慟 哭

天羽

 

 尾行されている。
 遠くから向けられる温度のない視線を確かに感じて、当麻はさり気なく歩みの速度を上げた。
 どこからつけられていたのだろう。いつからなのだろう。
 思い当たる可能性は多すぎて、簡単には絞りこめない。
 ただ、ひどく胸がざわめいた。可能性を一つ一つ数え始める頭の片隅から、嫌な予感が膨れ上がっていく。こんな時、一番そうであって欲しくない予感が当たるのだ。えてして嫌な予感ほどよく的中する。世の中すべてそんなものだ。
 わかっていても、違っていてほしいと当麻は願った。
 往生際が悪くてもなんでも、まだ、いかにせん早すぎるから。もとより手中の時間はさほど長くないのに。
 顔から表情が消えていくのが、自分でわかった。
 確実に向けられている視線に苛立ち、そして僅かに怯えた。怯えは、視線の相手に対して感じているものでは無論ない。予想する依頼人であった場合に、端的に起こる事態と問題、そしてそれによって当麻の手から失われるもの。その予感に怯えたのだ。ありえないことではない。むしろ当然のように打ちそうな手だと思える。
 これ以上、何を奪おうというのか。
 僅かに許された時間すら、さらに削られねばならないのか。
 その刹那、押さえられないほどの怒りが込みあげた。殺意すら込めて、当麻は背後を振り返った。道端の物陰に揺れる薄地のコートの裾。商店街に続く道は、夕方という時間帯もあって人通りは多かったが、間違いなく視線はそこから発せられていた。
 詰め寄って殴り倒したいほどの怒り。
 締め上げても吐かせてやる。
 衝動のままに三歩戻ったところで、鈍い衝撃。
 急に踵を返した当麻をよけきれなかった通行人とぶつかっていた。
「きゃ、ごめんなさい」
「……いえ」
 声から察するに若い女性だったろうが、顔も見ないまま視線を伏せる。
 上り過ぎた血の気が、さらうように削がれていた。
 周囲が見えてきて、冷静な事実を突き付ける。相手に自分は知られている。当麻の行動は、すべて筒抜けになるのだ。乱暴な真似はとても得策ではない。少なくとも自身の手を汚すわけにはいかない。
 もどかしい。
 舌打ちして、当麻は再度踵を返した。
 今の行動で、当麻が気付いていることは相手にも伝わっただろう。泳がせるべきだっただろうか。冷えた頭で考えてみれば、今できることは逃げることぐらいしかないのだ。情けない現実から、目を逸らすわけにはいかない。果たしてどこまで知られているのか。盗聴器の確認も必要だろうか。こちらも探偵でもやとうべきか。自身ですべて動けない以上、手駒は欲しい。つらつらと思いついた事柄は、どれも酷く当麻の気分を重くさせた。
 当麻の楽園には何一つ持ち込みたくない。征士の耳にいれたくはなかった。それでも、話しておかなくてはいけないのだろう。否、当麻の予想通りなら、征士が既に知っているという可能性も高い。もしくは、同時であるという線も強い。もし自分が探偵ならば、同時につかせるだろう。特に征士は聡い。
 なにをどう考えても、隠したままでなどいられる筈もない。
 嫌な気分だった。
 己の存在自体が邪魔になる日がごく近いという事実を、鋭く喉元に突きつけられたようなものなのだ。
 そうなればもう、そばにいてできることすらなくなる。
 残酷だ、あまりにも。
 あと少しだけと、わずかな時間を望むことさえ、もうきっと許されない。
 体内を焼き尽くすほどの怒りに、目つきが鋭くとがるのを止められない。
 怒りを向ける先さえ、一つではないのに。
 もっと単純であったなら、もう少し楽だっただろうか。衝動のままに、あの男を殴り倒すほどの勢いが己にあったならば、もっと違う道も見えてくるのだろうか。
 征士のすべてを奪いつくすほどの覚悟が、結局足りないということなのだろうか。
 今まで、迷いながらもこれがベストだと思える選択をしてきたつもりだった。でも、間違っていたのだろうか?
 それでも、誘拐もどきに連れ去って、二人きりですごすなんてのは、違うと思うのだ。
 自分たちは、いま確かに地に足をつけ歩いてる。
 面倒なものすべてから逃げるのは、違う。そんな道を、征士は喜ばない。
 そんな選択を、迫りたくない。
 そんな姿は似合わない。
 誇り高い光輪の征士の選ぶ道ではない。
自分たちらしく生きながら共にいたいと願う。それが、どうしてこんなにも難しいのだろう。


 剣呑な目つきもそのままに、当麻の足は数ヶ月ぶりに自分のマンションへと向かっていた。
 このまま征士の部屋へは戻れない。
 戻れないという認識が、酷く心を重くさせる。絶望の近づく音を聞きながら、予感など外れればいいと諦めの悪いことをまだどこかで思っている。とりあえず、尾行相手がどんな繋がりの人間であれ、撒いておいた方がいい。簡単に寝床を教えてやる義理はない。
 ルートをいくつも脳裏に浮かべながら、当麻の目はますます険しいものへ変わっていく。
 最も多くの逃げ場があり、撒きやすそうなルートを選び、当麻は突然走り出した。
 足は遅い方ではない。
 尾行者の年齢はわからないが、若い男だとしても当麻の足についてくるのは簡単ではない。
 これも天空の力の残照のようなものかもしれなかったが。  
 わざと複雑な道を進む当麻と追いかけてくる男との距離は、徐々にひらいていった。
 そしていくつかの路地を抜け、夜は歩きたくないような少々物騒な裏道に辿りつく頃には、もう追ってくる気配は感じられなくなっていた。
 ふうっと大きく息を吐き出す。
 どっと疲れが出てきたようで、全身の力が抜けていく。
 怒りで気づかなかったが、多少緊張もあったのかもしれない。それも、不快ではあった。
 そうして思考に沈んでいて、気がつくのが遅れた。
 はっと当麻が顔を上げた時、既にガラの悪い高校生らしき男数人に囲まれていた。
 いつもだったら、囲ませる前に避けるか、相手になるか決めているのに。
 おそらく、掛けられた声にも気付かなかったのだろう。
 今は喧嘩なんてする気は更々ないのに、囲まれてしまった。
 ちっ。
 小さく舌打ちして当麻は投げやりに云った。 
「金なんてないよ」
 それはほんとう。
 なくなったマヨネーズを買いにきただけだったから、ポケットに千円入っているかどうか。
 到底奴らの遊ぶ金のタシにはなるまい。
「をいをい、そりゃあねーだろっ!」
「持ってない」
 がさがさと探ったポケットには小銭しかない。
「ほら、小銭しか持ってきてない。財布持ってきてないから」
 所持金六百三十円というのも、情けないか。
 そう自嘲気味に小さく笑ったのが癇にさわったらしい。
「なめやがって、このやろう!」
 大仰な動きで、高校生は当麻へと殴りかかってきた。
 思わず避けてしまったら、ますます顔を赤くして何やら叫んでいる。
 当麻は、顔色一つ変わっていないだろう。態度の変わらない彼の態度が、余計に苛だたせているとわかっていながら、当麻の表情はぴくりとも動かなかった。
 どうでもいいことだから。
 こんな輩が幾人絡んでこようとも、何も関係ないから。
 だいたい、全身が氷の中にいるような状態で、笑ったり脅えたりどうしてできるだろう。
 鬱陶しい。
 わずらわしい。
 だいたい、なんてタイミングの悪い奴等だろう。
 少し前だったら、当麻もばっちり戦闘モードに入っていたし、怒りでやる気マンマンだったっていうのに。
 今は、ひたすら面倒くさい。
 指一本だって自分のために動かす気にはなれなかった。
 それ以上口をきくのも面倒で、当麻は黙ったまま殴られた。それでも防衛本能が働くらしく、勢いを削いだり、ダメージの大きい場所への攻撃はずらすようにして避けていたけれども。それだけだった。自分から殴りかかる気はなかった。暫くしたら飽きるだろうと思い、少しばかりの時間が過ぎればすべて終わるだろうと思った。
 すべてが、どうでもよかった。
 ここに、大切なひとは誰もいないから。
 ふいに頬をナイフが掠めて、少し頭が働き始める。
 ああ、カオに傷を作ったら、征士に簡単にばれて心配をかけるかもしれない。カオはまずいな。ぼんやりと周囲を見れば、遠巻にこちらを見つめる人影がちらほら。
「……警察に電話したの?」
 遠くから微かな声。
 警察? それは困る。騒ぎは起こしたくないんだ。征士の耳に入ってしまう。
 自分を殴る連中は、それでもまだ立ち去ろうとはしない。こんな無抵抗な人間殴って楽しいんだろうか。僅かに疑問に思いながら、身を丸めるようにして蹴られていた当麻は、ゆらりと立ち上がった。
 ここから移動しないと、撒いた奴がしつこく探していて見つかってしまってもまずい。
 下手したら当麻の家にだって見張りがついている可能性もあるのだが。
「なんだ、まだ立てるのか」
 当たり前だ。これから帰るんだから。
 かなり殴られたというのに、何故かあまり痛みを感じない。身体の感覚まで、心ごと凍り付いてしまったみたいに。
 鈍い僅かな痛みよりは、むしろ傷のもつ熱だけがわかりやすく感じられた。
「失せろ」
「なんだと!」
 口々に煩い声。
「うるさい。俺は帰る」
 取り囲む輪を押し退けようとして、また殴りかかってきた男を当麻はあっさり避けた。
「しつこい。そろそろ警察来るぞ」
 それでもどこからか伸びてきた足を、無造作に回し蹴りで蹴飛ばし、前を塞ぐ二人を殴り倒して当麻は走りだした。
 予想しない急な反撃に怯んだらしい。日本語とも思えないような喚きが少し聞こえただけで、当麻はあっさりとその場を抜け出した。




 久しぶりの自宅だった。
 ここ暫くずっと征士と同居というか同棲状態だったから、荷物を取りに何度か来たのと、盆正月の帰省の時ぐらいにしか自宅は使っていなかった。このマンションは当麻の母親名義の物だったが、外国にいることの多い母親が戻ることなど殆どない現状から云っても、ほぼ当麻一人が好き勝手に使っている部屋といってよかった。
 人の住んでいない部屋は、どこかよそよそしい感じがする。
 硬質な空気の漂うリビングのフローリングの床に直に転がって、当麻は携帯電話をジーンズのポケットから取り出した。
 当麻のついでに蹴られていたに違いないのに、なんとか壊れないですんだらしい。
 青い空と黄色いひまわりの群れが鮮やかに映るスクリーン画面をぼんやり眺めながら、征士へどう連絡するか当麻は迷った。
 征士の部屋の電話は、盗聴されている可能性がある。携帯だって危ないかもしれない。
 時間は午後6時半を過ぎたところ。征士はまだ会社だろうか。
 征士が勤め人になって半年ほどが過ぎた。社会経験のため、となんとか家の方に言い繕って、東京で暮らし続ける理由にしたらしい。当麻の方は、忙しくなるような仕事は入れず、ヒモみたいに征士の部屋に居ついている。
 時折何か言いたげな顔をするものの、征士は正月の電話以降はもう、取り立てて言及してはこなかった。互いに、限られた時間であることは嫌というほどわかっていたから。あえて、黙っているのだろうと思い、邪魔になるまで居つくつもりではいた。
 それが、こんなに早いなんて。
 死刑執行人を見つけてしまったような気分だった。
 まだ、確証はないけれど、酷く不安だった。失いたくないから。失って生きていくことを、想像しただけでたまらないから。
 ただ自分の中のすべてであっては、征士にとって重荷になる。それはわかっているし、他にもなにか拠り所が必要だと、最近考えてはいる。
 探偵に調べられて、ろくでもないヒモがくっついているんじゃ、征士の立場がない。そんなことも思ってはいる。
 今だけはという言い訳は、免罪符にはならない。
 それでも――
 簡単に諦められるようなら、協調性皆無な自分が、他人と一緒に住んだりしない。一生ものの思いだと、識っているから。
 息が詰まる。
 見えないものばかりに、がんじがらめにされている。
 征士に束縛されるなら大歓迎なのに。
 浮かぶのは、苦い笑みばかりだ。埒の明かない考えを取り払うようにして、当麻は征士の携帯にメールを入れておくことにした。
 今夜当麻が自宅に戻っていること、変わったことがなければいいのだけれど周囲に気をつけて欲しいということ。
 具体的な言葉は出さないまま、注意を促す内容だ。征士にも尾行がついているなら、きっと気付いているだろうし、当麻が云いたいことも行動理由もわかるだろう。これから尾行されるのだとしてもこの程度の勧告で、征士には充分だろう。当麻への尾行が、征士には全く関係のないものだとしたら、何もおこらない。電話が盗聴されることもない。それが、一番有り難いわけだが。
 少し前ならば、当麻自身にも思い当たる節は多々あったのだが、今は意図的に隠遁生活を営んでいるから、当麻自身を探るための尾行の可能性は薄いように思えた。ヘッドハンティングも断り続けていたら、静かになってきていた。当麻にとっては、むしろそんな理由であればどれだけ楽であるかわからないのだが。ただ一つ、当麻の弱味を握るために、なんらかのハンデを探そうという悪意のもとに探られているのだとしたら、征士に迷惑をかけてしまう可能性はある。それでも、伊達家が動くことに比べたら、まだ対処のしようがある。
 伊達家の連中が、見合いしようとしない征士の理由や、彼の好みを探るべく身辺調査をさせる。それが、なにより厄介だ。傀儡にできるような結婚相手を押し付けようと、親類が争っている中では、征士の行動理由を探ろうとするのが至極当然のことであるのは理解できる。
 同居人が定職もない男であるというのは、どう考えても征士の体裁が悪い。ましてや征士自身に浮いた噂の一つもなければ、同居が同棲であることを疑われる可能性だってある。
 征士にとって、不利になるようなことはしたくない。そんな存在にも、なりたくない。
 なれない。大切だからこそ。
 身を引くことで、征士が幸せになれるわけではなくても、そばにいることで負担になるのも嫌だった。
 大切な想い一つ、護れないのか。
 天井がぐるぐると回りだして、当麻は視界からの情報を遮った。



「……当麻、大丈夫なのか? 当麻!」
 肩を揺さぶられて、目覚めた。
 知らないうちに眠ってしまっていたらしい。
「……征士?」
 寝起きの目に、電気の光が飛び込んでくる。
「どうしたんだ、この怪我は!」
 眩しいほどの光の中、怖いほどの剣幕で、征士は恐ろしく真剣な眼差しを当麻の全身へ向けてくる。
 靴の跡のついた汚れた服もそのままだったことを思い出し、当麻は迂闊な自分を内心で罵りながら上半身を起こした。
「深い傷はないのか? 見せてみろ」
「うわ。征士さんってば積極的!」
「当麻!」
 ふざけながらポロシャツを捲ろうとした征士の腕を掴んだものの、厳しい表情で睨まれて当麻は渋々負ったばかりの傷を見せた。
 打撲の跡やらナイフの掠めた跡の、数ばかり多い生傷に征士の目が一瞬大きく開かれ、鋭くすがめられた。
「なんで、なんでこんな傷をつけてくるんだ!」
「……な、なんでって言われても。その、たくさんいたしさ、ハハハ」
 ごまかそうと笑った当麻に、詰め寄るように征士は畳みかける。
「どこでだ? 何人いた? 落とし前をつけてやる」
 ワントーン低い、凄味を帯びた征士の声。
 その背に紅蓮の炎が見えた。
 峻厳で苛烈な光。
 久しく目にしていなかった征士の本気の怒りがそこにあった。
 鋭い紫水晶に、当麻は状況も忘れて見惚れていた。
「当麻? 傷が痛むのか?」
「いや、たいしたことないよ、だから」
 竹刀を持ち出そうとする征士の姿に、当麻は慌てて駆け寄った。
「あ、おい。もういいんだって」
「よくない。なにがいいんだ? 許せるわけないだろうが!」
 ふざけるな、と云わんばかりの激しい表情が、珍しくも綺麗だった。研ぎ澄まされた刃を思わせる凛とした鋭さは、征士の滅多に見せない攻撃性を伴って酷く魅力的だった。
「あ、なんか嬉しいかも」
 それがすべて、当麻を思う気持ちから引き出されたものであるというのが、嬉しかった。
「なにが嬉しい? 私は頭が沸騰しそうだ!」
「いや、とにかく相手素人だし、お前が竹刀持ってくような奴等じゃないよ」
「刃物を持っているのだろう? いや待て素人? それでなんでお前が怪我を負うんだ、おかしいではないか」
「その、殴り返すのが面倒で……」
「なんだと、無抵抗のお前を殴ったのか?」
 征士の綺麗なラインを描く眉が、ぴんとつり上がる。
「アー、だから……」
 言いたくもなかったが、このまま飛び出されてはまずい。
 当麻は渋々掻い摘んで事情を説明する。
 ただ当麻のためだけに、こんなにも激しく怒りを露にした征士の姿に、なんだか胸がいっぱいになっていた。
「でも、うれしいなー。なんか俺ってば愛されちゃってる?」
「当たり前だ。お前の怪我を心配するのは当然だ。逆の立場で考えてみろ、莫迦者。こんな傷をつけてきて!」
 咎めるように叱咤して、征士が背中の傷をなぞった。
「心配させたのは悪かったよ」
「半殺しにしてやろうと思った」
 低い声に、本気が滲む。
 どきりとした。殺気の籠る声。
 くちびるが、背の傷に触れる。生暖かい感触に、ぞくぞくと走る快。
「……ぁ」
「痛むか?」
 裏のない声に、首を振って当麻は低く色を滲ませて囁いた。
「感じる」
「っ」
 困った顔で固まった征士に、薄く笑って口づける。
「会社から直行?」
「そうだ。お前のメールを見てきた」
 さっと、その瞳が翳る。征士は、それ以上何も聞かない。
 それが、なによりも雄弁な答えだった。
「いつから?」
「……一昨日ぐらいからだ」
「なんで云わない?」
「私だけかと思ったのだ。おいおい話そうとは思っていた」
 僅かに気まずげに、視線が伏せられる。
 その頬に、そっと触れた。
「いいよ、しばらく俺こっちにいるからさ」
「……私は別にかまわん。……だが、うちにいてはお前まで気詰まりだな」
「ん〜、男に覗かれてるかも、ってのはイタダケナイよなぁ。ま、ほとぼり冷めるまで離れてるよ」
 征士の答えも聞かず、引き寄せて口づけた。
 すぐ近くのソファーに体を預けるようにして、倒れこむ。
「当麻、」
「珍しく瞬間湯沸かし機みたいに怒ったんだ。簡単に興奮さめないんじゃない?」
 深く口づけを交わしながら、当麻の指先は遠慮なく征士が触れられたくないだろう場所を探り当てる。
「っ待て。そんな怪我をしていてなにを……」
「深い傷ないだろ。あんなに煽るようなこと言って何言ってんだよ、今更」
「……お前を煽った覚えはないが?」
「ったく天然め。脱がせといてそれないだろ。だいたいここ以外じゃゆっくりやれないしさ」
「……当麻」
 負い目を突くような、卑怯な言い方だった。
 ああ、傷つけたな……。
 責めるつもりはないのに、口は滑っていた。
「……ごめん。つきあってよ」
 これもずるい言い方だったかもしれない。
 そうは思ったけれど、このまま何を話してもろくなことにはならない気がした。逃げたいだけかもしれないと頭の片隅で思いながらも、今のうちにしておきたいと思うのも本当のところだった。
 ひたひたと押し寄せる焦燥感を、ひとときでも忘れたくて、三度その唇に触れた。
 征士は色々な感情の入り混じった複雑な表情のまま、それでも口づけを避けることはしなかった。肌に直接触れさせた指先も、拒否されないのをいいことに好きに滑らせる。
 動かすたびに鈍く軋む腕の傷跡へ、征士が優しい口づけをくれる。切なげな紫の瞳が、バカと云いながら、傷を惜しむように揺れた。
 こんなにも、大切に思われている。
 胸がいっぱいになるほど、暖かなものを与えられている。
 互いに触れて、触れられて、こうして征士のことだけを考えていられる時間は、一日の中では酷く短い。
 ほんとうに、この時間を失っても、生きていけるのか。
 残酷なまでの確かさで、自身へその思いが向けられているとわかってなお、どうしてそれを捨てられるだろう。
 それでも。
 それでも、すべてを奪えないなら。
 一緒に居てはいけないのだ。
 どうしたって、征士に家は捨てさせられないから。
 それで哀しむ征士を、わかっているから。
 きっと、これ以上は、邪魔になるだけ。
 どんなにこの手を、離したくなくても。
 征士のためを、思うなら――
 近くに住み続けていては、きっと離れられない。未練がどうしたって残る。
 だから、遠くへ離れなければならない。
 痛い。
 殴られても蹴られても、痛覚が死んだようにおぼろな感覚しかなかったのに。
 今、こんなにも、全身が突き抜けるように痛かった。
 声もなく、身体が慟哭している。
 涙は出ない。
 それでも、痛かった。
 痛みで、購えるならどれほど痛くてもかまわないのに。



 触れた唇は、暖かかった。
 心の中の氷を、いまだけでも溶かしてほしいと願いながら、当麻は笑ってみせた。
                              

  

ENDE

初出 2003.5発行「慟 哭」

 

 この辺は、ほんとに「青の行方」に繋がっていくための話の一つ、という感じなので、これだけだと暗くて申し訳ないです。できれば「青の行方」を合わせて読んでやって下さいって感じです(^^;) 
 でも、個人的に萌えポイントは色々ありました(笑)>それがマイナーだから! 相変わらず征当のようだけど一応当征です(笑)。本人も忘れていましたが、これ書いてた時は、征当にすることも考えていたようで、テキストファイルには愉快な会話の断片がいくつもありました。

 ↓こんなの(以下、征当OKな方のみ反転して下さい。嫌な気分になっても責任をもてませんので・笑)

 

「見せてみろ」
「どうせなら、征士に傷つけてもらえばよかった」
「馬鹿なことを」
「Mじゃないけどさ、お前がするかと思うとなんだかなんでもどきどきする。イイ気がしない?」
「……」
「照れちゃってかーわいい」
「当麻……だいたい誰のせいで私がこんなに憤っていると、」
「俺だろ。アドレナリン分泌させた責任はとるって、」

「たまにはいじめてよ。結構その気じゃないか、なぁ?」
 滑るように直に肌に潜り込んできた指先に、征士はくと息を詰めた。
「当麻!」
「そんなに嫌?」
「嫌ではないが、」
「怪我人とするのはポリシーに反するとかって理由だけなら、聞かない。」



 羽柴さんの誘い受、みたいな感じ?をちょこっと書きかけて、さすがにマズイかと思って修正して上の話ができましたが、やっぱり今読んでも征士さんが受には見えない(笑)。へたれ当麻×カッコイイ征士という、基本スタンスそのままでした(笑)。いやーリバ好きを思いっきり主張してましたね、これは(^^;) 

 2006.6.9 UP

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