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                 顔写真を手帳に貼って携帯、札所で納経する 
                  たびにこのページを開きました。手帳はすり 
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            修行でもないし、信仰心でもないし、もちろん人生を変えたい、自分を見つめなおしてみたい、自己の再発見、あるいは観光・・・そのようなものとはほとんど無関係です。 
            
遍路に出る人の思いはさまざまでしょうが、確たる動機もなくただ何となくという人も多いのではないかと思います。 
            
私の場合は“好奇心”でしょう。それと人工肛門になって四半世紀という節目も付け加えていいかもしれません。かなり曖昧な動機ですが、マラソン・登山等で鍛えてきた脚、四国遍路など何するものぞという見くびりがありました。 
            
顔写真を手帳に貼って携帯、札所で納経するたびにこのページを開きました。手帳はすりきれてボロボロです。 
            
後付けで理由をつければプライベートに立ち入りすぎていて人には言えないこともありますが、それは別として、『重い病を抱えた身内の平癒祈願』、『亡くなった実弟の供養』、『われわれ老夫婦二人の平穏な老後祈願』、『子供、孫など身内肉親たちの安全・平穏とより良い人生の祈願』などとうことになります。 
            
すでに亡くなっていますが私たち夫婦の親の写真と、祈願の対象とした上記の人たちの顔写真を携行、遍路を一緒に歩くことにしました。 
            
 
             
             
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