俗に渋(しぶ)と呼ばれる物がある。
 植物の葉に昆虫が寄生すると、その部分は瘤(こぶ)の様に腫れ上がり、この虫瘤が渋と呼ばれるようになる。
 地方によっては渋柿を代用品として用いる事もあるが、それでも皮をなめすのに使われる渋としての性能と言う点では、虫瘤には遠く及ばない。
 その夏の日、一人の少年がこの虫瘤を一心不乱になって探していた。
 今日は皮をなめす予定であり、少年の仲間のうち二人が動物を獲りに行っている。
 二人の狩人が獲物を獲って帰って来る前に、少年としては皮をなめす準備を整えておきたかった。

「戻ったぞ、フォスタリオ。」

 この背後からの声を聞いて、少年フォスタリオは驚愕して硬直した。
 フォスタリオが恐る恐る振り返ると、そこには一人の狩人が槍を片手に立っていた。
 この狩人の槍には鮮血の跡が見えるが、獲物は見当たらない。

「セ、セレニオ…。」

 フォスタリオは狩人の名前を口にした。
 セレニオと呼ばれた狩人は何も答えず、村の方に戻って行った。
 セレニオが目の前からいなくなると、フォスタリオは少し安堵した。
 フォスタリオは無口なセレニオが苦手であった。
 落ち着きを取り戻したフォスタリオは再び虫瘤を集め始めた。

「フォス兄、猪(いのしし)獲って来たよ。」

 程なくして、二人目の狩人が猪の死体を肩に担いで戻って来て、フォスタリオに向かって呼び掛けた。
 その人物は狩人とは言えフォスタリオより2歳ほど若く、まだ15歳にもならないような少年であり、得物も槍ではなく弓矢を携行していた。
 フォスタリオは本当に安堵した…セレニオの槍で突き殺されたのは猪であった事が確認できたからである。

「無事だったか!」

 それがフォスタリオの返事であった。
 この幼い狩人はセレニオの弟であり、名前はセルネリオと言った。
 彼らは名前こそ似ていたが、それ以外は何一つ似ていない兄弟であった。
 無愛想な兄セレニオに対し、弟セルネリオは人当たりの柔らかい少年であった。
 また、セルネリオは顔立ちに気品があり、狩りの技術、こと弓の腕前にかけては今や兄セレニオ以上なので、そのうち嫉妬に狂ったセレニオに殺されるのではないか…フォスタリオは危惧していた。

「平気だよ。うちの兄ちゃん強いから。」

 セルネリオは無邪気に微笑んで言うが、それがフォスタリオの心配の種であった。
 セレニオは槍だけでなく、狩りの道具ではないはずの剣の扱い方も妙に上手く、熊や虎さえ殺せる男であった。
 つまり、セレニオにそのつもりがあれば、人間を殺す事も可能なのである。

「セルネリオ…人間、強ければ良いって訳じゃないと思うよ。」

 フォスタリオはセルネリオを諭して言った。
 かつてセレニオは、小熊を守ろうとして襲い掛かって来た母熊を斬り殺し、さらに小熊まで殺して村に持って帰って来た。
 確かに小熊の肉は美味かったが、それでもセレニオの行為には納得の行かない所が多い。

「フォス兄はうちの兄ちゃんを誤解してるんだよ。それより、渋は取れた?」

 セルネリオに尋ねられたので、フォスタリオは集めた分の渋を見せた。
 すると、セルネリオが頷いて言う。

「それだけあれば十分だね。じゃ、帰ろ。」

 セルネリオとフォスタリオの二人は連れ立って村に帰った。
 
 
 
 二人が村に帰った時、フォスタリオの姉フォクメリアが村の畑の草むしりをしていた。
 本来の草むしり当番であるはずの女サランドラの姿はどこにも見えない。

「姉さん、サランドラは?」

 フォスタリオは一応質問した…答えなど期待していない。
 お人好しのフォクメリアがサランドラに騙されるのは珍しい事ではない。
 それにしても、サランドラの詐欺師としての才能は実に驚異的な物である。
 そして、常に騙され続けるフォクメリアもある意味では非凡な人材である。
 それはもはや、この村の風物詩にすらなっていた。

「サランドラは知らないけど、セレニオなら帰って来てるよ。ほら、あそこ。」

 フォクメリアはそう言いながら指を差した。
 フォスタリオ達がよく見ると、セレニオも草むしりを手伝っているのが見えた。
 しかし、セレニオの方はフォスタリオ達に見向きもせず…やがて草むしりを終わらせると、そのままどこかに立ち去った。

「姉さん、アレやばいよ、絶対。」

 フォスタリオはセレニオが視界から消えてから言った。
 最近、セレニオと姉フォクメリアの仲が良いようなので、フォスタリオは言い知れぬ不安を覚えていた。
 しかし、姉フォクメリアは弟フォスタリオを睨み付けた。

「じゃ、それ、本人の前で言ってみたら? それよりもフォスタリオ、私はあんたの方が心配よ。この際はっきり言っとくけど、あんたは修行が全然足りてない。今のままじゃ、守人の務めなんて果たせやしない。」

 姉フォクメリアの説教が始まった。
 弟フォスタリオが顔に苦渋を浮かべる。
 この姉弟の家は代々この村を守護する守人であり、二人とも幼い頃から剣術と魔術を教え込まれて来た。
 今年で24歳になる姉フォクメリアは先代の守人である父親の役目を引継ぎ、次代となるべき弟フォスタリオの教育をも引き受けていた。
 馬鹿正直な姉フォクメリアの教育方針には妥協が無く、満足に遊ぶ暇すら与えられない弟フォスタリオにとってはいい迷惑であった。
 第一、剣術など習っているのはこの村でもフォクメリアの一家だけであるし、魔術にしても所詮は気休め的な民間魔術である。
 しかし、弟フォスタリオは姉に逆らう訳には行かなかった。
 気力体力ともに最盛期にあるフォクメリアの力に逆らえる者など、この村には存在しないのである。

「でも、姉さんが十分強いから…。」

 この弟フォスタリオの言葉を聞いた途端、姉フォクメリアは胸を抑えてうずくまった。
 そして、姉フォクメリアが苦しげな声を装って言う。

「うう、心臓が…。フォスタリオ、あたしはもう長くない。…あんたしかいないの、私の技を継いでくれるのは…。」

 仮病を使ったつもりの姉フォクメリアであったが、その血色は健康そのものであった。
 もし、この世にフォクメリアに騙される者がいるとすれば、それは彼女自身以外には考えられない。
 黙ってフォスタリオ達を見ていたセルネリオも乾いた笑みを浮かべた。

「メリア姉の事はどうでもいいから、早く皮なめそうよ。」

 セルネリオはそう言ってフォスタリオを連れて行った。
 草むしりの終わった畑にはフォクメリア一人が残った。
 孤独感がフォクメリアを襲う。

「はあ、全く、最近の若い者は…。」

 そう呟きながら、フォクメリアは自分の過去を振り返った…他の子供達と遊ぶ事すらせず、ひたすら修練に明け暮れていた。
 それに引き換え、フォスタリオの怠慢さはどうであろう…もっと基本的な所からしごき直す必要がある。
 …フォクメリアはそんな事を考えながら、村の矢倉に向かった。
 フォクメリアは矢倉の上に登った。
 この矢倉から村とその付近を監視するのが守人の務めである。
 先ほど、サランドラが代理をすると言っていたが、案の定、サランドラは眠りこけていた。
 フォクメリアはサランドラをそのままにして村の監視を始めた。
 フォクメリアは持ってきた水盆から水をすくい、「右手に光、左手に瞳、分かたれし兄弟たちよ、我に道を示したまえ。」と呪文を唱えた。
 守人に伝えられる遠視の魔法である。
 フォクメリアの眼前に遥か遠くの景色が映る…隣村の矢倉まで見えたが、その矢倉は無人であった。

「(あーあ。もう、守人なんて要らないのかなあ?)」

 毎日見張りを続けるフォクメリアには見慣れた光景であったが、それでも見る度に空しさを覚えた…自分の存在意義に疑問を感じてしまう。
 他の村の守人達もその疑問に負け、守人としての役目を放棄したのであろう。

「(守人も私の代で最後だね。)」

 フォクメリアはそんな事を考えた。
 フォクメリア自身は守人としての役目を捨てるつもりはないが、その後を継いでくれる者には心当たりがなかった。
 しかし、それは「仕方がない」とも考えられた。
 かつて守人は水の司とも呼ばれ、人々の暮らしを益する水の理法という術を伝えていた。
 今でも「火から水が生まれ、水は万物を生んで流転する」という水の理法の教義は守人フォクメリアまで伝えられているものの、術についてはその多くが失伝してしまっている。

「やっぱり、守人は私が最後でいいんだ。」

 フォクメリアは呟いた。
 自分は伝統を守ってきたが、古い伝統が廃れていくのは世の道理なのかもしれない。
 人の世はそうやって変遷してきた。
 自分はこれからも生き方を変えるつもりはないが、後の者の生き方を決めるのは彼ら自身である。
 フォクメリアはそんな事を考えながら見張りを続けた。
 
 
 
 フォクメリアは少し遠くの村に目を向けた…すると、普段とは少し異なった光景が見えた。
 やはり、何か変化があると嬉しいものである。
 フォクメリアは我になく興奮した。
 見ると、その村は奇妙な鎧を着けた連中に襲撃されていた…村人たちが生きたまま磔(はりつけ)にされ、血を流している。
 フォクメリアはしばらく自分の見た事を理解できないでいたが、やがて恐ろしい事実に気付いた。
 フォクメリアは他の村々にも目を凝らした。
 すると、同じような状況になっている村が他にもあった。
 フォクメリアは努めて冷静に、襲撃されている村の位置を考えた。

「(海に近い村が襲われている…。でも、あんなとこに海路なんて…。まさか!?)」

 不意に、フォクメリアはある事を思い出した。
 伝説によると、フォクメリア達の先祖は海の民と呼ばれていたらしい。
 海の民は貝殻や海亀の甲羅などの海産物を加工する事に長じていると言われ、今、村々を襲撃している者達の武具はまさにそうした細工の産物であった。
 そのうえ、襲撃者たちの体つきを見ると、若いころの父ファドニオのように剣術で鍛えられたような逞しい体躯で、争いごとの少ないこの近隣ではなかなか見られるものではない。
 また、大地に敵の血を注いで供養するのは、海の民を発祥とする水の理法に伝えられる儀礼だが、この土地でそれを行う者はもういないはず…。
 フォクメリアは確信した。

「(あれが海の民…。伝承に語られる蛮族。)」

 フォクメリアはサランドラを蹴り起こした。

「痛っ! ううん…メリア姉! 何すんの!?」

 サランドラが文句を言った。
 しかし、フォクメリアとしても普段ならば言い負かされても構わないが、今は状況が異なる。

「サランドラ、海の民が攻めて来たの! 本当よ! 信じて!」

 フォクメリアは叫ぶが、サランドラはその言葉を信じなかった…あまりに突飛に聞こえたからである。
 サランドラが不満を言い始める。

「メリア姉、どうせなら、もっと上手い嘘ついてよね。」

 サランドラはどうしても信じようとしない。
 焦りを感じたフォクメリアは剣を抜いてサランドラの胸に突き付けた。
 蒼ざめた表情を浮かべ、フォクメリアは告げた。

「サランドラ、冗談言ってる暇ないの。早く、私の言った事、皆に知らせてちょうだい。…でなきゃ殺すわ。本気よ。」

 サランドラはフォクメリアの目を見た…そして、もう何を言っても無駄だと悟った。
 フォクメリアの言う事の真偽は別として、サランドラはフォクメリアの命令に従う事にした。
 サランドラは矢倉から降り、村を駆け回りながら、海の民の侵略について警告し始めた。
 しかし、普段から嘘つきとして知られるサランドラの言う事など誰も信用しなかった。
 その様子を察したフォクメリアは、再び水の盆を手に取ると呪文を唱えた。

「手と手を取って懸け橋に。我が声を伝えたまえ。」

 伝声の魔術である。
 フォクメリアは自分の父ファドニオに声を届けた。
 フォクメリアの呼び掛けに応じ、ファドニオ老師も瞑想を中断して家から出て来て、矢倉に登って遠視の魔術を使い…娘と同じ見解に到った。

「メリア姉、本当なのか?」

 フォクメリア達が矢倉から降りた時、セレニオが彼女達のもとに駆けつけて来ていた。
 今のセレニオは革鎧を着込み、剣と槍で武装していた。

「本当だとも! フォクメリア、セレニオ、村の人間を逃がすぞ!」

 ファドニオ老師はそう叫ぶと、村人達に避難する事を呼び掛けた。
 村人達はファドニオ老師をとりあえず信用し、避難の準備を始めた。

「急いで!」

 フォクメリアは主張したが、村人達はゆっくりと準備を続けた。
 父ファドニオ老師が焦る娘フォクメリアを諌めた。

「フォクメリア、そう焦るな。奴らとて、そんなに早く攻め込んで来る訳でもないだろう。お前がそんな事では、村の衆を不用意に混乱させるだけだ。」

 ファドニオ老師は落ち着いていた。
 …しかし、何故かフォクメリアとセレニオの二人は落ち着けなかった。
 
 
 
 セレニオは弟セルネリオを呼んだ。
 そして、兄は弟セルネリオに一本の短剣を手渡した。
 それはこのトルクの地で一般的な青銅製の物ではなく、異国情緒あふれる鋼鉄製の短剣であった。

「セルネリオ…私は…。」

 ここまで言ってセレニオは口をつぐんだ。
 しばし黙り込んだ後、セレニオは苦しげな表情を浮かべ、再び口を開いた。

「私が死んだら、この短剣の由来を調べろ。お前にとっては多分重要な事だ。」

 セルネリオには兄セレニオの言った事が今一つ理解できなかった…が、何か重要な事である事は察しがついた。
 兄セレニオに向かって弟セレニオは肯いた。

「わかったよ…兄ちゃん。」

 セルネリオは噛み締めるかのように言った。
 
 
 
 やがて夜になった。
 海の民と思われる武装集団が急に接近して来るのを見て、フォクメリアは絶望を感じた。
 …ファドニオ老師の予想は最悪の形で外れたのである。

「来た! 荷物なんてどうでもいいから、逃げて!」

 フォクメリアが叫ぶが、海の民達は恐ろしい勢いで村に迫りつつあった。
 逃げても無駄である事はフォクメリアにも何となく判った。
 フォクメリア自身も逃げ出したかった…しかし、守人としての役目を果たさなければならなかった。

「父さん! 姉さん!」

 フォスタリオが父と姉のもとに走って来た。
 しかし、守人フォクメリアとしては弟フォスタリオをこの村に残しておくつもりはない。

「フォスタリオ、一人でも多く連れて逃げなさい。早く!」

 フォクメリアはそう命令し、弟フォスタリオを突き飛ばした。
 フォスタリオが動こうとしないので、フォクメリアは何度もフォスタリオを突き飛ばした。
 やがて、フォスタリオは目に涙を浮かべながら走り去った。

「ごめんね、フォスタリオ。あたし、何もしてあげられなかった…。」

 フォクメリアは弟の姿が見えなくなってから呟いた。
 一方、彼女達二人の父親であるファドニオは娘フォクメリアに向かって謝罪するような口調で話し出した。

「フォクメリア、お前も…。」

「いいえ、私は守人としてこの村を守ります。貴方の指図は受けません。」

 フォクメリアは厳しい言葉で父ファドニオの言葉を遮った。
 そして、守人である二人は銅剣を抜いて海の民を待ち受けた。

「付き合いますよ。」

 いつの間にかセレニオも来ていた。
 ファドニオ老師の瞳が微かに揺れる。

「フォクメリア、セレニオ…もし可能なら、生きてくれ。」

 ファドニオ老師はそれしか言えなかった。
 呼び掛けられた二人も黙ってうなずくだけであった。
 サランドラが中心になって村人達を避難させているが、海の民はセレニオの目にも見えるほど近付いていた。
 フォクメリア達は戦いに備えてかがり火を焚いた。
 今となっては、フォクメリア達がどこまで時間を稼げるか、それが問題であった。
 他にも志願者が現れたが、フォクメリア達に追い返された…無駄な犠牲は少ない方が良いからである。
 海の民の姿がはっきりと見えるようになった。
 貝殻や何かの甲羅を用いた鎧が見える。
 この地方ではほとんど見られない金属製の兜が、かがり火の明かりを反射する。
 彼ら海の民は剣と盾で武装していた…こんな小さな村相手に弓矢や槍など不要とでも考えているのであろう。
 彼らの中には兜をかぶらず、黒髪を見せびらかすようにしている者もいた。
 セレニオの膝が震え始めた。
 しかし、もはや怖がっている暇はなかった。
 海の民の戦士達は自分達を食い止めようとする愚か者を3名ほど見つけ、嘲笑しながら襲い掛かった。
 フォクメリア達三人は軽装の利を生かし、機動力で海の民に対抗した。
 一方、海の民達は娯楽感覚で三人を追い回した。
 
 
 
 村は包囲されつつあった。
 セルネリオ、フォスタリオそしてサランドラが村人達に同行したが、不幸にも海の民の別動部隊に遭遇してしまった。
 海の民は歓声をあげて村人達に襲い掛かった…「喚声」ではなく「歓声」であった…海の民達は殺戮を楽しんでいたからである。
 フォスタリオ達は手持ちの武器で海の民に立ち向かったが、海の民達を喜ばせるだけであった。
 しかも、海の民の話す言葉はフォスタリオ達の物と共通していた。
 …その事が村人達の恐怖を煽った。
 さらに、海の民達は獲物を簡単には殺さなかった。
 ふと、フォスタリオは相手の一人の顔を見た。
 …彼らの顔はフォスタリオ達とほとんど変わらない造りの顔であった。
 そして、その顔に薄ら笑いが浮かんでいた。
 フォスタリオが振り下ろした剣を相手である海の民が盾で弾く。
 すると、フォスタリオの青銅製の剣は割れてしまった。
 鍛え方の甘いトルクの青銅は、海の民が使っている海亀の甲羅よりも強度の面で劣っていたのである。

「あはははは! 残念だったねえ、坊や!」

 海の民の声がはっきりと聞こえ、フォスタリオは恐怖と絶望で膝を突いた。
 海の民はフォスタリオに止めを刺そうとして剣を振りかぶったが、フォスタリオはもう動けなかった。
 海の民は悠然と剣を振り下ろした…しかし、その剣はフォスタリオには届かなかった。
 その剣をサランドラが受け止めていたからである。
 サランドラは正式な剣術など知らなかったが、それでも小さめの剣を手にして相手に立ち向かった。
 しかし、歴戦の海の民はサランドラの剣を避けようともせず、鎧で受け止めた。
 余裕たっぷりの海の民はサランドラを狙って剣を振りかぶった。
 サランドラは海の民の剣を見た…サランドラ達の住むトルクの地で使われているのと同じく、青銅製の剣であった。
 …恐らく、錆びにくいと言う利点があって使われているのであろう。
 それに、しっかりと鍛造されれば、青銅もその強度は馬鹿にできない。
 サランドラはただ呆然として相手の剣を見ていた。
 立ちすくむサランドラに剣が振り下ろされたが、今度はフォスタリオが身を挺してサランドラを救った。
 サランドラを突き飛ばしたフォスタリオが剣を避け損ねて負傷する。
 海の民は少し優しげな表情を浮かべた…きっと、詩でも考えているのであろう。
 フォスタリオ達が逃げるのをその海の民は薄笑いを浮かべた顔で見送った。
 一方、セルネリオは槍を手にして海の民に立ち向かっていたが、重装備を誇る海の民の鎧を突き破る事はできなかった。
 しかも、セルネリオの使っていた脆弱な青銅製の槍の穂先は曲がってしまい、トルクの冶金技術の劣悪さを証明してしまった。
 海の民達は非力なセルネリオを笑いながら盾で小突き回した。
 結局、セルネリオにも逃げるしか打つ手はなかった。
 村人達は散り散りに逃げ始めたが、その多くは海の民に捕まってしまった。
 もはや、フォスタリオも「村人達を守る」と言う考えを捨てていた…ただ、サランドラとセルネリオの二人くらいには生き延びて欲しいと願う。
 呼び掛け合って逃げるうちに、フォスタリオ、サランドラ、セルネリオの三人は一緒になって逃げていた。
 他の村人がどうなったかは三人には判らないが、逃げ延びた者がほとんどいないであろうと言う事には察しがついた。
 
 
 
「全滅か…。」

 セレニオは海の民を相手に、剣を隠すようにして構えながら呟いた…そして、相手が動いた瞬間に飛び掛かって首筋に切り付けた。
 海の民達はセレニオの自己流剣術に手を焼いていた…もっとも、戦い好きな海の民から見れば座興に過ぎなかったが。

「(父さん!)」

 ついにファドニオ老師が海の民に囲まれ、無惨な最期を遂げた。
 しかし、今のフォクメリアには泣く事すら許されなかった…持てる力全てを戦いに向けなくてはならない。
 フォクメリアは戦いの役に立つ魔術を知らない。
 フォクメリアは足を止めず、剣を構えて海の民に立ち向かった。
 形骸化した剣術では相手に深手を負わせられなかったが、時間稼ぎができれば今のフォクメリアにとっては充分だった。
 フォクメリアがセレニオにちらりと目を向けると、セレニオが倒した海の民から剣を奪い取っているところだった。
 そこへ新手の海の民がセレニオに切り掛かり、セレニオが素早く後ろに退いて避ける。
 しかし、今の疲労し切ったセレニオに攻撃力はほとんど残されていない。
 それを見て、海の民達はセレニオに殺到した。
 フォクメリアが近くに倒れていた海の民から剣を拾って、セレニオの援護に駆け付けるが、重装備の海の民が相手では決定打を与えられない。
 やがて、セレニオとフォクメリアは一緒の輪に包囲された。
 海の民達が歓喜の表情を浮かべ、包囲の輪をじわじわと狭める。

「我が父祖の英霊たちよ、裔なるフォクメリア・エウリュメニアの請願を聞き届け一陣の風を遣わしたまえ。ここに我が父にして御身らの子たるファドニオ・エウリュメニアの血を供犠として捧げん。」

 フォクメリアは飛翔の魔法の呪文を唱え始めた。
 ここ何代かの守人の中に、この魔法を成功させた者はいない。
 それでもフォクメリアは最後の可能性に賭けた。
 そんなフォクメリアを嘲笑うかのように、海の民達はフォクメリア達に殺到した。
 セレニオが海の民達を迎え撃とうと進み出る。
 そして、フォクメリアが呪文を唱え終えた。