遍路道中記―1 (1日目〜5日目)

・・・・距離は概算です・・・・
1日目 行動時間 13時00分〜16時40分  22297歩  (3時間40分 17km) 天候=晴

長野発9時間35分の夜行バス→大阪難波。さらに高速バスでJR徳島駅へ

3日後の宿泊予約をしてある徳島駅前ホテルへ立寄り、3日間不要の荷物を預ける。ところが決して手放してはならない人工肛門用装具の一部まで預けてしまうという早々の大チョンボ。はやる気持ちで平常心を失くしていたのか

JR徳島駅発12時16分、坂東駅着12時54分。

午後1時、遍路の第一歩を踏み出す。遍路道案内シールに導かれて、すぐに一番霊山寺へ着く。寺の売店で言われるままに杖、菅笠、ローソク、線香、納札(おさめふだ)を購入。ザックの荷を軽くするよう徹底して選別してきたのに、ローソク(200本)だけでも結構な目方。

遍路道の案内標識このほかいろいろあった

1番霊山寺≫


頭に入れてきた参拝手順を思い出しながら、まず山門で拝礼、手と口をすすぎ、本堂で線香、灯明、賽銭,納札、写経を納め、般若心経を唱える。声が上ずっているのがわかる。
次に太子堂で線香、灯明、賽銭、般若心経を唱えた後、納経所で墨書ご朱印をいただく。これが順番通りスムーズにいかず、思ったより時間を食う。一札所15分と想定してきたが、とても無理。順不同になってしまったセレモニーを何とか終ってみたら、売店の時間も含めて40分ほどかかっていた。あとが思いやられる。

≪2番極楽寺≫

ここでも参拝手順が前後してしまう。写経は一寺1枚分しか用意してこなかったので、本堂だけに納めて太子堂は省略。完璧に暗誦してきた般若心経だが、本番ではすらすらとはいかずに時間を食う。そこで太子堂は「南無大師遍照金剛」と唱えるだけにした。それでも納経所の墨書ご朱印まで15分で済ませるのは至難。

≪3番金泉寺≫

遍路道は車道であったり、畑や田のあぜ道であったり、竹林の中の細道だったりといろいろ。しかし遍路シールが案内してくれるので迷う心配はない。一札所の参拝時間が思ったよりかかって、夕方までに5番地蔵寺前の民宿へ着けるか心配になって足を速める。

≪4番大日寺≫

竹林を抜け小集落を通り、畑道から車道に出たところで進むべき方向に戸惑う。登山で地図読みにはなれているが、“四国遍路ひとり歩き同行二人”という地図帳は『上が北』という地図の常識を度外視しているのでなかなかピンとこない。

≪5番地蔵寺≫

本日最後の地蔵寺を打ち終って門前近くの民宿へ着いたのは4時40分。民宿は耐用期限ぎりぎりという古い民家、襖などもガタがきて隙間だらけ。人様の寝ている部屋を通らないとトイレにも行けない。物音も筒抜け。安いのがとりえ。       

初日の行動時間は半日のみ、天候にも恵まれて無事終了。もちろん疲労感は皆無。

2日目

行動時間 6時50分〜14時50分  44992歩  (8時間 32km)  天候=晴・曇

本日納経予定の札所は6ケ寺、時間をかけないようにしたいものだが、20分×6ケ寺として2時間は必要だろう。今日から白衣、菅笠、杖という遍路姿に変身する。

≪6番安楽寺≫

電柱、交通標識などに貼られた案内シールに導かれて迷うことなく本日最初の札所に着く。前夜の宿で納札に住所氏名を書いたり、ローソク、線香、納経帳などをザックから取り出しやすく工夫したりして、昨日より少しスムーズに進む。

≪7番十楽寺≫

異国情緒の十楽寺


≪8番熊谷寺≫

納経(納経帳に墨守ご朱印をいただくこと)で待たされなければ15〜20分で終れるようになってきた。

≪9番法輪寺≫

納経所の女性はとても感じがよかった。やさしい声で「どうぞ道中お気をつけて」と声をかけてられると嬉しい。
ふらふらと近づいてきた高齢のお爺さん、遍路についていろいろと講釈を述べ始めた。「結願までの予定日数は?」とか「55日は必要だ」とか12番焼山寺への登りは水を2リットル持て」「長戸庵の水は飲めない、柳水庵の水は良い」等。アドバイスはありがたいが、親切も押し売りになってはいけない。講釈を振り切るようにして次の札所へ。この段階では、練りに練って作ったスケジュールをその通り進めることが至上のものと考え、寸時も時間をムダにしたくないという思いが強かった。

≪10番切幡寺≫

一段がかなり高い石段、
それを333段昇ると切幡寺本堂

本堂まで段差の大きい333段の石段、苦もなく軽々と上り、そして下る。しかしバスツアーの団体さんの中には手こずっている老人も目だつ。

≪11番藤井寺≫

藤井寺へ向かう途中、吉野川にかかる川島橋を渡るにはその手前で左折しなくてはならないのに案内シールを見落として直進、1キロか2キロ行ったところで「お遍路さん、どこへ行くの・・・」という声か畑の中から。「これは藤井寺への道ではない。戻って道しるべのあるところを曲がりなさい」と教えられる。このまま3Kも5Kも行っていたら大変なことだった。深々と最敬礼し、お礼を述べて引き返す。

菅笠はひさしが深いのと、姿勢も背の荷物のため前かがみになるので視界が悪くなり、案内をつい見落としてしまうことを知った。また考えごとをしたり、無念無想に陥ったりしたときもそうだ。その後も同様の失敗を繰り返し、そのたびに慌てさせられた。

藤井寺は寂れた山寺風、それも風情か。ただし納経所の若い男性は膝に穴の開いたジーンズ姿、墨書もサラサラというのではなく、いかにも乱暴に書きなぐる感じで、一言も口をきかずイヤな気分。

明朝は暗いうちに出発の予定。藤井寺から12番焼山寺への登り口を確認したりしてから1キロ近く下った旅館へ入る。明日の昼食を購入すべく遠回りしてコンビニを探してきたが見つからなかった。旅館の自転車を借りて買い出し。

宿に着いてまずやることはコインランドリーでの洗濯。日にちが進んで疲れが溜まってくるとこれが思いのほか面倒になる。汗で汚れていても“まあいいか・・・”ということもしばしば。

必需品の人工肛門装具の一部を徳島駅前のホテルへ預けてしまった失敗が頭から離れない。財布をどこかへ置き忘れた以上に困るかもしれないのだ。

夕食時、明日の予定が話題になり、私は12番から16番までを予定しいるというと、言下に「絶対無理だ」と否定されてしまった。まさに度を越した苦行であることを明日知る。なにしろ12番焼山寺の山越えは、遍路随一の難所と言われる山越えであり、高低差累積1000mほどの登り。登山などと無関係の人には、焼山寺へ登り着くだけでも大変な苦労らしい。その先さらに20キロ以上歩くことなど考えられないということだ。

3日目

行動時間 6時00分〜17時30分 65934歩  (11時間30分 52キロ) 天候=小雨のち晴


≪12番焼山寺≫

12番焼山寺への山道入口

山登りならまかせて・・・という自負・自信で懐中電灯片手に藤井寺から山道へ入る。
小雨。

すぐに足元が明るくなってくる。遍路転がしというが普通のハイキングコースと同じ、何だこの程度か・・・という感じ。いつもの山歩き気分でどんどん脚を進める。柳水庵には二等三角点(点名は大山で標高600m)があるはずだが、探す時間が惜しい。

谷間の小集落左右内へ急降下のあと、やや岩っぽい急登を登り終ると焼山寺の境内。藤井寺から速い人5時間、遅い人8時間というが、3時間35分の登りだった。後の行程を考えて奥ノ院のある焼山寺山山頂を踏むのは省略。


≪13番大日寺≫

焼山寺からは概ね下り道だが、途中の玉ケ峠越えはきつかった。高低差もかなりあり、自信の足も少々重たい。神山の集落は梅の花がまっ盛り、梅畑のおじさんが『今日は最高だ』。
焼山寺から大日寺まで21Kというが、歩いても歩いても終らない。ようやく大日寺へ着いて納経もそこそこに時計を気にしながら次の常楽寺へ向かう。

≪14番常楽寺≫

急ぐあまり遍路シールを見落としてロス。焦る

≪15番国分寺≫

88ケ寺すべてが納経は5時終了。時間はわずかしかない。大急ぎでセレモニーを済ませて納経を終るとあと5分しか残っていなかった。

次の観音寺の納経ははあきらめ、門前で拝礼だけして通過。同寺近くのJR府中駅から徳島駅へ電車で移動。(遍路最終日にこの区間を歩いて埋めた)。荷物の一部を預けた駅前ホテルへ入る。人工肛門装具のこともあって、是非とも今日中にこのホテルまでたどりつかなけれはならなかった。

エンジン全開、今日はよく歩いた。前夜の宿で言われた通りちょっと無理をし過ぎたかもしれない。

4日目

行動時間 8時10分〜16時05分  44794歩  (7時間55分 34km) 天候=終日雨

昨日納経できなかった16番観音寺と17番井戸寺まで戻り、そこからのスタートを考えていたが朝から雨、予定通りのペースで歩けなかった場合、このあとのスケジュールが全部狂ってしまう。この2寺は遍路の最終日に回すことにする。


【眉山 277m】
 一等三角点≫・・・日本の山1000

眉山一等三角点

徳島市のシンボル的な山“眉山”、低山ながら一等三角点がある。素通りするわけにはいかない。
ホテルから山頂まで徒歩40分。早朝ウォーキンクの市民に何人も出会った。


≪18番恩山寺≫

眉山山頂からJR二軒屋駅方面へ下り、降りつづく雨の国道55号をただ黙々と歩く。寺院というのはたいてい高い所にあるが、恩山寺も坂の上の寺。昨日の疲労が残っているのか、坂道に足が少し重い。

≪19番立江寺≫

立江寺から鶴林寺登山口にある民宿までの10キロが意外に長く感じる。
民家の庭先から声がかかり、お接待としてハッサクを2個いただくが、荷が重くなるので一つだけ拝受した。

5日目


行動時間 6時00分〜17時15分 58071歩? (11時間15分 44km) 天候=晴・寒風

≪20番鶴林寺≫

鶴林寺の鶴

今日は遍路転がしと言われる札所が二つある。

登山口の民宿から標高500mの鶴林寺まで一気に登る。納経所のご住職から「速かったね」と言われる。その足なら太龍寺まで2時間で行けるよとのお墨付きをもらう。

鶴林寺山516m 三等三角点
納経を済ませてから、鶴林寺本堂背後の三等三角点鶴林寺山まで登る。鉄塔などの建造物の先まで行って、国地院地形図を頼りにいちばん高そうな所で三角点を探したが見つけられなかった。


≪21番太竜寺≫

太龍寺は標高460メートル、今日二つ目の山登り。鶴林寺から1時間45分だった。

 ≪舎心ケ嶽・太龍寺山 618m≫

舎心ケ嶽の大師像

太龍寺本堂からさらに南へ登ると舎心ケ嶽があり、二つの突起をなして、一方には東方を向く大師像、もう一方には抽象的オブジェ。その先が“ふだらく峠”で警告看板がある。「この先(南方向)へは入らないこと、平等寺へ向う人はいったん戻るように。遭難頻発」という意味が書かれている。用意してきた国地院地図とコンパスで真南に方向を定めて南方尾根筋の踏跡を追う。昔の遍路石やペンキ印もあって、山慣れた人なら問題なく歩ける。
国道195まで下ってから、その国道を東に向うと一般の遍路道と合流した。
 

≪22番平等寺≫

山の上の寺を二つ越えてきて、平等寺まではさらに峠を越えなくてはならなかった。

すでに2時を過ぎている。急がないと今宵の宿、由岐町の旅館着が遅くなる。

平等寺からはほとんど車道歩きだが、起伏が多くて足にこたえる。宿まで約12K、重くなった足に鞭打って、5時過ぎようやく宿に着いた。距離、時間等の読みが甘かったことを感じる一日でもあった。

宿は仕出し屋旅館、泊まりは一人だけ。並んだ魚介料理はびっくりするほど多くて食べきれなかった。

  
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