天羽りんと
6月9日、日曜午前9時、人出の少ない街を、一人の男が歩いている。別段目立つ恰好をしているわけではないが、男の容貌は、確かに人目を引き、僅かに擦れ違う人々、特に女性の視線を集めていた。男の出立ちは、ブラックジーンズに白いワイシャツ。左肩には、やや大きめのリュックが掛けられている。サングラスを掛けていても端正な顔立ちは隠しようもなく、すらりとした長身は、人目を引いても仕方ないといえた。
しかし、彼自身はそのことを気にしているようすもなく、一軒の花屋の前で立ち止まり、中へと入っていった。
「すみません。一週間ほど前に電話で注文した者ですが、」
若い男の問い掛けに、店番の30代前半くらいの女性は、愛想よく笑って応対した。
「えーと、お名前を教えて頂けますか?」
「羽柴、といいますが」
「何のお花の注文かしら」
ぱらぱらとノートをめくりながら、女性は呟くように問い掛けた。
「薔薇です」
「あら、あったわ。羽柴さんね。薔薇を23本、色は……」
「紫」
「そうそう、今朝届きましたよ。美しい薔薇ですわよね。皆で、噂していましたのよ、こんな珍しい薔薇をどんな人が受け取るのかしらって。彼女への贈物ですか?」
女性は、店の奥から薔薇を出して、包みながら気軽に男に問い掛ける。
「バースデープレゼントなんですよ」
男はサングラスを外しながら、小さく微笑した。その整った顔に、店員の視線が一瞬止まる。一際印象的なのは、その綺麗な碧玉をたたえる瞳。その瞳は、花束へと向けられていた。
「リボンは何色になさいますか?」
リボンのサンプルを見せながら問い掛けた店員に、男は深い緑色のリボンを指差した。
「これで、お願いします」
男は、会計を済ませ、再びサングラスを掛け直してから、腕の中に藍紫色の薔薇を抱え、店を出た。そのまま彼は、片手で抱えるには持ちにくいほどの大きな花束を抱えたまま、しばらく歩き、私鉄に乗り込んだ。
目的地は、近い。流石に歩くには大変な距離だが、自転車でなら行けないこともない。しかし、大きな花束を持って自転車を飛ばす気にはなれず、電車を利用することにしたのだった。車内はそれほど混んではいなかったが、無造作に彼の右腕に収まる花束は、より一層彼を目立たせる。ドアの近くに凭れている彼の髪が、外からの光に照らされて蒼くきらめいている。胸元の豪奢な薔薇の束も光を受け、きらきらとその神秘的な色合を振りまいている。梅雨入りを目前に、蒸し暑い日々が続いているが、彼の周りだけは、やけに涼しげで湿度を感じさせなかった。
短い間とはいえ、あちこちからの視線を浴びながらも彼は至って平然としたままで、次の駅で降りていった。
颯爽と歩く彼の腕の中のものを、誰もが目に止める。小さな囁きが交わされ、振り返る者すらいる。そういった視線を一切意に介さずに、彼は漸く目的のマンションへ、辿り着いたのだった。
「征士?」
彼がインターフォンに話しかけると、殆ど間を置かずに落ち着いた声が返ってくる。
「ああ、開いている」
この日、彼が来ることは前からの約束になっている。彼が、外からドアを開けると、玄関まで征士が出てきていた。
「よ、久し振り」
「……それは何だ?」
大きな花束を目にし、一呼吸遅れてから征士は言葉を発した。
「征士へのプレゼントに決まってるだろ」
さも当然とばかりに断定して、クセのある笑みを浮かべる。
「…………」
征士は無言のまま、些か困ったような視線を、彼へと向けた。
「何?」
「……いや、」
「受け取ってくれないの?」
何かを言い掛けて口を閉ざした征士に、花束が差し出される。
「…………」
「あ、その前に、聞くまでもないだろうが、どっちのオレだか判ってる?」
少々唖然とした面持ちのままの征士が、その問いに初めて笑みを浮かべた。
「朝起きの苦手でないトーマだろう?」
「正解。オリジナルのねぼすけは、まだベッドの中だろうな。起こしても起きないから、ちょっと抜けがけしようかと思ってさ」
「なるほど、置いてきたのだな」
微かな笑いを含む声で云いながら、征士は大きなその花束を受け取った。
「ありがとう」
男が男に薔薇を貰うというのも変なものなのだろうが、と征士が苦笑交じりの呟きを漏らす。しかし、トーマから見れば、『変』どころではなかった。
すらりとした長身の征士の腕の中に収まった薔薇の花は、彼の瞳と同じ落ち着いた色合の紫。その花束を抱えた瞬間、征士の存在全てが一際輝きを増したような気がして、トーマは満足そうに頷いていた。
「やっぱり、征士に似合うな」
「……そうなのか?」
「そうなんだよ」
きっぱりと肯定されて、征士は返す言葉を探そうとしたが、やがて諦めたように小さく首を振った。
「まぁ、有り難く受け取っておこう」
「そうしてよ」
機嫌の良いトーマに、リビングにあるソファーへ座るように云って、征士は取り敢えず、花瓶を取りに行った。
「これで、入るだろうな」
征士が、大きめの花瓶をリビングのソファーの前のテーブルに置く。深い緑のリボンとラッピングを解いて、薔薇を花瓶に挿す。淡いブルーの花瓶が、藍紫色の薔薇の色を映して、水面を紫に彩らせた。
「これさぁ、月夜の薔薇って云うんだぜ。お前みたいだろ?」
「トーマ、」
ふいに掛けられた言葉の内容に、征士は頭を抱えていた。
「そんな大袈裟に嫌がらなくても、いいじゃないか」
「トーマ、お前まで当麻のようなことばかり云うな」
判ったような、判らないような台詞を、征士は大真面目に云う。至って真剣な表情で告げる征士を見て、トーマは吹き出していた。
「無理なこと云うなぁ、征士も。オレを変えたいなら、まず本物から変えなきゃ駄目だぜ。征士に関しては絶対ありえないけどな」
「…………」
言葉の見付からない征士に、畳み掛けるようにトーマは続ける。
「なぜなら、羽柴当麻の絶対条件だからさ」
「何に対してのだ?」
唖然とした表情のまま興味深気に掛けられた問いに、けれどトーマは静かに首を振った。
「ここから先は、オレは云わない」
何時の間にかトーマの表情から笑みが消えていた。けれど、クールなまでに感情を消してしまった瞳は、普段以上に青さと透度を増していた。
「当麻に聞けと?」
「御明察」
「解った。……そうだ、何か飲むか?」
何となく納得した様子で征士は、すいと立ち上がった。
「ああ、そうだな」
「何がよい? アイスコーヒーでいいか?」
「ああ、ちょうど喉乾いてたんだ」
素早くキッチンからアイスコーヒーを持ってきた征士が、ふと疑問に思ったことを口にする。
「お前、どうやって来たのだ? 車か?」
「いや、当麻に置いてきた。オレは電車」
「……この花束を抱えて、サングラスを掛けてか?」
胸ポケットに除くサングラスを瞳の端に捕らえて、征士の声が僅かに低くなる。
「そ。目が出てると顔がバレバレだからな。何かマズイ?」
「いや、さぞ目立っていただろうと思っただけだ」
「花束がね」
「お前など居るだけで目立つのだからな」
「征士に云われたくないぞ」
……こうしてクローントーマと征士は和やかに、過ごしていた。
そして、午後2時。すっかり寛いで居るトーマと征士の耳に、連続したうるさい程のチャイムの音が届いた。
「来たかな」
「せーじっ!」
トーマの呟きと、開かれた扉の外からの叫びは、ほぼ同時だった。
「どうした? そんなに慌てて」
苦笑交じりに征士は、それでも中に入るようにと、うるさい訪問者に伝える。
「トーマッ!」
リビングに向かいながら、騒がしい訪問者は、怒りの矛先をトーマへと向けた。
「案外、早かったな」
涼しい顔のトーマは、のんびりとソファーに寄り掛かっている。
「お前なぁ、わざと起こさなかったな! 征士と二人っきりで、二人っきりで寛いでっ!」
「そんなに慌てなくても良かったんだぜ」
「これが、慌てずにいられるかっ」
憮然として当麻は、忌ま忌ましそうに着込んでいたスーツの上着を脱ぎ捨て、乱暴にトーマの向かいに座った。
そこに、笑いを堪えた表情の征士がアイスコーヒーを差し出す。
「あ、サンキュ」
一瞬、当麻が征士に向けた視線には、怒りの波動は見られない。
「全く、お前のだらしないのはもともとだが、その恰好はどうにかならんか?」
「急いだんだよ」
白のワイシャツに、藍色を薄くしたようなブルーのスーツを着込んでいた当麻だが、ネクタイは首に無く、右手の中に収まったままで、ワイシャツのボタンなど上から三つ程は外れたままである。
「しかも、しかも、俺が持つ筈の薔薇まで先に渡したな、お前」
まだまだトーマに対しての文句が云い足りないようで、拗ねた子供のような表情で当麻はトーマに向き直った。
「プレゼントは、もう一つあるんだから、いいだろう?」
「そういう問題かよ。折角、折角、俺が年に1度の日に、1番にお祝いを云うつもりだったんだぞ!」
「日本語が変だぜ」
「うるさい。酷い奴だよ、お前はさ。主人に花を持たそうとか思わないわけ?」
ホントに花だけど、などとぶつぶつ云う当麻に、トーマは仕方なさそうな表情をみせた。
「一言断っておくが、オレは何も云ってないけど?」
「え?」
ふいをつかれたような表情で征士を見つめた当麻だったが、征士の方も物珍しそうに二人の戯れた様子を見ていた。
「何だ?」
「ホントか?」
黙って頷いたトーマを見て当麻は、復活、とばかりに立ち上がった。急いで撫で付けて来たらしい前髪が少々降りてくるのをかきあげて、嬉しそうに征士に紙袋を差し出した。
「ハッピーバースデー、征士。これも受け取ってくれよ」
「あ? ああ。ありがとう」
すっぱりと立ち直った当麻の様子に面食らいながらも、征士は手渡された紙袋から中身を取り出した。
「日本酒か。これは有り難いな」
ふわりとした微笑が征士の顔を彩る。
「銘柄に惹かれてさ」
笑いを含んだトーマの声に、当麻が同意する。
「そ、『月光の雫』なんて、お前そのもの」
先刻のトーマの発言と同じようなことを、当然といった表情で当麻も云う。一瞬疲れたような表情を見せた征士だが、今度はすぐに立ち直った。当麻に何を云っても到底聞き入れるとも思えなかったので。
「……珍しい酒だな」
「ちょっと、出先でね」
「店員曰く、『キレのある名酒』だそうだ」
「あとで味見させてもらおう」
嬉しそうな征士の表情に、トーマが突然笑い出した。
「どうした?」
「いや、征士が、薔薇もらった時の数倍は嬉しそうな顔してるからさ」
その言葉に、当麻も吹き出す。
「お前って、外見から考えたら絶対、一升瓶より花の方が似合うのに、変な奴だよな」
「うるさい。お前こそ、花よりだんごの代表選手のようなものではないか」
当麻の到着により、少々騒がしくなった伊達家の午後だった。
夕方になり、彼ら三人は当麻の予約済みのフランス料理店で、食事を取るに行くことにした。
「やはりスーツであろうな。トーマはどうするのだ?」
「征士の服、貸してほしいなぁ」
トーマは、リュックの中に、一応着替えを持ってきてはいたのだが、敢えてそれは云わなかった。
「まぁ、背丈はほぼ同じだし、着れぬこともないか。ちょっと待っていろ」
征士がリビングに当麻二人を置いて、寝室に姿を消す。
「いいなぁ、お前。俺がジーンズで来てれば良かったよ」
もともとスーツ姿の当麻がぼやく。
「ラッキー」
「替え、持ってきてんだろ? どうも今日はお前ばかりがいい目を見てる気がするな」
「まぁまぁ、これからいい事もあるだろ、多分さ」
「多分、ね……」
少々浮かない表情で当麻が呟いた時、征士が寝室からスーツを持って現れた。
「トーマ、まずこれを着てみろ。中のシャツはそのままでよいな?」
「ありがとう」
ネービーブルーのサマースーツを上機嫌でトーマは着込む。その間に征士は寝室でモスグリーンのスーツに着替え、当麻は降り懸かる前髪を整え直した。
スーツ姿で、征士が部屋からでてきた途端、当麻二人は、彼を見つめたままぴたりと行動を止めてしまった。
「どうした?」
怪訝そうな征士を、当麻もトーマもただ見つめるばかりである。首を傾げる征士に、たっぷり一呼吸以上遅れて、当麻が口を開いた。
「うーん、やっぱり征士は何を着ても似合うなぁゥ」
「ホントだよな。いやー、当麻にも見せたかったなぁ、さっきこの薔薇を抱えていた征士の姿ゥ」
「薔薇! そうだよ、薔薇があるんじゃないか」
征士に口を挟ませる間も与えず、当麻はテーブルの上の花瓶から一輪の薔薇を抜き取った。細い枝の小さな薔薇を分かれ目で折って、後は花瓶に戻す。そのままスタスタと征士に歩み寄り、彼の胸ポケットにそれを挿した。
「ほーら、やっぱり似合う」
七分咲きほどの小さめの薔薇であったが、征士の胸にあると立派な飾りに見える辺り流石である。
「ばっちりだな」
「よし、じゃあ、行こうか」
「待て。何故私だけが、花など挿して行かねばならんのだ」
漸く、事態の不自然さに思い当たった征士だったが、口で二人の当麻に適う筈も無い。
「いいじゃないか、似合ってるぜ」
「そうそう、今日の主役はお前なんだから」
「主役は、端役とは区別しなくちゃな」
同じ顔を見合わせながら、互いに頷き合う。征士が言葉を返す前に、さぁ行こう、と両脇から軽く肩を叩く。上機嫌の二人を代わる代わるに眺め、征士は諦めたように小さく首を振ったのだった。そして、彼らは当麻の車で店へと向かった。
落ち着きのある洒落た雰囲気のフランス料理店に、三人が入っていく。揃って長身で目立つ容姿をしている彼らが、他の視線を集めてしまったのは、云うまでもない。
しかし、彼らが気にしていたのは、店で当麻の知り合いに会ってしまうことだった。
「ま、知り合いが来たりしたら、その時はその時だな」
「苦しいけど、従兄弟かなんかってことにしておくか」
何といっても全く同じ顔の作りの人間が二人居るのである。何もしなければ双子にしか見えなかっただろう。かろうじて当麻は、前髪を上げ眼鏡を掛けてスーツを着ており、一見普通の商社マンのように見えなくもない。トーマは、いつもと変わらないままなので、当麻よりいくらか若くも見える。サングラスを掛けて瞳を隠してしまえば、殆ど判らなくはなるのだが、流石に食事中に掛けているわけにもいかない。
「なるべく目立たないように、おとなしく座っていることだな」
征士が、苦笑しながら二人に告げて、三人は席に着いた。
食事中、運良く当麻が二人居ることに気付くような人物は現れず、三人はおいしい食事とワインを堪能し、征士の住むマンションへと戻った。行きは当麻の運転で、隣に征士が座っていたのだが、帰りはトーマの要望で彼の運転で帰ったのだった。勿論、飲酒運転であるが、誰もこの事に関しては言及しなかった。
車を降りると、涼しい風が彼らの髪を靡かせてゆく。アルコールの入っている三人には、心地好い風となった。
「流石に、夜は涼しいなぁ」
のんびりとした当麻の声に、征士も頷く。
「少し、歩かないか?」
「ああ、いいぜ」
マンションから五分程歩いた所に、わりと広い公園がある。そこを少し散歩することにした。征士を挟んで右に当麻、左にトーマが並んで歩く。
緑の樹木が風にざわめく様子が、小さな街灯に、雲の切れ間より覗く月光に、照らし出されて見える。
「都心でも、こんな所にはまだまだ緑がたくさんあるんだな」
「征士が、このマンション選んだ理由が判る気がするな」
「この公園のお陰で、この辺の空気が綺麗なんだな」
感心したように、周囲の植物を見る当麻二人の言葉を、征士は黙したまま聞いていた。今、あらゆる植物が、最も美しい緑に輝いている。たとえ、暗闇の中でも征士には、植物の鼓動が聞こえる。そう、確かにこの公園があったから、自分はこの地に住むことを決めたのだ。この澄んだ大気が、心地好いものだったから。
二人の話し声を耳にしながら征士は、ふいに大きく天を仰いだ。柔らかな月明りが、彼を包む。一つ深い呼吸をしてから、彼を凝視する二つの視線に、穏やかに笑い掛けた。
一瞬、当麻とトーマの足が止まった。静かに輝く月にも似た微笑に、二人は見惚れて言葉を失ったのだった。
「どうした? 本当に全く同じ行動をするな、お前達は」
苦笑しつつも二歩ほど先で、征士も足を止めた。歩みを止めた三人の間を、風がさあっと吹き抜けていく。征士が乱れた前髪をかきあげると、淡い光が散りばめられる。その瞳や胸元に咲く薔薇は、月明りを受け、紫に幻想という名の色を加わらせた。
「……二人揃って歩きながら夢でも見ているのか?」
再び歩き始めながら、呆れた口調で問い掛けた征士に、トーマが静かに首を振った。
「夢なんかじゃないさ」
「見てるのは、お前だよ」
酷く透明な当麻の眼差しに、征士は笑うことが出来なかった。
「生きてて、よかった」
『何を、大袈裟な』という台詞が、征士の喉元まで来ていた。しかし、それを云わせないほどのある種の緊張感がその響きにはあった。その緊張感のある響きが、征士に、昼間のトーマの言葉を思い起こさせた。
「お前にとっての絶対条件、とは?」
それを聞いて、トーマは静かに一歩征士から離れた。会話の邪魔をしないために。
「……お前が在ること。だから俺は、月並みだけど、お前が生まれてきたことに、本当に感謝している」
昼間の表情からは想像もつかないほどの真摯さで、当麻は続ける。
「ありがとう」
ふわりと、当麻が笑う。征士にとって見慣れた笑顔の筈だった。けれど、彼はその考えをすぐに否定した。こんなにも綺麗な笑顔は、極希にしか見えない。それぐらいの表情であると、思った。
「……礼を云われるようなことを、私は何もしていないが?」
「いいんだよ、俺が云いたいだけなんだから」
「……では、もう少し聞きたいのだが、何に対しての条件なのだ?」
当麻にこんなにも真剣な表情をさせる。その理由をはっきりと知りたいと、征士は思っていた。
「それは俺が、……空を高く飛ぶための、ね」
フッと笑って、少々遠回しに当麻は告げた。
「空を高く飛ぶため、か。……お前らしいな」
「ま、とにかく、俺はお前の誕生日を愛してるのさ」
「征士自身も勿論ね」
横からトーマが口を挟む。途端に軽い調子の口調が戻ってくる。征士は、それらを不快とは思わず、三人はその後そんな調子で暫く歩いて、マンションの駐車場まで戻った。
「さて、何かすっかり一日付き合わせちゃったな」
「今日は、これで帰るな」
「珍しいな、お前達が11時前に帰るとは。感心なことだ」
冗談めいた口調の征士に、当麻は本音のエキスを半分取り混ぜて答えた。
「お前の部屋は、居心地良すぎて、帰りたくなくなるからな」
「住み着きたくなるよな」
「お前達の部屋の方が、広いと思うが?」
「別にうちが嫌ってワケじゃない。唯、征士の部屋がより良いってだけ」
当麻の言葉に同意するように頷くトーマを見て、そんなものだろうかと内心で少々首を傾げつつも、征士は改めて二人に礼を云った。
「今日は二人ともありがとう。なかなか楽しかったぞ」
「征士がそう思ってくれたなら、嬉しいよ」
トーマが車のキーを弄びながら、笑う。
「それでさ、」
当麻がふいに征士の方へと一歩、歩みよる。
「何だ?」
「今日、最後のプレゼント」
云うなり当麻は、掠めるような口付けをした。
「あーっ、オレからも、オレからもっ」
征士が抗議するよりも速く、トーマが間近に寄ってくる。
「待て、待て! 何故、こういうことになる!?」
元凶の当麻を睨むが、本人はキスだけ奪って二歩程、彼らから離れている。
「ひどい。当麻ならいいのに、オレは駄目だって云うのか、征士は」
眼前で己の右腕を掴んだまま、拗ねたような視線を向けてくるトーマを、征士は困ったように見つめた。
「いや、別に当麻ならよいというわけではなく、それ以前の問題だぞ」
「だって、オレからのプレゼントはもらってくれないんだろ?」
「だから、そうは云ってない」
「じゃあ、あげる」
突き放しきれない征士の唇に、トーマもふわりと口付ける。
「何か、俺とより長い」
ぼそっと呟く事の元凶を、征士は前置きもなく軽く殴った。
「痛い」
「礼だ」
少々冷たい口調の征士に、当麻は不服そうに云い返す。
「何で俺だけ殴るわけ?」
「何事も、最初に始める者の責任が大きいのだ」
「こんなことなら、もっと長くキスしちゃえば良かったな」
損だ損だ、と呟く馬鹿を相手にせず、征士は気を取り直したのか、小さく苦笑した。その様子を見ていたトーマが独り言のように呟く。
「うーん、やっぱりここは、いつでも笑ってくれる優しい征士のクローンを作るしかないかな」
「そうだよなぁ」
「…………」
言葉もなく向けられた視線の鋭さに、当麻二人は口を噤んだ。
「聞かなかったことにするぞ?」
「冗談だよ。本人も十分優しいからな」
「そうそう、征士は仙人様だからな」
慌てて顔を見合わす二人の様子に、征士は吹き出していた。
「まぁ、気を付けて帰れ」
「ああ、また来るな」
本気で怒ってはいない征士の様子に安心して、二人はほっと息をついたのだった。
当麻とトーマが帰って、征士は一人で部屋に戻った。
スーツの上着を脱いでハンガーに掛け、左手でネクタイを外しながら、ふと上着の胸元の薔薇に気付き、それを手に取った。先刻までの、征士の前でだけ時として煩い二人を思い起こして、知らず苦笑していた。見慣れない薔薇をたくさん持ってきて、散々『似合う』を連呼していた二人だが、何故かそのことに対して鬱陶しいとか、煩わしいとか、そういった負の感情は持てない。結局自分は、当麻やトーマの言動に呆れることはあっても、心底嫌だと思ったことはないのだ。ぼんやりとそんなことを考えながら、征士はまだ綺麗なままの薔薇を花瓶に戻してやり、貰った日本酒の味見をすることにした。『月光の雫』という蒼いラベルに目をやりつつ、グラスに酒を注ぐ。そのままソファーで飲んでもよかったのだが、部屋の湿度が少々気に触ったので、グラスを持ったままベランダへ出た。
ベランダの吹き抜ける風が心地好く、征士はワイシャツのボタンを一つだけ外した。夜風に当たりながら、そっとグラスに口付ける。ふと、グラスの中に月がゆらゆらと浮かんでいることに気付いた。
『月光の雫、か。まるで、月を飲んでいるようだな、これでは』
柔らかな微笑が端正な征士の顔を彩る。それは当麻がいたら、是が非でも見ることを望んだであろうと思われる種のものだったが、勿論征士に自覚は無かった。
何となく空を眺めていると、やはり先刻の当麻の言葉が思い出される。『空を高く飛ぶため』と、彼は云った。こんな晩は、当麻でなくとも夜空を散歩したいような気になる。自分は当麻ではないし、当麻にはなれないけれど。それでも、彼がより高くを飛ぶのに、少しでも助けになれているのならば、それはそれでよいのだと思った。
生まれてきたことに感謝する、と当麻は云った。それならば、自分も同じように思っていると、云ってもよかったのだろう。当麻の存在は、確かに征士にとっても、少し特別なものであるのだろうから。だから、こんな騒がしい誕生日も悪くない、と思えるのだ。
「なかなかの美味だな」
『月光の雫』の入ったグラスを弄びながら、征士の誕生日の夜は更けていくのだった。ENDE 初出・1996.6.9 CUTLAS発行「BE GREEN」
征士の23歳のバースデー本に掲載した話です。
これもかなり恥ずかしい話でした(^^;;)いやはや。
もうちょっと短いかと思ってたんですが予想より長かったですね・・・。文章ひどいなぁ……
つたない文を最後まで読んでくださった皆様ありがとうございました(*^_^*)
拍手なんかに一言頂けるととっても嬉しいです……
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