リーゼとソルの営業日誌・第1話「リーゼ、魔法使いに会う」

 魔法装置の技師は本当にエリート職なのだろうか?
 卒業を間近に控えたリーゼは就職先も決まらぬまま、途方に暮れていた。
 故郷の両親には無理を言って学費を工面してもらい、「魔法の新分野を開拓する」と意気込んで村から出てきたものの、現実には凡庸で食い扶持さえままならない自分を発見するだけだった。
 それこそ少女時代には「魔法使いになる!」と憧れていたのに、歳を重ねるごとに展望は萎縮し、今では「安定した収入にありつければ、それでいい」とさえ考えている。

「(村に戻ったら、装置補修の仕事くらいには、ありつけるかな?)」

 権威付けに「魔法」などと呼ばれている装置類だが、実態は生体のエネルギーに反応するように造られた機器であり、一部は日用品にもなっている。
 選り好みさえしなければ、技師として働く場所には不自由しないはずである。
 そして、魔法技師を養成する学校でのリーゼの成績も、決して悪いものではなかった。
 …それでも、今日まで就職先を決められないでいた彼女は、「自分を売り込むのが苦手」と思われる。

「(故郷に錦を飾りたかった…。)」

 両親は一人娘のリーゼの願いを叶えて高等教育を受けさせ、村の人々も「村から大物が出れば、後に続く若者の助けになる」と送り出してくれた。
 その期待に応えたい気持ちを、リーゼは多分に持っていた。
 …が、今日にいたるまで期待に応えられず、リーゼは気の重さのあまり腹痛さえ覚えた。
 この日は下宿に戻って休もうと思ったリーゼは、校門を出たところで大荷物を背負った人とぶつかってしまった。

「う、わあ!」

「あう! ごめんなさい!」

 リーゼにぶつかった相手が落とした荷物から、中身が散乱する。
 衣類や食料品…この相手は旅人なのだろう。
 リーゼは急いで、散乱した荷物を拾い集める旅人を手伝った。

「すみません、お手数を。」

「いえいえいえ! 私のほうこそ、ぼーっとしてて、とんだ粗相を。」

 リーゼは謝りつつも、相手の顔を見た。
 年の頃は15、6歳くらいだろうか、かすかにニキビの浮いた少年の顔。
 体格は女性のリーゼより小柄で、不相応に大きな外套を羽織っていた。
 それに加えて…嗅覚にも訴えてくるものがあった。

「(これが、男の子の匂い。)」

 そのリーゼの感想を敏感に察したのか、少年は微かに赤面し、外套のポケットから小さな石板を取り出した。
 すると、周囲の空気から匂いが薄くなった。
 この時、リーゼは少年が取り出したのが「符」と呼ばれる略式の魔法装置であることに気付いた。
 大がかりな魔法装置ではなく符を使うのは、エネルギー効率が悪いし制御も難しい。
 それを、この少年は符で「消臭」の魔法を使って見せた。
 見かけの割に、なかなかの術者と言える。

「(見かけない顔だけど、来期の新入生なのかな。)」

 そう思ったリーゼは言葉を続けた。

「入学前から、それだけ符を使いこなせれば、操作の実習は楽勝ですね。」

 そのリーゼの何気ない発言に、少年の表情は曇った。
 人間関係の機微に暗いリーゼにも、自分が失言をしてしまったことが判った。

「えーとー、私は今度、この学校を卒業する二級技師のエリザベート(リーゼは通称)と言います。もし、よろしければ、本校にいらっしゃった用向きをお聞かせいただけますでしょうか。」

「符の修理依頼に来ました。身元は…言わないと、駄目ですよね。ブラン侯国の元一等兵で、ソルと呼ばれています。」

 ソルと名乗った旅の少年は、どこか純朴さを残していた。
 聞いているリーゼも不信感は覚えず、むしろ相手の話に興味がわいてきた。

「修理なら工房に…いや、私に見せてもらえますか? これでも、学校の紹介で、工房の手伝いをしたことがあるんです。」

 リーゼはそう言って、ソルを学校の構内に案内した。
 
 
 
 人付き合いの苦手なリーゼだが、魔法装置の扱いについては素人ではない。
 ソルから手渡された符を、リーゼは学生食堂のテーブルに載せ、丹念に調べ始めた。

「あー、これ、中の配線が傷んじゃってるね。よっぽど使い込んだのかな。工房に出すと高いから、ここで直しちゃっていい?」

 そう語るリーゼの顔を見ながら、ソルは感心していた。
 先ほどとは顔つきが、まるで違い、鋭気さえ漂わせている。
 これなら任せられる…ソルがうなずくと、リーゼは作業に取り掛かった。
 符を解体して、中の魔法回路を取り出し、取り出した針と糸で回路の配線を補修していく。

「本当は雲母があるといいんだけど、今回は銀糸で応急処置だけしておくね。それだけでも、ずいぶんと違ってくるはずだよ。…それにしても、ここまで符を使い込むなんて、ソル君、本式の魔術師なんだ。」

 リーゼはそう言いながら、傷んだ配線を銀糸で補修し、それが済むと符を組み直して動作チェックをおこなった。
 彼女が符に魔力を通すと、符は反応して、近くにあったコップの中の牛乳を水と油に分離させた。

「浄水の符。いい仕上がりかな。じゃ、次の符。…あー、これは沈殿させた粒子がこびりついちゃってる。硫酸で拭くと綺麗に落ちるんだけど、今回は紙やすりで削り取っていい?」

「お任せします。」
 
 携帯の工具と銀糸だけで手際よく符を補修していくリーゼに、ソルは今更ながら驚いていた。

「(正規の教育を受けた人は違う。)」

 符を使った術に慣れているソルでも、リーゼのような符そのものに関する知識や技術の蓄積がない。
 その時々の説明を聞いて理解したつもりになっても、基礎理論から学んだ者にはどこか及ばない。
 そのリーゼは夕方まで作業を続けて符を10枚ほど修理したが、彼女は彼女で、自分の仕事ぶりに満足していなかった。

「応急処置だけでも、こんなに、かかっちゃった…。ねえ、ソル君、符を3日くらい預かってもいいかな?」

 リーゼとしては、まだ直していない符も多かったし、本式の補修ができないものか調べてみたかった。
 一方、ソルにとって符は大事な仕事道具ではあったが、リーゼの真顔を見ていると、預けてもいいと思えてきた。

「ええ、預かっていてもらえますか? それまでの間に、自分も修理費を工面してきますので。」

「いやいや、私が勝手にしていることなんで、お金なんて。」

 そのリーゼの言葉に、ソルは同意できなかった。
 リーゼの善意を疑ったわけではないが、ソルにも譲れないものがある。

「いや、駄目です。エリザベート技師の仕事は、きちんと『技術料』を取らないと、後に続く技師が『あの人は、ただでやってくれたのに』とか『材料費だけでやって』と言われてしまう恐れがあります。値打ちのある仕事には、正当な報酬を要求するのは義務だと思ってください。」

 そう語る背景には、ソル自身が魔法という「技術」で報酬を得ている事情がある。
 そのソルの語勢に、リーゼは何も言い返せなかった。
 
 
 
 そして翌日の夕方、技師リーゼは魔術師ソルが仕事をしている現場を見た。
 石英の加工を依頼した工房から帰る途中のリーゼは、大小数多くのネズミ達を引き連れているソルに出くわした。
 だぶだぶの袖の中に「獣寄せ」の符を隠しているのであろうか、踊るように腕を振るソルの周りに、宿屋近くの下水溝から姿を現したネズミ達が集まっていた。
 これほど広範囲のネズミを、効力を途切れさせることなく引き寄せているソルの技量に、リーゼは驚き呆れた。

「(実地で経験を積んだ人は違う。)」

 符の効力について熟知しているつもりのリーゼでも、ソルがやってのけたほど効力を発揮できるとは知らなかった。
 同じ道具でも、使う人の熟練の度合いによって、働きがまるで違ってくる。
 そのリーゼの感想をよそに、ソルは籠(かご)の中にネズミ達を導き入れ、宿の主人に手渡した。
 その光景を見ていた見物人の間から、まばらながら拍手が起きる。

「あとは、ご主人にお任せします。…さあ、皆さん! 害獣、害虫の駆除のご用命はありませんか? お家の細かいお悩み、この魔法使いソルが引き受けまーす!」

 こうやって、物怖じせずに自分を売り込める度胸は、リーゼにはない。
 そして、それから数日間、ソルが害虫や害獣の駆除を請け負っては、小銭を稼いでいる姿が見られた。
 最初は無関心だった町の人々も、魔術師ソルの評判が広まるにつれ、仕事を持ち込むようになった。
 中には「魔法道具だけ貸して。あとは自分でやるから」と言ってくる者もいたが、そうした申し出をソルは全て断った。
 魔法道具の符はソルにとって大事な仕事道具で、信頼できない相手に貸し出せる物ではない。
 仮に貸し出したとしても、大がかりな魔法装置ではない符では、借りた相手も望んだほどの効力を引き出せなかったに違いない。
 それ以上に、ソルは魔法という技術で仕事をこなし、「技術料」を報酬として受け取る身の上だった。
 
 
 
 その日もリーゼは、補修を終えた分の符を持って、ソルの逗留している宿に向かった。
 当初の「3日くらい」の約束から、大きくずれ込んでしまい、直した符から返していく毎日で、そろそろ1週間になる。

「いらっしゃいませ! お席へどうぞ! っと、エリザベート技師でしたか。その節はお世話になってます。」

 宿代を割り引いてもらうのと引き換えに、ソルは宿屋の手伝いをしていた。
 地階は酒場になっていて、席に着いたリーゼに、ソルが「おごらせてください」と言って飲み物を給仕した。
 接客業務でも、ソルは機敏に働く。
 ただ惜しむらくは、その華奢な外見通り、力仕事が苦手なようだった。

「(それでも、人当りは明るくて丁寧だし、気も利く。宿屋の仕事、向いてるんじゃないかな?)」

 そう思うリーゼだけでなく、宿の主人も「魔法使いの仕事より、こっちに専念してくれるようになったら…」と言い始めていた。
 実際、ソルは魔法なしでも洗濯が上手く、彼が洗うようになってから宿のシーツが急に清潔になったと、評判が広まりつつある。
 しかし、ソルとしては魔法にこだわりがあるようで、この日もリーゼから符を受け取って、修理費を支払った。

「こんなに…。」

「正規の工房だと、きっと倍は取られます。これくらいしか用意できなくて、申し訳なく思います。」

 ソルはそう言うが、それでも工房に勤める職人の手取りよりも多い金額を用意してくれた。
 受け取るリーゼも恐縮するだけでなく、「工房組合に知られたら、どうしよう」と心配になってきた。

「(どこかの工房で雇ってもらえたら、心配事もなくなるのに。)」

 リーゼの就職活動はいよいよ絶望の段階に入っている。
 学校の紹介で手伝ったことのある工房全てで採用を断られ、工房を通さずに仕事を取って来られるほどリーゼは器用ではない。
 ソルの一件は、まさに例外中の例外で、今後の見通しは全く立っていない。

「もったいないですね、いい腕なのに。それに…正直な話、符を工房に持ち込んでも、修理してもらなかったと思うんです。工房としては新品の魔法具を売りたいでしょうし、手間のかかる符の補修は、採算が取れるか怪しいでしょうから。」

 ソルの言う通り、どこの工房も経済効率を重視している。
 使える人の限られる符の作成や補修は、かかる手間の割に収益は少ない。
 それよりは、多くの人が扱える魔法具を作ったほうが、需要もあるし収益も望める。
 リーゼが各工房で採用されなかった一因も、そこにある。
 彼女には「金になる物を作る」という意欲が欠けている。

「今は能率化が進んでるからね。少数派になると、つらいよ。…多数派の要望を調べて、それを叶えて採算も取れる商品を作る。それができたら、もう少し胸を張れるんだけど。」

 そう語るリーゼの技師としての苦悩を、敏いソルでも、全て知るわけではない。
 やがて、宿の主人に呼ばれ、ソルは手伝いに戻って、リーゼは取り残された形になった。

「(少し…うらやましい、かな。)」

 コップに残った液体を飲み干すと、リーゼは宿屋を後にした。
 
 
 
 それから2日後、リーゼは旅支度を調えていた。
 荷物の中に、学校からの紹介状を入れることも忘れない。
 この町での就職が叶わなかったからには、他所の町で可能性に賭けるしかない。
 旅程は1週間ほど。
 これで就職が叶わなかったら、故郷の村に帰り…婿を取って、家を継ぐことになるだろう。
 そうなると、もう魔法の仕事はできなくなるかもしれない。
 今回の旅行が、魔法技師としてのリーゼにとって、最後のチャンスになる。

「(行くよ。)」

 リーゼは拳を握り締め、自分に言い聞かせ、乗合馬車の停留所に向かった。
 そして…その道中、以前に見かけた大荷物を背負った少年、ソルに出くわした。

「え? ソル君?」

「!? エリザベート技師! その荷物は!?」

 両者、お互いに驚いていた。
 話を聞くと、ソルは「この町での用事は済んだ」とのことで、宿を引き払って、次の町に向かうところだったという。

「せっかく、町になじんで、評判もついてきたのに…もったいないんじゃないかな?」

 そのリーゼの感想に、ソルは即答できなかった。
 彼にも葛藤はあったらしい。
 ややあって、考えをまとめ終えたソルが口を開いた。

「習性、みたいなものかも知れません。それより、エリザベート技師の就職活動のほうが、気になります。自分の旅はあてのない旅ですから、しばらくエリザベート技師に同行したいです。…まあ、自分が『送り狼』に見えるなら、自粛しますが。」

 意外な申し出ではあったが、リーゼは「都合がいい」と思った。
 人付き合いの上手いソルが一緒なら心強いし、リーゼからは修理技術を提供できる。

「1週間くらいだけど、よろしくね、ソル君。頼りにしてるから。」

「こちらこそ。エリザベート技師が工房に採用される姿、見届けさせてください。」

 そう答えながら、リーゼを追って馬車に乗り込んだソルは、御者の顔を見そびれてしまった。

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