バレーボールが大好きだった

 中学生時代の話。
今にして思うと、こんなに協調性に欠ける人間には、とことん向いてなかったよ。なによりチームプレーが大事なスポーツだもの。それでもバレー部だった。バレーボールのためだけに、学校通ってたようなもんだった。とくに、一年生のころ。
 中学一年生の私は、クラスでとても浮いていた。孤立していたとも言える。今でいうところのイジメにあってたのかも知れない。
 イジメがある場合に、イジメられてる子にも問題がある。とかいう発言に、ものすごく怒る人がいるじゃない。
 今の実態は知らないし、そういう子たちがどうなのか、私にはなんとも言えない。
 だけど、これだけは言える。一般論ではなくて、自分のこと。あの頃、私がイジメられてたんだとしたら、それは私に問題があったんだよね。嫌なガキだったんだ。群れるのなんか格好悪いとか思って、他人と合わせようととかまったく考えない傍若無人ぶりでさ。孤立すべくしてしたという感じ。アイドルに熱狂するクラスメイトを冷めた目で見下げてた。
 そういう奴だったので、あまりいじめられているという自覚はなかった。教室にいるのは苦痛でしょうがなかったし、親しく喋って楽しい友人がクラスには一人もいなかったせいで、毎日暗かったけど、学校行きたくないとは思わなかった。放課後の部活が楽しみだったから。バレー部のなかには、気の合う友人もいたし。
 ジュブナイルのSF小説と少女マンガ。そして、バレーボール。それだけで日々は成り立っていた。なんて、単純で解りやすい中学生。
 でも、この攻撃的な性格はセッターやピンチサーバーには向かないんだよね。絶対にスタメン。しかも、アタッカーじゃないと嫌だった。なのに、身長は、160 cmしかない。中一のころにはもう今と同じくらいで、そこで止まってしまった。船橋市で3位くらいのチームの副キャプテン(この副がついてるところが、私の人生物語ってる気がするわ)で、高校に入ってからもバレー部に勧誘されたんだけど、なにせ高校のネットというのは中学よりも高いわけで、 160cmしかない私にはジャンプしても手のひらがようやく出るくらい。お話にならない。
 そんなわけで、バレー部を一週間で退部して、文芸同好会に入ったのだった。
 私の身長があと20cmほど高かったら、今ここでこうしてパソコンに向かっていたりもしなかったな。だってほら、今はワールドカップで忙しいだろうし。
 なんてね。もしももっと背が伸びてたとして、高校でバレーボール続けてたとしたって、でもって万が一にもすっげー強くなってたとしたって、もう引退してる歳だよ、私。(あれ? でも日本人じゃなければ、現役のひともっと年上でもいるかも)
 だいたい、バレーボール続けられなかったのは、身長だけのせいじゃなかった。当時は、全部身長が伸びなかったせいにしてたけど、本当は違うって知ってた。私、運動神経が人並みにあるかどうか……。もしかして、ないんじゃないかな。体育は好きだったし、球技なんかそれなりにこなしてたし、短距離だったら速いほうだと思い込んでたけどね。それは、周囲のレベルがいまいちだったせいでの勘違い。
 気合と負けん気だけでごまかせる範囲では、それなりに頑張ったもんだと今なら思う。
 でも、気合や負けん気だけでは補いきれないセンスのなさとか、根性の足りなさとかね。そういうのって、やっぱりあるんだよね。
 それが解っただけでも、バレーボールやってて良かったんだって今なら思える。大好きでやってたことなのに、気持ちに運動神経がついていかない哀しさとかね。そういうの解ったしね。はしかやおたふく風邪だって、小さい頃に罹ったほうが、より軽い症状ですむでしょ。
 挫折も早いうちに知っとくほうが、やっぱりダメージ小さいよ。いや、大きさじゃないかな。耐性が出来やすいってことかも。
 当時はバレーボールを続けられなかったことを『挫折』だなんて、認めたくもなかったんだけどね。
 そんなわけで、今私は、いくら大好きでも、どんなに頑張っても、どうにもならんことがある、と知りながら小説を書いたりしてる。
 一時は、大好きで片思いだったバレーボールに失恋したような気持ちで、他人がやってるのを見るのもつらかったけど、今はもう全然そんなことなくなった。自分ではもうしないけど、見るのはとても楽しい。歳をとるってこういうこと? なんて思ったりする。
 それで、ワールドカップをテレビのまえで、拳振り上げつつ観戦してたら、現役時代を思い出したんだった。
 スパイク決定率はいまいちだけど、背番号8番。熊前選手をとくに、応援してる。すごく格好いいと思う。あのスパイクの美しいフォームにうっとりする。うまい人のプレイを見るのは、気持ちがいい。
 ニッポン チャチャチャ!!

1999.11.5

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