変身することで得た力を、俺は過信していたのか?
もとより並以上ではあった運動神経に加えて、ひとの持たない筋力や跳躍力、聴力、そんなものを一度に得て、どこか有頂天になっていたのだろうか? 未確認生命体の死体の山を築いて、常勝を当然のものと思い込んできたのか? 口では怖いと言いながら。
パンチは、まったく通用しなかった。足が熱くなったあとのキックさえ、なんら痛痒を感じさせないらしかった。あの未確認生命体は、規格外なのではないだろうか?
あまりにも今までと違いすぎる。まるで、歯が立たない。ピストルも機関銃も、クウガに変身した自分でさえ、役には立たない。それでも、戦うしかなくて。まるで歯が立たないと解っていても、ほかにどうしようもなくて―――。
***
目が醒めて一番最初に見たのは、白い天井。シミひとつない、きれいな白。
だけど、四角い蛍光灯が二重に見える。瞬きしても、その輪郭はぼやけたままだ。
ここは、どこだろう?
身を起こそうとして、身体に力が入らないことに気がついた。
「なんで?」
咄嗟に口をついて出た声は、掠れていた。
「気がついたのか?」
それでも、そのかすかな声に反応したように、意外に近いところから声が返る。耳に馴染んだ、やさしい声が、心配そうに響く。
「俺、どうしたんです?」
覗きこんできてくれたのは、いつもより憔悴の色が濃く、それがかえって色っぽいような一条さんの整った顔だった。けれど、そのずっと見ていたいと思う顔にさえ、うまく焦点を合わせられない。
「じっとしていろ。怪我をしてるんだ」
身動きしようとしている俺に、一条さんは強い調子で言った。麻酔が効いているから、今は痛くないのだろうが、それでも安静にしていないといけないんだ、と。
「今はいつです? 俺、どのくらい寝てたんですか?」
最初は寝たというわけではないのだろう。気を失ったのだ。あの信じられないほど強い未確認生命体の攻撃に耐え兼ねて。けれど、そのまま眠ってしまったようだ。だから、ただ寝てた、というだけのことにしてしまいたい。そんな深刻な状況ではないのだと思いたい。
「まだ、そんなに経ってない。いいから、今はそんなこと気にしないでやすんでろ」
はっきりと言えないほど、長い時間が経っているということなのだろうか? それで、一条さんはこんなに疲れたようすなのか? クウガになってから、超人的な回復力を手に入れたはずじゃなかったのか?
「一条さん」
「ん、なんだ?」
再びベッドサイドに寄って俺を覗き込む一条さんの頬に手を伸ばした。手は、なんとか動く。動かせるのだな、とほっとしながら。
「そこに、いますよね?」
一条さんが息を飲む。はっきりとは見えないけど、あの大きい目を、いっぱいに見開いてるようすだ。
「五代、おまえ目が見えないのか?」
五感のすべてをオフにして、深く深く眠りこんでいた。それがあまりに長い時間だったせいか、それとも深過ぎたせいなのか、すぐには感覚が戻ってこない。おそらく、それだけのことだったのだろう。
「いいえ、大丈夫」
いつもの寝起きよりもしっかり目が醒めるのに時間がかかっただけらしい。ゆっくりと、焦点が合っていく。驚いてとても心配してくれてる一条さんの顔が間近にはっきり見える。
そう、今はもうはっきりと。
「本当に? 俺がちゃんと見えるか?」
まだ少し疑うように、一条さんが更に顔を近づけてくる。俺、そんなに近視じゃありませんよ。でも、この状況は嬉しい、かな。
いつもとっても忙しい一条さんを独占してる。今、この瞬間は俺のことだけ考えてくれてる。
だから、ちょっとだけ調子に乗ってしまおう。
「一条さん、見えるけどちょっとぼやけてて、なんか感覚がないようなんです。ね、もう少しそばに来てください」
もっと間近で一条さんの顔を見せてください。そういうつもりで言ったのに、なにを思ったのか一条さんは俺の顔にピースサインを突き出した。
「これが解るか? 何本に見える?」
真剣な顔をして訊かれ、そうじゃなくてもっとそばで顔が見たいんです、とは言えなくなった。
「二本でしょう? もう、ぼやけてるって言っても少しだけですよ」
真面目に答えたのに、一条さんはすかさず立てた指をもう一本増やし、三本にしてから困ったような顔で言った。
「五代雄介、やっぱりまだ見えてないな。三本だぞ」
「一条さん。そんな子供みたいなことして遊ばないでくださいよ」
「いいや、遊んでるわけじゃないぞ。おまえ、やっぱりまだ具合が悪そうだ。な、もう少しゆっくりやすんでいろ」
冗談なら、もっと冗談らしく言ってよ。と、思ったけどそういうわけでもなかったらしい。ただ、けが人のくせにかまってほしがる子供をおとなしく寝かしつけようとしてみただけ、みたい。
それは、一条さんなりの不器用だけど、あったかい思いやり。おとなしく受け取って目を閉じればいいのかも知れないけれど。
「このまま寝たら、なんだか二度と感覚がちゃんと戻らないような気がするんですけど」
「バカなこと言うな」
「だから、ちょっと手伝ってください」
どういうことか解らないらしい一条さんは、俺の真意をはかろうとするかのように、近くから視線を合わせてくれる。こんどは、タイミングを逃さずに、俺はその頭を引き寄せた。
唇を重ねて、俺はちゃんと『感覚』が戻っていることを確かめる。
ふいをつかれ、驚いたらしい一条さんは、それでもけが人を突き放すことが出来ないでいる。
いつだってクールで無愛想だけど、ほんとはやさしくて、おひとよしだからなの? それとも、相手が俺だからだってうぬぼれてもいい?
俺は、名残惜しい気持ちを押さえて、そっと一条さんを解放した。
「気がすんだか?」
一条さんは、無表情にそう訊いた。ひどいよ、そんな言い方。でも、声はうわずってるし、瞳はさっきよりも艶めいてる。解ってますか?
そう聞いてしまいたいけど、とても言えない。
俺は一条さんの笑顔を守りたいって思って戦ってるのに、あんまり笑ってもくれない。
だから、かわりに俺が笑ってみる。一条さんだけのために、とびきりの笑顔で。
「はい。俺、もう少し寝ます」
「ああ。おやすみ」
照れたような怒ったような、そんな一条さんの複雑な表情を最後に見て、俺は目を閉じた。
一条さんは、そんな俺の前髪を払うようにそっと触れてから、離れていった。
そのかすかでやさしい感触を胸に抱いて、心の傷がとけていく。
強い未確認生命体に身体は物理的に傷つけられたけど、勝てない自分に心がもっと深く傷を負っていた。それでも、まだ頑張れる。大丈夫。そう、心で繰り返す。シリアスで真面目なのは、全部一条さんが引き受けてくれるから。俺は、楽天的でいていいよね。
次に目を醒ましたら、こんどあの未確認生命体に対したら、きっと勝つから。一条さんと一緒なら、きっと勝てると思うから。
fin.2000.4.29