水道の開通とタイアップして、王都トルクに開店したテュニス先代王の喫茶店。
当時はトルクの民には、なじみが薄かったものの、遥か異郷から攻めて来ていた海の民にとっては、どこか懐かしい雰囲気だった。
ルミノ隊の面々や、剣士ベルヴェータが紅色の茶を口にしながら、共通の友人セレニオについて語り合う。
「不公平だと思うんですよ。縁なら、こちらの方が深いはずなのに、名前さえ教えてもらえなかった。」
「そりゃまあ、めぐり合わせってもんでしょ。俺らだって、まさか、あの『死の森の番人』と言葉かわすとか想像もしてなかったし。」
そうした話をしているうちに、興が乗ってきて、ルミノ隊の弓兵ティリオが提案する。
「この際、ご本人からも話を聞いてみたいですね。呼んじゃいますか?」
「おー、呼べ呼べ。最近のセレニオ殿はさ、ミル坊に夢中で、友情をないがしろにしてる気がするんだよね。」
そうしたやり取りがあって、トルクの戦士セレニオと、その副官ミルカが呼ばれてきた。
セレニオは店長のテュニスに「あの黒くて苦いのを、サトウキビなしで」と注文し、ミルカも卵焼きと、サトウキビの搾り汁の入ったお茶を注文した。
セレニオが「頭がさえるし、身体も温まる」として好む黒い飲み物だが、健康に対する影響は諸説ある。
その黒い飲み物をすすりながら、セレニオは持ち込んできた町の見取り図に、数字を書き込んでいた。
そのセレニオに、ベルヴェータが声をかけた。
「ところで、セレニオ様…ルミノ隊長とは、どんな風にお知り合いに?」
そう呼びかけられ、セレニオの手が止まる。
セレニオは見取り図をたたんで答えた。
「素案だ。こちらから持ち込むより、ロニアにまかせるか。…ベルヴェータ殿、お尋ねの件だが、少し長い話になる。しかも、『利益』につながらない。それでよければ、お話しするが?」
「人間関係を保つために、お話しになる価値はあるかと。」
ベルヴェータからそのように促され、セレニオは夏の記憶を話し始めた。
この年の夏、セレニオの生まれ育った村を襲撃したのは、ベルヴェータの所属する部隊だった。
ベルヴェータ自身も3人の村人を殺害している。
…が、同輩に「こんなのをいくら殺しても時間の無駄。次の村へ戦士を探しに行こう」と諭して、多数を生かしたこともあり、セレニオはあまり恨んでいない。
むしろ、その日の戦いで7人の海の民を斬殺したセレニオのほうが、「私は恨まれているかもしれない」と思っていた。
そして、村から王都へ落ち延びたセレニオは、王都防衛戦に参加し、その時の戦いで17人を殺傷し、その中にルミノ隊長の妻も含まれていた。
さらに、動揺したルミノ隊長から馬を奪ったセレニオは、逃げ込んだ森に隠れて戦いを続けた。
この名も知られていなかったトルクの戦士セレニオを追ったのは、海の民側の最大の失策の一つで、1ヶ月で22名の行方不明者を出した。
死体の見つかった13人からは、いずれも肝臓が抜き取られていて、加害者のトルク戦士に対する海の民の恐怖は今でも根強い。
その悲惨な森の戦いの序盤で、ルミノ隊長は「未来への希望を失い、死ぬのにためらいのない奴」を集めて、復讐隊を結成した。
「俺達は命しか捨てる物がないが、その命を刃にすることができる。一人一殺! 相討ちになっても、亡くなった者達に報いるのだ!」
そう訓示を語ったルミノ隊長とその仲間達を、隠れて聞いていたセレニオは危険視した。
セレニオはルミノ隊を最優先でつけ狙い、襲った。
初日でルミノ隊から2名の戦死者が出て、二日目にはルミノ隊長が部下をかばって、セレニオに腹部を刺された。
「ティリオ、逃げろ。俺がこいつを押さえておく。」
「隊長! 駄目だよ!」
その二人のやり取りに、セレニオは「いらつき」という感情を覚えた。
「嘘つき!」
そう叫んで、セレニオは二人を川に蹴り落していた。
命と引き換えてでも、自分を殺しに来るのではなかったのか。
それが、仲間の命を惜しむとは、覚悟ができていないのではないか。
復讐の意志を曲げたルミノ隊長の変節ぶりに、セレニオは失望して、つけ狙うのを止めた。
…が、2週間ほど後、偶然がセレニオとルミノ隊長を近づけた。
セレニオが川で魚を捕っていると、水浴びから出てきたルミノ隊長に出くわした。
両者ともしばらく言葉もなく、お互いを見合っていたが、やがてセレニオが二尾の魚を差し出して声をかけた。
「食べるか?」
「あ、ども。」
魚を受け取ったルミノ隊長は、何事もなかったように服を着て、キャンプ場所に戻った。
その後になってから、先ほどの状況の異常さに気づいた。
「あれって…あいつ?」
この時になって、ルミノ隊長の額に冷や汗が浮かんだ。
一方のセレニオも、再びルミノ隊に興味を持ち、近くに潜伏した。
その翌日、ルミノ隊長が隊に指示を出した。
「わり。消しちまった。火、起こしといてくれ。」
「わかった。」
まぎれ込んでいたセレニオが、ルミノ隊長の要望通りに火を起こす。
この行動について、セレニオは後に「頼まれたので…他に意図はなかった」と説明している。
ルミノ隊長も事態を理解するのに、10分以上かかった。
「? えーと、あの…い、生け捕り! 生け捕りにしろ! 武器は使うな!」
ルミノ隊長も部下達もたじろぐ中、セレニオは素早く逃げ出していた。
そして、この日のルミノ隊の犠牲者は…0名。
ルミノ隊長の中で、相手に対する印象は変わっていた。
その翌日、またしても、まぎれ込んでいたセレニオに、ルミノ隊長は陸稲の飯を持った椀を差し出した。
「利敵行為だ。やめておけ。」
そう言って断るセレニオの手に、ルミノ隊長は無理やり椀を押しつけた。
「毒餌の罠だ。引っかかれ。」
そう言って、ルミノ隊長は相手に無理やり食事をとらせた。
やがて食べ終えたセレニオは、去り際に言った。
「人間の食事をとったのは久しぶりだ。礼を言う。」
「俺はルミヌス・アマルフ・テバ。お前は?」
「セレニオ。」
「そっか…。その名前、他の奴らには言うなよ?」
この時すでに、ルミノ隊長の中で恨みは薄れていた。
この時の感情が「友情」だったと彼らが気づいたのは、しばらく経ってからの事だった。
そのルミノ隊との交流とは対照的に、セレニオとベルヴェータの戦いは熾烈を極めた。
森での最初の遭遇で、セレニオはベルヴェータの率いる隊を全滅させ、最後に残ったベルヴェータにも眉間を断ち割る重傷を負わせた。
この時の傷は、今でも彼女の額に三日月型の傷跡として残っている。
それでも死ななかったベルヴェータは川に飛び込んで逃げ延び、報復の手段を模索した。
部下を失い、名望も地に落ちた。
今さら、プライドにこだわっていられる余裕もない。
…ベルヴェータは、あの名も知らぬトルク戦士の戦い方を真似た。
相手から自分の剣を隠し、殺気も隠して、隙を見つけて斬りこむ遣り口。
森の中でも音を立てずに走る足運び。
周囲に溶け込む呼吸の仕方。
それらを身につけて、再びあのトルクの戦士を襲ったが、その時も決着をつけられなかった。
その後、ベルヴェータは身につけた技術を、さらに自分の中で昇華させた。
相手の気配をかぎ取って、近くの木陰に潜み、剣を大上段に構えたまま静止する。
自分も木になった心持ちになり、静止すること1時間以上。
相手の気配に合わせるまま、余計な力は一切込めず、振りかぶった剣と腕の重さだけで斬り下ろした。
右腕を切り裂かれたセレニオは、恐怖のまま、逃げ出すしかなかった。
もし木の枝が邪魔しなければ、セレニオの右腕は切断されていたに違いない。
その逃げ出すセレニオを、ベルヴェータは執拗に追いかけた。
走り方はすでに、相手が手本を見せてくれている。
30分以上、ベルヴェータは相手を追った。
これには、セレニオも死を意識し、どうにか逃げ延びた以後は、相手に近づかないよう徹底して避けた。
こうなると、ベルヴェータもなかなか相手を追えず、苦しまぎれに挑発した。
「フォスタリオとサランドラの兄、出てこい! 海の民の戦士ベルヴェータ・レントゥルスはここにいるぞ!」
この言葉で、セレニオは相手の名前を知った。
また、相手が弟たちを見逃した「にやけた顔の海の民」であることも知った。
村人の仇と言えば仇だが、弟たちの命の恩人でもある。
また、何度も戦っていると、セレニオにも思う所はあった。
「(敵としては最悪だが、もし味方だったら、どんなに頼もしい事だろうか…。)」
この時はただの想像、あるいは夢想に過ぎず、しばらく忘れていた。
しかし、戦争が終わった時、セレニオは思い出した。
自分を最も苦しめた強敵ベルヴェータ・レントゥルスの名を。
語り終えたセレニオは、黒い飲み物の残りを一気に飲み干した。
「ほんの少しの偶然で、私も相手もどうなっていたか判らない。それに、あなた達に抱いている感情が『友情』なのか、確証はない。それでも、時々思う。『いてくれて良かった』と。そう思う理由は、私にも判らない。ただ思うだけ。」
そう話し終えたセレニオは、ミルカの分も含めた飲食の代金として、銅貨20枚を卓上に置いて、帰って行った。
ミルカも追って、店を出る。
その二人を見送ったルミノ隊長が、小さく溜め息をつく。
「不公平だよな。絶対、俺らのほうが友情あるはずなのに。」
「まあ、仕方ありませんよ。それに、私らが倒せなかったセレニオ様を討ち取ったのって、ミルカさんですよね? 卑劣とか騙し討ちとか聞いてますけど、あの森の戦いを思い出すと、それこそ生きるのに手段選んでられませんから。」
ルミノ隊長のぐちに、ベルヴェータはやや砕けた口調で答えた。
ルミノ隊の槍士ルカや弓兵ティリオも相槌を打つ。
少し妬いていたルミノ隊長ではあったが、気を取り直し、追加注文を出した。
「ティリオ様、果実酒ってありますか?」
「ええ、ありますとも。残念ながら、ブドウのはないのですが、地元の果物で、いくつか試作してみました。今日はつぶれるくらい、飲んでいってください。」
テュニスはそう笑って、樽から赤い飲み物を汲んだ。
そして、トルクの晩秋の夜は暮れゆく。
第2話に進みます