Y que burlemos las distancias.





「ん…」

濡れた音をたてて、絡みとられた舌を強引に解き。同時に、密着していた薄い胸板を強く押し返す。

「ちょ…っ」

「ああ、わり」

不意を付かれて、フローリングの床に軽く尻餅をついた形になった走は、その相手に向かって非難めいた視線を投げつけた。
大きな二重を細めて、この難しい気分屋の顔を窺う。
くすんだ金髪も、白い首筋も、少し低目の声音もいつものままで。
ただ、顔だけは、俯いて影を落としている前髪のせいではっきりとは解らないのだけれど。

「岳ー…?」

「わりぃ…ちょっと…」

「へ?」

「…ッ…く…ッ」

「がく…?」

「…くッ……ッ」

かたかたと小刻みに震える肩と、その声。
脳裏で激しく点滅する疑問符を、強く頭を振る事で消し去った走は、柔らかな金髪をその胸に抱き寄せたのだった。




「…っく……ぷッ」

「は?」

「…ッあはははははは!!」

「…はぁ??」


震える肩も、声も。
つまりは…笑っていただけということ。
余りの結果に呆然とした走は、抱き締めていた腕を緩めて、未だ腹を抱えて笑い続ける岳を解放した。
そして、自らは少し離れた処に正座をして。

「ぶ…ッっくっくっく…」

「…あのー…?鷲尾せんせー?」

「ん…何?」

「俺が、キスの最中に突き飛ばされて尻餅つかなきゃいけなかった理由、教えていただけませんか?」

「ぷ。お前それやめろって、似あわねーぞ」

笑いすぎて潤んだ片目を擦る様子と、口の悪さのミスマッチがなんとも岳らしい。

「教えていただけないでしょうか?」

「それやめろって。…っていうか…わりーな」

「?」

「なんか急に思い出しちまった。…アレがここに来た時のこと」

「あれ?」

「アレ」

そう言って岳が指差した先には。



陶器でできた、獅子型のごみ箱。



     ※    ※    ※



八月。

受話器の向こうからは、いつもと変わらない声。

…ただ、いつもと違うのは、その電話が海を隔てたものであるということ。
今年の夏、走は獣医の研修やら何やらで、一ヶ月上海に飛んでいる。

俺はといえば、たまに出来たオフに走のアパートへ行って、部屋の換気をしたり埃を掃ったり。

そんな、ある日。


『だーかーらー!すげー可愛いごみ箱見つけたんだってば!』

たかがごみ箱に『可愛い』などという形容詞を付けることが出来るヤツは、世界中探してもきっとコイツだけだろう。あまりの事に飽きれてついた溜息が向こうにも聞こえたのか、電話口がさらにやかましくなる。


『あ、今溜め息ついただろ!実物見て驚くなよ!街の人に聞きこんで探しまわったんだからな!見つからなかったら獅子林シーズリンにあったごみ箱ギって来ようと思ってたんだから!』


獅子林シーズリンっていうのは、蘇州四大庭園の一つで、庭園の中にある太湖石の形が獅子に似てるってのがその名前の由来らしい。…コイツのことだ。名前に惹かれて立ち寄ったに決まってる。絶対。

そんなことはどーでもいいが…おいおい。流石に世界遺産から物盗んできたらまずいだろうがよ。引退したとはいえ、曲がりなりにも正義の味方が。

しかも『ギる』って…今をときめく獣医さんの使う動詞じゃねえだろ…


「走せんせー。言葉遣い、ヤンキー用語になってますよ」

『細かいことは気にしない!多分今日明日には届くからさ!』

「今日明日…って…」


―ピンポーン。



その時。
タイミングがいいのか悪いのか、部屋のチャイムが鳴って。

『獅子さんー!宅急便ですー!』の声。



     ※    ※    ※



厳重に梱包された外装を解くと、中からひょっこりと黄色いものが顔を覗かせた。
しっかし…これって…獅子っていうよりか狛犬とか、シーサー系の顔だよな。あ、シーサーは獅子か。

ぱっちり見開いた目に、吼えるように大きく開かれた口。
そのぱっかり開いた口が、どうやらゴミの捨て口になっているらしい。

今にも動き出しそうな獅子と、上海で元気にやってるらしいアイツが重なった。


「…ぶっさいくだなーお前…」

なんとなく、ひんやりとした頭を撫でてみると、獅子の後頭部に何やら紙が貼ってある。


『お前、猫っぽくて黄色いキャラクター好きだろ?  獣医』


おーい。アレとコレとを一緒にすんじゃねえ。


…………。

とりあえず、部屋の隅にでも移動させとくか。



ごとごと、ごとん。


…げ、重てえ。



     ※    ※    ※



「その時の獅子は、重たくて運べず、結局今もこの部屋にあるわけで」

「岳、『北の国から』観過ぎ」

「?」

「あっそ。自覚ないんだ……でもさあ、それがそんなに笑うコトか?」

「笑う事」

実際、あの頃はちょっと淋しかったのだ。
だからこそ――口には出さなかったが―国際電話はかなり嬉しいものであったし。

勿論、本人の帰国よりも早く届いた土産も。


何にせよ、この二人の間の距離を笑い合えて良かったなあと、そういうわけで。




そして、岳はにこりと微笑む。
笑って、お預け状態で未だ正座を解いていない走の、唇の端にそっと口付けた。

「ん…シてもいいけど、あんま激しいのは勘弁な」

唇を離し、走の耳元でそっと囁く。

「なんで?」

「買い物、行くんだろが明日。明治通り」

「そうそう!ポールスミスのジャケット!岳に絶対似合うと思うんだよなぁあれ!」

「…走、わかったから喋るかヤるかどっちかにしろ」



そうして部屋の灯りが消え。

室内が甘い吐息で満たされた頃。

部屋の隅に置かれた陶器の獅子。



その瞳が、きらりと光ったとか、光らないとか。








                    END







2002.09.15. 脱稿

リハビリも兼ねて久しぶりの獅子鷲。
いやー日本語が復活しなくてまいったまいった。

苦肉の策で普段とは違った雰囲気の文にしてみました。
(タイトルも)

テーマは『獅子鷲(夫婦)』でした。
獣医には脈絡なく上海に行ってもらいました。自分のネタは使わないと!(捨て身)

獅子型のゴミ箱は実際、蘇州で管理人が一目ぼれしたものです。
友人が止めなきゃ世界遺産からギってくるところでした(やめれ)
ああー…ディ●ニーランド以上に可愛いよこのゴミ箱!(贔屓目)

ゴミ箱一つで獅子鷲れる(動詞)自分の頭が恐ろしいです。

何にせよ、更新復活!!日本語も復活!(多分)