すとれす

 こんな夢を見た。
 舞台を見ている。セットもなければ、派手なライティング装置もない、シンプルなステージ上で、若い役者が一人芝居をしているところだ。
 私の斜め後ろにの客席にいる子供が、きーきー、わおーんわおーんと意味不明な奇声を発して、役者の声をかき消してしまう。振り返って、隣に座って子供の手を握っているおとなに鋭い視線で、出ていけと訴えかけてみたが、見えないフリをされてしまった。
 そうしているうちにも子供の声の大きさは、エスカレートしていく。周囲の者たちの注目を、舞台から引き剥がして自分に向けようとでもしているかのようだ。
 ストレスという名前の毒が、私の身のうちから滴り落ちる。真っ黒く濁ったそれを、私はかき集めてチョコレートの形に整え銀紙にくるむ。そしてこれを、いつまでもわめき続ける子供に手渡した。
 子供は黒目勝ちの瞳を見開いてこのチョコレートをしっかり握り締め、じっと見詰めた。まだ幼いその子には、もしかしたら包装紙を破くという知恵さえないのかも知れない。不思議そうな顔で、ためつすがめつしているばかりだ。隣に座っているよく見たら子供と同じまあるい顔をしたおとなは、知らぬ顔をしたままだ。視線をちょっとだけこちらに動かしておきながら、お礼を言う気も、銀紙から出して食べさせてやる気もないらしい。
 どうやら、これで永遠に黙らせることには失敗したらしいが、チョコレートを観察している間は口を閉じていてもらえそうだ。そのあとの芝居は、静かに楽しむことが出来た。
 役者は拍手喝采の観客に、深々と頭を下げる。観客の何人かは、花束を持って舞台に駆け寄った。パニックになるほどの数ではないせいだろうか。会場整理の人間は、それを多めにみてくれているようだ。
 私は耳を澄まして、後ろの席の子供の声を聴き取ろうとしてみる。けれど、場内の歓声のほうが大きく、子供の気配は感じられない。
 もしかしたら、舞台に集中している間に、子供は銀紙を破き、毒の詰まったチョコレートを口にしたのではないだろうか? 親らしき同伴者は、まだそれに気がついていないのか? もし、気づいたら、大騒ぎになるだろうか? 警察が来て、親か誰かが私の行動を報告して、子供の胃からは私の与えた毒が発見されるだろうか?
 だが、どこにでもあるありふれたストレスだ。それが、私のものであるとは、誰にも見分けることが出来ないに違いない。なんて素敵な完全犯罪だろう。
 私は、わくわくしながら振り返った。
 子供はまだチョコレートを握り締めたままだった。そして、いきなり立ち上がると、舞台に駆け寄って、それを役者に手渡した。
 笑顔で受け取った役者は、子供の頭をなでたあとで、チョコレートをがぶりと齧った。