Moondust Deepblue 〜夜の使者〜

By.天羽ひかり

  

 コン、と微かにベランダのガラスが音を立てた。
 時刻は、12時を少し回ったところ。
 カーテンを開けると、そこには夜闇に紛れた青年の影。
 呆れたように見つめてしまう。ここは、2階だ。
 征士と目が合って、僅かに笑うその姿。思わずどうやって来たのかという問いを忘れそうになるほど自然に。まるで普通に笑うのだ。
 だから、細かいことがどうでもよくなってしまう。
 毒されてきたな、と苦笑しつつも窓を開けて、それでも問い掛けた征士に返ってきたのは、悪戯めいた笑顔。
「天の川を駆けてきたんだよ」
「……今日は、七夕か」
 6日だったような……、と呟きかけて時計が12時を回っていたのを思い出す。今は、確かに7月7日に違いない。最近では、日常に直接関係のない事など忘れがちだが。
「そ。織姫様に会いに来たんだ」
「……誰が織姫だ。」
「だってさぁ、どう考えてもオレは姫じゃないだろーが」
「……愚問だったな。……でお前一人か?」
 溜息の後に、どうやら一人で来たらしいトーマに問う。
「そう。ちょっと仕事が立て込んでて」
「本人が缶詰とは、珍しい」
「そうなんだ。曰く『たまにはいい役をやらせてやる』だって」
「そうか」
「でも、オレだけじゃ役不足かなぁ。七夕なんて言っても、そもそも征士って願い事なさそうだな」
「……そんなことも無いと思うが。とにかく中に入ったらどうだ?」
 ベランダに立ったまま中に入る素振りさえ無いトーマを促す。
「いや、遅いしさ。用が終ったら帰るよ」
「少しぐらいならば私はかまわんが、お前も忙しいのか……。用事とは、すぐ済むようなものなのか?」
「ああ。綺麗な花が手に入ってさ。征士にあげたくて」
「それだけのために来たのか?」
「うん。これ」
 云うなり後ろ手に持っていたらしい花束に、視界を塞がれた。
 それは、夜の闇に溶け込みそうな深い青紫の、どこか気品を感じさせるカーネーション。腕一杯の花束を抱き留めると、強い香りが辺りに拡がった。
「……珍しい色だな」
「月を、拾ってきたんだ」
「?」
「ムーンダスト・ディープブルー、っていうんだって。コレ」
 花を指差してなんだか幸せそうにトーマは笑って、続けた。
「見たらどーしても征士に持たせたくなって、買い占めてきた」
「…………」
 黙り込んだ征士の顔を、おそるおそるといった体でトーマは覗き込んだ。
「……怒った?」
「……呆れているんだ。もっと他にすることがあるだろう? お前は忙しいのに」
 困ったように征士は笑った。少し咎める口調になってしまうのも仕方ないだろう。当麻もトーマも征士には理解に苦しむような行動をする。決まって征士の為にだ。それが、何だか申し訳ないようで。かといってそう云えば『俺が勝手にやってるんだから気にするな』と返ってくるのは判っているのだけれど。
「気に入らない?」
「違う」
「だよな。基本的に征士は植物好きだろ?」
 否定はできない。花束を抱えた時に感じたのは、……安堵感。拡がる緑の芳香には、安らぎを覚える。それはもうずっと昔から。話した覚えもないのに、当麻はいつの間にか知っていた。
「そうだな」
「なら、受け取ってよ。ね?」
「……ありがとう」
「よかった。征士、なんだかほっとしたような顔してたから。……ちょっと疲れてたんじゃないか?」
「……そうかもしれんな」
 見透かされているようだと、苦笑した征士の瞳を、真剣な視線がとらえた。
「……深く蒼き月の、かけら」
 そっと頬に手を当てて、囁く。当麻の声で。真摯な瞳を、征士の瞳から逸らすことなく。
「本物には、到底適わないな」
 そうして、どこか切なく笑う。こんな真剣な眼差しは、当たり前だけれど当麻によく似ている。錯覚してしまいそうになるほど。こんな時のトーマを、見分ける自信はないかもしれない。それほどに。
「笑われるかもしれないけれど、こんな夜はオレでも夢が見られるような気がする」
 いいようのない痛みにも似た感情が、その端正な顔を覆った。
「トーマ?」
「……笹の葉に願いでも書こうかな」
 暗さを振り切るように笑って、トーマは征士の額に口付けを落とした。
「じゃ、おやすみ」
 あっさりと帰り掛けたトーマを、征士は咄嗟に引き止めていた。
「トーマ!」
「なに?」
「……来月の仙台の七夕祭りに行かないか?」
「え?」
「忙しければ無理にとは云わんが」
「……オレまで行っていいのか?」
「勿論だ」
 先刻、一瞬だが、トーマがとても寂しそうに見えた。そんな時でも、征士のためにやってきたトーマを、元気づけてやりたくて。
「……サンキュ。当麻にも伝えとく」
「ああ。では、またな。……っ、ちょっと待て。どこから帰るんだ!?」
 慌てた征士に、唇の端だけで笑ってみせて、トーマは淡々と来た時と同じように告げた。
「天の川から帰るんだよ」
 タンと、軽い身のこなしでベランダを乗り越えて、トーマはあっさりと夜空に消えた。 ベランダから下を覗くと、その行動まで予測していたかのようなタイミングで振り返りもせずに左手を振ってみせる長身がいる。
 ほっとして、部屋に戻ると、カーネーションの香りが征士を出迎えた。
 深いその青紫が、神秘的に輝く。
 知らず、微笑が浮かんでしまうのは、花のせいばかりではなかった。

 ENDE

 

 

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 紫のカーネーションのニュースから妄想した話。七夕なので載せてみました。
 たぶん、公には初公開です。何年か前の月湖さんのお誕生日に送らせて頂いた話でした。いつかまとめて本にするつもりが止まったままなので(笑)

 update 20030707