昔々、コノール王に率いられていた名高き赤枝戦士団がアイルランドを統治していた頃の出来事です。
コノール王の家臣の一人フェリミの娘はディアドラ(災いと悲しみを招く者)と予言され、赤子のうちに命を奪われそうになりました。
しかし、コノール王は赤子を不憫に思い、抜き身を手にした家臣達の前に立ちふさがります。
コノール王「ならぬ。この娘は年頃になれば予の妻として迎えよう。
それまでは他人に災いの及ばぬ地で育てるがよい。」
コノール王は言いました。
そして、この娘ディアドラはコノール王の命令通り、人里離れた森の砦で育てられる事となりました。
・・・それから10数年、ディアドラは美しい娘に育ちました。
そんなある日の事、砦の近くで一人の若者が歌っていました。
この若者の名はノイシュ・・・赤枝戦士団でも指折りの勇士でしたが、同時に優雅さと気品を備えていました。
生まれて初めて目にした魅力的な異性・・・それは若いディアドラの理性を奪ってしまいました。
黙っていられなくなったディアドラが歩み寄ると、ノイシュの顔が蒼ざめます。
ノイシュ「これは御無礼を、我が目に甘い御方。」
ノイシュは慌てて騎士らしい言葉で謝罪します。
そのノイシュの言葉にディアドラは微笑みます。
ディアドラ「見て下さる方がいなければ無意味ですわ?」
そう言って、ディアドラはノイシュの瞳を見つめます。
ディアドラの美しい目で見つめられ、ノイシュは顔を赤らめます。
しかし、ディアドラはノイシュの大切な王様コノール王の嫁になる人です。
ノイシュ「我が君コノール王が貴女を御覧になるでしょう。」
ディアドラ「いいえ、私は貴方を選びます。」
その思い切ったディアドラの言葉にノイシュはぎくりとします。
いくら何でも、王様に逆らうわけには行きません。
ノイシュ「なりません。私は拒絶します。」
これは騎士としては当然の発言です。
しかし、ディアドラも意地になりました。
ディアドラ「許しません。
赤枝戦士団の一員ともあろう者が
身分ある女性の願いを撥ね付けるのですか?
私はこの侮辱を吹聴しますわ。」
このようにディアドラに強く言われ、ノイシュは困ってしまいました。
王様に逆らうわけには行かず、かと言って、騎士として女性の頼みを断るわけにも行きませんでした。
ノイシュが困っていると、彼の二人の弟がやって来ました。
ノイシュが弟達に事情を話すと、彼らは口をそろえて言いました。
弟達「ここでディアドラ様を無下に扱えば、
彼女が陛下に何を吹き込むか
知れた物ではありません。
兄上、ここは一族郎党を引連れ
他国の王の許でほとぼりが冷めるのを待ちましょう。
そうすれば、いずれはあの御優しいコノール王の事、
きっとお許しになるでしょう。」
弟達にも勇気付けられ、ノイシュは決心しました。
ノイシュ、二人の弟、彼らに従う150人の戦士・・・一行はディアドラを連れて他国の王を頼ります。
いずれの国も王も美しいディアドラを奪おうとしますが、世にも腕利きの赤枝戦士達に守られていては、指をくわえて見ているしかありません。
そんなある時、故郷のコノール王の許から使者が訪れます。
ノイシュ達の親友ファーガスです。
ファーガス「陛下は君達を許すと僕に約束した。
たとえ陛下が約束を破ったとしても
僕は君達の味方だ。」
この言葉をファーガスは守り通しました。
そして・・・帰国したノイシュ達を待ち受けていたのはコノール王の軍勢です。
コノール王はノイシュ達をだましたのです。
ノイシュ「陛下! 私達をたばかったのですか!」
コノール王「ほざけ! 裏切り者!
貴様自身の槍で身を守るがよい!」
こうなっては、戦うしかありませんでした。
コノール王に仕える戦士達はノイシュ達に襲い掛かり、ノイシュの家来衆もコノール王に立ち向かいます。
そして、ファーガスもノイシュ達と交わした約束を守って王に剣を向けます。
両軍は激しく槍を投げ合い、一人一人倒れていきました。
ノイシュの二人の弟、ファーガス、ファーガスの息子・・・と言った面々も多数のコノール兵を道連れにしながら倒れます。
そして、深手を負ったノイシュに迫るのは海神マナナン・マクリールの宝剣を手にしたコノール王その人です。
・・・戦いは終わりました。
勝ったのはコノール王。
そして、ノイシュは死んでしまいました。
勝ち誇ったコノール王は酒の席にディアドラを呼びつけます。
コノール王「ディアドラよ、そちの最も嫌う物を言うがよい。」
ディアドラ「それは陛下です。」
笑顔も泣き顔も失ったディアドラは冷たい表情で答えました。
コノール王が嗜虐の笑みを浮かべます・・・そこに、かつての慈悲深い王の姿はありませんでした。
コノール王「では、ディアドラよ、そなたは今日から予の妻であるぞ!」
この言葉を聞いてディアドラは窓から身を投げて命を絶ちました。
・・・そして、ディアドラの葬られた墓から櫟(いちい)の木が生え、同じくノイシュの墓からも櫟の木が生えました。
この二本の木から伸びた枝は絡み合い、コノール王が何度斧を以って切っても引き離せなかったと伝えられています。
出展「ケルトの神話」・井村君江著・ちくま文庫