男の目に王都トルクの城壁が映った。
 男の率いる軍勢はすでにトルク王国の各地を制圧し、残るは王都トルクのみであり、それは余りにも容易い勝利であった。

「海に眠る我が戦友たちよ、城壁の中の者たちにこのベネシスと戦う勇気をさずけてやってくれ…。」

 男は心配そうに呟いた。
 今回の戦の相手であるトルク王国の人間は平和慣れしており、まともに戦う事すらできなかった。
 男の目的は粛清…殺戮であったが、物足りなさを感じるのも事実である。
 彼ら海の民は戦いを愛する民族であり、戦場での名誉ある死を好んでいるのである。
 この男の名はベネシス。
 彼は水の理法を信奉する「海の民」の戦士であり、その一族を代表するような獰猛な男であった。
 身長191cm、鳶色の瞳、銀色の髪…こうした風貌は珍しくない。
 しかし、ベネシスから漂う威圧感は平均的な海の民のそれとは比較にならず、年齢的にも一般の寿命を超えた時間を生きている。
 このベネシスこそは、海の民を統べる主教の一人であり、自らの信念のままにこの海の民の一派を殺戮集団に変えた男である。

「ベネシス主教、降伏勧告の使者には私をお立て下さい。」

 海の民の青年ソロミスが進み出て、ベネシスに進言する。
 年齢的にはベネシスの20分の1程度の若造であるが、このソロミスはその徳性により海の民達の間で尊敬を集めている人物であった。
 ただし、ベネシスはソロミスの徳性など評価していない。

「降伏勧告? そう聞こえたが…。」

 ベネシスがソロミスに振り返りもせず聞き返した。
 それに対し、ソロミスは大きな声で進言を続けた。

「そうです。我々の目的は征服であって、殺戮ではないはずです。」

 ソロミスは断言するかのように言う。
 しかし、それに対しベネシスは鼻で笑った。

「弱き者は強き者に滅ぼされ、強き者もやがては弱って次の強者に取って代わられる。自然の摂理にすぎん。」

 ベネシスはソロミスの方を振り返りながら言った…その顔にはすでに厳しい表情が浮かんでいる。
 ベネシスは話し続けた。

「同じ祖を持ちながら、あの者達は安寧の中で戦士の技も水の理法も忘れ、救済しがたい堕落に陥った。それを誅することは正義よ。」

 ベネシスが楽しそうに語る。
 こうした言葉遊びも海の民のたしなみの一つである。
 ソロミスが怒りの表情が浮かべる。

「正義!? 平和に暮らしている相手を一方的に殺しておいて、正義ですって? 中には降伏して来た者だっていたんですよ!?」

 ソロミスが声を荒げる…ベネシスの予想通りの反応であった。
 ベネシスは侮蔑の笑みを浮かべた。

「そうやって自分一人だけ善人面をしたいのだな? そなたの徳性は見せかけだ。止めはせぬから、偽善者らしく人をだまして楽しんでいればよかろう。」

 ベネシスはソロミスにそう言い残すと、他の配下に指示を与えるため、ソロミスから離れて行った。
 ソロミスはベネシスを呼び止めようと思ったが、無駄であると考え直して自分の部下の所に戻って行った。
 
 
 
「ソロミスさん、どうでした?」

 捕虜の若者がソロミスに駆け寄って来た。
 この若者は名前をフォスタリオと言い、ソロミス達海の民に滅ぼされた村の数少ない生き残りの一人であった。
 フォスタリオは仲間二人を連れて逃げ延びていたのだが、誤ってソロミスの陣地に入ってしまい、責任者であるソロミスに保護されていた。
 ちなみに、フォスタリオの仲間達はフォスタリオの身柄を引き替えにして逃げおおせている。

「駄目だった。戦いは避けられないよ。」

 ソロミスは疲れ切った表情を浮かべて言った。
 周りの海の民は嬉しそうに武器の準備を始めるが、フォスタリオは大いに落胆した。

「僕…どうしたら、いいんでしょう?」

 フォスタリオはソロミスにすがり続ける。
 しかし、総大将であるベネシスが命じる以上、ソロミスは戦わなくてはならない。
 ソロミス自身の信条に反する戦いであるが、それでも戦わなくてはならなかった。
 ソロミスは自分の部下達に対して責任を背負っている。

「戦いが終わるまで待つことだ。あるいは、西か北へ引き揚げる海の民と話をつけて、船でこの国を離れるのも手かな。国によっては異郷からの難民にも条件付きで市民権を与えるところもあったはずだから。」

 ソロミスがフォスタリオに選択肢を紹介する。
 しかし、トルク国外の事について余り知らないフォスタリオにとって、海の民ソロミスから紹介された選択肢の背景は理解を超えていた。

「で、僕にどうしろと?」

 フォスタリオは自分では決められなかった。
 ソロミスが溜め息を吐く。

「何もしなくていい。戦況が安定するまで待ちなさい。もし、その時に僕が死んでたら、アキノスと言う男の所に行くといい。彼は僕の親友だから。あるいは、セリューミラン様でもいい。あの御方には従軍魔術師として来ていただいているが…。」

 ソロミスはそこで慌てて口を閉じた…機密事項を漏らしてしまったせいである。
 しかし、フォスタリオはソロミスの言葉をしっかりと聞いていた。

「え? セリューミラン? 人の名前ですか、それ?」

 フォスタリオが興味深そうに尋ねる…しかも、ややこしい名前まで間違えずに発音した。
 ソロミスは「逃げられない」と感じた。

「…ああ、綺麗な女性だよ。これから会いに行こう。」

 ソロミスがそう言ってフォスタリオの手を取ると、周りの海の民達は不快そうな表情を浮かべた。
 しかし、ソロミスは押し黙ったまま、フォスタリオを連れて海の民の中軍(軍勢の中央に位置する部隊)の方に向かった。
 
 
 
「セリューミラン様!」

 ソロミスは中軍で陣地の設営を指示している女性セリューミランに呼び掛けた。
 身長174cm、緑色の右目、灰色の左目、赤い髪…セリューミランはどことなく奇妙な風貌の女性であった。
 しかし、ソロミスの言葉通り、このセリューミランは美しい女性でもあった。

「あら、ソロミス君。どうだった? ベネシス殿は説得できた?」

 セリューミランはソロミス達に近付いて来た。
 実用性一点張りの鎖帷子、銀糸で刺繍が施された長衣、刃渡り80cmほどの長剣…これらの装備も彼女を無骨に見せない。
 彼女は実に優美な雰囲気の漂う女性であった。
 そのセリューミランの前に青年将校ソロミスは進み出て、左膝を地に付けて敬礼を示した。

「やっぱり駄目でした。セリューミラン様、知恵をお貸し下さい。」

 ソロミスがセリューミランに頭を下げて頼み込む。
 フォスタリオもセリューミランに頭を下げた。

「私に知恵なんかないわ。でも、武器なら貸してあげる。来なさい。」

 セリューミランはそう言うと、ソロミス達を自分の陣屋に案内した。
 ソロミス達は緊張した面持ちでセリューミランに従った。
 セリューミランの陣屋には多数の武具が置かれていた。
 その大半は剣や槍であり、いずれも名匠セリューミランの手で丹念に鍛えられた鋼鉄製の品であった。
 ソロミスが一本の剣を鞘から抜き出すと、錆止め油の微かな匂いが漂い、剣は夕暮れの光を受けて冷たく輝いた。
 ソロミスとフォスタリオはただ絶句するのみであった。

「素晴らしい。」

 しばらくしてから、ソロミスは率直な感想を口にした。
 フォスタリオも黙って何度もうなずく。
 セリューミランはフォスタリオを観察した。

「君…トルクの民ね?」

 セリューミランは小さな声で言った。
 セリューミランは最初からフォスタリオの正体を察していて、それを人知れず確認するために自分の陣屋に呼んだのである。
 伝説的な魔術師セリューミランの陣屋に近付こうとする不届きな輩などいるはずもなく、聞き耳を立てられる心配なく確認できる。

「そうです。とっくの昔に御存知だと思っていましたが?」

 ソロミスにして見れば、セリューミランほどの賢者が捕虜フォスタリオの存在を今まで知らなかった事自体が不思議であった。
 その点を指摘されたセリューミランは不機嫌そうな表情を浮かべた。

「私だって、知らない事くらいあるもの…。ちょっと心を読ませてもらえないかしら。」

 セリューミランはそう言うと、ソロミスの額に手を当てて自分の精神を集中させた。
 これは読心の魔術である。
 フォスタリオやソロミスも多少なりと魔術を心得ていたが、相手の心を詳しく読むような芸当はできない。
 それをセリューミランは易々と使って見せた。

「なるほど、事情は判りました。フォスタリオ君の境遇は同情に値するわね。でも、私も明日から戦場に立つ身。力になってあげたいけれど、何も約束できないの。」

 セリューミランは20秒ほどでソロミスの心を読み終わってから言った。
 フォスタリオの顔が蒼ざめた。

「た、戦うんですか?」

 フォスタリオがおずおずと尋ねた。
 セリューミランは厳しい表情を浮かべた。

「ええ、気は進まないけれどね。」

 セリューミランは決然とした口調で答えた。
 セリューミランはベネシスとの間に結んだ盟約を果たすために、この侵略戦争に参加していた。
 残虐なベネシスに何度も忠告したが、それでもセリューミランはベネシスの命令には逆らえなかった。

「フォスタリオ君には信じられないでしょうけれど、私達海の民にとっては、誓いは絶対の物なの。たとえ、その結果がどんな不正義であっても…。」

 セリューミランはフォスタリオに説明した。
 しかし、フォスタリオは納得できなかった。

「そんなの間違ってる! 普通、逆でしょう!?」

 フォスタリオがセリューミランに詰め寄った。
 しかし、セリューミランは全く動じない。

「ええ、間違っていると思うわ。でも、私の行動は変わらない。私を止めたければ、私を殺すか、ベネシスを説得することね。」

 セリューミランは冷たく言い放った。
 その態度からは、確かな威厳が感じられる。
 フォスタリオは急に恐怖感を覚えて黙り込んだ。
 そして、セリューミランはそのまま言葉を続けた。

「私もソロミスも明日から人殺しをするでしょう。ソロミス、なるべく良い武器をお選びなさい。それが貴方の命を左右します。フォスタリオ、貴方も武器をお持ちなさい。貴方が生き延びる助けとなるでしょう。」

 セリューミランは二人に命令した。
 その言葉には支配力があった。
 今の彼女は別に魔法を使っている訳ではない。
 弁舌も美貌もここでは無用であった。
 彼女の存在自体がその支配力を生み出していた。
 
 
 
 翌朝、海の民の戦士達は武装を整えて王都トルクに接近した。
 貝殻や甲羅などで補強された革鎧、青銅で縁取りされた木製の盾、青銅製の穂先の付いた長さ180cmほどの槍、予備の武器として刃渡り60cmほどの青銅製の剣、靴は麻製の草履…海の民は重装歩兵としての装備を整えてきた。
 総兵数は2000人程度であったが、いずれも実戦慣れしている。
 海の民の右翼を受け持つのは総大将でもある主教ベネシス。
 彼こそは一族の中で最も勇猛な戦士でもあり、最も危険を伴う(左手に持つ盾を十分に活かせない)右翼を受け持つ栄誉を認められた。
 右翼に陣取る事は海の民の間では最高の名誉と考えられており、彼らの中でも最精鋭の者達だけがベネシスと共に右翼を受け持つ事を許された。
 一方、海の民の中軍の指揮を任されたのはセリューミランである。
 セリューミランはベネシスと同じく主教の一人であり、水の理法を信奉する海の民の間では絶大な影響力を持っている。
 この軍中でも彼女はベネシスと同等の指揮権を認められていて、指揮する中軍の重装歩兵の士気は高い。
 それに加えて50名ほどの騎兵全員もこのセリューミランの指揮下にあった。
 一方、海の民の左翼はトビアスと呼ばれる男が受け持った。
 トビアスは傭兵隊長として渡り歩いた男であり、その堅実な用兵術は実戦に裏打ちされていた。
 海の民でも傭兵は隊長の下にまとまった傭兵隊ごと雇われるのが通例で、たいていの傭兵隊長は隊の資本とも言える傭兵の死傷を嫌う。
 その例に漏れず、傭兵隊長トビアスは無駄な犠牲の少ない勝利を握ろうとしていた。
 そうした考え方はベネシスの好みには合わなかったものの、「それも時代の流れ」とベネシスは半ばあきらめている。
 そして、海の民の後詰めの指揮者にはソロミスが抜擢された。
 若者ソロミスを後詰めの指揮者に推薦したのはセリューミランである。
 「戦後処理に向いたソロミスを危険にさらすのは愚かである。」と言うのがセリューミランの弁明であったが、その真意は不明瞭である。
 
 
 
 迫って来る海の民の軍勢を見て、トルク王国の戦士達も戦闘準備を整えた。
 総兵数は4000人ほどと海の民の約2倍の人数を集めていた。
 しかし、ほぼ全員が臨時に集められた志願兵であり、戦力としては海の民に大きく劣っていた。
 また、その装備は武器こそ海の民に近い物は用意できたものの、防具に関しては5人に1人くらいしか着けていない。
 軍勢全体の指揮を執るのはトルク王国の皇太子アネス・トルク王子であった。
 トルク王国は弱体化し切っていたが、アネス王子はそのカリスマ性によって国民を団結させており、海の民を迎え撃つ準備を可能な限り整えていた。
 アネス王子の副官はその叔父、王弟ディリオであった。
 ディリオはトルクの王族の中で最も勇敢な人物であり、武芸においても群を抜いており、彼こそはトルク王国最強の戦士であった。
 ディリオの息子であるユリシス王子も軍勢に加わった。
 ユリシス王子は従兄であるアネス王子に比べて無骨な若者であったが、武芸や勇気の面では劣っていなかった。
 狩人出身の者達100人ほどから構成される弓兵部隊も編成され、その代表はセルネリオと呼ばれる勇敢な少年であり、アネス王子と並んで一同の精神的支柱であった。
 
 
 
 海の民トビアスは王都トルクを包囲するべく軍勢を展開させた。
 これは兵糧責めに持ち込もうと考えての戦略である。
 海の民は支配地域から食糧を調達できるが、城壁の中に閉じ込められた陸の民には食料調達の手段がない。
 セリューミランの指揮する海の民達も王都トルクを包囲し始める。
 海の民の主教ベネシスは王都トルクの門前に兵を前進させた…丸太を尖らせた破城槌を用いて王都トルクの城門を破壊するつもりである。
 すると突然、トルクの戦士達は自ら城門を開いて、ベネシスの部隊に急襲を仕掛けた。
 この自殺的戦術はトビアスやセリューミランを驚かせた。
 しかし、王都トルクには食糧や武器の備蓄がなく、トルク軍としては接近戦に持ち込むしか戦う手段がなかったのである。
 トルク王国のアネス王子は兵士達を整然と並べさせて槍ぶすまを作った。
 そして、密集陣形を維持したままベネシスの部隊に向けて進軍した。
 その統制された動きに海の民のセリューミランは不安を覚えた。
 セリューミランは副官に包囲を続けるよう指示すると、自ら馬を駆ってベネシスの許に向かった。

「ベネシス殿、攻めを急いではなりません。ここは一旦お退き下さい。」

 セリューミランはベネシスに追い付いて進言した。
 しかし、ベネシス達の行進は止まらない。

「無粋だな、セリューミラン殿。この勇気ある挑戦を受けなくては、海の民ではあるまい。」

 ベネシスは楽しそうに答えた…今度こそ、まともな相手と戦えそうだ。
 トルクの兵団が距離80mほどに近付くと、ベネシスは軽く助走して槍を投げた。
 槍は相手の一人の胸を見事に貫き、その兵士の後ろにいた者まで一緒に串刺しにした。
 それが戦いの合図となり、両者は相手めがけて殺到した。

「陣形を乱すな! 剣を抜くな! 一人ずつ槍で倒していけばよい!」

 アネス王子の凛とした声が戦場に響く。
 そのアネスの命令に従い、トルク王国の戦士達は陣形を乱さずに海の民に攻撃を仕掛けた。
 一方、海の民は槍と盾を構えて突進した。

「海の民の誇りにかけて! 一歩たりとも退くな!」

 ベネシスの副官カトゥルスが号令すると、海の民はさらに勢い付いた。
 突き殺したトルク戦士の死体を踏み越え、海の民は突進を続けた。
 しかし、アネス王子は素早く指示を与え、トルク王国の戦士達は突出した海の民を数人掛かりで屠った。

「1人ずつ倒すのだ!」

 アネスが各個撃破を命じる。
 しかも、アネスは馬上から事細かな指示を送り続けた。
 トルク王国の戦士達はアネス王子の手足のように動き、海の民を一人ずつ的確に倒して行った。
 ろくに訓練されていない志願兵をここまで自在に操るアネスの手腕は驚異的であり、個人戦の得意な海の民に集団戦で対抗する着眼点もまた見事であった。

「(あの若造!)」

 セリューミランは遠くに見えるアネスの姿を睨みながらも素早く考えを巡らした。
 兵数の少ないベネシスの部隊は苦戦している。
 トルクの門前に広がる草原が赤黒く染まりつつある。

「私の隊を右翼へ! 騎兵隊、急ぎなさい!」

 セリューミランは後方にいる自分の部隊に向けて叫んだ…通りの良い声であった。
 こうした声を持つのも武将としての天分である。
 セリューミランの騎兵隊は前進し、トルク軍の側面に回り込もうとした。
 トビアスの部隊もベネシスの危機を見て、セリューミランの騎兵隊とは反対側のトルク軍側面に向かう。
 すると、アネス王子は馬を前に進め、自ら槍を取って海の民と戦い始めた。
 数分後には、アネスの白い外套が返り血を浴びて朱に染まり、金銀で装飾された鎧をその身にまとったアネスは正に戦場の華となった。
 海の民の注意がアネスに集中する。
 アネスはこの時を待っていた。

「退け、退けー!」

 突然、アネスは歩兵に退却命令を下した…敵方のトビアスやセリューミランの兵が来る前に退却しておきたいからである。
 トルク軍が退却し始めると、ベネシスは声を荒げて追撃命令を下した。

「逃がすな! 1人も生かして帰すな!」

 ベネシスの命令に従い、海の民はトルク軍を追撃し始めた。
 しかし、アネスが槍を頭上で振り回して合図すると、城壁の上から弓兵隊が矢を放って海の民の追撃を防いだ。
 矢で倒された海の民は少なかったが、とっさに盾を掲げて防御態勢に入ってしまい、思うように追撃できなかった。
 重傷を負ったり戦死した者が戦場に残され、アネス王子も味方の矢で負傷するが、それでも退却は成功した。

「(あの小僧さえ仕留めれば!)」

 セリューミランは降り注ぐ矢に構わず、敵将アネス王子に向かって馬を駆った。
 矢が2本ほどセリューミランの身体に突き刺さるが、それでも彼女の勢いは衰えなかった。
 歩兵の退却を援護しているアネスはあっさりと追い付かれた。
 その時、アネスに付き添っていた騎馬武者の一人がセリューミランを迎え撃とうと馬を進めた。
 彼はその名前をアルマードと言い、西の大陸に位置するアルハン王国の騎士であり、非公式な任務によりこのトルク王国に来ていたが、この戦いには個人的な正義感で加わっていた。

「そこな敵将! わしが相手よ!」

 アルマードがアルハン訛りをさらけ出して叫んだ。
 セリューミランの動きが一瞬止まる…その胸に去来したのは羞恥心と罪悪感であった。

「アルハンの子よ、名乗りを上げなさい。」

 お互いの距離が10mほどとなった時、セリューミランは呼び掛けた。
 アルマードは相手が女性である事に驚いたが、槍を構えて立ち向かった。

「我こそはシャザルが一子アルマード・ケトーなり! されば御婦人、御身も名乗られよ!」

 アルマードはセリューミランと槍を交えながら名乗りを上げた。
 それに対し、セリューミランは左手で鎖帷子の頭巾を捲り上げ、自分の顔を相手に見せた。
 アルマードが絶句して槍を取り落とす。
 セリューミランもそのまま馬首を返して引き上げて行った。
 セリューミランの騎兵隊が彼女に追い付いた時、トルク軍はすでに城壁の中に逃げ延びていた。
 トルク軍の弓兵隊も矢を惜しんで、射掛けて来なくなっていた。
 セリューミランは沈んだ表情を浮かべたまま、騎兵隊共々引き上げて行った。
 …先程までの覇気は消え失せている。
 
 
 
 セリューミランは傷の手当もそこそこに、ベネシスの陣地に向かった。

「惜しかったな、セリューミラン殿。まあ、次の楽しみということで。」

 ベネシスが直々にセリューミランを出迎えた。
 しかし、セリューミランの表情は虚ろなままであった。
 虚ろな表情のまま、セリューミランはベネシスの言葉を遮って言った。

「いいえ、私はもう戦いません。相手方にアルハン人がいたのです。私は盟約により貴方に従いましたが、相手にアルハン王国の人間がいる以上、私は古い方の盟約を優先せざるを得ません。」

 セリューミランはベネシスの言葉を遮って言った。
 これは身分あるセリューミランなればこそ許される言動である。
 ベネシスが珍しく考え込んだ…他の者が相手なら強引に命令を下すか、即座に処刑する所であるが、同格の主教セリューミランが相手では無理強いもできない。
 やがてベネシスが再び口を開く。

「…ならば、貴女以外の者がそのアルハン輩を討ち取ってしまえば問題はない。戦士達の師匠たるセリューミラン主教までもがそのような口実で戦いを避けようとするとは、我ら海の民もよほど弱体化が進んでいると見ざるを得んな。」

 ベネシスはそこで話を打ち切った。
 セリューミランは押し黙って、自分の陣地に戻って行った。