五十歩百歩

 
 
 年末の大掃除の最中に、古いアルバムが見つかった。それは、二人がまだ英都大学の学生の頃のものだった。そうなると、いつの間にか掃除する手は止まってしまい、そんな歳でもないはずなのに、ついつい思い出話に花が咲いてしまう。
「覚えてるか、アリス? この写真」
 火村が懐かしそうに写真の中の大学生のアリスを指さして尋ねると、アリスはとても不愉快そうな顔をした。
「そんなん、思い出さなくてええわ」
「まぁ、そう言うなよ。おまえ、馬鹿正直にも三十分もこのロープを持ったまま寒空の下に突っ立ってたんだよな」
 学園祭の出し物の一つだったのだ。映画研究会のオマケのビデオで、学内一のお人好しは誰だ? という企画があった。
 女子学生が、ロープを持って、ターゲットに渡してこう言う。「すみませんが、長さを測りたいので、これちょっと持っててください」チャペルの脇の、見通しの悪いあたりである。ロープを持たされたはいいが、片方を持った彼女はすぐに見えないところに行ってしまい、そのまま戻ってこない。さて、誰が一番このロープを長い時間持ち続けているだろうか? というドッキリカメラのようなもので、アリスは通りがかりの犠牲者の中でも一番長くロープを持ち続け、一躍お人好し王としてキャンパスに名を馳せた。
 アリスにとっては不愉快極まりない過去の苦い記憶である。
 だが、火村の今の言葉には何かひっかかりを感じた。
「何年も経ったせいで記憶が曖昧になってるんやないか?」
 火村は首を傾げる。
「いや、そんなことないだろ。あのロープを持って頼みにきたのがおまえの好きそうな可愛い子だったんだ。それで余計にいつまでもアホ面さらしてビデオに収まることになったんだよな」
「火村、見てたんか?」
 アリスにそう訊かれ、火村は目を見開いた。失言、に気がついたが、もう遅い。
「え? 見てたって、あのビデオをだろ? あんなの、みんな見たじゃねぇか。それで、大笑い。アリスって本当に優しいわよねぇ、とか女の子たちにもさんざんからかわれてたよな」
 火村はなんとか取り繕おうと言葉を重ねたが、それは墓穴を深くしただけだった。
「確かにあの日は、秋なのにもう冬かと思うくらい寒い日やったけど、ビデオ見ただけで、どうして寒いかどうか解ったんや?」
「そりゃあ、だって、ほら、吐く息が白く映ってたからだろう?」
 ふうん、とアリスは疑いの眼差しを火村に向ける。
 それほどアップで撮ったら隠し撮りがバレるので、カメラはかなりひいた状態であり、吐く息の白さまでが映っていたかどうかは非常に怪しい。が、もう十年以上昔の話である。アリスはそこまではっきりと記憶していない。それよりもはっきりと覚えていることは他にある。
「それになぁ、映画研究会の奴らに頼まれたんや。話を面白くするために、多少誇張させてもらいたいってな。そやから、ほんまはおまえの言う通り三十分ほど待ってからロープを手繰ってみたんやけど、あのビデオでは編集部分に三時間経過って入ってたはずや」
「そう、だっけか?」
「そうや。それに、ロープを持って頼みにきた女の子は確かに可愛い子やったけど、公開されたビデオには後ろ姿しか映ってなかったはずや。火村はどうして可愛いかどうかなんて解ったん?」
「俺を誰だと思ってるんだ?」
 火村は居直った。もう、こうなったら自棄である。
「火村英生やろ?」
「そう、だからその女の子が可愛かったっていうのは、俺の推理だ。いくらお人好しのおまえだって、むさくるしいヤローの頼みならあんなに長い時間我慢してなかったはずじゃねぇか」
「それで、三十分てのも推理か?」
「いや、それはあの映研の奴に知り合いがいて、そいつから聞いたんだよ」
 アリスは、本棚を整理していた手を休め、火村の顔をのぞき込んだ。
「先生。それだけのことにしては、どうも反応がおかしいわ。何か隠してんな?」
 火村は微笑んだ。
「気のせいだろ」
「素直に認めたらどうや? ほんまはあの日、おまえもどこかで俺につき合って寒空の下、突っ立ってたんやろ? あの頃からおまえ、そんなに俺に惚れてたんやなぁ」
「ああ、まぁ、そういうこともあったかも知れないな」
 火村は力無く頷いた。
「なぁんだ。やっぱりそうやったんか。俺のことお人好しやって言うたけど、それやったらおまえも五十歩百歩やな」
 アリスは嬉しそうに笑う。
「そこで納得できちゃうところが、おまえの天然お人好しなところなんだけどな」
 火村は、アリスに聞こえないように低く呟いた。
 真相は、アリスが納得したのとはかなり違っていた。
 学生会館の片隅で、映画研究会の者たちがあの企画の相談をしていたところに火村は偶然居合わせた。そこで、誰をターゲットにしたらいいかと意見を求められ、とっさに浮かんだ有栖川という名を口にしてしまったのだ。つまり、アリスがターゲットになったのは、偶然通りかかったためではなく、火村の推薦によるものだった。火村は言ってしまった手前、アリスがすぐにあのロープを放してどこかへ行ってしまったりしたら、映研の連中に何を言われるか解らない。それで、気になって様子を見ているうちに、いつまでも立ち尽くすアリスを見捨てて去ることも出来ず、結果的には寒空の下、アリスがロープを手放すまで、つき合うことになったのだ。
「五十歩百歩っていうよりは、知らぬが仏というとこだぜ」
「何か言ったか?」
「大好きだって、言ったんだよアリス」
 

〈了〉

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