森の中を男女の二人連れが歩いていた。
彼らは顔に疲れ切った表情を浮かべがらも、しきりに周囲を警戒していた。
二人とも青銅の剣の抜き身を手にしている…彼らが住むこのトルク王国では青銅器が一般的である。
二人は何も言わず歩き続けた。
今の二人はほぼ同じ事を考えていた。
先日、彼らの村が古代民族である海の民に滅ぼされた。
この二人は他の村人達を逃がすための時間稼ぎを買って出たのだが、それでも村人の大半は助からなかったようであった。
昨夜の戦いで女の父親が命を落とし、彼女達自身も討死にするはずだったのであるが、いつの間にか逃げ延びてしまっていた。
この女はその名をフォクメリアと言い、年齢にして24歳、身長173cmで肩幅は広め、顔立ちは整っているが少し角張っていて、全身からは気力体力ともに最盛期にある戦士と言うべき風情を漂わせていた。
ただ、その優しげな黒い瞳だけが戦士らしい印象を裏切っていた。
このフォクメリアは村を守護すべき守人と呼ばれる役目を持っていた。
彼女は先代の守人であった父親の跡を継ぐべく幼少から剣術と魔術を教え込まれて来たが、まさか本当に戦う羽目になろうとは全く予想していなかった。
一方、連れの男はその名をセレニオと言い、年齢18歳、身長170cm、フォクメリアと同様に面立ちの少し角張っている青年であった。
また、セレニオの瞳は鳶色であったが、奇妙に暗さを感じさせた。
このセレニオは狩人であったが、剣と槍の扱い方が不気味なほどに巧みであった。
彼は野生動物の動きを参考にして自己流の戦闘技術を編み出したそうであるが、その目的は誰も知らない。
…ただ、彼は先日海の民と戦った時に相手を何人か斬り殺していたが、妙に手慣れている雰囲気があった。
しかし、二人とも多少なりと戦い方を心得ているつもりではあったが、村人達を守る事ができなかった。
それどころか、今となっては自分達の生命すらどうなるか判らない状況に立たされていた。
海の民に見付かれば命はないが、それ以前に食料を持って来ていないので餓死の危険が目前に迫っている。
食料を分けてもらおうと近くの村に立ち寄る事を考えたが、フォクメリアが遠視の魔法で偵察して見た所、すでに多くの村が海の民に滅ぼされていた。
どうして海の民がここまで正確に村の位置を把握していたのであろうか…セレニオは推察した。
「裏切り者がいるな…。村の位置を連中に知らせたんだ。」
セレニオはその顔に何の表情も浮かべないまま自分の考えを口にした。
すると、フォクメリアが額から汗を拭いながら答えた。
「セレニオ、人を疑うのは良くないよ。」
フォクメリアがセレニオをたしなめた。
それに対し、セレニオは何も答えなかった。
二人は黙り込んだまま歩き続けた。
海の民の動向も気になるが、それ以上に空腹感が高まり始めた。
セレニオが落ち葉を取り除けると、そこには様々な虫の姿が見えた。
「メリア姉、生のミミズには毒があるから。」
セレニオはそう言いながら野生のゴキブリを踏みにじった。
セレニオの草履にゴキブリの体液が染みる。
セレニオは何匹かのゴキブリを仕留めると、その死骸をフォクメリアに差し出した。
「あ、あたしに、これを食べろと?」
フォクメリアは蒼ざめた。
トルク王国にはゴキブリを食する風習はない。
セレニオは眉をひそめると、近くに転がっていた朽ち木を蹴飛ばし、その中からカミキリムシの幼虫を捕まえてフォクメリアに差し出した。
セレニオの表情は冷たかった。
フォクメリアは観念して、セレニオが捕まえた昆虫類を食べ始めた。
それらは意外と美味かった…特に、カミキリムシの幼虫は。
セレニオは何が食用になるかを知っていたのである。
「これから、どうしよう?」
食事をしながら、フォクメリアはセレニオに聞いてみた。
すると、セレニオは即座に口を開いて答え出した。
「セルネリオやフォスタリオ達を探す。あるいは王都トルクに向かう。」
セレニオは即答した。
ちなみにセルネリオとはセレニオの弟であり、フォスタリオとはフォクメリアの弟であり、彼らは村人の中でも体力がある方なので、生き延びている可能性が高い。
フォクメリアも遠視の魔法を使って彼らを探しているが、それでも彼らの姿はまだ見当たらない。
彼らを探すのを断念して、王都トルクに急いで逃げ込む方が賢明かも知れない。
「じゃ、どっちにする?」
フォクメリアはセレニオに更なる意見を求めた。
しかし、セレニオは先ほど言った以上の意見を持ってはいなかった。
セレニオはフォクメリアの判断に従うのみである。
「私はメリア姉の言い分に従うよ。」
セレニオはそう言いながら食事を終え、立ち上がった。
セレニオは重々しい顔つきでフォクメリアの決断を待った。
その黙り込んだセレニオの顔を見ながら、フォクメリアは考えをまとめようとした。
「…じゃあ、トルクに行きましょう…。うん…それで良いのね?」
フォクメリアはためらいがちに決断した。
しかし、そのフォクメリアの発言には決然とした響きがない。
セレニオが微かに溜め息を吐く。
「メリア姉、決断は毅然としてよ。私だって不安なんだから。」
セレニオが珍しく不満を言った…思いやりに欠ける発言ではあるが、確かに一理あった。
フォクメリアは厳粛な表情を浮かべた。
二人は黙り込んだまま森の中を進み続けた。
時々フォクメリアが木に登って遠視の魔法で方角を確認する。
その間にセレニオが木の棒の先を短剣で尖らせて即席の槍を作ったり、食料を集めたりする。
やがて夜になり、フォクメリア達は野宿の準備を始めた。
しかし、火を起こすと海の民に居所を知られる恐れがあるため、二人は月明かりを頼りに食事を始めた。
今回の食事は昆虫類ではなく、木の実や獣の肉であった…フォクメリアとしては、こちらの方が好みである。
「セレニオ、ごめん!」
フォクメリアはそう言うと、小枝をかき集め始めた。
そして、火打ち金を取り出して、それに石英を打ちつけて火を起こした。
セレニオは黙ってうなずくと、獲っておいた狐の皮をはぎ、その肉を火で炙り始めた。
フォクメリアは目に涙を浮かべながら狐の肉を食べた。
セレニオも肉を食べながら、狐の生皮を銅剣の鍔元に巻き付け、さらに蔦(つた)で縛り付けて剣の鞘代わりにし、フォクメリアの剣にも同じ作業を行った。
そして食事が終わるとセレニオは焚き火に土を掛けて火を消し、念入りに後片付けを行った。
燃えさしの炭になった部分を狐の胃袋で作った袋の中に収める。
それが終わるとセレニオは木の上に登り、そこで眠り始めた。
フォクメリアもセレニオの手本に従う。
「セレニオ…一つ聞いていい?」
フォクメリアは木に登ると、すでに目を閉じていたセレニオに話し掛けた。
話し掛けられたセレニオは目を開け、フォクメリアの方を向いて言葉を待った。
「セルネリオの事なんだけど…。」
フォクメリアはセレニオを幼い頃から知っているが、それでもセレニオに関して知らない事柄は実に多く、セレニオの弟セルネリオに関しても普段から不審に思っていた。
セレニオの家に引き取られて来たセルネリオはセレニオの異母弟と言う触れ込みであったが、セルネリオは兄とは違って気品のある顔立ちをしており、人当たりも柔らかな少年であった。
彼らは名前以外は全く似ていない兄弟であり、しかも二人とも彼らの両親から嫌われていた様子さえあった。
そして、そのセレニオ達兄弟を彼らの両親に代わって教育したのが、村の次期指導者として子供達のまとめ役を受け持っていたフォクメリアであった…が、そのフォクメリアでさえセレニオ達の事情を今まで知らなかった。
今までフォクメリアが何度尋ねても、セレニオは自分の家庭の事情を話そうとはせず、それが二人の間の距離となっていた。
しかし今、セレニオは思い詰めた表情を浮かべながらも話し出した。
「メリア姉には話しておいた方が良いか…。もう気付いているかもしれないが、あいつは私とは血のつながりがない。私が3歳の頃、父が旅人からあいつを引き取ったんだ。…父が言うには、セルネリオは異国の王族らしい。実の名前は教えられなかったが、あいつと一緒に預かった短剣が身の証の品になるそうだ。私はそこまでしか知らない。」
セレニオははっきりと答えた。
ちなみに、狩人であったセレニオの父親は6年前、狩りの最中に熊に噛み殺されていて、それ以来セレニオが母と弟を養っていた。
そして3年前に母親が他の村の男と再婚して以来、完全に兄弟二人きりで生活していた。
その彼らにとってフォクメリアは家族にも等しい存在ではあったが、それでもセレニオが遠い存在に思える時がある。
セレニオはフォクメリアの返事を待たず、そのまま目を閉じて眠った。
フォクメリアは木の頂上まで登り、遠視の魔法で辺りを警戒した。
…この夜も海の民達が村々を荒らし回っていたが、現在フォクメリア達がいる場所に近付いて来ている気配はない。
フォクメリアはそれだけ確認すると、枝の密集している所に身を横たえた。
フォクメリアは明け方前に目を覚ました。
フォクメリアが動くと、少し離れた枝の上でうつ伏せになって眠っていたセレニオも目を覚ました。
フォクメリアは辺りを見回して安全を確認すると、木から飛び降りた。
しかし、セレニオは動かなかった。
フォクメリアが樹上のセレニオに向かって呼び掛ける。
「セレニオ、どうしたの?」
フォクメリアに呼び掛けられて、セレニオも木から降りた。
そして、セレニオは微かに弾んだ口調で答えた。
「梟(ふくろう)を見てた。梟は凄腕の狩人だよ。」
そう語るセレニオの顔には無邪気な笑みが浮かんでいた。
…セレニオも時々ではあるが、フォクメリアには今のような無邪気な笑みを見せる事がある。
そのセレニオの笑みがフォクメリアの心にも平静をもたらした。
「セレニオって、動物が好きなのね。」
フォクメリアが素直な感想を口にする。
すると、セレニオ自身も肯いて語り出した。
「ああ。でも、セルネリオは動物からも好かれてた。彼には敵わないよ。」
セレニオはいつしか自分の弟の事を誇らしげに語っていた。
冷淡なセレニオが本当は身内の人間をどれほど大事に思っているか、それを知っているのは今となってはフォクメリアだけであろう。
そのセレニオの言葉を聞きながら、フォクメリアが呟くかの様に言う。
「無事だと良いね、セルネリオも…フォスタリオも。」
フォクメリアも彼女自身の実弟の身を案じている。
それに対してセレニオは何も答えず、剣の鞘の具合を調べ始めた。
そのセレニオの様子を見て、フォクメリアが少し厳しい口調で話し掛ける。
「セレニオ、こんな時は『大丈夫だよ』って言うものだよ。」
フォクメリアがセレニオを叱る。
セレニオの寡黙さには慣れているつもりであったが、フォクメリアはいつも注意してしまう。
フォクメリア達はめいめい木陰で用を足すと、先日の残り物で朝食を摂った。
そして、まだ日が昇らないうちからトルクへの旅を再開した。
この日も先日と同じように彼らは森の中を進んだ。
フォクメリアが方角を確認し、セレニオが食料を集める。
先日と違う点と言えば、二人とも無駄話をしていた事である。
海の民に聞き付けられるのも恐ろしいが、それ以上に、何か話していないとお互い不安であった。
しばらく歩いていると、フォクメリア達は一人の男が森の中を彷徨い歩いている所に出くわした。
その男はトルク王国では珍しい頭巾付きの外套を羽織った身長176cmほどの男で、黒い瞳と頬髭…そして、肩や胸の厚さが特徴的であった。
日常生活とは異なる、何らかの鍛錬を重ねた者がこうした体格になりうる。
そうした屈強さは、このトルクでは滅多に見られるものではない。
「海の民か…。」
セレニオは一言呟きながら剣を抜いた。
相手の男も素早く剣を抜く。
男の剣はきちんと鍛造された鋼鉄製の三日月刀であり、これもトルク王国では滅多に見られない物であった。
男は剣を正眼に構えた…正式な剣術の構えである。
一方、セレニオは剣を肩に担ぐようにして構えた…セレニオは正式な剣術を知らない。
両者は相手との間合いを計り合うが、次第にセレニオの方が弱って来た。
男の構えには隙がなく、セレニオは攻撃できなかった。
相手もセレニオに対して仕掛けられないでいたが、こうした睨み合いには慣れている様子であった。
セレニオは己の負けを悟り、二人を傍から見ていたフォクメリアはセレニオに家伝の剣術を秘して伝えておかなかった自分の狭量さを呪った。
「二人ともそこまで! セレニオ、その人、海の民じゃないわ。だって、鉄の剣を使ってるもの。」
フォクメリアが二人に呼び掛けた。
セレニオは肩で息をしながら、銅剣を鞘に納めた。
男も三日月刀を鞘に納めた…その納め方にも熟練が感じられた。
「いかにも、自分は海の民ではない。自分はアルハン王国のアルマード・ケトーと申す者。…よろしければ、貴公らのご尊名をうかがいたい。」
頬髭の男アルマードが名乗りを上げた…一応、フォクメリア達と同じ言語を使っているが、発音や言い回しはかなり異なっている。
アルマードの発言の内容についても、半分は類推である。
フォクメリアが異邦人アルマードの前に進み出る。
「私はフォクメリア、こっちはセレニオ。」
フォクメリア達も名乗りを上げた。
すると、異国人アルマードが頷いて再び口を開く。
「先程、海の民と言われたが、貴公らがこの国の住人なのですな?」
アルマードが質問を始めた。
セレニオが首を傾げるが、フォクメリアにはアルマードの言葉の意味が理解できた。
フォクメリアが答えて言う。
「ええ。海を渡ってきた人はここをトルクと呼びます、あたし達はそのトルクの民。でも、何日か前に外から見慣れない人々がやってきて…皆殺しにされるのも、時間の問題かも。」
フォクメリアが質問に答えた。
セレニオもフォクメリアの返答から、アルマードの言葉の意味を類推した。
今度はセレニオがアルマードに尋ねる。
「ところで、アルハン王国とは?」
フォクメリア達の住むトルクの地は他の大陸や島々からかなり離れている。
そのため、ここトルク王国は他の国との交流が少なく、フォクメリア達も他の国については詳しく知らない。
その事は旅人アルマードを驚かせた。
「? …ならば、フォウ王国は知っておいでかな?」
アルマードは驚きを隠せないまま、念を押すかの様に尋ねた。
アルハン王国はかなりの大国であり、その名を知らぬ者がいるなど信じ難い事であった。
ちなみに、フォウ王国とはアルハン王国の姉妹国であり、こちらの方もまあまあの大国である。
そして、今回の質問に対してはフォクメリアも自信を持って答える事ができた。
「ああ、西のイオノスの地の…。知ってますわ、当然。」
フォクメリアもフォウ王国と言う国の名前は聞いた事がある。
他にフォクメリアがその名前を知っている国と言えば、フェイル女王国くらいである。
それ以外にも国があるのかも知れないが、トルク王国に生きるフォクメリアにとってはどうでも良い事であった。
セレニオに至ってはフォウやフェイルさえ知らない…実に無意味な固有名詞である。
次第に、アルマードが苛つき始める。
「よろしいかな? 我が祖国アルハンはフォウと友誼を結び…。」
アルマードが熱く語り始める。
アルマードの話によると、トルク王国のある大陸の西に、イオノス大陸と呼ばれる物があり、そのイオノス大陸にアルマードの出身国であるアルハン王国と呼ばれる国があるらしい。
そして、かのフォウ王国もそのイオノス大陸にあるらしい。
…そうした事を語り終え、アルマードは再びセレニオに目を向けた。
「…と言う訳であった。お解かりかな?」
「全然。」
アルマードの言葉にセレニオが率直に答えた。
アルマードが悲しげな表情を浮かべる。
セレニオが厳しい口調で言葉を続ける。
「他の国の事など、私には興味がない。あなたは何の目的でここに来たのか。そちらの方が気になる。」
セレニオは気が短い…が、その言い分は的を射ている。
そして、セレニオがさらに言葉を続ける。
「私達は生まれ育った村が海の民に滅ぼされたので、王都に落ち延びようとしている。あなたは何をしに来たのか?」
セレニオの目には猜疑心が満ちていた。
それを察したフォクメリアがセレニオの肩に手を置いて口を開く。
「落ち着きなさい、セレニオ。…とにかく、アルマードさんは海の民じゃないんですね?」
フォクメリアがセレニオをなだめると、アルマードは安心した様子で肯いた。
そして、アルマードは森の木々を見上げながら再び話し始めた。
「左様。我がアルハン王国は海の民とは盟友なれど…。」
このアルマードの言葉を聞き、フォクメリアの目にも猜疑心が満ちる。
しかし、フォクメリア達は黙って続きの言葉を聞いた。
アルマードは長々と話し続ける。
「…しかしながら、この国を襲っているのは、まぎれもなく海の民。自分も追い回された。…海の民にも、あのような一派がいたとは。」
やがて、アルマードによる社会学の講義が終わる。
アルマードの言い分によると、海の民はトルクの北方に浮かぶ島々を中心にして世界各地に分布する民族であるが、特に対立している民族や国家はないらしい。
その海の民が今回のような規模で襲撃して来たのは、アルマードから見ても意外な事であったそうである。
そうした事をセレニオも頭の中で整理してやっと理解した。
「なるほど。では、なぜこの地に来たのか?」
セレニオが再び質問した。
実際、アルマードは彼自身の目的については一言も話していない。
フォクメリアまでもがアルマードを不審に思った。
しかし、それでもアルマードはトルクの地に訪れた目的を語ろうとはしなかった。
「それは…言えぬのだ…。すまぬ…。」
アルマードが唇を噛みながら言う。
セレニオの不信感が高まる。
しかし逆に、フォクメリアはアルマードを信用する気になった。
「セレニオ、信用してあげなさい。もし悪い事を企んでるんだったら、ちゃんとした嘘をつくはずよ。サランドラがそうだったじゃないの。」
フォクメリアが実例を挙げてセレニオを説得する。
セレニオはすぐさま納得した。
ちなみにサランドラとは、フォクメリア達の村が生んだ希代の女詐欺師である。
サランドラはフォクメリア達と同年代の人物であり、海の民相手にも狡猾に生き抜いている事が予想される。
「ですが、アルマードさん、私達と一緒に王都まで来てもらえませんか? あちらには国王もいますし、何より、多少は安全かも知れませんよ。」
フォクメリアがアルマードに同行を求めた。
異邦人であるアルマードを野放しにしておきたくないと言うのが本音であるが、アルマードにとっても不利益な話とは思わない。
「喜んでお供しよう。」
アルマードは二つ返事で快諾した。
彼に与えられた任務の性質から考えても、この国の王に謁見できれば都合が良い。
また、海の民に襲われる可能性を考えると、多少なりと戦い方を心得た道連れは欲しい所である。
しかし、アルマードは別の疑問を抱いていた。
「時にフォクメリア殿、トルク王国に王は在位しておられるのかな?」
アルマードの目から見て、トルク王国は「王国」には見えなかった。村や小さな町は見かけたが、それらの上に立つ政府があるようには見えなかったのである。トルク王国は部族社会の連合体であるとばかり思っていた。
「いるけど…?」
フォクメリアにはアルマードの言い分が理解できなかった。
彼女の村も4年に1回はトルクに租税を納めていたし、3年に1回くらいの割合で軍隊が巡回して来る事があった。
地方分権的な傾向が強いが、トルク王国は一応は王国である。
逆に、アルマードの知っていた国々の大半は中央集権的な君主国家か、あるいは、王から領地を与えられた貴族達が統治を行う封建国家であった。
しかし、今は両者の判断基準の相違を論議すべき時ではない。
まだ話し合いたい事は多いが、三人は王都トルクに向けて急ぐ事にした。
森の中を進みながら、アルマードとフォクメリアはお互いの国の政治機構について話し合った。
一方、セレニオはひたすら周囲を警戒している。
アルマードがフォクメリアから聞かされた話に反応する。
「税金が4年に1回!?」
アルマードは驚いていた。
彼の知っている国々では、税金の徴収は毎年行われている。
しかし、それを知らないフォクメリアが質問する。
「税金ってなあに?」
トルク王国には貨幣制度が存在しない。
よって、租税も穀物などの現物で支払われている。
アルマードはフォクメリアからそうした事を聞き出すと、今度は、自分の国の経済について語り始めた。
アルマードから経済の話を聞いている内に、フォクメリアとセレニオの二人の表情が困惑した物となって行く。
そして、アルマードの話を聞き終えてフォクメリアが口を開く。
「お金って、あんまり良い物じゃないみたいねえ。」
フォクメリアが正直な感想を口にした。
フォクメリアは貨幣経済がもたらすであろう弊害の事を思った。
それに対し、アルマードも私見を口にし始める。
「しかしだ、フォクメリア殿、国がその力を発揮するためには…。」
アルマードがそこまで言った時、その言葉を遮ってフォクメリアが話し出す。
フォクメリアは国力に対しても魅力を感じなかった。
「その力で何をするの? 殺し合い?」
フォクメリアの声にはアルマードを詰問するかの様な響きがあった。
また、フォクメリアの意見はアルマードが信奉している思想とは全く異質であった。
アルマードがわずかに激昂する。
「力が無ければ、国は守れん!」
アルマードが思わず語気を荒げる。
一方、フォクメリアは冷淡な表情を浮かべた。
「あなた達、そういう考え方で生きて来たのね。」
フォクメリアはそれきり黙り込んだ。
アルマードも何か言おうとするが、フォクメリア達の冷たい表情を見て黙り込んだ。
三人は押し黙ったまま森の中を進み続けた。
時々、フォクメリアが木に登った上で、遠視の魔法を使って方角を確認する。
まだ、トルクまでは遠い。
三人は夜になるまで歩き続けた。
「多分、アルマードさんは正しい。」
食事中、セレニオがぼそっと言った。
すると、フォクメリアはきっぱりと答えて言った。
「でも、セレニオ、私達には私達の生き方があるんだよ。正しいかどうかは別として、私達はそうしなきゃ生きて行けないのよ。」
そのフォクメリアの言葉にセレニオは小さく肯いた。
そして、セレニオが言う。
「私だって、生き方を変えたくはないよ。」
そう呟くセレニオはいつになく不安げであった。
セレニオとフォクメリアの二人に、アルマードが鋭い視線を向ける。
そして、アルマードは確かな口調で告げた。
「だが、この国は変わらざるを得ないだろう。」
このアルマードの言葉はフォクメリア達の脳裏に響いた。