喜 劇 的

 男は、額にかかる髪を乱暴にかきあげる。あまり余裕のなさそうなそんな仕草も、端正な容貌にすらりとした長身の彼がすると絵になる。
 そうして煙草を取り出し、ライターで火を点けた。
「こんな日が来るとは思わなかった。まさか、おまえの犯罪を俺が暴くだなんてな」
 おまえ、と呼ばれたもうひとりの男は、彼を真っ直ぐに見詰めたまま、なにも言わない。硬い表情で、ただ男の吐き出す煙草の煙の行方を追っているらしい。
「完全犯罪だと思いこんでいたんだろう? 実際、もう少しのところで警察も事故と断定するところだった。でも、俺の目はごまかせない」
「そうやな」
 硬い表情とは裏腹な、穏やかな声音だった。
 その落ち着いた声に逆上したかのように、糾弾している側の男は、勢いよく机を叩いた。
 バンッという大きな音。
「トリックは解った。こんなの、子供だましじゃねぇか。けど、動機が解らない。どうしてだ? なぜ、殺した?」
 大声を出したのは、英都大学の火村助教授。そして、その対面に立ち尽くしているのは、推理作家の有栖川有栖だった。
 アリスは、ただ黙って首を横に振った。
 殺人を否定しているのか、それともなにかほかのことをなのか。
 火村は、そんなアリスを睨みつける。視線で、焼き殺してしまいそうな目をして。
「彼は単なる隣人だった。それは、俺が一番よく知ってる事実だ。利害関係があったとは思えない。殺してなにか得になることがあったとも」
 そう言いながら、火村は部屋を歩き回る。じっとしているのが、耐え難い、というように。
「だが、警察の見解は違う。痴情のもつれ。短絡的かつ解り易い動機だ」
 アリスは目を伏せた。苛々と歩き回る火村を見ていられない、とでもいうのだろうか。
「俺にはその動機を覆すことが出来る。警察には知らせてない事実を告げれば、すぐにでも。けど、それをしてどうなる? おまえが、殺したって事実を消すことは出来ないんだ」
 火村はそう言って、なにもない空間をぐるりと見回した。まるで、そこにほかの聴衆がいるかのような仕草だった。
「そうや。事実は動機がなんであっても、変わらへんよ。なら、もうええやんか」
 バンッ。再び、火村が机を叩いた。
「俺が知りたいんだ。俺にはそれを知る権利があるだろう? 言えよ。ちゃんとわけを言って、俺を納得させてみろ」
 アリスは、強く机を叩いたせいで赤く腫れてしまった火村の両手に、自分の手を重ねた。なんとか少しでも、その痛みを和らげようとするように。
「納得したらどうなるの? そしたら、庇ってくれるとでも? でももう、喋ってしまったやん」
「俺が、本当のことを知りたいだけだ。それだけで、聞いちゃいけないのか?」
 火村は苦渋に満ちた表情で、言葉を吐き出した。
 アリスは、すっとその手を離し、急いで部屋を出て行った。
 そして、すぐにノックの音をさせて、ひと呼吸おいてから戻ってくる。手には、なにやら白い紙を握っている。
「監察医の回答が届きました。死体が密閉された高温の部屋で放置されていたなら、死亡推定時刻は大幅に変更する必要があるとのことです」
 火村は、その言葉に安堵の表情を見せ、どっかりとソファに座り込んだ。
「テイク13だぜ、アリス」
「ああ、お疲れさん。ようやく全部、つっかえないで言えたわ」
「まったく。10回目には、俺、台詞全部暗記しちまったぜ」
「せやな。俺も、ヒロインの役のほうは完璧やった」
「バカ。自分の台詞を覚えろってんだ」
「悪い」

 有栖川有栖原作のミステリが二時間ドラマになる。その、刑事1の役をアリスがもらったのだ。しかし、登場のシーンは、数回あるものの、台詞はひとつだけ。映画と違ってテレビドラマは、1シーンが長い。アリスの台詞の直前に、探偵役とその恋人で犯人である女性とのクライマックスシーンがある。つまりアリスは、自分の台詞をトチるとそのシーン全部撮りなおしという責任重大な役をふられてしまったのだ。
 しかたなく、アリスは遊びに来た火村を練習台にして、自分の台詞を練習することにした。
 しかし、やってみると、途中で笑ってしまったり、噛んでしまって台詞がつっかえたり、と思いのほか難しい。
 火村が思ったよりも、演技がうますぎるのも、アリスの誤算だった。迫真の演技は、かえって笑いを誘うのだ。

 そうしてくだんの二時間ドラマの放映日。
 火村になんどもつき合わせて練習したアリスのシーン。
 なんと、FAXの紙をアップで映すことで代用され、きれいにカットされていたのだった。
「なぁ、火村、なんであんなに練習したのに、使うてくれへんかったんやろな?」
「そりゃあおまえ、台詞を最後までつっかえないことにだけ必死で、思いっきり棒読みだったからだろ?」
 落胆しているアリスに、火村の返事はにべもない。
「なんや、君。それが、解ってたんやったら、さきに教えてくれてもええやんか!」
「冗談じゃねぇぞ。そんなこと言ったら、また何十回も同じ台詞言わされる羽目になるだろ」
 そう言いながら、苦行を思い出したのか、火村は自分の両手に視線を落とした。
「ああ、本気で机叩いたりしとったから、手も痛かったんやろ。そら、悪かったと思ってるわ」
 アリスは殊勝な台詞を、肩を震わせながら言った。火村のなりきりまくりの演技を思い出し、笑いをこらえているのだ。
「最初は叩くフリだけだっただろ。なのに、あんまりおまえが何度もNGだから、段々力がはいっちまったんだよ!」
「そうなんや。そこまでしてもらっておいてカットされたから、火村に悪かったて、思ったんや。けど、俺の演技が棒読みやって気がついてて言わんかった火村も同罪ってことで、もう、気にせんことにするわ」
 アリスはそう言って、晴れやかに笑った。
「また、テレビの話きたら、つきおうてな、火村」
「もう、二度とごめんだ!」
 この出来事がどちらにとって喜劇的であったのか。敢えて言及はしない。

 

《おしまい》1999.11.15
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