その日、俺たちは天王寺駅から徒歩三分という高級マンションのモデルルームを見に行った。預金額はとうていこのマンションをキャッシュで買い取るほどには達していないのだが、近い将来のための予行演習のような軽い気持ちだったのだ。
 部屋を案内してくれたお嬢さんは二〇代前半くらいなのだろう。そこらの街中によくいるタイプのロングヘアで、そこそこ綺麗な顔立ちだ。不動産会社の制服らしい明るいピンクのスーツを違和感なく着こなしている。それが仕事で条件反射にでもなっているのだろう愛想笑いを浮かべながら、
「お二人で住むお部屋をお探しですか?」
 などと、たった一行喋る間に『お』を三連発させて尋ねてきた。
「そうやないです。私はこいつの付き添いで来ただけですから」
 勿論当然そうだと答えようとした俺よりも一歩早く、アリスが首をぶんぶん振りながら否定した。
 案内嬢は俺とアリスの顔を等分に見ながら、少しだけ不服そうな表情で頷いた。
 こんな二度とは会わないような他人に嘘をついても仕方ないだろうに、アリスは往生際が悪い。美しい女性に自分がフリーだと主張してみせたいなどと考えているのは俺の能力など使わずとも顔を見れば解る。アリスはもともと考えていることがすぐに顔に出る。
 今日はなんだか暇だから、近所のモデルルームでもひやかしに行こうと誘った俺に、二つ返事でついてきたくせに、これは後でゆっくり自分の恋人が誰なのか思い知らせてやるべきだろうな。
「こちらのお部屋は完全な防音設備が施されておりますから、これだけ駅に近い場所にありましても、決して電車の音など聞こえません」
 俺の物思いにはおかまいなしに、案内嬢は部屋のセールスポイントを列挙し始めた。
 最新式のシステムキッチン。警備会社と直結した完璧な防犯システム。衛星放送、ケーブルテレビは勿論、海外のテレビ番組までが傍受可能な大型スクリーン。等々。
 付き添いだとぬかしたはずのアリスは彼女の言葉に熱心に耳を傾けている。
 しかし、俺の方はそんな彼女の声に出して喋っている言葉よりも心の叫びの方が、頭の中にわんわん響いてきてしまって閉口した。
 俺はサイキックで、通常の体調であれば精神感応力は制御出来る。いたずらに他人の心を読むなどということはしないし、うまく制御しておかなければ世の中猥雑な騒音に満ちていて、精神がもたない。
 だから、特に必要な時以外には、自分の周囲に精神的なシャッターをおろして、他人の思念などキャッチしないようにしているわけだ。
 ところが、強すぎる感情の直撃を浴びると、このシャッターは突き破られる場合が稀にある。つまり、今がその状態で、案内嬢の思念は際限もなく俺の頭の中に襲いかかり、暴れ回っているのだ。
 俺がげっそりして、すっかり無口になっていても、アリスはそんなことにはまるで気づかぬらしく、ニコニコしながら案内嬢の説明に相づちを打ったりしている。
 こんな時、自分がどれだけ異端の存在か思い知らされる。人間は他人が何を考えているのか、解らないからこそ平和に暮らしてゆくことが出来る生き物なのだ。相手の気持ちが解らずに誤解して招く不幸もまたあるのかも知れないが、誤解なら解くことも出来るが、本当の本音を見せつけられ、それが辛い内容だった場合にはどうすることも出来ないではないか。
 などと、シリアスな気分に浸っている場合では全然ないのだった。
 いつのまにか案内嬢の説明は終わっており、俺たちはそろそろここを出なければならない頃合いになっていた。
「それでは、このパンフレットに分割払い等についても詳しい説明が載っておりますので、是非お二人でじっくりご相談なさってください」
 案内嬢は、お二人で、というところに心なしかアクセントをおいて言った。
「ええ。こいつによく考えるように言っておきます」
 ずっと黙り込んだままだった俺に代わってアリスがまだ無駄なあがきのような台詞を口にすると、案内嬢はもの問いたげな視線をこちらに流してよこした。
 それから何か言いたいように口を開いたが、一瞬黙り、結局こう言った。
「いえ、そんなことは言わぬが花ですよね。ああ、なんでもありません。本日はお越しいただきまして、ありがとうございました」
 俺は軽く会釈を返して首を傾げるアリスの腕をとって、引きずるようにしてそのモデルルームを後にした。
 帰り道、アリスはまだしきりに首を傾げながら気にしている。
「なぁ火村、あの人なんか可愛らしい笑顔を浮かべながら、時々妙に鋭い視線で俺らを見てた気ぃせぇへんかったか?」
 いくら鈍くてもそれくらいは気が付いていたのか。
「それにな、最後の台詞も妙やった。言わぬが花とかなんとか・・・・・。けど、あの目つきは、綺麗な花には棘があるっちゅうやつやないのかな?」
「いいや、アリス。ありゃそんなもんじゃねぇよ。強いて言うなら綺麗に見えても同人女ってとこだぜ」
 そう。あの案内嬢の頭の中で暴風雨のごとく荒れ狂っていた思念というのは―――。
『いやぁ、久々のラッキーくんやわ。美形のカップルで嬉しいわ。やっぱりこの長身のハンサムの方が攻めなんやろうか? ああ、まさか当人に確認するわけにはいかへんし。でも、気になるわ。このマンションに住む気やったら、また会うチャンスはあるしー。ほんま、嬉しいわ。今度のイベントでみんなに自慢しちゃおう。それにしてもこの関西弁の方、付き添いやなんて見え透いた嘘ついたりして、照れてるんやろか? 可愛いなぁ。うう、それにしても無口やわこの人。案外、大どんでん返しで、こっちの人が受けやったりして。ふふふ、どこで知り合って、どんなロマンスがあったんやろ? ああ、あんな風に腕組んだりして、もうラブラブやん〜・・・・・・・』

〈了〉


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