白き世界へ

by光 月湖(2000.1.3)

 

 ふっ・・・と意識が浮上する。
 目をあけてみて、頭を振る。ゆっくり回復する全身の感覚を、追う。
 ・・・大丈夫、危険はない。さっきまでと同じ景色。そんなに時間も経ってない。
 身体に入りかけた力を抜いて、樹の幹に身体を預ける。集中していた意識も溶けた。
 軽く息をつく。目覚めてしまった。あのまま眠っていられれば、それはそれで良かったのだが。
 通り過ぎる風。それが何かを溶かしこんでいた。誰かの意志を、運んでいる。
 こんな状態でも聞き取れるのが、滑稽な気がする。もう俺には聞こえても何の意味もないというのに・・・。
 聞こえるこれは、祈り。天へと、見ることも叶わぬ神の座す世界へ響かせるもの。
 音律のない、歌。声ではなく、想い全てで奏でる心・・・。
 今宵は聖夜。祈りも多い時だろう。響きは絶え間なく流れていく。心にそのまま、溶け込むように。
 だが、感じるのは哀しみ。美しすぎる程の、痛み・・・。
 幸福で満ちるべき夜に、何故こんなにも哀しい想いが?
 そこまで考えて、我に返った。
「・・・痛み、か。祈りを判別できるような力が、まだあったなんてな。」
 声とともに漏れるのは、自嘲の笑み。そんなに綺麗な部分がまだ残っているとは思っていなかった。いや、今だからこそ、感じられるのか?
「聖なる祈りに魅かれるなんてな・・・この、殺戮の血天使が。」

 魔の森。
 血を好む魔物共、堕ちた天使、精神を蝕む闇・・・そういったものが封じられる場所。
 異変が起きたのはもうどのくらい前だったか。森そのもので封じたはずの魔が、外へ、白き天界へと侵略をはじめた。封印が、綻びたのだ。
 封じねば、ならない。誰かが、その力を持った者が。
 新たなる封印を施すための知識と技術、魔に対抗できうる優れた力。
 相応しい人物は、ふたり。浄化を司る者、風を繰る者。
 ―――こんな厄介事に汚れなき光を、だれが晒すだろうか。

『何故、お前なのだ・・・』
 絞り出すような、声。自分にはそんなことは報らされなかった、と。
 当然のように自分が外された事が、許せない・・・と。
『お前も、天使なのだぞ・・・?』
 髪も瞳も翼も、なにもかもが蒼い突然変異体。前代未聞の、風を繰る力。
 ・・・ごめんな。俺がお偉方でも、そうするさ。純粋な光を生み出せるお前を、魔の住処になど行かせられない。
 俺にしか出来ない事だと・・・言っても納得できないよな。
『・・・約束ぐらい、残してくれ。また、逢えるな?』

 目が、覚める。
 また・・・眠っていたのか。意識がもう、朦朧としているらしい。
「逢えたな。」
 お前の姿を、声を・・・感じられた。
 悪くない最期だと思う。
 あたりはまだ闇に包まれている。けれど朝になれば、この森にも光が射す。白き結界が、森を包みこむ。
 新たなる封印が、完成するのだ。

「時間がかかったのが、悪かったよな。」
 綻びを順次修復していたのでは埒があかない。けれど一度でも全ての魔の動きを止めなくては結界は張れない。
 繰り返す、殺戮と封印。
 いつしか髪も瞳も翼さえも染めあげられた。返り血のその、色に。
 そして呼び名が付いたのだ。「殺戮の血天使(ブラッディ・エンジェル)」、と。
『お前も、天使なのだぞ・・・?』
 脳裏に甦った言葉。震えていた、優しい声。
 そうだ、お前のいう通りだな。とても天使とはいえないような生き方に、とうとう魂が悲鳴をあげた。限界が、近い。
「構わないさ・・・もう、終わる。」
 今、森は眠っている。封印は光を合図として結界となる。あとは、待つだけなんだ。
「セイジ・・・」
 全ての力を抜いて、眠りにつこうとした瞬間―――

 世界が光に包まれた。
 白い、耀き。幾多の聖なる耀きが、いっせいに舞い降りる。
 踊るように優しく、降り注ぐ穏やかな―――光。
「雪・・・?まさか、そんな馬鹿な・・・」
 天界に雪など降らない。そんなものは存在しない。唯一、あるものは・・・
「祈雪・・・」
 天使のまっすぐな強い祈りだけが呼べる、奇跡。神の降ろす雪。
 全てのものが意味を失い、存在そのものに帰す。真実だけが、残る・・・。
「あ・・・」
 自分に降り注いだ雪が光を放つ。
 蒼が、戻った。わかる。血の色が、全て消え去った。
 そして雪に促されるようにして視線を動かした、その先に続く、奇跡。
 ―――白き天使がそこにはいた。淡い金の輝きを纏う、光の天使が。
「セイ、ジ・・・?」
 今、呼べたのも奇跡の作用かもしれない。近づいてくるセイジを凝視したまま、俺は立ち上がる事さえできない。
 セイジが、俺に触れる。夢ではない事を、確めるように。
「・・・トウマ・・・ッ」
 声とともに抱きしめられる。感じる本物の暖かさに、もう持ち上がらないだろうと思っていた腕が、反応した。抱き返す。強く、強く。
 名前をもっと呼びたいのに、震えて声が出ない・・・。

 何故気がつかなかったのだろうか。あの痛いまでの祈りはセイジのものだ。あんなにも透明な心を、響かせる事ができるのはセイジしかいない。
 気づいて・・・いたのか。俺の限界に。
 セイジが響かせた想いを、心を、神が許した。すべての障壁を取り払って、セイジが俺の元へ行けるよう計らってくれたのだ。

 雪が、降る。光の雪が、青さを滲ませはじめた空を包みこんで。

「・・・ごめんな。」
 やっと出せた声で、言う。
「ごめんな、嘘ついて・・・帰るって約束、したのにな。」
 セイジが何度も首を振る。そんなことはもういい、と。
「・・・泣かないでくれ。これでいいんだから。」
「良くなんか・・・ない・・・これが運命なら、変えてしまいたい・・・」
 震える声が、続く。
「何故お前だけが、こんな哀しい道を歩まねばならなかった?助ける事もできないまま、私は護られているだけだ・・・何も返せない。」
「そんな風に思わないでくれ・・・これは俺にしかできない事だし、お前はお前にしかできない事をしているんだ。そうだろう?天使長セイジ。」
 セイジは首を振る。そんな言葉では納得できない、と。
「俺は、幸せだったよ。お前を護れる事は俺の誇りだった・・・」
「・・・トウマ。」
「待ってるよ・・・白い世界で。新しい生をうけるまで、一緒に眠ろう。」
 ずっと待ってる。約束だ。今度こそ、守るから。
「・・・約束、だぞ?」
「ああ・・・」
 雪が降る。深い青をたたえた空に、もうじき光が満ちるはず。
 安心して、目を閉じる。白き世界がひろがる。


「・・・愛しき蒼き魂よ。白き世界の、深淵にて眠れ。我が光が、導く・・・。」
 雪のように透明な声と涙は光溢れる空へと、溶けた。

[ END ]

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