいらしい。あの飲食店の店主の影響だろう。すきあれば面白いことを言ってやろうと狙っているようなところがある。その結果、相手がどんなに寒そうでも引いていてもおかまいなしだ。
けど、今はそんなギャグにつき合ってなどいられない。私は交番の巡査の許可を得て、奥にあるシャワー室へ足を進める。
「おまえのほうこそ、妙なことを意識しないで着てるものを早くこっちに渡せ」
脱衣場についたところで、振り返ってそう言った。
五代はちょっと不服そうな顔でこちらを見ていた。
ふいに、この男の戦いを静観するしかなかった、さっきまでの恐怖を思い出す。一緒に戦うと言ったって、常に最前線にいなきゃいけないのは五代のほうで、自分にはあの化け物たちと互角に戦う力なんかない。目の前で殴られたり噛まれたりするこの男のことを、見ているしか出来ないことがある。
力のない自分。見ているほかに、役に立たない自分。どうにも歯がゆくて、いたたまれない気持ちになる。
それでも、無条件に真摯な信頼を寄せてくれるこの男が、大切で。誰よりも大切で、だから余計にたまらない。
ふいに湧き上がる衝動に突き動かされるように、私は五代の肩に手をかけた。
至近距離で、五代はちょっと驚いたような目でこちらを見ている。
その目から、目が離せない。
こみあげてくる得体の知れない思いが、心臓を圧迫する。
少しだけ視線をそらせば、それでこの呪縛は解けるはずなのに、そう思っても駄目だった。
理性がやめろと叫んでいるのに、心がそれを裏切っている。
突き上げる衝動が、なんなのか解らないまま身体が動く。
「一条さん、俺。俺ね、ずっと冗談めかした言い方しかしてこなかったけど。ホントは、俺―――」
最後まで聞いちゃいけない。
それを言わせてはいけない。
どこか頭の片隅で警鐘が鳴り響く。だから、ふいに視線に入ったそれに意識を集中させることに成功した。
「五代、ちょっとじっとしてろ」
「え?」
五代の首筋に、一筋の赤い跡。痛々しいみみず腫れになっているそれは、クウガとして戦った名残にほかならない。
思わず、その傷に手を伸ばす。少しでも痛みが消えるといい、そんな気持ちで、余計に痛むことのないように、そっと指先だけで触れた。
「五代。これ、さっきの戦闘でついた傷だろう? みみず腫れになってて痛そうだ。やっぱり、交番なんかじゃなくて、椿のところに行けば良かった。いや、これからでも遅くないな。よし、シャワーを浴びて服を乾かしたら椿のところだ。急げ」
関東医大に勤める同級生の椿は、五代の身体に並々ならぬ興味を持っている。研究熱心な彼のことだから、それはしかたないのだけれど、五代はいつ解剖されるか解ったものではない、とでも思っているようだ。
「ちょっと引っ掻いただけですよ。こんな傷くらいで、椿先生をわずらわせることありませんよ。ね、一条さん、大丈夫ですから」
そう笑ってサムズアップした。お得意のポーズはいいけれど、万一ってこともある。
「とにかく、シャワーだな。そのあとでもう一度見て、よくなってたら今日は帰ってもいいぞ」
疲れているだろうことは解っている。こんなところに引き止めずに、早く帰らせてやったほうが良かったのかも知れない、とも思ってしまう。激しい戦いのあとで、体力を消耗しているだろうことは明白だ。
「はーい」
なのに、五代の返事は元気いっぱいだった。
私は、さっきまでのわけの解らない衝動がすっかり去っていることに安堵する。慣れない、わけの解らない感情に振り回されるなんて、ごめんこうむる。
五代をようやくシャワールームに押しやることに成功し、衣類一式を持ってコインランドリーへ急いだ。
こんな施設を利用するのも久し振りだが、五代のためならば当然だろう。
シャツやジーンズを回転させる乾燥機を眺めながら、唐突にさっきの脱衣場の場面がフラッシュバックする。
驚いたような五代の目。
それから目をそらせなかった自分。
押さえられない衝動に、いつか身を任せてしまうときがくるのだろうか?
あふれてくる感情から、逃げられないとしたらどうなるのだろう?
迷ってる。戸惑ってる。慣れない気持ちを持て余してる。
この得体の知れない衝動に従ったとして、それでも五代はあのやさしい笑顔を自分に向け続けてくれるのだろうか?
多くを望むことはすまいと思う。でも、祈るような気持ちで考えてしまう。
いつも、いつまでもその温かい笑顔をなくさないで。
ずっとそのままでいてほしい。どうか私のこの宝物を、誰も奪っていかないでくれ。
fin.2000.5.22