日本の獣医師の職域についての独り言
獣医学教育で犠牲にする動物の命と、獣医師になってから扱う命の差別化は人間が人間の都合で行っているも
のであり、その意味で獣医師は「動物のお医者さん」ではなく「人間のお医者さん」です。でも、獣医師が獣医
師たる所以であり、その特権であることは、「動物の権利と人間の利便性との融合を目指した医学」を考えるこ
とができる点ではないでしょうか?しかしながら現在の獣医学では人間の利便性のみが大きくなりすぎていて、
動物の権利と融合させることなどほとんど考えられておらず、従って獣医学教育を受ける者は入学する以前に考
えてきた「あること」をどこかに抑えつけて隠し続けて生きていくことを余儀なくされています。そして、獣医
師免許を取得した後もその矛盾に悩み、歪んだ生活を送っていかなければなりません。私はどうしても自分の中
の矛盾に耐えられず、獣医師から足を洗おうと思いました。日本には同様に悩み苦しんでいる「隠れキリシタン」
獣医が多くいるのではないでしょうか?
どうして獣医師になって苦しまなければならないのか。苦しみの根元は何か?吐き出すことで整理がついてき
たように思います。どうせ一度は獣医師として廃人同然になった身です。タブーに対して声を上げることに怖く
はありません。
食品衛生や屠畜検査は海外では民間のinspectorにシェアされています。犬・猫の処分は獣医がすることでし
ょうか?狂犬病ワクチンを生理食塩水で薄めて利益と身を守ることは獣医師がすべきことでしょうか?農家のご
機嫌をとって抗生物質の休薬期間を守らずに廃用牛を屠畜場へ送り出すことが獣医師のすることでしょうか?
世の中に媚びを売って、特に医者の真似をした研究に重きをおいて人間の利便性だけを大きく考えすぎ、動物
の福祉を考えることをタブー視してきたことで、獣医師が自ら自分たちの職域を狭め、矛盾を生じ、プライドの
ない仕事をする結果を招いていることに早く気付くべきだと思います。