父と家族です。(病院にて)
昭和4年生まれ。69歳のときです。
家では、母と私の妻と姉が交代で看護しています。
ほとんど動くこともできず、受け答えは瞬きでしています。
私と父
パーキンソン病、父が病気になるまえは関心がない病気でした。
老人性痴呆症などのボケによる病気だと思っていました。
父は、「俺の目の黒いうちは仕事を続けるぞ。動けなくなったら俺の死ぬときだ。」と口癖のように言っていました。その父が、まさかそのような病気なるとは!!本当に信じられなかった。
仕事が趣味のような父が、まさかボケるとは!!
しかし、違ったのでした。原因も、治療法も分からない神経の病気、体中の筋肉が動かなくなる病気だったのです。
最近、いろいろな所で耳にするパーキンソン病。
モハメッド・アリや、あのマイケル・J・フォックスなどまだまだ若い人にも病気で苦しんでいる人がいます。
ほとんど動けなくなった父を見ていると「動けなくなったら死ぬときだ」と言っていた父の言葉が、頭に浮かびます。本当につらいだろう。しかし、どんな状態になっても生きていてくれることが、私たち家族の力になっていると思います。
介護している母、姉、そして私の妻の大変さ、夜も2時間おきに見に行かなければいけません。でも少しでも長生きしてほしい、それが私たち家族の気持ちです。
現在、同じように病人を介護なさっている方々、本当に多いと思います。介護を必要としている人たちの人数に対して、ケア付きのホームの少なさ、また金額の高さなど、いろいろな障害があると思います。家族で介護していくのは本当につらいと思います。
私たちも含め、そんな方々同士の交流の場、相談、もしくは愚痴の言い合いの場でも良いと思うんです。普段は口に出せないようなことでも、同じような立場の人に聞いてもらうことにより、安心、そして力になるんではないでしょうか?
そんな場所を作っていきたいと思います。
作者より
父の病気暦
父が発病してから現在までを、簡単に表にしてみました。詳しい内容は日記の方をご覧ください。
1992年 | 首の痛み、手の痺れを訴える。 近所の病院へ行き、首の治療に通う。 |
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1993年 | 2月 | 首の治療に通うが、変化なし。 話す言葉がおかしい。ろれつが回らなくなる。 |
3月 | 言葉、体の動作がおかしくなり、聖マリアンナ医科大へ行き、診察。 脳に何か異常があるかもしれないと、診断。入院が決まる。 |
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4月 | 入院。検査の結果、パーキンソン病と診断。詳しい検査、治療に入る。 (その間、家族もはじめて聞くパーキンソン病を本などで調べる) |
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6月 | ドーパミンと言う薬の効きを確かめながら、ほかに異常がないかの検査をする | |
末日 | 退院。自宅療養に入る。 | |
7月 | 仕事に戻る。しかし、車の運転は怖いため、社内勤務になる。 | |
仕事を続けているが、体の動きが鈍い。良く、手や指を怪我したり、転びそうになったりする。 | ||
1994年 | 7月 | 仕事を引退。 隠居生活に入る。 |
1995年 | 8月 | 風邪のため、10日間入院。 元気なときより体力がないため、すぐに肺炎になる。 |
1996年 | 2月 | 風邪から気管支炎を起こし入院。尿を出す力がなくなり、カテーテルを挿入し、排尿するように進められる。 |
3月 | 熱も収まり、カテーテルの使い方を教わり退院。 (自分でカテーテルを挿入する。) |
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1997年 | 4月 | 風邪から肺炎を起こし、入院。 のどの機能が低下、タンを出すことが困難になる。 |
7月 | 吸引機を買い、使い方を教わり退院。しかし、ほとんど動けなくなってしまう。 | |
退院から20日目に、また熱が上がり入院。 人工鼻を付けた方が良いと言われ、のどの手術をする。 |
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なかなか熱が下がらず入院が長引く。 | ||
1998年 | 1月 | のどの機能がほとんどなくなり、栄養を取るための管を直接胃に入れる手術をする。 |
2月 | 訪問看護婦、および医師の手続きをし、退院。 (市立病院に変わる。) |
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2〜3ヶ月に一度、2週間ぐらい家族の休養と、父の検査、またカテーテルの交換のため入院。 (自宅療養中は、家族でエンシュア、たんの吸引、解熱剤の投与など施す) |
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1998年 | 12月 | 正月休中の病状の悪化・緊急、また家族の休養のため入院となる。 |
1999年 | 1月 | 11日、退院となる。入院中対したこともなくまた、検査の結果が良かったのでほっとした。 |
2月 | 熱が下がらないため、入院となる。検査の結果やはり肺炎を起こしていた。 | |
3月 | 病状の回復が見られない。先生も頭を悩ませている様だ。 | |
4月 | 病状の回復が見られず、また本人の「家へ帰りたい」という意思表示に、思いきって退院、自宅療養となる。 | |
5月 | 自宅に帰ってきたと言う安心感の為か病状の回復、話す事がわかるようになった。 | |
6月 | 熱がまた高くなり、再度検査入院となる。 | |
7月 | 病状が良くない。先生からの詳しい話がある。 | |
8月 | 16日、病状の悪化。呼吸がみだれ、血圧・体温の低下が見られる。 19日、静かに息を引き取る。 |
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病院で息を引き取った父、最後まで家に帰りたいと意思表示をしていたため、病院からいつもの様に家に連れてきて、自分のベットに寝かしてあげた。まるで笑っている様に見えた。 |