昔、アイルランドという国に精強のフィアナ騎士団がありました。
 そして、そのフィアナ騎士団でも第一の雄とされたのはフィン・マククールと言う老練の戦士でした。
 フィンは若い頃に妖精の国に出かけて巨人と戦ったりして、生きながらにして伝説となっていました。
 人間界の王達の中にも敢えてこの英雄と刃を合わせようとする者はなく、フィンは栄光と名声を欲しいままにしていました。
 ・・・そんなある時、フィンがひどく落ち込んでいるのを息子のオシーンが見かけました。
 
オシーン「父上? 何か大事でも?」
 
フィン「? いいや、我が身の事を嘆いていただけだよ。
    私は今まで戦に明け暮れて来て、
    ふと自分の周りを見れば
    我が妻はすでにこの世の人ではない。
    ・・・連れ合いがいないと言うのは寂しいものだよ。」
 
 妻を失って久しいフィン・・・親思いの息子オシーンも哀れを催しました。
 
オシーン「では、父上に相応しい花嫁を探しましょう。」
 
 
 
 かくして、フィンの部下達は花嫁を探しました。
 方々の王のもとへ出向き、美しく賢い娘を探しました。
 そして、コルマック王の娘グラーニャが相応しいとの結論に達しました。
 
フィン「ふむふむ、あの娘ももはやそんな年頃か・・・。
    よし、オシーン、ディルムッド、
    お前達、コルマック王の許に出向き
    娘御を私に下さるよう頼んで来てくれ。」
 
オシーン「はい!」
 
ディルムッド「御意に。」
 
 フィンが最も信頼する戦士二人に命じます。
 世に比類なきフィンの子息オシーン、そして、俊足の誉れも高きディルムッド・・・フィンが最も信頼し、大切にもしている二人です。
 英雄フィンにも劣らぬ二人は意気揚々とコルマック王の許に向かいます。
 そして、相手方のコルマック王も二人を慇懃に出迎えます。
 
コルマック王「おお! 予が英雄フィン殿の義父になれるとは!
       いやいや、この御話、拙者の方から
       申し出ようと思っていた矢先です。
       フィン殿にもよしなに御伝え下され。」
 
 これを聞いて娘グラーニャは蒼ざめました。
 フィンは確かに英雄ですが、父コルマックよりも年上です。
 その夜、グラーニャは二人の戦士の部屋に忍び込みます。
 
グラーニャ「オシーン様、ディルムッド様、
      私は老人の嫁になどなりたくありません。
      お願いでございます。
      御二人のうち、どちらかが
      私を奪ってお逃げ下さい!」
 
 グラーニャは泣いて縋りました。
 
オシーン「・・・正直言って、
     あの父の歳で若い娘にウツツを抜かせば
     それは芳しくない事だと思います。
     ・・・でも・・・私には
     自分の義母をかどわかす事はできません。」
 
ディルムッド「オシーン殿の言う通りです。
       確かに、あのフィン殿のお歳で、
       貴女のように若い女性の相手をするのは
       危険でさえあります。
       ですが、私も貴女のお力にはなれません。
       フィン殿は私の無二の主だからです。」
 
 二人は口をそろえてグラーニャを撥ね付けます。
 しかし、グラーニャは引き下がりませんでした。
 
グラーニャ「では、ディルムッド様、
      貴方は『婦女子の頼みには逆らわない』との
      誓約を立てておいでです。
      私はその誓約にしたがって貴方に命じます。
      私を連れて逃げなさい。」
 
 誓約・・・それはケルト時代の騎士が騎士団に入る際に個々に誓う事柄です。
 自分に課したその誓約を破る事は騎士にとっては最も恥ずべき事でした。
 
ディルムッド「う! ・・・オシーン殿、弱りました。」
 
オシーン「そうか・・・君の誓約だったね・・・。
     仕方ないよ。父には僕から言っておく。
     全てが終わったら連絡するから逃げてくれ。」
 
 かくしてディルムッドとグラーニャは手を取り合ってコルマック王の城を抜け出しました。
 
 
 
フィン「野郎!」
 
 怒り狂ったフィンは部下一同を集めました。
 息子オシーンだけでなく、孫のオスカーも呼ばれました。
 
フィン「よいか! これは我が一族の威信を賭けた戦いだ!
    ディルムッドを逃がす事は許さん!」
 
 フィンに命じられて騎士団はディルムッド達を追いました。
 ・・・ですが、彼らは皆ディルムッドに好意を持っていたので、見つけてもフィンには知らせませんでした。
 結局、業を煮やしたフィンは自ら先頭に立ってディルムッドを追わざるを得ませんでした。
 ・・・しかし、フィンには恐ろしい力がありました。
 フィンが子供の頃にドゥルイド(魔法使い)から与えられた魔力です。
 親指を口にくわえると、世の中の全ての事を悟ってしまうのです。
 かくして、ディルムッドの住居は瞬く間に見つかり、フィン軍の包囲するところとなりました。
 
オシーン「ディルムッド! 僕だ! オシーンだ!
     兵に手出しはさせないから、
     僕の隊を突き切って逃げろ!」
 
ディルムッド「駄目だ!
       それでは貴方がフィン殿の恨みを買う!」
 
 ディルムッドが立ち向かうべき相手はフィンその人でした。
 ディルムッドは愛妻グラーニャを仲間の魔術師に託し、フィンの部隊に向かっていきました。
 
フィン「狂ったか! 若造!」
 
ディルムッド「御老体には捕まりません!」
 
 フィンは自信満々にディルムッドに躍り掛かりますが、ディルムッドは上手く身をかわして、フィン達にはかすらせもしませんでした。
 フィンが悔し紛れの怒声を張り上げる中、ディルムッドとその仲間達は無事に包囲を逃れました。
 
 
 
 ・・・それから16年の月日が流れます。
 フィンとディルムッドは王達の仲介によって和解しました。
 フィンにはグラーニャの妹が妻として与えられ、ディルムッドもグラーニャを正式な妻に迎えて平和に暮らしました。
 しかし、フィンは内心に悪だくみを抱いていました。
 そして、そんなある日の事、お客として来ていたフィンと一緒に狩りをしていると、ディルムッドが巨大な猪に襲われました。
 それは明らかに普通の猪ではなく、ディルムッドめがけてまっしぐらに突っ込んできました。
 一方、フィンは悪意の笑みを浮かべます。
 
フィン「猪を狩ってはいけない・・・お前の誓約の一つだぞ? ふふふ。」
 
ディルムッド「! まさか! フィン殿!」
 
 ディルムッドはフィンの魔術に陥れられたのです。
 猪は真っ直ぐディルムッドに突進し、ディルムッドも槍を構えます。
 ・・・猪の牙はディルムッドの臓腑を抉り、ディルムッドの槍は猪の脳を貫きました。
 ディルムッドは半死半生の状態でフィンの前に転がりました。
 
フィン「私には傷を癒す力もある。
    ・・・つまり、お前の命もこの私が握っていると言う事だ。」
 
 かつて英雄と呼ばれたフィンの顔が不気味に歪みます。
 そして・・・フィンはディルムッドを癒そうとする真似だけして、途中で止めてしまい、何度も何度もディルムッドを焦らし続けます。
 
ディルムッド「貴方が・・・ここまで卑劣とは思わなかった・・・。」
 
フィン「これが現実だ。
    お前さえいなくなれば、
    グラーニャもじきに私になびく。」
 
 ディルムッドは苦悶のうちに世を去りました。
 その後、さすがにフィンは伊達男です。
 フィンは言葉巧みに未亡人グラーニャを口説き、自分の妻にしてしまいました。
 
 
 
出展「ケルトの神話」・井村君江著・ちくま文庫


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