其乃肆  Chinese delight (仮)





銭を卓に叩きつけて店を去った男に続いて、少し前まで其の男と梵語で会話をしていた相手の男も追うように店を出ていった。二人がばらばらに店に入ってきたのだから、別段知り合いという訳ではなさそうだ。

「気に食わねぇな。胡人よそもんの癖にでかい面しやがって」

どう見ても異国人だと言う事が解る風体の二人が、酒肆チュウシの雰囲気を白けさせて出ていったのがどうも気にいらないらしいその男は、指を撥々と鳴らしながら立ち上がった。大方、二人を追って行って路地裏で制裁を加えるつもりなのであろう。

別干椶事やめとけ

血気盛んに立ち上がった男の連れと思われる眼鏡ヤンリンをかけた男が、冷ややかな視線で見上げ、やんわりと制した。

走老師ツォウラオシ…何でだよ」

ツォウと呼ばれたその男、身の丈は先程店を出ていった岳と同じ位か。 『老師せんせい』と呼ばれるには些か若すぎるその面を連れの男に向けて、走は冷たく言った。

「返り討ちにされるよ、きっと」

身の丈六尺半、筋肉隆々、人間でなければ八面六臂ともなれるであろう大男に対し、そう評してにっこりと笑う。男は毒気を抜かれた体で、しぶしぶ椅子に座りなおすと、走老師がそういうんじゃしかたねぇ、などとぶつぶつ言いながら、飲み残していた酒をちびちびすすり始めた。
走は、そんな男を見て、満足そうにもう一度微笑むと、先程胡人二人が出ていったばかりで、今だ主が見つからず空のままの卓袱に目をやる。

ふと、卓袱の下に煌々と輝くものを見た気がした。

「あれ…?」

錯覚かと瞼を擦ってもう一度。
やはり、小さな輝きが目に届く。
その輝きは、小さいながらとても鮮明で、他にも気付く人が居ても良いようなものであるが、卓袱の近くに座っている者供は、一人として反応を示さない。

店内隙無く配置されている卓袱と、客と、胡姫の合間を縫って走がその卓袱の下に目をやると、紐に繋がれた小さなチュウが落ちていた。 拾い上げて、掌で転がす。山吹色の網紐に、小指の爪位の透き通った珠が結ばれているそれは、服袖の飾り紐か何かだろう。

「へぇ…変わった珠だな」

煤油灯ランプに翳して見ると、水晶のようなひんやりとした手応えを持つその珠の中に金色の箔が封じ込められているのが解った。どうやら其れのせいで光を反射するらしい。

不思議な輝きに魅せられる様に、走はその珠をこっそり帯に締まった。

「また…会えるような気がするし」

忘れられるはずが無い。
最初に大きな荷物持って出ていった、あの男。

この珠と同じ輝きを持った、あの髪。


夜でさえ眩しい程の金髪は、日の光の下でどんなにか眩い光を放つ事だろう。


「走老師、どうした?」

「何でも無い、そろそろ出ようか?」

「ああ、今日は相談に乗ってもらってすまなかったな」

「奢りだろ?」

に、と笑って連れの大男の肩を叩く。


――こうして、長安チュウアンの夜は更けて行く。





      ※     ※     ※



かさり、と、静かな音がして、枝が揺れる。


ユエ?」

聞きなれた娘の声に、岳は月琴を奏でるのを止め、自分の頭上に居るであろうその声の主に声をかける。

冴小妹フゥシャオメイか。何だ?」

フゥは、岳の前に突き出している枝に両足だけを使って器用に逆さ吊りになり、その態勢のまま、岳に向かって話しかけた。

煌蓮ファンレン様が呼んでます」

煌蓮とは、岳達戦士を教え導く仙女の名であり、普段は神泉廟シェンチェンミャオという処に居る。冴はその煌蓮の弟子であり、道士なのである。
頭の上で丸く纏められた髪には、真っ白い織布で拵えた飾りが結んであって、冴が頭を揺らす度、ゆらゆらと岳の顔を霞める。それを面白そうに目で追って、尋ねる。

「呼んでる?何時から?」

それを聞くと、冴は少し膨れた顔をして。

「さぁ。昨夜から呼んでるのに…岳ったら居なくなっちゃうんですもの」

どうやら、術を使って岳を呼び寄せる程の一大事ではないようだが、大事小事に関係無く完全に遅刻。しかも岳が煌蓮の呼び出しに遅れる事は、今の此れを換算しなくても、二度や三度で済む回数ではない。
そう何度もやらかしていたら、いくら温厚な仙女様でも何を仰ることか…。痛い頭を抱えて重い腰を上げるしか、岳に残された道はないようである。

「一体何の話なのやら…冴小妹は何か聞いていないのか?」

不得記録オフレコとしか聞いてません。でも…」

口篭もり、冴は視線を二人の居る木の根元辺りに送った。そこには、今朝方岳と共に宿営地に到着したユエが、幹に持たれてすやすやと寝息を立てているところで…。

「あいつ関係…って事か?」

「ええ…多分」

「解った。これから行って来るわ。ありがとな冴小妹」

岳が言い終わるか終らないかの内に、冴は更に頬を膨らませて、未だ枝にぶる下がったままの身体を少し荒っぽく揺らした。 ぴし、と音がして、冴の頭のお団子から垂れ下がっている雪白色の飾りが岳の高い鼻の頭を掃った。

「痛…ッ!?」

「……岳、『小妹おじょうちゃん』なんて呼び方やめてって何時もいってるでしょ」

「痛ってー…その気取った喋り方やめたらこっちだって考えてやるよ…あー…いてぇなぁ…」

鼻の頭をさすりさすり、岳が痛がっていると、少し離れた所からハイの元気な声が響いた。

「冴ー!何時の間に来てたの!?こっちで一緒に遊ぼうよー!」

「あ、海ー!今行くー!」

枝に引っ掛けていた両足を延ばし、枝から身体を離れさせると、地面に付くまでの間にくるくるくると三回宙返りを決める。寝ている月を起こさない様に静かに着地すると、冴は海の居る方へと走っていった。
その後姿は、まだ『小妹』と言われる程幼くて、そして、そんな様子が一番、冴らしい。そんな事を、岳はいつも思うのだ。

岳は、ふぅ、と一息付くと、自分の下で寝ている月をちらりと見て。

「さて…行くとするか」



      ※     ※     ※



神泉廟に着くと、煌蓮仙女は泉に向かって何時もするように、頭を垂れて祈りを捧げていた。

「岳?」

白い衣を翻させて振り向いて、にっこりと微笑む。

「…『岳』只今馳せ参じました」

岳は荒い息のまま、傍にあった岩に凭れかかる。鍛えているとはいえ、三十里程の道程を全力疾走で山登りするのは流石に酷であった。

「お疲れ様。早速本題ですが…」

労いもそこそこに、この仙女が本題に入るとは珍しい事だ。相当急ぎの用事なのかと、岳は息を整えて、煌蓮の言葉に耳を傾けた。

「昨夜あなたが連れかえった『月』という男のことですが…私の占いでもやはり、仲間だと…」

「やはり…」

「はい。…けれども『月』は六番目の戦士の筈でした」

「え?」

現在戦士としての命を受け、共に戦っているのは、岳、冴、海、草、の四人。
月が新しい戦士だとするのなら、五番目の戦士の筈である。

「そして先程…本来の五番目の戦士が見つかりました」

「は?」

「岳、その戦士を迎えに行って下さい」

「何故…俺が?」

新しい仲間を連れてくる役割は、本来煌蓮の弟子である冴が行うべき任務だ。しかし、岳を直々に呼びつけて迎えにいけとはどういう事なのか。
訝しげに眉を顰める岳を見て、煌蓮は可笑しそうに笑って。

「貴方は、もう一つ忘れ物をしてきたようですよ?」

そう言って仙女が指差した先は、岳の半袖の袖口。
はっと気付いたように岳が視線を走らせる。何を無くしたのかは直ぐ解った。袖口に通してある筈の飾り紐が抜け落ちてしまっていたのだ。

只の飾り紐であるならば、付け代える事は容易だが、問題はその紐の端に結ばれていた金色の宝珠の欠片。ごく小さい欠片とはいえ、其の宝珠は、岳の力に感応して気を発しつづける。その気は、本体である岳に比べたら極微弱なものなのだが、只の一般人が触れたら無事が保証出来ない。宝珠に触れられるのは、岳達戦士とそれを導く煌蓮仙女、彼らだけなのだ。

そして、目の前の仙女は未だ微笑んだまま。

「って事は…」

「そう。其の宝珠の拾い主が、貴方達の仲間です。岳」

岳はほぅ、と息を吐き出して安堵の表情を浮かべた。
どうやら昨夜に引き続き、もう一度長安に行かなければならないようである。

「解りました。早急に」

踵を返して廟から去っていった岳の、其の背中を見つめて。
本当はもう一つ、彼に告げなければならない事があったのだが、未だ機は熟していない。

そう、己に言い聞かせて。


仙女はぽそりと呟いた。


「私の占いから、未来は少しずつずれてきています」

「貴方の国の将来も…もしかしたら…」











                        NEXT?




2002.05.25. 脱稿
 
前回から余り日を空けずに書き終えました。
走先生の登場でございます(笑)
彼のイイ仕事っぷりは次回に語られると思います。
こっそり眼鏡かけてるしね!(笑)
そしてきっと獅子鷲が出会うんだ…やっぱ獅子鷲はいいなぁ…

今回も新キャラお目見えですね〜お二方。
冴っちとチャイナ版テトムこと煌蓮仙女です。
彼女らの仕事っぷりものちのち…

どこかで聞いたような話を牙吠でやってみようという安直な試みで生まれたチャイナ牙吠。
どこへいくのか彼らは…(西域!?)
全員出揃いましたね〜そのうちプロフィールも書き換えます。

さぁ次は極一部でかなり期待されているチャイナ獅子鷲ですよ〜(笑)