バイクで合流してすぐに、サービスエリアに立ち寄った。急がねばならない状況なのは百も承知だったが、土砂降りの雨のなか東京からずっと走り通しでは、体力の消耗も激しいはずで、いくらなんでもこのまま真っ直ぐに0号のところに向かうのは、あまりに不利だと主張して。
最後の悪あがき。こんなことで、そのときを少しだけ先延ばしにしたところで、結局は戦いそれ自体を止められるわけもないというのに。それが、解っていても、それでも。
五代は両手で缶入りのコーンスープを握り締めながら少しずつ口に運んでいた。
なんだかその仕草が幼い子供のように見えて、俺は黙ってそれを見ていた。
俺の目の前で手をつけないままに冷めていくコーヒーを見て、五代は心配そうに訊く。
「一条さん、飲まないんですか?」
「いや」
俺は、慌ててコーヒーに口をつけ、少しだけ飲んでカップをソーサーに戻した。
味がしない。ただ、温かいというのだけは解るが、それだけだった。ここのコーヒーがとびきりまずいというわけではないのだろう。恐らくこんな状況下にあって、味覚が麻痺してしまったというだけで。
五代は、スープを飲み干しても、まだぬくもりの残る缶を胸に抱え込んでいた。どれだけ厚着で防寒していても、それでも体温が下がっていくのは止められない。雪のなかでバイクで風をきって走ってきて、これからまだ走らなければならない。
どんなに寒くても、それでもこのまま二人で並んで走り続けられるなら、そのほうがどんなに嬉しいか知れないけれど。
「ね、一条さん!」
埒もない俺の思考を遮ったのは、場違いなほど明るい五代の声だった。
「もしも、もうすぐ地球に巨大な隕石が落ちてきて、なにもかも砕け散ってしまうとしたら、そうしたら一条さんならどうしますか?」
あまりにも唐突な問いかけに、俺はしばし絶句した。
「これはね、4択なんですよ。いいですか? 1番、ひたすら地球の無事を神仏に祈る。2番、なにもせず、普段通りの生活を続ける。3番、全財産なげうってでも、なんとか自分だけは助かろうと手を尽くす。4番、どうせ死ぬならと、好き放題やって楽しく過ごす」
多分、なにかの心理テストの類なのだろう。けれど、最初に問題を出されたときに咄嗟に浮かんだ答えは、五代の言った四つのなかには入っていなかった。
五代と出会う以前の俺なら、そんなパニック状態の起きるような事態になったら混乱する一般市民の暴走を止めるために大忙しのうちにその日を迎えてしまうだろう、と想像したかも知れない。現実的に考えれば、そんな大混乱になるような状況下で、自分のしたいことを優先出来る立場ではないのだ。ただ、考えようによっては警察官として最期までその職務を全うするしかない、というのはどれだけ異常な状況でも警官にとっての日常とも言えるので、2番、ということになるのかも知れない。
だが、それはあくまでも、以前の俺だったら、の話だ。
他愛のない心理テストでも、今、五代に適当な返事をしたくなかった。
「5番」
「ええっ? だめですよ。4択なんだから、5番はないです」
「でも、5番」
俺は言い張った、五代は困ったなぁと呟きながらも、にこにこ笑っている。
「それで、おまえは何番なんだ?」
逆に訊き返すと、五代はますます困ったと言いながら頭をかいた。
「へへ。実は俺もこの4択のなかには答えがなかったんですよね」
そう聴くとその通りだろうと思う。どの回答も、五代雄介らしくない。
「当ててみせようか?」
「一条さん、解るんですか?」
五代は嬉しそうに身を乗り出した。
伊達にこれまで、一緒に戦ってきたわけではない。と、言いたいところだが、恐らく俺じゃなくても、きっと五代を知る者なら、みんな解ることだろう。
「君なら、隕石に向かっていってしまう気だろう? 例えどれだけ危険だと解っていても、なんとかして止める手段を考えて、どこかの国の宇宙船を強奪してでも自分で止めたいと思うんだろう?」
それは今のこの状況と、大差ないことじゃないだろうか?
「やだな、一条さん。俺が、そんな無茶をするわけ・・・・・・しちゃうかも知れませんねぇ」
のんびりとした口調で言って、五代は笑う。
「しかし、これじゃあ心理テストにならないですねー」
「なんのテストだったんだ?」
「浮気がバレたときの反応です」
「浮気?」
予想もしなかった言葉だったで、俺は鸚鵡返しに聴き返していた。
「そうです。俺がこのあと冒険に行っちゃったら、モテる一条さんが浮気しちゃうかも知れないと思って。そしたら一条さん、どうするのかなぁ、って、ちょっと訊いてみたんです」
俺は再び絶句した。生きるか死ぬかという戦いにおもむくときに、この男は無事に生き残ったあと、冒険に出かけ、その間に俺が浮気するかも知れないなどという心配をしているらしい。呑気加減も、ここまでくれば尊敬に値する。
「だからね、1番のひとはもうただひたすら相手に謝りたおす。2番なら、何事もなかったようにしらをきる。3番はプレゼント攻撃でお金使ってなんとか許してもらおうとする。4番なら逆ギレして浮気のどこが悪い? と、開き直る。なんだそうです」
「それで君は、なんて答えてほしかったんだ?」
「あ、それ、考えてませんでした。でも、浮気、しないで欲しいんですけどね。ホントは、一条さんの髪の毛一本でもほかの誰かに触られるのなんか許せないって気持ちなんですから」
必死な眼差しで訴えられて、苦笑する。
「それなら、今から浮気の話なんか持ち出すな」
「えへへ、すみません。ホントは、何番だかそんな答えを訊きたかったんじゃないんです。そうじゃなくて、浮気なんかするはずないだろう、ってそう言ってもらいたくて」
「ばか」
五代がそんな言葉を望むなら、言ってやればいいのに。俺は照れる気持ちがさきにたって、それしか言えないでいた。
そんな俺を見ていた五代が、ふいに真面目な表情になる。
「だけどもし、俺が隕石に正面衝突して玉砕するような事態になったときには」
真剣な目が、俺を真っ直ぐに見る。
「そのときは、浮気じゃなくて本気でまた誰かを好きになってください」
「バカなことを」
目をそらさない。
五代に負けないくらい、真っ直ぐな瞳を見返して、俺はきっぱり言った。
「隕石をぶち壊して、君はちゃんと俺のところに帰ってくるんだろう?」
「それはもちろん、そのつもりですけど」
その答えをもらって、今はひたすらその言葉にすがって、俺は笑ってみせる。もしかしたら、多少ひきつった笑いになっているのかも知れないが、それでも精一杯の笑顔をつくる。
「それなら、余計な心配だな」
「そうですよね。俺、つまんないこと言っちゃって」
五代はそう言って、空き缶をゴミ箱に投げ入れる。俺もすっかり冷めてしまったコーヒーをトレイののせて、配膳台に戻した。
「そろそろ行くか」
色々なものを、様々な思いを、すべてふっきるように立ち上がる。
「行きましょう」
五代も、すっきりとした顔をしている。
並んでバイクを止めた場所まで歩きながら、ふと五代が思い出したように訊く。
「ところで一条さん5番ってなんだったんですか?」
今ごろになって五代は、俺がなにを思ったのか気になりだしたらしい。
「当ててみろ」
「えー、一条さんも隕石に向かってくつもりなんですか?」
「それもいいかも知れないがな」
五代と二人で地球の滅亡を止めに行く。なんだかそれは、わくわくするような大冒険の旅に出るようだ。
「ってことは、別のことを考えてたんですね」
「まぁ、おいおいな」
「そんなー、今聴きたいですよ!」
俺が考えたのは、みんなの笑顔を守りたいという五代とは、対照的で利己的な願いだった。
だから、そんなことを面と向かって言えるはずがない。巨大隕石にさえ立ち向かっていけそうな、勇敢な君に。これから、それと大差ないような厳しい戦いにおもむく君に。
「内緒だ」
「じゃあ、ヒントくらいくださいよ」
五代はしつこく食い下がった。
「そうだな。言ったら君がつけあがるから、だから言わない」
なにを想像したのだろう? 五代は、幸せそうな笑顔で俺の両手を握った。
「そうなんですかvv 嬉しいです、一条さん」
それからスキップせんばかりのはずんだ勢いで、バイクに向かう。
なんとなく五代の想像力が、俺の答えを上回ってあんなことやこんなことまで、色々考えていそうな気がする。
だが、それでもいいかと思う。あんな嬉しそうな笑顔を見せてもらえたから。
降りしきる雪を、この寒さを、蹴散らすような明るい笑顔。
追いついてヘルメットをかぶろうとしたら、五代の手がそれを引き止めた。
なんだろう? と、顔をあげると五代がそっと唇を重ねてきた。
時が止まればいい。
陳腐な言い回しだが、本気でそう思った。
時を止められないなら、せめてこのぬくもりを覚えていよう。
記憶が薄れてしまわないうちに、もう一度この腕に、このあたたかさに、少しでも早く触れられるときが来ることを祈ろう。
もしも地球がもうすぐなくなってしまうと解ったら。もうすぐみんな死んでしまうという、そんなときが来たら。
君のそばにいたい。君の笑顔を見ていられたらいい。最後の最後まで、ずっと。
咄嗟に浮かんだ答えは、ただそれだけだった。
fin.2001.1.20