森の中を3人の男達が連れ立って歩いていた。
 彼らはいずれも貝殻で補強された革鎧を身に着けた屈強の戦士であったが、その顔には疲労の色が濃い。

「おい! あそこを見ろ!」

 男の一人が20mほど離れた木の根本を指差した。
 そこには一人の戦士の死体が転がっていた。
 その鎧から察するに、彼らの仲間の死体である。
 男達は戦士の死体に駆け寄り、周囲を警戒しながら死体を調べ始めた。
 その死体は獣か何かに食い荒らされたようで、損傷が激しかった。

「これはひどい…。」

 男達の注意が死体に集中する。
 その時、近くの木陰から一人の若者が現れ、青銅製の剣を手に、男達に素早く近付いた。
 男達が気付く前に、剣を手にした若者は男の一人の首を後ろから斬り落としていた。
 そして、慌てて振り向いた男の顔面に若者は剣を突き立てた。
 2人の男の死体が激しく痙攣する。
 3人目の男は急いで青銅剣と盾を構えた。

「貴様か!」

 男達はこの若者を探していた。
 相手は彼らの総大将の顔に傷を付けた罪人である。
 生かしておく訳には行かない。
 男は若者めがけて剣を繰り出した。
 奇襲戦法のために盾を持って来なかった若者に対し、男は剣と盾を巧みに使って戦った。
 男は若者の剣に盾を叩き付け、その隙を狙って自分の剣を突き出す。
 軽装の若者は機動力を駆使して男の剣を避けながら隙を狙うが、熟練の戦士である男は隙を見せない。
 そして、ついに若者の剣が男の盾に弾き飛ばされた。
 男は若者の胸を狙って、止めの一撃を突き出した。
 しかし、若者は刺される寸前で右に回り込み、男の剣を紙一重で避け、男の握っている剣の柄を両手で強引にもぎ取り、奪ったその剣で男の喉を刺し貫いた。
 男は無念の表情を浮かべ、跳ね上がるようにして仰向けに倒れた。
 地面に転がった死体が足を伸ばして痙攣する。
 若者は自分で倒した男達の死体をぞっとした目で眺めた…こうした物を初めて口にした時、激しく吐き戻した記憶がある。
 しかし、彼もこの2週間で多少なりと慣れて来ている。
 
 
 
 この若者は名前をセレニオと言い、トルク王国と呼ばれた滅び行く国に住む狩人であった。
 平和であったトルク王国は海の民と呼ばれる民族の襲撃を受け、セレニオも生まれ育った村を海の民に滅ぼされ、戦士として戦う事を余儀なくされていた。
 セレニオは戦士向きの体格を持っていない。
 身長にして170cmとさほど大柄ではなく、肩幅は多少広いが屈強と言う程ではなく、むしろ男性としての平均より細身ですらある。
 また、野外生活に親しんでいるにも関わらず、セレニオは華奢で繊細な手を持っていた。
 唯一戦士らしい点と言えば、その鳶色の瞳が冷たく鋭い眼光を放っている事くらいである。
 しかし、屈強な海の民との戦いの中でも、セレニオは今まで生き延びて来た。
 セレニオは見かけによらず体力があり、剣や槍の扱い方も自己流ながら心得ていた。
 また、その冷徹な性格もセレニオを優秀な殺人機械に仕立て上げていて、海の民との戦いが始まって以来、セレニオは多数の海の民を殺害していた。
 そして、2週間ほど前にトルク王国最後の砦である王都トルクの防衛戦の時、セレニオは味方が城門を閉じるための時間稼ぎの囮(おとり)として、自ら進んで城壁の外に討って出て行った。
 そして、王都トルクの城門が閉じられた後、セレニオは海の民の騎兵を弓矢で射殺し、その馬を奪って逃亡していた。
 セレニオは馬術をほとんど心得ていなかったが、生き延びるために馬を走らせようとして、その時に迫って来た海の民と剣を交え、海の民の総大将ベネシスの顔に剣で傷を負わせ、そのまま王都トルクの南に位置する森へ馬を走らせた。
 セレニオも馬も傷だらけになったが、それでもセレニオは馬を走らせる事に成功し、何とか逃げおおせた。
 怒り狂ったベネシスはセレニオを捕らえるために多数の戦士を南の森に差し向け、それから約2週間、セレニオは毎日のように戦い続ける羽目に陥っていた。
 狩りをする事もままならず、セレニオは常に飢餓にさらされた。
 また、自然環境もセレニオの身体を蝕み、時には傷口が腫れ上がって、生死の縁を行き来した事もあった。
 その上、海の民は執拗にセレニオの命を狙い続けた。
 それでも、セレニオはわずかな食料と薬草などの物資を集め、所々に隠れ家を作って生き抜いて来た。
 また、殺せそうな海の民に対してはセレニオの方から先手を打って奇襲を仕掛けて殺し、武具を奪い取って、死体も食料などとして流用した。
 生き抜くための戦いの中で、セレニオは正気を保っていたが、自分の中で何かが変化して行くのを自覚していた。
 もう、元には戻れない…そんな気がした。
 
 
 
 セレニオは倒したばかりの3人の男達の死体から武具を剥ぎ取り、残った死体を少し離れた木の根本に置き、その死体のうち1体だけは鎧を着けたままにしておく。
 そうしておけば、次にやって来る海の民の意識を引き付ける罠としての効果が期待できるからである…少なくとも、今までは通用した手段であった。
 セレニオは奪ったばかりの2着の鎧を近くの洞穴に放り込み、剣と短剣を抱えて木の上に登った。
 その木の枝の上には小枝が敷き詰められ、物が置けるようになっていて、すでに様々な武器が置かれていた。
 そこにセレニオは奪ったばかりの剣と短剣を置いた…いつも通りの青銅製の剣である。
 しかし、海の民の青銅製の武器はしっかりと鍛造されているので、その強度はなかなかの物である。
 この武器置き場はセレニオの隠れ家でもある。
 葉を編んで作った屋根をかぶせれば風雨を防ぐ事も可能であり、そこは生き延びるためには欠かせない空間となっていた。
 今の状況では、体力のわずかな消耗も死に直結する。
 また、兜が何個か入れ物代わりとして置かれていて、その上に生皮が掛けられていた。
 そして、その兜の中には水が貯えられている。
 近くの川には海の民が陣取っているので、水を確保するのも至難の業であり、セレニオは雨水を頼りにしている。
 しかし、都合よく雨が降る日も少ないので、早朝に兜を持って、草の露から水を集めるのがセレニオの日課となっている。
 ちなみに、この水を飲む時には、獣などの血を3割ほど加えて飲む事にしている。
 そうすれば水を節約すると同時に、塩分の補給も行えるのである。
 しかし、最初の頃には血の配合比率を高くし過ぎて、喉の渇きに苦しむ事もあった。
 3割と言う配合比率を決定したのも、それなりの苦い経験の末の成果である。
 
 
 
 セレニオは先程の戦いでの負傷を調べ始めた。
 今回の負傷は右手首、左脇腹、左腿…以上3個所である。
 今回は予想していたより楽な戦いであった。
 セレニオは匂いの強い薬草を傷口に擦り込み、その上に海の民の衣服から作っておいた包帯を巻いた。
 そして、セレニオは荒い砥石で刃物を研ぎながら、先程の戦いを思い起こした。
 先程、自分の剣を取り落とした後に相手の剣を奪い取ったが、その方法は力任せだった。
 もっと合理的な方法を考える必要がある。
 また、予備の剣をとっさに抜けなかった事も命取りとなる所であった。
 …セレニオは深く反省した。
 反省している間にセレニオは刃物を荒い砥石で研ぎ終え、細かい砥石で丁寧に磨き、鋭利に砥ぎ上がった刃物同士を擦り合わせた。
 こうすると、刃が細かい鋸(のこぎり)の様にざらつき、切れ味が増すのである。
 これは普通の狩人として生活していた頃から何となく知っていた事であるが、今となっては、生き延びるために不可欠な知識である。
 その後、セレニオは動物の骨を磨いて鏃(やじり)を作り、それを木の枝を削って作った棒に取り付け、矢を作り始めた。
 弓矢は頼りになる武器である。
 ちなみに、女性は男性よりも肋骨を1本多く持っている。
 30分ほど経過して、この隠れ家の武器や飲料水の確認を終えたセレニオは木から木へと飛び移って、別の隠れ家に向かって移動し始めた。
 
 
 
 この日、7個所あったセレニオの隠れ家のうち、2個所が海の民に発見されていた。
 海の民の姿は見当たらないが、置かれている品物の位置が微妙に変化しているので、侵入された事が判る。
 ちなみに、1日に複数の隠れ家が発見されたのは、この日が初めてである。
 つまり、海の民はセレニオの手口をやっと把握した訳である。
 …セレニオは自分の持ち時間が少ない事を悟った。
 セレニオは兜の中の水を見た。
 毒物を混入された可能性は否定できない。
 セレニオは水をそのままにして別の隠れ家に向かった…とりあえず、明日に備えて眠っておかなくてはならない。
 セレニオは敷き詰められた小枝の上に腰掛け、眠りに落ちるのを待ちながら考えた。
 飲料水の残りが少ない。
 しかも、当分の間は雨が降りそうにない。
 あと2日間も経てば、深刻な水不足に苦しむ事になるであろう。

「(川の近くには海の民がいる…。だが、彼らを襲うのも愚かではないだろうな。)」

 セレニオは決断した…川の近くの海の民を襲撃する。
 隠れていられる時間もそろそろ限界に近い以上、自分の方から積極的に血路を開く必要がある。
 セレニオは考えをまとめ終えると、そのまま眠りに落ちて夢を見た…海の民に殺される夢…逆に、海の民を殺す夢…最近はこうした夢しか見ない。
 
 
 
 夕方に寝入ったセレニオは真夜中に目を覚ました。
 すでに気力と体力は充実している。
 わざわざ朝まで待つ必要はない。
 セレニオは長さ140cmほどの弓と矢筒を右肩に掛け、鞘に納められた刃渡り80cmほどの剣を2本の紐(ひも)で左腰に吊り下げ、刃渡り60cmほどの予備の剣を鞘ごと右腰の帯に挟んだ。
 そして、セレニオは防具として兜をかぶり、胸と手首に動物の毛皮を巻いた。
 重い防具は隠密行動に向かない。
 海の民の鎧の重さはわずか20kgほどであるが、それすらセレニオには重く感じられた。
 また、セレニオは足に草履を履き、その上に布を巻いた。
 これは足音を忍ばせるための工夫である。
 足運びに悪影響が出る恐れがあるが、今回は隠密性が重要である。
 セレニオは木から降り、川が流れている東の方角に向かって走った。
 今ならば、気力と殺意がこの上なく充実している。
 
 
 
 セレニオは川の流れる音が大きく聞こえるようになると走るのを止め、木に登って月明かりを頼りに川の付近の様子をうかがう。
 とりあえず、近くに海の民の姿は見当たらない。
 普段ならば、水を汲んで隠れ家に戻るだけである。
 …しかし、今夜の目的はそれだけではない。
 セレニオは木から降り、足音を忍ばせて移動しながら海の民の姿を探した。
 森に潜んでいる海の民に備えて、左腰の剣を抜いておく。
 不意に、セレニオの目に海の民の姿が映った。
 海の民特有の鎧が月明かりに照らされ、はっきりと白く見える。
 彼らの鎧は軽くて頑丈なのであるが、隠密行動には不向きである。
 逆に、泥まみれのセレニオは相手に発見されにくい。
 セレニオは木々の間をすり抜け、海の民に背後から近付いた。
 殺気を感じた海の民が振り返る。
 しかし、セレニオは慌てず剣で相手の右首筋に斬り付け、頚動脈を引き切りにして切り裂いた。
 その海の民は白目をむいて地面に座り込み、セレニオが周囲を警戒している数秒の間に海の民は身動き一つしなくなっていた。
 セレニオは足に巻いておいた布を解き、川の方に目を凝らした。
 …案の定、何人かの海の民が野宿していた。
 セレニオは弓に矢を番え、弓の弦を人差し指と中指の2本で口元まで引き絞り、海の民の一人を狙った。
 セレニオの放った矢は海の民の左腕に突き刺さった。
 その海の民が叫び声を上げ、他の海の民も武器を手にする。
 セレニオは舌打ちしながら2本目の矢を放つ…今度は外れた。

「(セルネリオなら当てていたろうな…。)」

 不意に、セレニオは自分の弟の事を思い出し、苦笑いを浮かべた。
 セレニオの弟セルネリオは優秀な狩人であり、その腕前はセレニオのそれを上回っていた。
 そのセルネリオは王都トルクの城壁の中で生き残っているはずである。
 とにかくセレニオは矢を番え直し、近付いて来た海の民を冷静に射殺した。
 2人ほど射殺された時点で、海の民はセレニオの正確な位置を把握した。
 セレニオは観念して剣を手に取った。
 セレニオは木陰に回り込み、近付いて来た海の民の右側面から斬り掛かり、上段から相手の首筋めがけて斬り下ろした。
 セレニオの剣は相手の頚骨を断ち切り、海の民は地面に転がって激しく痙攣した。
 セレニオは剣を上段に構えて海の民を待った。
 海の民の一人がセレニオに近付く。
 突然、セレニオは海の民に飛び掛かった。
 海の民が盾を振り上げてセレニオの剣を受け、上段に構え直したセレニオの胸を狙って剣を突き出した。
 セレニオはその剣を握っている指に向かって自分の剣を打ち下ろした。
 指を切られた海の民が剣を取り落とす。
 セレニオは間髪を入れずに相手の口の中に剣を突き込んだ。
 その海の民は後ろに跳び上がったまま仰向けになって、激しく痙攣した。
 数歩引き下がったセレニオは再び剣を上段に構え、近付いて来る海の民に斬り掛かり、盾を振り上げた海の民の左脇腹に剣を斬り下ろす。
 その結果としてセレニオの青銅の剣は鍔元から折れてしまったが、それでも海の民の胸郭を鎧ごと断ち割った。
 その海の民は左胸の傷口から血を吹き出しながら地面に膝を突き、そのまま動かなくなる。
 そして、セレニオは近くに転がっていた海の民の剣を拾い、剣を肩に担ぐようにしながら走り出した…残った海の民が逃げ始めたからである。
 本式の鎧を着ていないセレニオはあっさりと重装備の海の民二人に追い付き、剣を上段に振りかぶってから振り下ろして相手の一人の頭を後ろから兜ごと断ち割り、背中を蹴って死体から剣を引き抜き、その右隣りを走っていた海の民を追い掛け、相手が振り返った瞬間その左目に剣を突き立てた。
 二人の死体が失禁する臭いがセレニオの鼻を突く。

「(あと1人いるはずだ。)」

 セレニオは殺したばかりの海の民から剣を取り上げながら、最後の1人を探して周囲に目を向けた。
 いた…地面に膝を突いてすすり泣いている。
 セレニオは剣を振りかざして相手に駆け寄った。

「や、やだ! 近寄らないで!」

 海の民は座り込んだまま剣を振り回しながら叫んだ。
 こうした相手にうかつに近付くと、足を切られる恐れがある。
 セレニオは相手に歩み寄りながら、対策を考えた。

「立て。」

 セレニオは相手から3mほどの地点に近付いて立ち止まり、冷たい口調で命令した。
 立ち上がろうとする時には、かなり手練の戦士でも無防備になる。
 相手が立ち上がろうとした瞬間に斬り殺すのが、最も安全な手段である。

「う…うん。」

 海の民は少し落ち着いた様子でうなずいて、剣を地面に置き、立ち上がろうとした。
 セレニオが狙っていた好機である。
 しかし、その海の民の姿は余りに無防備であった。
 セレニオは剣を振り下ろすのも忘れ、相手が立ち上がるのを黙って待った。
 立ち上がった海の民は脅えた目でセレニオを見た。
 セレニオも海の民の顔を見た。
 …セレニオの弟と同じくらいの年代であろうか、相手は年端の行かない少女であった。
 今まで海の民を男女の区別なく始末して来たセレニオも、今回ばかりは何故か戸惑いを覚えた。

「失せろ、私の気が変わらないうちに。」

 セレニオは自分の愚かさを自覚しつつ言った。
 ここで相手を逃がしてしまえば、今夜の襲撃の意味はなくなる。
 海の民の包囲網から抜け出すのがセレニオの狙いであったのに、この少女は自分の上官にセレニオに関する情報を報告するであろう。
 そうなれば、包囲網を抜け出しても、すぐに追手が差し向けられるに違いない。

「うん…わかった…。」

 少女は恐る恐るセレニオから離れ、川岸に沿って歩き出した。
 セレニオは黙って少女を見送る。
 少女の姿はこの場から次第に遠ざかって行き、やがて見えなくなった。

「…ありがとう…。」

 セレニオの耳にそんな言葉が聞こえた気がした…多分、空耳であろう。
 セレニオには、他人から感謝される覚えなど何一つありはしない。
 この場に長居する理由もない。
 セレニオは海の民の死体から状態の良い剣を奪い、自分の兜に川の水を汲み、そのまま隠れ家に引き返した。
 
 
 
「(私も…生きる事に疲れたのだろうか?)」

 隠れ家に戻ったセレニオは久しぶりに自問した。
 あの少女を見逃した理由はセレニオ自身にも理解できなかった。
 あの時、セレニオは自分の弟を思い出し、一瞬だけ冷静さを失った。
 しかし、その程度の事はあれほど愚かな決断をした理由にはならない。
 セレニオはこの森に逃げ込んで以来、生き延びる事だけを考えていた。
 セレニオは「何のために生きるのか?」などとは決して考えない。
 理由がなくてもセレニオは生きているのであり、死を選ぶ理由もないからである。

「(私は理由もなく行動するからな…。)」

 セレニオはそれ以上考えるのを止めた。
 意味のない疑問に頭を悩ませても、セレニオに実益はない。
 セレニオは今夜倒した海の民から奪った剣を調べ始めた…いつも通りの青銅製の剣であるので、いつも通りの手入れをする。
 そして、剣の手入れが終わると、セレニオは海の民との戦い方を再び考え始めた。
 包囲網を抜け出す事に失敗した上、川の近くに待機している海の民を警戒させてしまった。
 セレニオは様々な策を考えた。
 あれこれ考えているうちに、セレニオは再び眠りに落ちた。
 目が覚めたら、セレニオはいつも通り海の民と戦わなくてはならない。
 しかし、もう慣れているので気にならない。
 その上、眠っている時でも、セレニオは夢の中で戦い続けているのである。
 戦うための体力さえ回復すれば、それ以上の休息は要らない。
 
 
 
 その夜に限って、セレニオは別の夢を見た…かつて、それなりに平和に暮らしていた頃の夢、弟セルネリオと共に狩りをした頃の夢…懐かしい時代の夢を見た。
 今夜の夢には、トルク王国の皇太子アネスも姿を現した。
 彼はセレニオとほぼ同年代の青年で、心優しい人であった。
 アネスは…現実にはセレニオとは戦争が始まってから出会ったが、夢の中ではセレニオの生まれ育った家の中で一緒にくつろいでいた。
 そして…アネスは心から笑っていた。
 現実のアネスはこんな素直な表情を見せたりしない。
 セレニオは知っていた。
 アネスはいつも無理をして微笑んでいた。
 自分の苦しみを他人に知られまいと苦心し、他人の苦しみを自分自身の事のように受け止めながらアネスは微笑みを絶やさなかった。
 その微笑みはセレニオの目に痛々しく映った。

「(笑いが喜びを表すとは限らないな、あの人の場合。)」

 あのアネスの微笑みを見ているだけで、アネスが心の中に抱えていた寂しさと悲しさが漏れ伝わって来た。
 近くにいた時には、あの憂いを含んだ笑みを見るのが苦痛であった。

「(あの人も、いつまで自分自身を偽り続けていられるかな。)」

 セレニオは考え始めた。
 次第に意識が集中し、夢が薄れ、目が覚めた。
 
 
 
 セレニオは完全に目を覚ました。
 まだ日は昇っていないが、セレニオの一日は今から始まる。
 惰眠を貪っているようでは、王都トルクに戻れる可能性などありはしない。
 まして、夢などに溺れている暇はない。
 セレニオは余計な事を考えるのを止め、海の民を探して森の中を移動し始めた。
 これから生き延びるためにはこちらから先手を打つ必要があり、今のセレニオには生きる事を望む確かな理由がある。