驚きももの木20世紀「砂に消えた女王・ホクトべガ」1999.4.16放送

 「知ってるつもり」に代表される定番ドキュメンタリーは、どうしてもある程度解りやすくするために対象を、誇張化、定型化して描き、感動を押しつける傾向にあるのだが、この特集にもそんなところはあって、冷静で打算的な調教師、純朴で真面目な厩務員、暖かい関係者、運命を感じたという馬主、そして牝馬を応援する女性ファンといった構図を提示していた。
 個人的には、「女性が牝馬を好きになる、応援する」というパターンには食傷気味だ。「牝なのに牡馬に混じって戦ってよく頑張っている」と言われるけれど、牝馬には限定戦も沢山あって実は結構保護されているのではないのか?比べて、会社や学校では、仕事や勉強を別に女性限定戦でするわけがないから人間の女性の方がもっと頑張っているよ(笑)、安易に同情や同一視することもないのに、と思うのだ。男が牝馬を応援したって、女性が牡馬に憧れたって全然OK、要は、性差を強調、意識し過ぎなのではと感じる。

 ホクトべガの生い立ちからデビューまでも多少悲劇的に描かれていたが、ああいうことはデビューする駿馬のほとんどは程度の差はあれ経験することだ。4歳1月デビューなら全然珍しいことではない。勝った後の挫折なんて、経験できるだけ幸福だったかもしれないのだ。未勝利を20戦以上走り続けて消えていく馬など数え切れないのだ。(ホクトべガが)「強いのか弱いのか解らない」という言葉が紹介されていたが、間違いなく強い馬だったと思う。ただ彼女の場合、中央と地方の交流元年に遭遇したというきっかけで、ダートに転進した。この年にぶつかったというのがやはり彼女の運命で、その後の活躍から結末までも決まっていたのかなあと思ったりもするが…。ちなみにダート転進の時「ダートは得意でないと思った。」という中野師の言葉(これで儲け損ねた人がいる)は紹介されていませんでしたね(笑)。

 それでも、番組の終盤。引退レース・ドバイワールドカップへの出走決定。最後のスタート、競争中止から安楽死へと進み、関係者のインタビューとなっては、やはり胸に迫るものがあった。騎手が死んだ馬を振り返るというインタビューは珍しかったので横山典の話をもう少し聞きたかった。日本と海外でのレーススタイルの違い(激しい争い、インは絶対開かない)を知った、と当時のインタビューで読んだ記憶がある。
 あの年は、3月29日、俺の誕生日にレース予定でBSで中継があったが当時はBSを持っていなくて当然見られなかった。勝手に、バースデープレゼントに良い結果を知らせてくれ、と思っていた。そしたら豪雨で延期。ガレた馬体も戻ったという情報も伝わり、期待がさらに膨らんだ。勿論、サイフォンやカムタラに勝てるとは思っていなかったけど。悲しい結果を知ったのは、電車内で向かいの人が読んでた東スポの記事だった。

  最後に 「競馬にロマンはあるのか」という話をしていたがそれは見る人の心の中を探るしかないのでは、と思う。華やかな活躍をした馬にドラマを見ることも、ロマンを感じることもみんな出来るかもしれない。でも競馬は、それだけではない。ホクトべガのように、ドキュメンタリーを一本作れないかもしれないが、今でも何千頭の馬たちに大勢の関係者がいる。みんな栄光を夢見て、調教に励んでいる。そして、我々の他に様々な沢山のファンがいる。ベテランの競馬オヤジにも、武豊しか買わない人にも、ダビスタ競馬少年にも、牝馬を応援する人妻にも、競馬に人生の半分をささげた予想屋さんにも、高校生から競馬同人誌を出している人にも、一人一人の競馬があって、烈々たる思いがあらゆる人々の心の中を駆け抜けていくのだ。

 俺にとっては…競馬は馬券である。去ってしまった馬には、終わってしまったレースには馬券しか残らない。でも、スピードマニアという馬でドキュメンタリーを作る事だって出来るかもしれない。

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