Aflame with red and yellow





――面白くない。


一年近く連絡を取り合っていない、高校時代の友人からの突然の電話。聞けば、出張で近くに来ているから、是非会いたいという。明日、関西にある本社に戻ってしまうというから、会えるといえば今日、勤務の終わった後しかない訳だ。

尤も、今夜の予定が全く空いているという訳ではないので、時間は勤務後の二時間だけ、場所は新宿にある喫茶店で、という約束をとりつけた。 勿論、今夜の先約には予め遅くなるとの電話をしておかねばなるない。そう思い相手に電話をかけると、訓練中なのか、移動中なのか、電源が切られてしまって通信が出来ない。一応、メールだけでもと、短い文章を打ち、手早く送信した。


新宿駅東口を出て、三分位歩けば待ち合わせの喫茶店に着くだろう。あそこのコーヒーは七百円と高めだけれど、サイフォンで淹れるから美味しいんだよな、などと考えながら雑踏の中を歩いていると、ポケットの中で携帯電話が鳴った。
…この着信メロディーということは、間違いなくあの四人のうちの誰かだ。着信番号表示を見て、いそいそと通話ボタンを押す。

『もしもし?』

「ん。何?」

『あーやっと電話繋がった。でも勤務中は電源切らなきゃだもんね、走せんせ』

「そういうこと。元気か?」

『うん。で、とりあえず用件を。今日俺んとこに冴ちゃんから電話があって、「空いてる日が解ったら、なるべく前日中に電話ちょうだい」って。確かに伝えたよ!』

今年もあのチョコケーキ作ってくれるのかな、と海の嬉しそうな声が続く。

「受けとめた!了ー解っ♪」

『あのケーキ美味しいもんね、俺も楽しみにしてるんだ。ああっとそれから。岳も一緒にいるんだろ?伝えておいて』


――岳も。
そう言われた途端、心の中で何かが波打つのを感じた。


「や、俺今新宿だから」

『は?どうしたのこんな日に一緒にいないなんて』

「あのねぇ。いくら俺でも優先すべきことは優先するの」

『まぁ、いいけど…』

「あんまり長電話したら悪いから、切るな。…あ、この間話してたお好み焼き屋の場所、今度教えてくれ」

『ん。じゃ、またね』

「おう」

半分強制的に会話を終了させ、携帯電話を閉じた瞬間に、再びそれは鳴り出した。背面の小さなサブディスプレイは、今夜の約束の相手からだということを知らせている。

「はいはい。何?」

彼の話だと。
今彼は、走の歩いている場所からものの数分のところにある小さな喫茶店ではなく、新宿駅の西にある某高級ホテルの中。二階にあるフレンチパシフィックの店にいるということだった。店の入り口で彼の名前を言えば、全て整う手筈だとも。

釈然としないまま、走は今来た道を逆戻りし始めた。



    ※    ※    ※





――面白くない。


場違いも甚だしい。
ホテルのエントランスを潜った時と、店の前に辿りついた時の二回。走は小さく舌打ちをした。

元々、小さな喫茶店で少々話し込むつもりでいたのだから、フランス料理に似合うような――例えば、ダブルのスーツとか、セビル・ロウのシングルとか――格好をしている筈もない。心なしか、身体から消毒薬の匂いがするような気さえする。今日の自分の格好がジーンズではなく、防寒用にややシルエットの整ったジャケットを着ているということと、男性のスーツ着用が義務付けられていない、という事が幸いだった。

店の前で、もう一度電話をかける。

『――…現在電波の届かない所にあるか、電源が…――』

もしかしたら、電源を切ったまま、忘れているのかもしれない。そう思い、今度は自分のアパートに電話をかけたみたものの、十回コールしたところでいつもの留守電のナビゲーションがでしゃばってくる。留守電など聞く奴でもないし、このまま自分の声を聞いていても仕様がないので、携帯をポケットに仕舞い。

腹をくくって、店の中へと一歩を踏み出した。

店内には静かにジャズが流れ、銀色に輝くインテリアが静かなBGMと相俟って、独特の雰囲気を醸し出している。今度また来ても良いな、勿論相手は違うけれど、などと料理を食べる前に走に思わせる事ができる時点で、このレストランはかなりの高得点と言えるだろう。

しかし、案内された席についた瞬間に、走は踵を返したくなった。


「はじめまして。獅子、走さん…ですよね?」



    ※    ※    ※





――面白くない。


目の前に座っているこの女性、容姿、言葉遣いや纏っている雰囲気の高級さと、物腰の柔らかさは相当評価に値すると思うけれど。

それにしても、やり方がきたない。

走を嵌めたのはこの女性か、走の同級生のどちらかなのだ。二人で共謀したという可能性もあるにはあるが。
腹立ち紛れに、食前酒には一番高い果実酒を選んだ。


しかし、いくら腹をたてていても、走は結構なフェミニストだ。ここで突然怒鳴りつけたり、席を立ったりすることで、相手の女性に恥をかかせるのはあんまりだろう、と、脳の冷えている部分が機能している。それを知ってか知らずか、彼女は先程から会話を途切れさせることなく、優しく走に語り掛けていた。
容のよい唇には、その白い肌に合った鮮やかなルージュが引かれ、アペタイザーの入ったイタリア製のデザイングラスを傾ける度に、細い指に嵌っているゴールドの指輪と、薄めに塗られたネイルが控えめに輝く。時折見せる、茶色くカラーリングがされたセミロングの髪を掻き揚げる仕草も、よく計算されている、と思う。普通の男であったら、このままこのホテルに一泊してしまおうかなどと考えるに違いなかった。

「卒業アルバムを拝見させていただいて、それからずっと、お会いしたいと思っていました」

「本日は無理を言って、申し訳ありません」

「飯山くんとは大学のサークルでの同期で…」


話の内容に興味は全く無かったが、適当に相槌を打っているうちに走は更に苛々してきた。この女性が、自分の最も嫌いなタイプだと解ったからだ。

自己主張はするけど人の意見は聞かない。

大方、今日の事だって飯山に無理矢理セッティングさせたのだろう。あいつは、其処まで他人の為に事を運べる人間ではない。ましてや、この女性がどういう人間だ、ということは彼の方がよく知っているのだから。

ふいに、女性はテーブル横にある、バゲージラックに目をやった。
クロークに預けるには忍びないから、と走の荷物は全てのこの中に入っている。


「もしかして、恋人、いらっしゃります?」


女性がこんな事を言ったのは、走の小さなバッグの横に置いてある、小さな紙袋を見つけたからだろう。
それは、目黒にあるチョコレート専門店の物で。

尤も、貰ったものではなく、これから贈るものなのだけれど。
チョコレート好きの相手はきっと、どんなものでも美味しく食べてくれるとは思うけれど。それでも、何かいつもと違ったものがいい、と走が思考錯誤をした結果なのだ。

「ええ、いますよ」

こういった事には正直に答える質だ。黙っていることもないし、何より相手を牽制したかった。

しかし、次の言葉は、走の細かい牽制を水泡に帰すようなものだった。



「どんなにか素敵な恋人なんでしょうね。こんな日に一緒にいないなんて」



    ※    ※    ※





――面白くない。



私なら、と女性は言い。

ごく自然な動作で走の右手を取った。


「私なら、どう?」


今時、こんな古い手を持ち出し、こんな古い台詞を操る人間がいるものなのか、と走は関心していた。但し、関心の方向が些か不謹慎ではあるが。しかも、走が『恋人』と供にいられないという事を自分のせいだと思っての台詞なのか、否か。どちらにしても相当頭の悪い行為である。

しかし、これで腹は決まった。
もうこれ以上ここに長居する気はない。
友人の顔を立ててやろうという気持ちや、これから運ばれてくる筈のコース料理など、走を引き止める材料の一パーセントにもならない。


「残念ながら。貴女より言葉遣いも目つきも悪いんですけどね。いいのは性格と相性くらいかな」

と、相手に負けず劣らず幼稚な文句を返しておいて。
走は立ち上がり、バゲージラックから手早く荷物を取った。



    ※    ※    ※





――面白くない。


アパートの階段下にバイクを止めて腕時計を見ると、既に八時前。
岳にはあの後、何回も電話をかけてみたけれど、依然として連絡がつかない状態だった。

来ているであろうことは部屋の明かりで確認が出来たが、電話に出ないのは…。


案の定、鍵のかかっていないドアを空け、ただいま、と言ってみても、室内からは何の返事も無く。

不思議に思って居間を覗き、走は一回深く溜息をつき、そして破顔した。


恋人は、ソファの肘を枕代わりにして穏やかな寝息をたてていた。


点けっぱなしになっているテレビを消そうとリモコンを探すと、それは岳の左手にしっかりと握られていて。どうやら、帰ってきてテレビを見ていて、そのまま寝こけてしまったらしい。しょうがないな、と走は笑い、テレビの主電源のスイッチを直接オフにした。

テレビでは金曜夜の人気バラエティーが流れていて、相当煩かった筈なのに、それに眠りを妨げられた様子もなく、穏やかに眠っている岳を見て、走は身体の力が抜けてしまい、あはは、と小さく笑った。

脱いだばかりのジャケットを身体の上にかけてやり、半開きになった唇に、そっと自分のそれを触れ合わせる。




    ※    ※    ※


「ん…」

ソファの上で、岳が小さく身じろぎをした。

どうやら身体の方はすっかり覚醒したようで、両手を頭の上に挙げ、うー、と伸びをする。寝癖のついた髪をがしがし掻いている、その顔を覗き込んで、走は言った。

「岳、おはよ」

「んー…すっごくおはよー…」

「それ、あのCM観過ぎだよ」

苦笑して、短めの前髪をかきあげてやると、ふいに、がしっと手首を掴まれた。

「誰と浮気してきた?」

言葉とは裏腹に、岳の顔は穏やかで。
それどころか、にやにやと笑ってさえいるのは、信用があるからだなどと思いあがってもいいのだろうか。

「美咲さんはこんな香水つけねーよな。尤も、医療関係者が職場に香りを持ち込むなんてしねーだろうけど」

勿論患畜の飼い主も、然りだ。

「や、ね。今日は嵌められた」

走は知る由も無かったが、あの女性のつけていた香水はDREAMS BY TABUという。サンダルウッドやバニラが香る、どちらかと言えばセクシーな香りで、美咲がプライベートでつけているシトラス系の香水とは全く種類が違う。

「まぁ、今日はバレンタインデー?だしな」

ワザとらしく語尾を上げて、岳は走の首に腕を回した。

顔を傾けて、触れるだけのキスを唇の右端に残すと、

「色男」

と低く呟いて、唇の左の端に噛みついた。


「…ッて!」

「フェミニストも程々にしねぇと、そのうち既成事実作られちまうぞ?」



    ※    ※    ※


当分痕が残るだろう、と医者としての自分が言っている。
まだひりひりと痛みの残る其処をさすりさすり、テーブルの上の雑誌に目を落とす。
キッチンでは、当の岳が鼻歌など歌いながら、挟み網をくるくると引っくり返している。

Don't want you for the week end
Don't want you for a day


その歌は、岳の好きなアイルランドのグループの曲だった。洋楽といえばロックにしか縁のなかった走だが、岳からCDを借りてからは、自分でも口ずさむようになった。

歌詞の意味を悟り、知らず、顔がほころんでしまう。

――まぁ、本人は無意識なんだろうけど。



結局、夜飯は意見の一致で近所にあるラーメン屋へ。

特徴のあるとんこつ醤油のスープをすすりながら、岳は言ったものだった。

「ホントは豪勢なヤツ、作ってやろうと思ってたんだけどな。材料も買ったし」

「ゴメン、な。寝ちまって。電話もしてくれたんだろ?」


そして、家に帰ってから渡されたものは、日本酒と、つまみ用のカラスミだった。


「チョコより、こっちの方がいいだろ?どうせ俺がお前にあげても俺が食べることになるだろうし」

聞けば、商店街を歩いていて、『バレンタインデーに、冬のお酒はいかがですか〜』という声が聞こえて、突如ひらめいたらしい。日本酒だけでなく、高級食品とされるカラスミまでつけてくれるのが、良く気のつく岳らしいというか。

「今カラスミ炙るから」

「サンキュ」


炙りたてのカラスミを薄切りにした大根に挟み、大皿に盛ってリビングへと運ぶ。
リビングにあるローテーブルの上には、既に二つの猪口が置いてあって。

台所を片付けた走は、そこへ腰を降ろした。そして、たった今冷蔵庫から出したばかりの紙袋を、岳へと手渡す。


Happy Valentine's Day♪」

「サンキュ、色男」

「やっぱり行事はこなさないとね」

「いやでもしかし、結構寒いモンだぞ、男同士で何か贈り合うのって」

「いいじゃん。ヨーロッパでは男性が恋人に薔薇贈ったりする習慣もあるし」


聖バレンタイン司教は3世紀頃に実在したキリスト教の司祭。
その頃のローマ皇帝・クラウディウス2世は、兵士が家庭を持つことによって、軍隊の質や志気が落ちると考え、兵士の結婚を禁じていた。
しかし、バレンタイン司教はそれに反対して、結婚を望んでいる兵士たちの結婚式を密かに行っていたらしい。やがて結婚式をしていたことが皇帝に発覚し、バレンタイン司教は269年2月14日に処刑されてしまった。

その後、バレンタイン司教のおかげで結婚することができたカップルたちが、バレンタイン司教の命日に追悼と感謝の気持ちを込めて、プレゼントを贈り合うようになったのが起源になったとい言われるのが「聖バレンタイン司教説」だ。

イギリスのヘンリー王が2月14日を王室憲章により「バレンタインデー」として宣言したのが1537年。18世紀までにはイギリスで一般行事化し、恋人たちが手作りのカードやギフトを交換していた。
因みに、日本の某有名お菓子メーカーが『恋人に贈り物をする日』として、日本初の宣伝を行ったのが1936年。

まぁそんな薀蓄はこの二人にとってどうでも良い事である。


「まぁいいけど…開けてみてもいいか?」

「ん。是非是非」


走が岳に贈ったのは、オレンジリキュールの入った生チョコと、一枚一枚丁寧に銀紙に包まれているトランシュという板チョコ。どちらも、この店オリジナルのものだ。


「マジ…サンキュ、な」

「岳のカラスミには及ばないけど。ねぇ、食べてみる?」


走は、オレンジ色の箱に行儀良く並んでいる、生チョコを指で摘み上げ、岳の口元へ持っていった。

ぱく、と食いついた岳の唇を指でなぞり。

間髪を入れずにその唇を自らの唇で塞ぐ。

熔けかけたチョコレートを使い舌を滑り込ませ、今まさに咀嚼しようと待ち構えていた岳の前歯を軽くなぞる。

「…ぅ…ん…」

かち、と歯と歯の当たる音が頭の中でいやに大きく聞こえる。
チョコレートの甘さでコーティングされた、とろけそうな舌を絡ませて、二人はお互いの口内を蹂躙していった。

「…ッ…ぅ」

オレンジリキュールの香りと、甘すぎる吐息が鼻から抜け。
岳はくったりと力の抜けた躰を、目の前の相手に預けた。


「…ッカラスミとチョコ、って似てないか?」

「…俺もそう思ってた」



ねっとりとした、こくのある味わい。


舌の上を滑る、濃縮された旨み。



「…やみつきになりそう」

「馬鹿」







                      END?







2003.02.16. 脱稿

Happy Valentine's Day!!

二日遅れ。遅くなってすみません。
バレンタイン獅子鷲です。
バレンタインデー、ということで珍しく鷲が勝ってます。
前半は鷲を出さずに獅子鷲を醸し出そうとして失敗。

鳥魚子(カラスミ)が食べたいのは自分です。
鷲が歌っているのはThe CorrsのIRRESISTIBLE
歌詞の和訳は割愛(単に恥ずかしいから)
冴ちゃんのチョコケーキはUみきんぎょ嬢のSSから拝借。
かっわいーから!お勧めです。リンクから飛んでって下さいな。


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