ふたりだけの秘密

 
 御手洗が、出力し終わったばかりの石岡の原稿を読んで、眉を寄せた。
「石岡君。こんなことを書いてしまって大丈夫なのかい?」
 心配そうな顔をしている御手洗に、石岡はやさしく微笑んだ。
「大丈夫だよ。これは全部フィクションだからね。SFってやつさ。誰も本気で信じるわけがないじゃないか」
 御手洗は、外人のような仕草で大袈裟に両手を広げて肩を竦めた。
「確かに、僕らの本当の姿なんて、皆信じるわけがないけれどね。人はみんな、結局は自分の信じたいものしか 信じられない可哀想な生き物だからさ」
「僕だって、そうさ。信じたいものを信じるんだよ。御手洗」
 石岡の言葉の裏には、だから君を信じるんだ、という思いがこめられていた。
 御手洗は、しっかりその思いを受け止めて、石岡を抱き締めた。
「そうだね。僕らは言葉よりも確かなものを手に入れた。わざわざ語らなくても、お互いの気持ちが通じ合う。なんて、素晴らしいんだろう」
 石岡も、そんな御手洗の背をしっかりと抱き返した。
 彼らの本当の能力は、石岡が小説に書いたような可愛らしいものではなかった。ステレオのスイッチをつけたりお茶の用意を一瞬でしてしまうことくらいで驚いてはいられない。
 御手洗も石岡も、石岡の職業に支障をきたすかも知れないと心配して、なるべく『喋る』ように心がけてはいるが、実はもう言葉など必要なくなっている。
 精神感応力、つまりテレパスである。
 そして、念動力。サイコキネシスの力も、今では自由自在に操ることが出来る。
「あ、いけない。今日は東京の編集者のところに打ち合わせに行く約束だったんだ」
 石岡が唐突に思い出して壁にかかった時計を見上げた。午後三時を少し回っていた。
「待ち合わせ時間は何時だい?」
「三時半に、出版社の応接室なんだ」
 石岡は、慌てる様子もなくそう答えた。
 ここ、横浜は馬車道の事務所から、東京神田にある出版社まで、普通に電車に乗ったら一時間以上はかかる。
 だが、石岡にはそんな必要はないのだった。
「充分間に合う時間だね。だけど石岡君。くれぐれも気をつけて、誰にも見られない場所に移動したまえよ」
「解ってるさ、御手洗。ちゃんと人目のないところに着地出来るよ」
 そう言った一瞬後には、石岡は外出用のソフトスーツに着替えていた。
「行ってきます」
「気をつけて。誰にも見られないようにね」
 御手洗はさきほどと同じ台詞を繰り返して石岡を見送った。
 彼らはめでたく瞬間移動、つまりテレポーテーションまでも手に入れた。
 こんな能力が探偵に備わっていては、推理小説など成り立たない。密室もアリバイ崩しも、まるで何の役にも立たないことになってしまう。今、石岡がしたように、一瞬で移動出来るのなら、時刻表トリックなど、バカバカしくて話にならない。
 万能の力を手に入れた世界一幸福なカップルであるはずの彼らにも、それなりの悩みはあるのだ。石岡は、そのバカバカしさのおかげで、なんだかあまり筆が進まなくなってしまった。
 そのうえ、人の心が見えるのも幸せとばかりは言えない。その日会った編集者は、ずっと石岡の顔を見ながら考えていたのだ。
《可愛いなぁ、石岡先生。こんな人とずっと一緒に住んでいて、未だにただの友人のままだったとしたら、御手洗さんは噂に違わぬよほどの変人に違いないぞ》
 

おしまい
 

 ショートショートのもくじへ戻る

 トップへ戻る