その日、五代雄介の住居兼バイト先である『ポレポレ』にやってきた一条薫は、いつになく落ち着きがなかった。
なにかとても大切なことを雄介に伝えようとしているのに、何故だかうまく言葉が出てこない、とでもいうかのような、そんな態度で雄介を伺っている。
「一条さん、もしかしたら熱でもあるんじゃないですか?」
雄介は心配そうに一条の顔を覗き込み、それからその額に手を伸ばす。
「あれ、そんなに熱くはないですね」
「当然だ、熱なんかないからな」
無表情に告げられる言葉。けれど、別に怒っているわけではない。大袈裟に心配されて、ちょっと照れているだけのことだろう。それが解るまでに、少し時間がかかったが、今の雄介にはそのくらいの察しはつく。
具合が悪いのでないとしたら、いったいどうしたのだろう? と、一条の言葉を待って、雄介がその整った顔を真っ直ぐ見ている。一条はなおも少し躊躇しているようだったが、やがて意を決したように口を開く。
「おまえに、頼みがあってきたんだ」
「いいですよ。もう二度と会わない、なんて言うのでなければ、なんだってOKですから」
用件を聞くまえに、雄介はあっさりと了解する。ひどく言いにくいようすだった一条は、あまりな反応に数度瞬きしてから、うすく笑う。
「良かった。じゃあ、早速だが行くぞ」
一条は、詳細の説明もせずに立ち上がる。
「はい」
雄介は元気に返事をし、エプロンを外しながらカウンターから出て一条の後に続く。「どこへ?」も「なにをしに?」もない。ただ、忙しく立ち働くおやっさんに向かって、ちょっと出かけてきまーす、と声をかけただけで店を出る。
一条が雄介を伴ったのは都内某所のテレビ局だった。雄介は、めずらしそうにきょろきょろしている。けれど、忙しそうに行き交うスタッフらしき人々は雄介の姿を目に留めると当然のように「おはようございます」と声をかけていく。挨拶されたら、返すのが礼儀とばかりに、雄介はそれにいちいち「おはようございます」と答えながらも、この状況を訝しく思う。
なんだか、みんな自分のことを知っていて、ここにいるのが当然だと思っているような態度なのだ。完全な部外者であるはずなのに。
そんな雄介の戸惑いを察したように、一条が苦笑混じりに説明する。
「実は、代役を頼みたいんだ」
「はい。一条さんの頼みだったら・・・・・・って、誰のです?」
調子にのってまた即答しかけた雄介だったが、聴きなれない言葉を耳にしたと気がついて立ち止まる。
「オダギリ・ジョーという俳優なんだが、知っているか?」
世界中を旅してきた冒険野郎の雄介が、日本の芸能界に詳しいはずもない。
「さぁ、聞いたことないです」
「そっくりなんだ、おまえに」
「俺に?」
雄介はびっくり目で自分を指差した。
「今日ここでやるトーク番組に出演が決まっていて、まだ新人だからゴールデンタイムの仕事は彼にとってチャンスなんだが、生憎ドラマの撮影で怪我をしたせいで出られなくなって―――」
一条は説明すればするほど、すべてが言い訳めいてきてしまうのを焦るように言葉を重ねた。
「どうしてそれを一条さんが俺に頼むんです?」
あまり私的なことを語らない一条に、テレビ局や芸能界の友人、知人がいるかどうかは知らなかった。ただ、この派手な世界と、生真面目で仕事熱心な警部補はあまりに似合っていないように見える。
「所用で関東医大に寄ったら、そこの看護婦につかまったんだ」
看護婦は、以前雄介を伴って椿を訪ねた一条のことを覚えていた。そして、怪我で運ばれてきた俳優だという男と、一条が連れて来た雄介を同一人物と勘違いした。担当になり親しく話すうちに、他人の空似だと納得した。それから病室でひまを持て余しているオダギリに、ふいにしそうな仕事のことを聞いて、一条に頼めばなんとかなるかも知れない、という発想にたどり着いたらしい。雄介本人に頼むよりも、一条を通して、と考えるところが鋭いところだ。
もっとも、二人の連絡先を知っていたわけではないだろうから、偶然さきに一条のほうを見かけた、ということなのかも知れない。だとしたら、それはオダギリ氏にとってラッキーだったということなのだろう。
「人助けだからと強引に病室に連れていかれて、そこで入院しているおまえそっくりのオダギリという男に会って、頼まれたんだ」
あんまり似ていたから、雄介そっくりの人間が困っているのを見て、なんとかしてやりたくなった。
一条は口に出してそこまでは言わなかったが、雄介は勝手にそう解釈して、こぼれんばかりの笑顔を浮かべた。
「一条さん、やさしいから断れなかったんですね」
「ああ、いや、まぁ・・・」
一条は歯切れ悪く言葉を濁して周囲を見回す。迷路のような廊下。慌しく行き来する人たち。見慣れない業界のようす。
「だけど、そんなに似てました? どんなひとか解らないのに代役と言っても、俺で出来るもんですか?」
一条が引き受けてきたものならば、断ろうなどとは考えない。ただ、務まらないのでは迷惑をかけるだけだと雄介は少々心配そうに一条を見る。
「それは大丈夫だ。本当に驚くほど似ているし、トーク番組だから面白いほうが歓迎されるらしい。多少辻褄が合わないことになってもいいと本人も言っていたから、地でいっていいそうだ」
「地で、いいんですか?」
そこを強調されると、一条も本当にいいのだろうか? と悩むような表情になる。
けれど、病室で会った男は確かにそれで構わないと言ったのだ。雄介同様、明るく楽天的なキャラクターだった。初対面なのに人懐こく笑いかけられて、雄介と出会ったころをふと思い出したりした。
だから、一条は思いきって頷いた。
「ああ、そのまんまでそっくりだから、好きに喋ってきていい」
「解りました。俺、一条さんのために頑張ってきます!」
どうしてそこで自分のために、ということになるのかいまひとつ納得出来ないまま、それでも一条は雄介が笑っていることにほっとする。
「放送されるときは、必ず見るから」
一条はそう言って、撮影まで付き合うことなく仕事に戻った。雄介は、少々不服を感じながらも、颯爽と身を翻した一条の背中に見蕩れながら見送った。
技はたくさんあっても、他人になりすましたうえにテレビに出るなんてことは初めてだった。
新たな挑戦だな、と雄介は気合いを入れてスタジオに入る。
そうして関西弁の司会者に名前がカタカナだけど、君は日本人じゃないのか? と訊かれた雄介は、即答した。
「俺、ヒーローなんです」
この場合、チャレンジャーだったのは雄介自身よりもむしろ、彼を出演させたテレビ局サイドだったのではないだろうか。
fin.2000.6.3