『いい女』ってどんなの?

 

 高校卒業後、最初に入った会社は浅草橋にある。某ライターとハンドバッグのメーカーだった。
 本当は出版関係の会社に入りたかったんだけど、高卒で入れてくれる会社なんてなかった。いや、実はうちの学校にだって、一社だけ、それらしきところから求人がきてた。でも、そこはすごい倍率で、面接には行ったものの、あっさり落とされた。
 だから、なんかもうあとはどこでもいいやって感じだった。毎年うちの学校から誰かしら入社してる会社だから、ここだったら今からでも受ければ落ちないから。そんなことを進路指導の先生が言うもんだから、もう面倒くさいし、いいや、そこで、ってそんな気持ちだった。
 そして、言われたとおり、そこは面接と筆記試験があったけど、あっさりと入社内定。バブルが膨らみ始めた時代の話だ。
浅草橋駅から徒歩3分の自社ビルは9階建てで、昇りは3階以上うえにあがるときだけエレベーターの使用を許されているが、下りはたとえ9階から降りるのでも階段を使うようにという徹底した節約主義の会社で、万一ふたつうえの階に昇るのにエレベーターの使用を総務部長あたりに発見されるとひどく厳しく注意された。そのせいで、たとえば2階から4階に昇るのにエレベーターに乗ってしまい、途中の3階で総務部長が乗り込んできた場合には、すかさず5階を押して、4階は押し間違いってことにして、用もないのに5階まで昇ってから、階段で1階分降りる、なんてことまでした。(なんで1階から乗ってたことにしなかったかって? それは、私の所属していた部署の事務所が2階だったから)
 そして、給料日や賞与のあとで社長や重役に出くわしたら、いちいちお礼を言わなければいけない決まりがあった。労働した分の対価だ。当然の権利だ。なんて理論は通用しなかったのだ。そこでは。社内で会ったら立ち止まって最敬礼。社長の外出時に出入り口で行き当たったら「いってらっしゃいませ」と頭を下げて車が見えなくなるまで見送らなければならない。
 そんな驚くような会社のなかで、総務の派手なお姉ちゃんは営業部のおじさんと不倫してた。
 不倫。それは、入社するまでは、テレビドラマや小説のなかだけでのお話だと思っていた。
 でも、実際にいるもんなんだなぁ。なんて、見ていたら、そのうち自分の部署の同僚と同期入社の女の子も不倫。彼は奥さんと別れて同期の彼女と再婚した。
 そんな状況下にあって、同じ部署の上司にすごく素敵な人がいて、私はずっとその人に憧れていた。
 彼は、一回りも年上で、奥さんも子供もいたけど、優秀な営業マンで、無茶苦茶格好良かった。
 私の場合、不倫なんてもんじゃない。なんせ、まったく相手にされてなかったんだから。同じ部署ってことで仲良くしてくれてはいたけど、妹にも見られてなかっただろうね。ガキで。
 私は、営業事務という名前の雑用係で、伝票のファイリングや電話番、お茶汲みなどが主な仕事だった。一通り覚えてしまえば、楽な仕事で、クレームなんかも最初はびびったけど、慣れればどうってことなかった。電話でどんなに怒鳴られても、痛くも痒くもないもんね。まぁ、たまに耳が痛いほどの大音量でがなる奴もいたけどさ。
 退屈で、一日が長くて、投げやりだった。
 でも、みんな優しかったし、仕事も楽だったから、ずるずると4年と10ヶ月もいてしまった。
 しかし、いくらみんながよくしてくれて居心地が良くても、それが限界だった。
 親しくしていた先輩社員のコネで、会計事務所で働くことになり、退職を決意した。
 後輩は、私のために同僚の写真を撮りまくり、本人のコメントを書いたメモと並べてアルバムに貼り、プレゼントしてくれた。
 そのなかの、私が憧れていた人のコメントである。
「君は頭の回転が速くて、時々他人がまどろっこしくなってしまうことがあるのかも知れないけれど、もう少し優しく、いい女になってください」
 私はもらった言葉を暗誦してしまうくらいその人が大好きだったので、一緒に働いている当時、とても優しく接していたつもりだった。だけど、彼のいう優しさは、そういうもんじゃなくて、誰にでも分け隔てなく優しくしろよってことだったのかも知れない。ならば、それは仕方ない。でもさ。いい女ってなに? そこまであからさまにいい女じゃないって言われちゃう私って、どんな女なのよ?
 それから約10年経った。
 未だに、私には解らない。『いい女』ってどういうの?
 10年かかって解らないもんは、もう一生解らないような気がする。だいたい、このさき『女』を売り物にしてもしょうがないじゃん。
この際だから『いい人』じゃ駄目かな? 『いい加減』なら自信あるんだけどな。

 (1999.11.6)

 

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