初めての・・・

火村×アリス サイキックヴァージョン


 彼はこの場所に繋がれている。彼の育った環境。彼の持つ能力。そして、この世界の仕組み。
 様々な状況を考えると、それは彼の安全のために、しかたがないことのように思える。この世の中はまだ、自分たちよりも優れた能力を持つ者たちに対して、寛容ではなく、同じ人間として受け入れられるほどに成熟してもいないから。
「どうしたんだ、アリス? なんだか、憂鬱そうだな」
 声をかけられて、アリスはふと我にかえる。高校生になったばかりのアリスは、日曜になると火村の部屋を訪ねてきていた。
 その日も、当然のように遊びに来て、読書中だった火村の邪魔をすまいとベッドの端に腰かけて、物思いに沈んでいたところだった。その火村が、夢中で読んでいた本から顔をあげてアリスを見ていた。
「別に、憂鬱なことあれへんよ」
「そうか? なんだか、おとなしいから妙だと思って」
「俺かて読書中はあんまり話しかけられたくないし」
「の、わりには、俺がなにしてても気にせずに部屋にあがりこんでくるよな」
「せやな。殺風景で小汚い部屋やけど、段々居心地が良くなってきたみたいなんや」
 厭味も皮肉も聞き流し、アリスは屈託のない笑顔を見せる。
 火村は肩をすくめた。
「相変わらず失礼なことを平気で言う奴だな。けど、こんな部屋が居心地いいなんて、変わってるよ」
 火村の部屋は、施設のなかにある。個室を与えられてはいるが、そのどこかには監視システムが施されている。施設の上層部か、政府か、それともなにかもっと上位の機関かは解らないが、とにかくそうしたものの管理下におかれている。
「別に見張られてても平気や。やましいことなんか、ひとつもないんやから」
 きっぱり胸を張って言い切るアリスに、火村は切なげな視線を向ける。
「やましいことも、たまにはしたいけどな」
「は?」
 超能力者でもなんでもない、ごく普通の高校生であるアリスには、友人も少なからずいる。好奇心旺盛だから、休みの日に行きたい場所はいくらでもある。それでも、なにをさておいても火村のところに足しげく通っているのである。アリスにとって、火村と過ごせる時間が、最優先事項であることは間違いのないところだろう。それでも、それがどういうことかなど、アリスはまるで考えていないようだ。
「おまえのそれって、天然なのか?」
「それって……どれや?」
 困惑顔で聴き返され、火村は額に手をあてる。
「しょうがないな。言わなきゃ解らないんだろうが、ここじゃ言いたくもないし。外出許可とってくる」
 アリスは火村の言葉に、きょとんとした。
「火村、おまえ外出出来るんか?」
「当たり前だろう。勝手に出かけると後からうるさいから一応許可とるけど、別にここは監獄や留置場じゃないし、俺は、犯罪者でもないんだからな」
「なら、毎週俺が一方的に訪ねて来なくても、君が会いに来てくれても良かったんやないか」
「毎週来いなんて、俺は言ってないぞ」
「けど、外出出来るなんて、教えてくれへんかったやないか」
「おまえが、聴かなかったんだろう。俺は別に、かくしてたわけじゃないぜ」
 言い返す言葉をなくして、アリスは頬をふくらませて黙りこむ。
「とにかく、許可もらってくるから、待ってろ」
 火村はそう言い残して部屋を出ていった。
 しかし、なんとも騙されたような気持ちのアリスは、おとなしく部屋で待っている気になれなかった。
 アリスは火村が戻るまえに部屋を出、そのまま帰ってしまおうとした。のだが、生憎彼は、この施設の庭を一人で歩いて最短距離で出口に辿り着けたためしがなかった。
 軽々と追いついた火村は、にやりと笑って言う。
「迷ってたわけじゃねぇよな。ただ、俺を待ってただけだろう?」
 待っていたつもりはない。だが、また迷ったという事実を認めるのも業腹だ。だから、アリスは返事をせずに足を進めようとした。
 その肩をつかんで火村が引き止める。
「そっちじゃねぇよ。こっち」
 逆方向を指差され、アリスは言葉に詰まる。
「おまえさ、俺のこと好きだろ」
 火村の言葉は疑問形だったが、耳には断定的に響く。
「はぁ?」
「自覚がないようだから教えてやってんだよ。な、好きな奴と一緒に外出出来るんだがら、そんな膨れっ面してないで、もう少し嬉しそうにしろよ」
「火村、おまえそれやからほかに友達おらんのやろ」
 自信たっぷりな火村に、アリスは同情的に呟いた。
 けれど、火村にはそんな台詞さえもが照れ隠しのようにしか聴こえないらしい。
「いいか、よーく考えてみろよ、アリス。おまえ、どうして毎週俺のところに来るんだ? 俺の部屋で、特になにもすることがなくても、少しも退屈しないで俺のそばにいるんだ?」
「そら、珍獣を観察するような気持ちで……」
「サイキックがめずらしいから、ってわけか?」
 無表情で訊ねられ、アリスは激しく首を振る。
「火村が火村やってことのほうが、不思議なんや。サイキックやってことなんか、それに比べたらちっとも珍しくもなんともないわ」
「なんだ、それ」
「俺もよう解らん。けど、知りたいと思う。話しても話しても、どこかが相容れない。せやのに、言葉なんか使わなくても、解るなって思うときもある。誰より近くにおると感じることもあれば、一億光年隔てた星の彼方の存在みたいな気がするときもある。それがなんでか知りたい。俺たちの間にある歪んだ距離感の正体を解き明かしたい」
 火村は肩を竦める。
「まわりくどい、愛の告白だな」
「なんでそうなるんや?」
 激しく言い返しながらも、アリスは頬が熱くなるのを意識してうろたえた。言われてみればまったく、今自分の口にした言葉は、火村のことが知りたくてたまらないという意味にしかならず、それは世間一般でいうところの恋と、どこが違うのか、うまく説明が出来ない類の気持ちなのだ。
「知りたいなら教えてやるよ。それで、おまえも自分の気持ちを確かめればいい」
 火村はアリスの手を引いて、出口へと急ぐ。
 今までまるで考えたことのなかった問題を突きつけられ、アリスは混乱したまま火村についていった。
 数年前ならいざ知らず、高校生に育った二人が手を繋いで歩くさまというのは、傍目に微笑ましいなどという域を超えているのだが、アリスはそこまで考える余裕がないし、火村にはもとより他人の目を気にする習慣などない。
 なので、二人は施設の外に出てからもずっと手を繋いだまま歩いて、火村が決めた目的地に辿り着いた。
「ちょっ…火村、まさかここに入る気やないよな?」
「入る。決まってるだろ」
「けどここ、なぁ、いくらなんでもそれはどうも―」
「大丈夫だ。単なるカジュアルホテルだろう」
 火村は堂々とした態度でエントランスを抜ける。アリスも後を追うしかなかった。そんなものに、単なるも、特別な、もないやろう、などというツッコミを入れるひまもない。
 火村はとっくにアリスの手を放していたし、無理強いに連れてきたというわけでもない。こんな場所に二人で入るのが嫌だと思うなら、今すぐ回れ右して帰ればいいだけだ。それが、解っていながらアリスはそうしようとしなかった。
 火村はこれからどうする気なのか? 自分はどうしたいと思っているのか? それが知りたいという好奇心に勝てないだけなのか。それとも、自分もまた火村と同じようにここで普通のカップルたちがするようなことを火村としたいと望んでいるのだろうか?
 ひどく緊張していて、心臓がばくばく暴れている。それでも、足を止めない自分がいる。
 部屋は清潔でシンプルだった。
 入って鍵をかけると火村はアリスを抱きすくめた。
 火村の腕のなかにすっぽり包まれて、アリスは暴れていた心臓の音が静かになったのを感じた。何故だかとても、あたたかい気持ちで、ほっとしている。そこが最初から自分の居るべき場所であったかのように、落ち着く。そうして、心にふわりとわきあがってくるのは、歓喜だった。
 火村はそんなアリスのようすを見て、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
 やっぱり、おまえは俺が好きなんじゃねぇか。そう言いたいらしい表情には、少しだけ癪な気もするけれど、否定することは出来ない。
 これで自分たちの歪んだ距離は修正されるのだろうか?
 ここでこうすることが、自分たちの自然な姿だったんだろうか? 火村のことを、今までよりずっと、近くに感じることが出来るなら……。
 アリスは目を閉じた。火村の唇がそっと、アリスのそれに触れる。
 もう、止まらない。戻れない。後戻り、する気もない。
 けれど、火村はそこでぎくりと動きを止めた。
「アリス、隣の部屋で誰かが助けを呼んでる」
「へ?」
「強いテレパシーで助けって言ってる。くそっ、今にも殺されるって、これじゃあいくらなんでも放置するわけにもいかねぇな」
 火村は残念そうにアリスを解放すると、隣の部屋のドアを叩いた。鍵がかかっていたが、サイキック能力で開錠した。当然のように、アリスも続く。若さゆえの無鉄砲さだった。
 部屋には小学生くらいの女の子が全裸で拘束されていて、目の血走った屈強そうな男が、ビデオテープを回しているところだった。
 腕力ではとても敵わない。火村がサイコキネシスで男に立ち向かう間に、アリスが少女の縄をほどきガウンを探し出して羽織らせてやった。
 男が一人だったことが幸いして、火村の力で男を拘束し、少女を救出して警察に連絡するまでに、ものの十分もかからなかった。
 そして二人は、火村の能力に限度があるということと、力尽きた火村がアリスのそばでだけ安らげるのだ、という事実をそのときに実感することになった。
 警察の事情聴取を終えて、別のホテルに部屋をとったものの、火村の体力はそこまでで限界だった。
 アリスは自分のひざで眠る火村のおだやかな寝顔を見て、幸せそうに微笑んだ。
「ええよ。認めてやるわ。ほんまに俺、火村のこと好きなんやな」
火村に対する友情以上の感情を初めて自覚した、有栖川有栖十六歳の春だった。

〈了〉