蒼き夢のささやき

By 天羽ひかり  

 透き通った藍碧の瞳
 美しく蒼き翼、それと同色の髪
 それは、人ならざる気配を纏う天使


 空に溶けてゆきそうに、
 蒼く、どこまでも蒼く、
 その翼は在る


 ゆったりと、ひろがる翼が、
 風の望むままに、舞いあがる


 その風すらを、支配下において
 彼は、彼の自由を、満喫する
 そして、 唯、一人。彼を見ることのかなう人間
 美しい容姿と心を持つ、その人に会うために
 彼は、空間を飛翔する
 その蒼き翼で――


ACT・1  蒼の天使

 12月24日、午前7時。
 極々自然に、その存在は、現れた。
 ベランダは、彼だけの玄関。地上15メートルの高さなど、無いかのように。
 ふわりと、音もなく舞い降りる。それと同時に、背を覆う翼は消える。けれど、普通の人間には、翼有る彼の姿を見ることは叶わない。そう、たった一人を除いては……。
「当麻?」
 朝のコーヒーを飲んでいた征士は、一部屋挟んだ向こうにあるベランダから気配を、逸早く察知した。間を置かずにベランダへと向かう。
「珍しいな。お前が、こんな朝早くに来るとは」
 窓を開けて、征士が僅かに微笑む。吐き出された息が、白い。
 いつも当麻の訪れは、夜が多い。朝に姿を現したことなど、数える程しかなかった。
「今日一日、開いてるか?」
 開けられた窓から即座に入ろうとはせずに、当麻は低く問い掛けた。
「ああ、今日は開いているぞ」
「そうか。丁度良かった」
「何がだ?」
「ちょっとね」
 征士が、当麻に部屋の中に入るように指図しながら疑問を投げ掛ける。明確に答えるのを避け、当麻は部屋の中へ足を踏み入れた。
 当麻が、こんなふうに征士の部屋に訪れるようになって、9ヶ月程が過ぎようとしている。初めて出会ったのは、3月のことで、僅かな期間に、彼らは昔からの友達であったかのように、親しくなることができていた。
 当麻の訪問は、それほど頻繁なわけではない。けれど、今となっては、誰よりも親しい存在であるような気が、征士にはしていた。大学の友人達にも高校の友人達にもないものが、当麻にはある。それは、彼が天使であるということには全く関係の無い部分であって。征士には、それが何より貴重なものであるように思えていた。
「珈琲でよいか?」
 当然のように居間のソファーを占拠した当麻を横目に、征士はキッチンへ向かう。
「ああ」
 当麻は眠そうにソファーで一つ大きく欠伸をしてから、無造作にテレビを付けた。
「当麻、」
 すぐに戻ってきた征士が、コーヒーカップを手渡す。
「ありがとう、すまんな」
「いや、少し多めに淹れてあったのでな。丁度良かったようだ」
 そう云って当麻の隣に座ると、征士はテレビへ視線を移した。
 テレビは、ニュースの中で、街の様子を映し出している。大きく映し出されたもみの木を見て、征士は思い出したように呟いた。
「そうか、今日はクリスマス・イブなのだな」
「そういうこと」
 湯気の立ち上ぼる熱いコーヒーに口を付けながら、当麻は静かに頷いた。
「なるほど、それで人間界に来たのだな」
 一人で勝手に納得した様子の征士に、当麻は少々不安そうな瞳を向けた。
「なるほどって、何のことだ?」
「クリスマスなど、天使の範疇の事なのだろう?」
「関係ないとは云わんが、俺が来たのは仕事じゃないぜ」
「そうなのか?」
 不思議そうな紫水晶の瞳に、当麻は苦笑する。
「クリスマスも覚えていない征士には、訳もなく騒ぐ奴等の事なんて、理解し難いよな」
「……そうかもしれんな」
 征士は、不本意そうに呟く。
「まぁ、何でもいい。開いてるんなら、今夜は、俺に付き合ってよ」
「ああ、それは構わん」
「昼間は、ここに居候させてね。俺、寝不足でさ」
 云うなり再び大きく欠伸する。
「コーヒーを飲んでいて、その様子では、余程、眠っていないな?」
「ここんとこ、何か忙しくてな。寝不足続きなんだよ」
「仕事は、終わっているのか?」
「取り敢えず、今有る仕事は全て片付けて、逃げるようにこっちに来たんだ。天界に居れば、また色々と問題が持ち込まれるだろうし。俺が居なきゃ、居ないで、何とかするんだから、いいさ」
 半年程前に、天界の指導者となった当麻は、うんざりとでも云いたげにそう呟いた。
「お前の責任下の事だ。仕方なかろう?」
 ふっと笑った征士に、当麻は苦い表情で黙り込んだ。
「……おやすみ」
 放り投げるように云って、当麻は己の身体を隣に座る征士の方に倒した。
 ぱたり、と音がしそうな勢いで倒れ掛けたが、征士の膝に落ちる前にふわりと、勢いが和らぐ。
 一応気遣いながら己の膝の上に落ちてきた頭を、避ける気もしなくて、征士は苦笑しつつそのままに居た。
「おや? 逃げられるかと思ったんだが。俺の枕になってくれるの?」
「生憎と、私は忙しくてな」
 冗談混じりの当麻の言葉に、少しだけ意地の悪い笑みが向けられる。
「逃がしたくないなぁ」
 当麻が、両手を征士の腰に回して、抱え込む仕草を見せる。けれど、その手に力は入っておらず、征士の動きを束縛するようなことはない。
「これが、指導者とは。天界には余程、人材がいないのだな」
 大仰に溜息を吐いて見せた征士に、当麻は言葉を詰まらせることもなく返した。
「そ。人手不足なのさ、天界は。お前、来ない? 翼、やるぜ?」
 真面目な表情をして膝の上から見上げてくる瞳に、心底呆れて、征士は肩を落とした。
「……まぁ、確かに翼がもらえるものなら、一日だけでも付けてみたい気はするが」
 当麻の言葉に天使になった自分の姿を想像して、征士は苦笑を漏らした。
「俺の翼、レンタルする? 俺の翼は貴重だぜ? 世界で唯、一つだからな」
 揶揄うような藍碧の瞳。何処までが冗談なのか判らないくらいの調子の当麻に笑い掛けながら征士は、彼の頭をソファーの上に置きながら立ち上がった。
「私に翼を貸してしまったら、お前はどうするのだ?」
 するりと腕から抜けた征士を、名残惜しそうに見つめて、当麻はそのままソファーに埋もれる。
「翼がなくても、俺は動ける。不自由はないよ」
 くすりと笑って、征士を見上げた瞳は、やけに綺麗だった。
「そうなのか?」
「ああ」
 そう静かに頷いて、当麻はそのまま瞳を閉じた。
 ソファーは、当麻専用の寝床になっている。そこで、ぐっすり眠りについてしまった当麻に、征士は毛布を掛けてやった。



ACT・2  蒼空間

 征士は、当麻の寝ている間に細々とした用事を片付け、一息ついた頃に、漸く当麻は目を覚した。いつもながらのタイミングの良さに、征士は苦笑した。
 当麻の訪問は、頻繁なわけではないのだが、いつも何故か、とても良いタイミングで、彼は現れる。征士が、本当に忙しい時などには姿を見せない。どちらかというと、何か悩んで気のはれない時や、真夜中に一人で起きている時、ふいに部屋の空間を感じてしまうような、そんな時に、彼はふらりと姿を現す。
 ふと、当麻のことを考えたその瞬間に現れた時などは、天界から様子を見ていたのではないかと、思ってしまったものだ。当麻に尋ねたところ、『気で判るんだよ、なんとなくな』と、軽く笑ってそう云ったのだった。このタイミングの良さは、やはり、天使ゆえのことなのか、とぼんやりと思いながら征士は、当麻に声を掛けた。
「起きたか?」
 上半身を起こして、ソファーの背凭れに深く寄り掛かった当麻のその蒼い髪が、さらさらとソファーに掛かっていく。征士の問い掛けに、何処か惚けたままの当麻は、唯、片手をひらひらと振って見せた。
 当麻のテーブルの前に緑茶を置いた征士に、当麻は礼を云って、身をしっかり起こす。
「あー、よく寝た。今は、……2時か」
 背中の向こうにある時計を振り返って、当麻はぽつりと呟いた。
「何か、食べるか?」
「ああ。そうだな」
 天使といえども、肉体を纏っていれば、睡眠時間も、栄養も必要なのである。人の姿をとるために力を使っているせいか、当麻はよく食べる。
 征士が、当麻の寝ている間に買ってきておいたサンドイッチを出すと、彼はそれをすぐに胃袋の中に収めてしまった。背が高いわりに、どうみてもそれ程体重があるようには思えない当麻の身体を見ると、人は彼の大食いさ加減に驚くのである。征士も出会った当初こそそのことに驚いたものの、今となっては判っていることとして、当麻には多めの食事を用意するようにしていたのだった。


 それからも当麻は、のんびりとソファーに凭れて、お茶を飲み、征士と話し、テレビを眺め……。
 それは、いつものように流れる、安らかな時間。他の誰と居る時よりも、落ち着いてしまう。その訳など判らない。ただ、穏やかな空間は、何よりも彼らの精神を安らがせ、和ませる。
「全く、天界の指導者が、このような所で、油を売っていてよいのか?」
 ふいに、あまりにのんびりとした当麻を揶揄うように、征士が笑い掛けた。
「いいんだよ。俺はサンタクロースになった覚えはないぜ?」
 当麻は、しらっとした顔で返す。
「全く関係ないというわけでもないのだろう?」
「いいの、いいの。真面目かつ、優秀な部下達が、いるからね」
 軽く片目を閉じて、当麻は笑う。
「やはりお前は、随分と不真面目な指導者だな」
 本気ではない征士の言葉に、当麻は大仰に首を振って見せた。
「とーんでもない。結構これでも真面目に働いてるんだぜ。色々と問題もあるし。俺以外には、太刀打ち出来ないような問題もあるんだから」
「持て余していた力を使う場が出来て、結構なことではないか」
 征士は、恐らくある部分で、誰よりも詳しい当麻の理解者である。だから当麻にとって、征士が口にする言葉が、時折とても嬉しいものとなるのだ。判り過ぎる程に判られていて、耳に痛いこともあるけれど……。一言二言の状況から感情を理解されてしまうと、当麻としては完璧に脱帽するしかないのだった。
「……ごもっとも」
「まぁ、うまくいっていれば良い。何にせよ」
 向けられた穏やかな征士の笑顔が、あまりに綺麗で、当麻は返す言葉を失った。
「…………」
「どうかしたか?」
 じっと自分を凝視したまま止まってしまった当麻に、征士は不思議そうな瞳を向ける。
「いや。心配されてて、嬉しいなぁ、と思って」
 目の保養、目の保養、と心中で喜びつつ、当麻は何でもなかったかのようにそう云った。それもまた、当麻の本当の気持ちだったので。
「判らん奴だ。全く」
 首を傾げた征士に、当麻は唯、曖昧に笑うばかりだった。



ACT・3  蒼くきらめく夜に

 夜、彼らは外に夕飯を食べに行き、帰り道を歩いていた。
 繁華街は、クリスマス・イブなだけあって、日頃以上の賑やかさを持っていた。
「やはり、今日は随分と賑やかだな」
「特別行事が好きだからな、日本人も。クリスチャンなわけでもないのにな」
「全くだ」
 騒ぐ事があまり好きではない征士は、淡々として頷いた。
「ま、悪いとは云ってないけどな。征士も、たまにはクリスマスしてみないか?」
 悪戯っぽく笑い掛けた当麻に、征士は微かに首を捻る。
「クリスマスをする、と云うと?」
「智天使ご案内の夜間飛行に付き合う気、ない?」
 征士は驚いたようにまじまじと当麻を見つめた。
「よいのか? お前はともかく、私は普通の人間なのだぞ?」
 当麻が天使の姿を取ると、普通の人間は全く彼を見るはできない。しかし、征士はあくまで普通の人間だ。姿が見えてしまうことを懸念しての征士の言葉だった。
「大丈夫。征士も見えないようにするから」
「それならば問題はないが、」
「何? まだ何かあるか?」
 何かを云い掛けて止めてしまった征士に、当麻は不思議そうな眼差しを向けた。
「いや。……お前は、本当に本来の仕事はいいのか?」
「全く、生真面目な奴だよな、征士は。本当に明日からでも天使になれそうなくらいだな」
「また、お前は。冗談ばかりではぐらかすな」
 憮然とした表情の征士に、当麻は軽い笑みを浮かべて曖昧に頷いた。
「はいはい、お前が付き合ってくれるなら仕事もするからさ」
「天界の指導者を、たった一人で独占してしまっては、迷惑ではないのか」
「大丈夫だって。今年初めてクリスマスが来たわけじゃないだろうが」
「まぁ、確かにそうだが。去年まで、迦雄須殿がしていたことを、全てお前が引き受けるわけであろう?」
「そういうことだな。お、もうついたのか」
 ふと気がつくと、話しているうちに征士の住むマンションまで帰りついていた。
「ああ、早かったな」
 3Fの部屋に入り、当麻は再び尋ねた。
「で、付き合ってくれるのか?」
「ああ。私に不都合はない」
「じゃ、決まりだ」
 微かに笑って、当麻はベランダに向かう。
 ふいに当麻の気配が、一際強いものと変わり、部屋中が蒼い気に包まれた。
 当麻の背に蒼く大きな翼が現れる。
 いつ見ても見事なその翼に、征士は一瞬、目を奪われた。振り返る藍碧の瞳が、どこまでも透き通って、溢れんばかりの蒼を、征士へ送る。
「これを」
 目を見張った征士に近付いて、当麻は一枚の羽を彼のコートの左胸のポケットに差し入れた。
「何だ?」
「姿を消す羽、さ」
 当麻はくすりと笑って、蒼く包まれた己の身体を不思議そうに見つめる征士に視線を向けた。
「Geben wir」
(行こうか)
 ベランダへ出て当麻は、ちょっと気取って征士に手を差し伸べた。
「ああ」
 静かに頷いて征士は当麻の手を取り、外へ出た。
「じゃ、飛ぶから、最初だけしっかり掴まってくれよ」
 征士の肩に手を回して当麻はそう云った。
「判った」
 同じく征士も当麻の肩に掴まる。それを見て当麻は、ふわりと、浮かび上がった。征士は、自分の身体が宙に浮く不思議な感覚に驚きながら、落ちないように手に力を込めた。
「大丈夫か?」
 ベランダの外に出て、地上から30メートル程上がった所で、当麻は尋ねた。
「ああ」
「そうか。なら、そろそろ掴まらなくても平気だぞ」
「そうなのか?」
「俺の風が、お前を支えてくれる」
 征士は、そっと当麻の肩から手を放した。身体のバランスが崩れそうな様子は無い。
「大丈夫だろ?」
 当麻が征士の肩から手を放しても征士のバランスは崩れず、宙に浮かんだままでいる。
「ああ」
 ほっとしたように息を吐いた征士の瞳に、ようやく辺りの様子が映った。
 曇り空に、月は出ておらず、繁華街から少しだけ奥に入ったこの辺りはあまり明るくはない。後ろを振り返ると、5階建ての征士のマンションが僅かに下に見えた。
「もう少し、景色のいい所に行こうか」
「そうだな」
 征士の腕を取って、当麻は繁華街の方向へと移動し始めた。少しずつ上昇しながら、街へと近付いていく。
 ふと、征士は、先程まではコートを着ていても随分寒かった筈なのに、今は全く寒さを感じていないことに気が付いた。僅かに首を捻って、身を覆う蒼い気に納得する。
(これのお陰ということか)
「どうかしたか?」
「いや、私が全く寒さを感じないのは、お前のこの羽を付けているせいなのだろう?」
 征士の問い掛けに当麻は黙って頷いて、静かに地上を指差した。歩くと20分以上の距離を、ほんの二〜三分で来てしまっていた。
 日頃は賑やかで騒がしい街だが、高度50メートルの場所にいる二人には、その喧騒は届かない。キラキラと光るネオン、下からは大きく見えた派手に飾り付けられたもみの木、それらが、適度な大きさで瞳に映る。この高さからならば、ある程度物の区別はつく。とは云っても、夜ということもあって目立つのはやはり光るものだ。
「綺麗なものだな」
「まぁな」
「お前は見飽きているか?」
 淡々としている当麻に、征士は穏やかに笑い掛けた。
「まぁね。……さてと、真面目な征士さんに促されないうちに、仕事でもしようかな」
 珍しいことを口走った当麻に、征士はただ静かに頷いた。
「もう少し、上に行こう。今に、もっとキレイになるから」
「ああ」
 70メートル程にまで上がって、当麻は征士の腕を放した。
 上方へ差し延べられた当麻の左手から、不思議な蒼い光が発せられる。ポーカーフェイスの当麻の表情の中で、その瞳だけが、真剣さを増していくのを征士は見ていた。
 闇を濃くする空へと、当麻の蒼い光が吸い込まれていく。一分ほど光を送って当麻は、左手を宙から降ろした。
 やがて、ふわふわとした雪が空を舞い始める。二人の居る場所へ落ちてきた牡丹雪が、ほんの少しの時差をおいて、地上へ降りていく。
「ホワイト・クリスマスって奴になっただろう?」
「こんなことまで、出来るのだな」
 感心したように呟く征士に、当麻はいたって淡々と答えた。
「まぁ、この辺までは俺の守備範囲だな。一応ね」
 地上の建物が、どんどん白く染められていく。二人からは見えないが、地上の多くの人々が喜んでいるのは容易に想像がつく。
「さて、これからがメイン・イベントってトコだな」
「まだ、何かあるのか?」
 充分すぎる程に夜景を楽しんでいた征士は、少々驚いたように問う。
「俺は何もしないけどな。この雪を見て……、そろそろだな」
 気を研ぎ澄ますかのように、少しの間をおいて、当麻は告げた。
「さっきの所くらいまで降りるかな」
 二人は、また少し降りてきた。そこで、征士は不思議な美しい光景を目にした。
 空よりも更に高いところから、降りてくる。闇の中で一際目立つ、白く真っ白く、輝ける天使達。白い星を抱いて、地上へと天使は向かう。
 一斉に何十、何百、という数の天使が天から降りる様は、形容できない程に見事なもので、征士は云うべき言葉を見付けられず、黙ったままその様子を見つめていた。
 天使の集団は、それぞれ別れながら、地上10メートル程のところで、抱えていた白き星々を人々に向けて降らせた。雪に混じって降りていくその白い星も、人には見えないようで、ふっと、人々の中へ入っていく。
「あの白い星は?」
「天使からのクリスマスプレゼント」
 冗談めかした当麻に、征士は重ねて尋ねる。
「……何なのだ?」
「心の安らぎ、だ」
「なるほど」
 感心した様子で征士は、ゆっくりとその光景を見つめていた。
「天使の降りる夜、か。よく云ったものだな」
「ああ」
 しばらくそこで景色を楽しんでから、二人は征士のマンションへ戻った。



ACT・4  蒼き夢のささやき

「さてと、じゃあ俺はそろそろ帰るな」
 ベランダまで征士を送り届けて、当麻は云った。
「時間が無いのか? すまなかったな」
「いや、征士のおかげで、ちょっと責任を思い出してさ」
 問うような視線を向けてきた征士に、当麻は付け足した。
「面倒な奴等が来るような気がするんだ」
「気を付けろよ」
「ああ」
 当麻は、再び飛びたとうと踵を返して、何かを思い出したかのように征士を振り返った。
「忘れていた。征士にもクリスマスプレゼントをやろうと思ってたんだ」
「何だ? お前の場合、蒼い星か?」
 くすりと笑って問い掛けた征士に、当麻は驚いたように頷く。
「当たり。本当は、征士みたいにできた人間には、必要ないんだろうけどな」
 苦笑しながら当麻は、どこからともなく掌に乗るくらいの透明な感じのする蒼の星を浮かび上がらせた。吸い込まれるように星が征士の胸に消えていく。
 じっとその様を眺めている征士に、当麻はふっと笑って近付いた。
「蒼き夢のプレゼントだ。……で、俺にもプレゼントが欲しいな」
「何が欲しいのだ?」
「これ」
 云うなり掠め取るように征士に口づける。
「じゃ、またくるからさ」
 唖然とする征士に構わず、当麻は云いたいことだけを云って去ろうとする。
 いつもながらの唐突さに呆れて、征士は苦笑していた。
「ああ。頑張れ」
「おやすみ、征士」
 闇にも隠されることのない翼を拡げて、当麻はふわりと飛び去っていった。




 その晩、征士は夢を見た。蒼く蒼く輝く、蒼き夢を。
 夢の中で、天界を指揮する当麻の姿を、見た。蒼く激しい光が、当麻の身体から迸り、天界にシールドを張る。彼の目の前に居るのは、黒翼を持つ天使達。
 当麻の風のシールドに行く手を阻まれて、すごすごと引き返すその黒い集団。
 怯える白き翼を持つ天使達の中で、確かに当麻の蒼は際立っていた。

 天界らしき様子が見えたのは、僅かな時間だけだった。
 明確に見えたと思ったその様子は、すぐに薄れてしまい、後に残ったのは、ただ蒼き空間のみ。蒼い蒼いその空間の中で、己の名を呼ぶよく知った声が、聞こえたような気がしていた。

『征士、良い夢を』

 穏やかで落ち着いた当麻の声は、いつもとは微かに違う印象を征士に与えた。
 『当麻?』
 問い掛けは、声にはならず、意識ごと溶かされてしまうかのように、徐々にその夢の中へと落ちていく。
 最後に残った記憶は、先刻まで見ていた、ミッドナイトブルーの夜景。
 舞う牡丹雪、きらめくもみの木、ビルのネオン。そして、闇に溶けることもない鮮やかな蒼き翼。
 夢からのささやきは、綺麗な記憶を征士に伝えて――



 そして、白銀の朝。
 爽やかな爽やかな、朝の始まり。
 雪景色に当たる朝日が、一際きららかに輝きを届ける。
 朝日に目を細めた征士の瞳に映る、ふわりと宙に舞い上がる一枚の蒼き羽。
 姿が消え当麻の気を伝えるその羽を見て、征士の顔を微笑が彩る。
 非現実的な昨晩が確かに現実であることを、証明するかのように、消えない蒼き羽は、確かに征士の側に在るのだった。
 

 ENDE

初出 1995.12発行「蒼き夢のささやき」


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