「友達なんだから、もう、バンバン言ってくれていいんだよ」
城南大学の研究室。俺は、桜子さんの冷めたハンバーガーをおいしくいただいたあとで、そう言った。
桜子さんはその言葉を聞くと、一瞬、瞳をきらりんっ、と輝かせた。
「ホントに、言ってもいいの?」
なんだか、とても含みのある聞き方だったけど、俺はかまわずに深く頷いた。
「五代くん、私のこと心配してきてくれたのかも知れないけど、それはきっと本当だと思うんだけど、でも、それよりもっと気になることがあるんじゃない?」
「気になること?」
鸚鵡返しに訊ねながら、俺はちょっとだけどきっとしてた。身に覚えが、ないわけじゃないから。もう、ずっと、ずっと、気になってること、気にしてるひとがいることに、桜子さんは気がついてるのかな? って、思って。
「それを訊きたいのに、私のこと先に心配してくれて嬉しいけど、友達なんだから訊いてくれていいんだよ」
なんだかさっきの言葉をそっくり返されてしまった。
でも、せっかくそう言ってくれてるんだから、ここはその友情に甘えることにしとこう。
「うん。桜子さん、一条さんと会ってなにを話したの?」
言ったとたん、桜子さんはくすくすと笑いだした。
「五代くん、ホントに正直だよね」
「うん」
俺って正直。それは、褒め言葉だと思うので、しっかり頷いたんだけど、桜子さんはなお笑み崩れて、それでもひとしきり笑ったあとでは表情を引き締めて教えてくれた。
「嫌な予感がするって話をしたの。五代くんがいつまで、戦い続けなきゃならないのかって、それを訊いたの」
一条さんにだって、解らないだろうと思う。奴らがどれだけいるのか、どんな能力を持ったのが控えてるのか。これからのことも全部ゲームのつもりなのか、ほかの目的があるのか。まだ、なにも解ってないんだから。
そんなことを考えて、俺は少しだけ表情を曇らせていたのかも知れない。
桜子さんはそんな俺の顔を覗き込んで、意味深な笑みを見せた。
「一条さんね、警察も五代くんにばかり頼らなくてもいいように警備の増強をはかるって。とってもすまなさそうに言ってた」
「あのひとは、全部自分の責任みたいに思ってるから」
「正義の刑事さんだもんね。でも、そんなことより私が気になったのはね、一条さんが「五代くんに」って言ったことだったの」
桜子さんの目が、また輝いてるような気がする。なんだか、俺の反応をうかがって楽しそうに見えるんだけど、どうしてだろう?
「それ、なにか変?」
「長野で会ってから、どれくらい経ってる?」
急に話題が変わるね、と、俺は指折り数えてみる。
「ええと、5ヶ月くらい、かな」
「そう、そのくらいよね。で、一条さんと五代くんって、いつの間にかすっごい親しそう」
「そ、そうかな?」
第三者からどう見えるのかよく解らないけど、桜子さんの言葉が嬉しくて俺はにこにこ笑っていた。
「なのに、未だに私に五代くんのこと話すときは「五代くん」なんだよね。それで、五代くんに対しては「五代雄介!」なんて、言ってるでしょう」
どこで聞いてたんだろう? 桜子さんのチェックは厳しい。実際、一条さんはどういうわけか、俺のことをよくフルネームで呼んでる。最近では「五代」とだけ呼ぶこともあるのだけど。
俺が物思いに沈んでいると、桜子さんはパソコンの陰でなにやらやっていた。でも、それを覗き込むこともしないで、俺は考えこんでいた。桜子さんに指摘されたことはその通りなんだけど、それで一体なにが気になってるんだろう?
「なんとなく一線を隔してるって感じがしない? 一条さんの呼び方。五代くんは無条件で懐きまくってるように見えるけど、一条さんはどうなのかな? って、思ったの。ホントは民間人相手に戸惑ってて、結構迷惑に思うこととかもあるのかも知れないなぁ、なんてね」
迷惑? 一条さんにとって、俺の存在って迷惑なのか?
俺はショックを受けて、情けない顔をしてたと思う。桜子さんはそれを見て、またなんだかたちの良くない感じの笑みを浮かべた。
「ああ、ごめんね五代くん。今のは単なる印象を言ってみただけだから、そんなに気にしないで。だいたい、私が知らないだけで、ホントは二人きりのときは「雄介」とか呼んでたりして」
一条さんに名前で呼んでもらったことなんか、ない。
俺は、よけいに意気消沈して言葉をなくした。
「あ、やだな五代くん。そんな哀しそうな顔をしないで。私のこと、心配してきてくれたんでしょ。だったら、笑ってて。ね、信じてていいんでしょう?」
「うん。大丈夫!」
ほかに、どうしようもなくて俺は桜子さんに向けてサムズアップした。
気になってることを放っておくことも出来なくて、俺は深夜、一条さんのマンションの壁を登っていった。
「こんばんわー!!」
と、いつもなら灯りのついた窓を、元気よくノックするのだけど、今日はちょっとようすが違っていて声をかけられなかった。
一条さんが居間に座りこんで、なにかに向かってぶつぶつ言ってる。なんだか、その横顔は悲壮感さえ漂っているように見える。
俺は、窓にそっと手をかける。ベランダのある側の窓に鍵はかかっていなかった。俺以外にこんな高いところ登る奴はいないと思うけど、それにしても無用心だな、と呟きつつそっとドアを開けてみる。
だけど、なにかに夢中になってる一条さんは俺の気配にも気がつかない。
ゆっくり窓を開けて、ちょっとだけ沸き起こった悪戯心をおさえられず、俺は足音を忍ばせて一条さんに近寄った。
けど、すぐ近くに行くまえに足を止めてしまった。
一条さんが必死なようすで見ているのが、新聞記事だと解ったから。しかも、その記事に映ってるのは俺の写真。というか、正確にはクウガの・・・・・・報道されているところの未確認生命体第4号の記事だった。
「ごだ・・・・・・じゃなくて、ゆ・・・うすけ。って、やっぱりなんか困ったな。五代、のほうを声を出さないで言っておいて、名前だけしっかり発音できればいいのか? だがな・・・」
耳を澄ますと、一条さんの独り言の内容が聞き取れた。
一条さん、いくら俺の写真持ってないからって、そんなもんで練習しなくてもいいのに。
「・・・・・・雄介。でも、これだと呼ぶときに、いちいち妙な間があくな」
どうやら、自分で考えたとおり、心のなかだけで苗字を呟いてから名前を呼んでくれたらしい。
急にどうしてこんなことしてるのか解らないけど、可愛い。ただ、名前を呼ぶだけのことに、どうしてこんな真剣なんだろう、このひとは。そう思うと、愛しくてたまらなくなる。愛しいのは、いつものことなんだけど、これじゃあ抑えがきかなくなるよ。
一条さんは、新聞に載ってるクウガの写真を真っ直ぐ見詰めて言った。
「ゆうすけ」
「はいっ!!!!」
俺はこらえられなくて元気に返事をしてしまった。
その瞬間の一条さんは、ホントに床から身体が浮いたほど飛び上がって驚いた。
「おまえは、俺をショック死させる気か?」
なにをやっていたか、見られた照れくささもあるからなのだろう。一条さんは顔を真っ赤にして怒った。
「ごめんなさい」
俺は素直に頭を下げた。でも、すぐに顔を挙げて一条さんに微笑みかける。
「そんな新聞なんかで練習してないで、俺を直接呼んでください」
「べ・・・別に練習していたわけでは」
「だけど、急にどうしたんです?」
言い逃れなど聞き流して、気になったことを訊いた。一条さんは、少し迷うそぶりのあとで、諦めたように溜め息をひとつもらした。
「電話があったんだ」
「って、誰からですか?」
「昼間。おまえが行っている最中の城南大学から」
俺が行ってる最中って、どういうこと?
首を傾げて考えこむと、一条さんが早口で説明してくれた。
「つまり、沢渡さんの携帯からだが、君たちの会話を故意に聞かせようということだったようだ」
俺が物思いに沈んでる間、桜子さんがパソコンの陰でごそごぞしてたのは、一条さんに電話したからだったようだ。最近の携帯って感度いいんだな。
「あー、それ。俺ね、それが気になってきちゃったんですよ。桜子さんに、一条さんはもしかしたら俺のこと迷惑に思ってるんじゃないかって言われたから、それで」
そもそも桜子さんの指摘の根拠は、一条さんのよそよそしい呼び方にあった。それを聴いてたという一条さんが、あんな練習をしてたってことは?
「迷惑なはずがなかろう。だから、そんな誤解を生まないようにと、ちょっと呼び方を変えられるかどうか検討してたんだ」
練習、じゃなくて検討なんだそうだ。一条さん、そんなところも大好きです。
「それなら一条さん、相手が新聞なんかじゃ駄目でしょう。ね、名前呼ぶのが恥ずかしくないように、もっと恥ずかしいことしてみる、っていうのはどうですか?」
「なにを言ってる?」
訝しげな一条さんに、俺は調子にのって笑いかける。
「ベッドのうえなら、名前呼ぶのなんかきっと簡単ですよ」
あなたの声で名前を呼ばれたら、その声だけが、なによりの誘惑。大好きなひとに誘惑されて、抱き締めて押し倒してしまいたい気持ちを、さっきから必死で抑えてる。でも、もうあんまり持たないよ、一条さん。
俺はそんな思いをこめて、一条さんの形のいい瞳を熱く見た。
一条さんは、二、三度瞬きすると、そんな俺を無表情に見返した。
「いや、検討の結果、やはり名前で呼ぶ必要はないと解った。五代雄介、どんな呼び方をしていても、俺が迷惑がってなどいないことは、解ってくれるんだろう?」
一条さん。それは、名前を呼ぶよりもっと誘惑されてる気がするんですけど。
「も、もちろんです」
俺は爽やかな一条さんの笑顔のまえで、引きつった笑みとともにサムズアップするのが精一杯だった。
fin.2000.7.18