憧 憬

 


 荒川の土手に、足を投げ出して座り込んでる男性が約二名。
 よく見れば、片方はすっかりリラックスして、両手を後ろについて、平和そうな表情で空を見上げている。
 ゆるい風に流されていく白い雲。まぶしいおひさまの光。川のにおい。そんな自然の諸々を、身体全体で味わっているかのようだ。
 もう片方は、いわゆる体育座りという体勢で、固い表情をしている。深刻そうなようすにも見える。
 彼はなにも見ていない。せっかく自然のなかにいても、周囲のことなど目に入らない。ただ、自分の気がかりばかりに集中しているようだ。
「今までのやり方じゃ、とても太刀打ち出来ないと思う。同僚には、出来ることをするしかない、なんて偉そうなことを言ってしまったが、その出来ることがあまりに少ないってことも、解ってるんだ」
 そう言って唇をかみしめた彼に、傍らの青年は空を見上げたままの姿勢で答える。
「奴らの殺し方、まえより解りにくくなってますよね」
 深刻な内容のはずなのに、この青年が語ると、何故だか呑気そうな響きを帯びる。
「我々は、未確認生命体などと、ひとくくりにして呼んでいるが、個々の武器や特徴、弱点などが雑多で、全部が同じ化け物として対応しても成果は上がらないことが解ってきてる」
「それぞれが、別の化け物だって、そのつもりで個別に当たるしかないんですかね」
「その、それぞれって言うのが、いったいどれほどいるものか」
 深く眉間に皺を刻んで、彼は溜め息をもらした。
 
 
 その日、雄介と一条がそこで待ち合わせしたのは、一応倒したばかりの未確認生命体について、話をするというのが建前だった。
 なにせ、当日は雄介の恩師の現在の生徒が家出して東京に出てきていたせいで、ゆっくり話をする間もなかったから。
 いつもなら、戦いのあとは、あれこれと報告するのが習慣になっていたので、直接会って話をしようということになったのだ。幸いにして、まだ次の未確認生命体は現れていない。
 隅田川上空で爆発炎上した未確認生命体の破片は、いくつか採取された。その分析の結果なども持って、一条はそこに来ていたのだが、退治したものの欠片にどれだけこんご役立つ情報が残されているのか、それを考えるうちに虚しくなってしまったようだ。愚痴混じりの弱音など、相手が雄介だからこそ漏らせることだ。そんな解りやすい現状を、一条はまだ自覚していないらしい。
 雄介の耳に子供の笑い声が届いて、ふと空から地上に視線を戻す。
 川原で遊ぶ子供たちがいた。このまえ家出してきたあの子より、多分、もう少し年下の子供たち。元気にはしゃぐ姿は、微笑ましいものがある。
 それだけを見ていれば、世はこともなく、ゆっくり穏やかに時は流れているようだ。
 いつ奴らが襲ってくるか解らない。そんな危機感に怯えてばかりもいられない。子供の時間は、そんなことをしていたら、あっという間に過ぎてしまう。受験も将来の心配もなく、無邪気に遊べるほんの短い時間に、あるかどうか解らない危険を恐れて家に閉じこもるひまなんかない。
 雄介がなにを見ているのか気がついて、一条もまた、そちらに視線をうつす。
 ようやく周囲に風景があると思い出したかのように、子供らを眺めて、やさしく目を和ませる。
「あーあ」
 と、何人かが声をそろえて、誰かを責めた。
 見てみると、ボールが川に落ちたらしい。一番、長身の子供が棒きれを探してきて、手をのばす。
 しかし、ボールには手が届くものの、川はゆっくりと流れているから、なかなかうまく引き寄せることが出来ない。
「ここは、俺の出番、ですよね」
 雄介は笑いながらそう言って、立ち上がる。おしりや膝のうらの砂をぱんぱんと払って、土手をくだる。
「気をつけろよ」
 一条は、それだけ言って見送った。足を滑らせて、また川につかったりしたらいくら夏でも濡れたままバイクに乗るのは寒いだろう。
 雄介が、川原まで降りていくと、子供たちは彼の長身を歓迎するように取り巻いて、口々に頼む。
「すみません。あれ、取ってくださーい」
 黙っていても、取ってやるつもりで降りていったのだということは、見れば解るだろうが、子供たちはしっかりしていて、礼儀正しかった。
 雄介はにっこり笑って頷くと、さっきまで川辺で身を乗り出していた子供から、棒きれを受け取った。
 長身を生かして、いっきにボールを引き寄せようと、棒を差し出す。
 けれど、水に浮かんだボールは、支えるものもなく引き寄せるのは思いのほか難しかった。いっそ、棒などに頼らずに、川に入ってしまおうか、と雄介が考えはじめたとき。
「おまえの技、応用したらどうだ?」
 うしろから、一条の声が聴こえた。
「技・・・って?」
「無理に引き寄せようとするより、あちら側で受け取ったほうが早いだろう。向こう側にまわるから、小石投げて、あちら側に流してみてくれ」
「ああ、そうか」
 一条は、なかなかボールを取れない雄介を見かねたのだろう。言うが早いか、素早く走っていって、近くの橋を渡って向こう岸にまわりこんだ。
 雄介は、足許にある小石を拾い上げ、一条の位置とボールの漂っている場所を確認してから、ゆっくりサイドスローで投げる。
 小石は正確にボールをヒットして、ボールは川の流れに負けず、向こう岸まで流れていった。
 すかさず流れ着く先を読んで、一条は向こう岸でボールを拾い上げる。
 少々、水を含んでしまったそれを、なんどか振って水分を落とすと、よく通る声が雄介を呼ぶ。
「五代、投げるぞ!!」
 どうせ戻ってくるなら、持って戻ってもいいのだろうが、子供たちに一刻も早く返したいという気持ちがあるのだろう。
「はーい」
 雄介が、大きく両手を振る。
 一条は、まるで野球選手のように振りかぶって、きれいなフォームでボールを投げた。
 けれど、きれいだったのはフォームだけだった。川幅はおそらく野球のピッチャーマウンドからキャッチャーの位置までよりも広い。つまり、けっこうな遠投である。ここで再び川に落とすわけにはいかない、という気持ちから力が入りすぎたのだろう。
 ボールは勢いよく飛んで、雄介が背伸びして手を伸ばしても届かないくらいの高さまで達した。
 けれど、雄介は運動神経のいいところを見せて、ジャンプして難なくキャッチした。
 子供たちは歓声を上げる。雄介と、向こう岸からボールを投げた一条に向かって、盛大な拍手をおくる。
 一条と雄介を見る子供たちの目にあるものは、尊敬と憧憬の念。
「こんなに遠いのに、さっすが一条さんだよね」
 雄介は、暴投だったボールをキャッチした自分よりも、こんなに長い距離を投げられる一条の肩に心から感心して、そのことを自慢そうに呟いた。子供らの視線の意味は、一条への尊敬の念なのだと信じて疑わないかのようだ。
 一方の一条は、川を渡って戻りつつ、子供たちの喜ぶようすは、今の雄介の超ファインプレーのおかげと、それをまた誇らしげに目を細めている。
 けれど、子供たちの視線の意味は、そんなことばかりではなかったようだ。
 それはもしかしたら、子供ら自身でさえ、うまく言葉で説明出来るものではないのかも知れないが。
 息の合った連携プレー。お互いを心から信頼しているようす。ボールを川からすくいあげて、ひどく嬉しそうに笑い合う二人のあいだにある、目に見えない絆。
 どんなに友達がたくさんいても、なかなか出会えるものではない、唯一無二のパートナー。そんな相手を手に入れている二人に対する、心からの憧れ。そんな気持ちが漏らさせた言葉。
「俺も、お兄ちゃんたちみたいになりたいな」
 二人まとめて言われたことがよほど嬉しかったのか、雄介はくしゃりと笑って力強くサムズアップを決めた。
 
 

fin.2000.8.1