to me

「一条さん、俺のこと好きですよね?」
 大きな目をきらきらさせて、雄介が期待と不安の入り混じった表情で訊いてくる。
「?」
 唐突な質問と、一歩踏み入れたばかりの部屋のようすとのギャップに、一条は言葉を失くす。
「一条さん、そんなびっくりしてないで、答えてくださいよ〜」
 駄々っ子のように言って雄介は、戸惑う一条に擦り寄っていく。
「なんで突然、そんなことを確認したくなったんだ?」
 きっちりしめていたネクタイを、少しだけゆるめながら、一条が問いかける。素直に、好きだと答えてしまったら、とんでもない策略にはまるのではないか、と、まるで警戒しているかのようだ。
「それは、好きなひとが嬉しいと嬉しいし、好きなひとが楽しいと、楽しいと思うし、好きなひとが幸せだったら、きっととってもハッピーだと思うからです」
 歌うように答えた雄介の言葉は、ますます一条を混乱させた。
 そこは、長野、一条の自室である。数ヶ月の冒険を経て、帰ってきた雄介は、なんだかんだと理由をつけてはよく遊びに来る。そして、乞われるままに合鍵を渡したのは、一度ここまで来たら、どんなに雨が降ろうが寒かろうが、近所のひとの視線が突き刺さってこようがおかまいなしで、何時間でも待ち続ける雄介に根負けしたから・・・というのは一条の自分自身への言い訳で、実際にはそうやって足しげく通って来てくれることは嬉しいが、不規則で時間の約束の出来ない自分の仕事を思うと、外に待たせておくよりも、部屋でゆっくりしていてもらえたほうが気が休まるし、帰ってくるのが楽しみでもあるからだった。
 というわけで、約束したわけでもないのに、近くまで帰ってきてマンションを見上げ、部屋の灯りがついているのを見ると、心がほっこりと温かくなる。それだけのことで、凶悪犯罪に関わっても、殺伐とした激務をこなしていても、すべてを棚上げして、緊張をゆるめ、胸の奥まで灯りがともったような気持ちになれる。
 今日も、日中は忙しく地どり捜査で奔走したものの、成果は芳しくなく、重たい足を引きずるようにして帰ってきたのだが、部屋を見上げたとたんに元気が戻った。
 しかし、ドアを開けてみると、テーブルに飾られた大輪のバラの花がまず目に飛び込んできて、それから、小学校の学芸会みたいな紙テープや万国旗などの派手派手しい飾り付けをなされた尋常ならざる自室に呆然とさせられ、挙句に冒頭の質問の直撃をくらったのだった。
「いったいこれは、どういうことなんだ?」
「もう、一条さんったらテレ屋さんなんだから!」
 雄介は、まだ戸惑いの表情のままでいる一条に、がばりと抱きついた。
「春だしな。おまえ、頭ん中に花でも咲いてないか?」
 振り払いはせずに、一条は少々本気の心配を含んだ声で訊いた。幼い子供を勇気付けるような調子で、その背をなでる。
「それとも、なにか辛いことでもあるのか?」
 雄介が奇矯な行動に走るのは、言葉に出来ないなにがしかの感情を、どうにか察して欲しいというシグナルではないか、などと、一条は真面目に考えている。
「辛いことがあるとしたら、それは一条さんがさっきからはぐらかしてばかりで、俺の質問に答えてくれないことです!」
「質問って?」
 色々と妙な部屋の状況を見回したり、雄介の心配をしたりするうちに、なにを訊かれたのだったか、本気で忘れてしまったらしい一条が、小首を傾げて訊き返す。そんな仕草は、雄介とはるほどに幼さがにじんで可愛らしいのだが、本人にその自覚はまったくない。
「あーもう、だから、一条さん、俺のこと好きですよねって、訊いたんです」
「それは、質問なのか? 最初から断定しているように聴こえるんだが」
「だからこれは、すっごい親切な質問なんですよ。『うん』でも『ああ』でも『おう』でも、とにかくたった一言で返事が出来る簡単な内容なんですから!」
 地団太を踏む勢いで雄介が訴える。
「そもそも、最初から肯定の返事しか期待していないのに、それが質問と言えるのか?」
 往生際悪く、回答を回避しようとする一条を、雄介が恨みがましい目で見詰める。
「一条さん、わざとですか?」
「は?」
「わざと焦らして楽しんでます?」
 一条は、肩を竦めた。雄介が言っていることが、まったく理解出来ないようすだ。
「いいですか、今日はまずシャンパンで乾杯です。それから、俺の作った豪華ディナーを満喫してもらって、デザートはスペシャルドルチェですからね。あ、でも、一条さんもしかして先に汗を流したいですか? 実は、お風呂もしっかり湯をはってあります!」
 雄介は、胸を張ってそこまで言ってから、はっとした表情でポンと手を打つ。
「そうだ、一条さん、お風呂にする? お夕飯にする? それとも俺?」
 嬉しそうに言った雄介を、一条はきょとんとした顔で見ている。
「それは、なにかの冗談なのか? それで、どういうところが面白いんだ?」
 雄介は頭を抱え込む。
「すみません。忘れてください。それより、ね、シャンパンあけましょう」
 一条は釈然としない表情のまま、それでも雄介に押し切られる恰好で、テーブルについた。
 グラスにシャンパンを注ぎ分けると、雄介は満面の笑顔でそれをかかげる。
「ハッピー バースデー トゥー ミー!」
「え?」
 驚いたようすの一条に、雄介はくしゃりと笑って言う。
「一条さん、誕生日でしょ。4月の18日ですよ、今日」
「あ、そうだったな」
 一条の返事はそっけない。表情もかたい。それは、もう長いことこの日を、おめでたい誕生日だなどと認識させない父の記憶が改めて辛い気持ちを呼び覚ますせいなのだろう。
「俺ね、榎田さんに聴いたんですよ。一条さん、誕生日でもプレゼントを受け取らないって」
 一条は、少々毒のある笑顔を浮かべて頷いた。
「そうか、父のことを聴いたんだな。けど、あれは方便だぞ」
「はぁ?」
「誕生日のたびに、趣味に合わないネクタイだのどこに飾ればいいんだってくらいの大量の花だの、香りの気に入らない香水だの、そんなものをプレゼントされたら迷惑だろう? だが、正面きって迷惑だと言えば角が立つ。父のためだと言って誰からも受け取らなければ、摩擦を最小限に押さえられる」
 一条の意外な告白に、雄介は言葉も出ない。
「この歳になってまで、いつまでもそんな感傷を引きずっていたりはしないさ」
 半分くらいは、本音でもあるのかも知れない。けれど、そのつけ加えられた一言が、かえって精一杯はった虚勢であることを教えてしまう。
 雄介はだが、そんなことには気がつかぬフリでシャンパンを豪快にあおる。
「なぁんだ、そうだったんですか。だったら、やっぱり普通にto you って書けば良かったかなぁ」
 と、言いながら前菜の載った大きなトレイを運んでくる。
 綺麗に盛り付けられたその前菜には、白いドレッシングで文字が書かれている。
 ☆★☆ HAPPY BIRTHDAY TO ME!! ☆★☆
「なんで、MEなんだ? おまえの誕生日は先月の18日だっただろう?」
「だって、最高にハッピーな日ですよ。先月の今日なんか比較になんないくらい、俺にとって、大事な日です!」
「そんなに、気合い入れて言わなくても」
 照れたらしい一条の、語尾がかすかにかすれる。
「一条さんは、もう長い間今日を祝わないままだったんだなって思ったんですよ。で、今日もまた、祝いたいような気持ちでもないんだろうなって。だけどね、俺は嬉しいんです。一条さんが生まれてきてくれたこと。誰彼かまわず、ありがとうって言葉を撒き散らしたいくらいに感謝してます。どんなに一条さんにおめでたいって気持ちがなかったとしても、俺には大切な日です。最高に幸せな日なんです。だから、TO MEなんです。一条さんの誕生日おめでとう、俺、て。それで、訊いたんですよ、さっきのアレ」
「おまえのことを好きかって話か?」
「そうです。一条さんは、一条さんの誕生日を直接祝われる気持ちには、まだなれないかも知れないって思って。でも、もし一条さんが少しでも俺を好きでいてくれるなら、こんなに今日の日を嬉しく思ってる俺のこと、一緒に喜んでくれないかなって、思ったんです」
 二人でお誕生日を祝いたい。一緒に普通のお誕生日気分を味わいたい。雄介はただ、そう望んだだけなのだろう。なのに、榎田から聴かされた一条の過去や現在の態度は、それを許してくれはしなさそうだった。
 それでも、諦められなかった。どんな事情でも、今日4月18日が、雄介にとって素晴らしく大切で嬉しい日であることに、変わりはないのだ。だから、非常にまわりくどいと自覚しながらも、無理矢理雄介自身のために、お誕生日を楽しませてもらうことにした。
 だから、料理のあちこちに、☆★☆ HAPPY BIRTHDAY TO ME!! ☆★☆と書いた。
 一条さんが生まれてきてくれてものすごーく嬉しい。生まれてきた日だよ、おめでとう、自分! という意味で。
 雄介は、なんとかその気持ちを伝えようと、長い指をひらひらさせて、あまり意味のない身振り手振りを加えつつ熱く今の心境を語った。
 一条は、黙ってじっと聴いていた。
 雄介は、語るだけ語り終えると、少々不安そうな顔でそんな一条を覗き込む。
「一条さん?」
 そっと名前を呼ぶと、一条が苦笑混じりに頷いた。
「解ったよ。そんなにおまえが楽しいなら、俺もきっと楽しいんだろう」
 そう言って、グラスをあげると、一気に飲み干す。
「HAPPY BIRTHDAY TO ME!か。よく、考えたものだな」
「考えるまでもありませんよ。俺の気持ち、そのまんまですからね!」
 二人は顔を見合わせて、どちらからともなく微笑みあった。
「だけど一条さんのアレが方便だったなら、ちゃんとプレゼントも用意すれば良かったですよ。俺からなら、受け取ってくれるんでしょう?」
「さあな」
 軽くかわされて、雄介はコケながらもめげずに言葉をつぐ。
「カタチあるプレゼントだと、受け取ってもらえないかと思ったんですよ。でも、なんにもないってわけでもありませんよ。ね、一条さん。俺が、これから、忘れない一夜をプレゼントします」
 早くもシャンパンに酔ったのか、それとも雄介の作り出したあやうい空気に酔わされたのか、一条は、潤んだ瞳をまっすぐ雄介に向けて嫣然と微笑んだ。
「そういうプレゼントなら、喜んで受け取らせてもらおう」
 挑むように、言葉に偽りがあったら許さないとでも言いたそうに、一条は雄介を見詰めて言った。
「やっぱり今日は、HAPPY BIRTHDAY TO ME!!!ですね」
 押さえようもなく、溢れる雄介の笑顔。美味しい料理。心和むひととき。傍らにある愛しいぬくもり。
 忘れられない一夜は、まだ、始まったばかりだった。

 

fin.2001.4.18