主 義

 


 強いて言うなら半覚醒状態が一番近い気がする。聴こえる。感じる。でも、動けないし、喋ることも出来ない。
 どこか遠いところで大勢の人が行き来して、慣れない緊張感に包まれている感覚。聞き覚えのある声が「死なせねぇぞ!」などと言っていたりする。それも、現実なのか夢のなかの出来事なのか判然としない。痛覚なんかは、もうとうに麻痺してる。なのに、息が詰まって呼吸が速くなる自分を他人ごとのように認識していたりもする。
 そうしてまた、別のところで声がする。どこか遠くで、それが現実に耳に届いているのではないと解っているのに。それでも確かに聴こえていた。
『五代! しっかりしろ。五代!!』
 自分を呼ぶ声。誰よりも大好きな声。目を閉じて、ずっと聴いていたい声が、呼んでいる。
『五代!!』
 哀しそうで、今にも泣き出しそうで、だからすぐにでも飛んでいきたいと思うのに、身体は微動だにしない。
 もどかしくて、悔しくて、なのに拳ひとつ握り締めることも、唇をかみ締めることさえ出来ない。五感はすべて自分のコントロールを離れてしまった。小指一本、自由にならない。おそらく、こんな状況下では聴覚だって機能してはいないはずだ。
 それなのに、呼びかけ続ける声は、ちゃんと聴こえている。神経を焼ききってしまわないかと心配になるほど、切迫したその声。切なく胸に迫る、それは間違いようもない一条さんの声だった。
 早く応えなければ、無事な姿を見せなければ。こんなところに横たわってる場合じゃない。遠いところで椿医師が奮闘してくれてるのも、なんとなく認識出来るのだけれど、そんなことより気がかりはただ、一条さんの行動ばかり。
 哀しみをこらえる綺麗な横顔。感情を押し殺して、敵に向かっていく毅然とした態度。皆の心配を寄せ付けず、何事もなかったように強がっているのだろう。そうして、辛い役目も全部自分で引き受けて、平静を装う。今にも崩れ落ちそうな脆さを隠した紙一重の強さ。
 俺がいなくなっても、あなたはそうして真っ直ぐ顔をあげて、誰にも弱みを見せず、肩肘張って敵に立ち向かっていくのだろうけれど。
 俺がいるから。まだ、戦えるから。ちゃんと、あなたの呼ぶ声を聴いてるから。
 辛いときには辛いと言って。疲れたら、この肩をまた貸してあげるから。大丈夫、きっとどこまでも一緒に戦える。
 溢れ出す気持ちだけが、急いていて、身体が追いつけない。
 どうしたら、回復するのか解らない。椿先生の必死の努力は、まるで功を奏さなかった。ただ、俺には先生が頑張ってくれていたことだけは、解ってた。分厚いガラスの向こう側の出来事みたいだったけど、それでもなんとなく感じていた。懸命なようすが、例え一条さんのためだったとしても、延命措置に必死になってくれたことは嬉しかった。
 
 
 それから、どれくらいの時間が過ぎたのだろう? 俺のなかで、その感覚は失せていて、心停止からいったいどれだけの時が流れたのかさえ、解らなくなっていた。
 けれど、気がつけば指が動かせる。そして、そっと動かしてみると、手も、腕も動く。
 ゆっくりと上体を起こしてみたら、幽霊を見たような目をしてる看護婦と目が合った。気の毒だとは思ったけど、そんなことを気にしてる場合じゃなかった。そうしてる間にも、一条さんが呼ぶ声がずっと聴こえていたから。
 俺は急いで着替えると、病室を飛び出した。
 待ってて、一条さん。すぐに行くから。
 生憎トライチェイサーは科警研に入院中。でも、クウガに変身したら普段よりもずっと速く走れる。まだ、本調子じゃないからなのか、白いクウガにしかなれなかったけど、それでも生身で走るよりはずっと速い。
 毒を撒き散らす26号に苦戦する一条さんたちの間に、なんとか間に合って割って入る。
 こいつは毒があるってほかは、たいして強くないことが解ってる。つまり毒にさえ気をつければ勝てる相手だってこと。
 俺は敵とともに土手を下り、警官隊から離れたところで戦った。
 土手のうえでは、一条さんがライフル片手に見ててくれてる。まだ、戦ってる途中なのに、すごく嬉しそうなのが遠目にも解る。
 俺、帰ってきましたから。あなたのそばで、同じ敵と戦います。
 一条さんのやわらかな視線に力を得て、俺はさっきまで病室のベッドでくたばってたことなどなかったかのように、頑張った。
 そうして敵に勝利し、土手のうえの一条さんを振り返る。
 間に合ったことが嬉しくて、一条さんの無事も有り難くて、そして俺が帰ってきたこと、誰より一条さんが喜んでくれてるって解るから、それがなにより嬉しくて、変身の解けた姿で微笑んだ。
 一条さんは土手を駆け下りてきて、俺の目の前に立った。
「ただいま、一条さん」
 そう言って、万感の思いをこめて微笑んだ。
「こんな思いは、二度とごめんだぞ!」
 そう言って、至近距離から一条さんの大きな目が睨む。
 俺は、そんな一条さんを両手で力いっぱい抱きしめる。
「ごめんなさい。もうこんなことしないから。俺はきっと、あなたのために勝ち続けるから、だからそんな辛そうな顔しないで、一条さん」
「バカ、誰がそんな顔をした」
「そんなに強がらなくてもいいよ。俺のまえでは本音を言って。俺が帰ってきて嬉しいって。嘘でもいいから、そう言ってください」
 一条さんは、真面目な顔で俺を凝視したあとで、居心地悪そうに横を向く。
「そんなこと、言わなくてもどうせ、おまえには解るんだろう?」
「もちろんです、一条さん。俺にはずっとあなたが呼んでる声が聞こえてたんですから!!」
 
 
「なにを書いてるんだ、ん? なんだこれ。俺はこんなこと一言も言ってないぞ」
 俺のノートを覗き込んで、一条さんは呆れた顔をした。
「だってほら、臨死体験なんかなかなか出来るものじゃないでしょう。だから、覚えてるうちにちゃんと書いておかないとって思ったんですよ」
「そういう記録なら尚更、本当のことを書かなければ意味がないんじゃないのか?」
 こんな際であっても一条さんは、ごく真面目に正論を突きつけてくる。
「いいんです。あなたの目が語っていたことを書いてるんですから。強がってクールに振舞っていましたけど、ホントに一条さんがしたかっただろうことを、俺はちゃんと残しておきたいんです」
「たいした自信だな」
 ずっとあなたの呼ぶ声が聴こえていたけれど、それでも自信なんか欠片もない。自信があったら、こんなこと書かないでもいられるでしょう。
「そんなんじゃないです。ただ、言葉に言霊が宿るなら、書いておけばいつかはかなうこともあるかも知れない。そう思っただけなんです」
 あの土手を駆け下りて、無事を喜びあって、力いっぱい抱きしめる。
 一条さんがしたかったことなのか、俺が望んだだけだったのか、今となってはどちらかよく解らなくなっている。
 俺の言葉に一条さんは、戸惑って、なにを言っていいか解らないという顔になる。
 別に、困らせようとしてるんじゃないんですよ。
「大丈夫。一条さんは、一条さんの主義を貫いてください」
 きっと、あのとき、あれだけの言葉をかけてくれるのが精一杯だったんでしょう。
「五代」
「これは単なる、俺の希望的創作。臨死体験が見せた夢だとでも思ってくれていいですから」
 辛くても辛いと言えない。苦しくても苦しい顔なんかしない。嬉しいときでも、ダイレクトにその感情を表には出さない。多分それがあなたの主義主張。
 俺は、そんなあなたのそばにいるって決めてます。
 どうにか生還できたときに見せてくれたあなたの笑顔。それを守るためだけにでも、俺は戦うことが出来る。
 それが俺の主義だから。
 
 
 

fin.2000.6.6