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2019.02.08() 畜生道 ・・・心愛さん虐待死事件

妙高山

小学4年の心愛さん虐待死事件。報道を聞けば聞くほどその残忍さ、むごさが耐えられないものになっていきます。仏教に「畜生道」といいうのがあるそうです。それは六道の一つで、悪業の報いによって死後に生まれ変わる畜生の世界とのこと。まさに地獄に落ちて当然の仕業、一片の同情の余地もありません。報道によれば勤務先での人当りも良かっという声もあるらしい。人を騙す術にも長けた悪魔ということでしょう。

何が憎いと言え、反抗もできないこのような幼子を虐待するほど憎い所業はありません。地獄に落としてもまだ足りないほどです。

それにつけても思うことは児童相談に関わる現場には、敵性のある有能な人材が配置されているのだろうか・・・という疑問です。心愛さんの件についても、児相の対応には大きな疑問があるようです。子供の盾になるような覚悟を持つ職員はいないのだろか。いわゆる「閑職」に位置づけられていることはないだろうか。
「子どもを大切にしない国は滅びる」という言葉をどこかで耳にした記憶があります。

◆児童虐待が国会で取り上げられたことは無いように思います。国家の最高機関で、党派を超えて討議して見たらどうでしょうか。

2019.02.07(
) 認知機能検査

運転免許更新のため「認知症機能検査」に行ってきました。結果は別として、大きな荷物を下ろしたような気分・・・こんなことはじめてだな~
結果は71点「記憶力・判断力が少し低くなっています」という認定。予期していたとは言えショック。

総合点76点以上・・・・・記憶力・判断力に心配ありません。
    49~76点未満・・記憶力・判断力か少し低くなっています。
    49点以下・・・・記憶力判断力が低くなっています
という判定の中で、5点足りずに2番目のランクでした。詳しいことはたまたた後日。


2019.02.06(
) いよいよ・・・・

本日は運転免許証更新に伴う認知機能検査・高齢者講習の日です。
これが3回目とは言え、以前は日常の延長のような気楽さだったのに、今回は「大丈夫かな~」と緊張しています。
落第したらよもやま日記には何も書きません。もし運よく合格したら報告します。
では・・・いざ出陣(笑)

2019.02.05(
) 隣組

当家居住地組織の最小単位は「班(隣組)」で、その上が「常会」→「区」となっていきます。区・班の役数は常会長・副会長・交通安全防犯委員・環境美化委員・公民館役員・福祉推進委員・交通安全推進委員・監事などがあり、世帯数40数戸の組織としてはすぐに次の役が回ってきます。

任期は4月から1年間、今年度は交通安全指導員を担当、来月で任期満了となり、しばらくは役が回ってこないと思います。定年はなし、健康その地の理由で免除扱いを望むときは、役員会に理由書を提出、総会で承認という手続きが必要です。何しろ年寄りばかりの町、すんなりと免除してもらえるか微妙です。

一昨日は常会-40数戸-が行われ、あとは学童通学見守りを2回分残して放免となります。たかが月間一日だけの学童見守りと言っても、雪の舞う氷点下の中、震えながら1時間近く立っているのは楽ではありません。

2019.02.04(
) 岩盤特区

加計学園問題も灰色・疑念を残したまま決着したかに見えます。よく出てきたことばが「岩盤特区」、半分わって半分わからない・・・そこで調べてみました。

「岩盤規制」とか「既得権益」という言葉は、政治・経済の報道でよく見聞きします。無知な平爺には明快に説明することは到底無理。webをいくつか読んでみました。

「岩盤規制」とは言葉どおり岩盤のように堅く、政治的保護の恩恵を受ける業界が、新規参入、お互いのつぶし合いを避けるための規制で、これは自由な競争を損うものでかしいと何回も問題にされながら、まるで岩盤のようにびくともしないために付けられた用語らしい。
新たな参入や規制緩和を嫌う既得権益層としては  農業、医療、労働、教育、エネルギーなどの分野多いとのことで、この業界は族議員とタッグを組んで岩盤を強固なものとしてきこきたようです。
ウヤムヤになった加計学園問題も、元は「特区」が根っこにあると言われます。


2019.02.03(
) 節分・豆まき・恵方巻

ガチガチに凍りついた庭のつくばい

庭の片隅で「つくばい」がガチガチに凍りついています。夏はスズメなどの水浴び場。平爺が引っ越してくる前は、水道管も敷かれており、コトン・・コトンと風情な音が聞こえていたらしい。

◆大阪へ転勤移住したとき、はじめて「恵方巻」を知り、こんな文化があったのか~驚きました。おそらく関西方面出身者以外は、東日本では知る人は少なかったとお思います。

◆コトバンクによると、「恵方」とはその年の十干(じっかん)によって定められる最も良いとされる方角とか。
23日に定着している節分ですが、本来は「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日のことを「節分」と呼び、四季節の始まりの日であるため、その前日が・・・etc.

◆今は23日だけが節分となっているが、これは4季節の中で「立春」が最も重視されていたため。その昔、立春が新年の始まりで、立春前日の節分が大晦日だったとのこと。新年に向けて厄災をお祓いする行事として豆まきが始まり、関西ではそれが恵方巻だったということのようです。

恵方巻きは恵方を向いて丸かぶりすると厄払いができる・・・そう信じ、綿々と引き継がれてきた文化・・・イヤ、これって商魂? それとも庶民が飲み込まれた得体のしれない行事? 年始に神社詣でをするのと同じ?

理屈はどっちでもいいですが、大阪で初めて見た恵方巻には驚きましたが、あれから40年、商魂は東京を始め全国に伝播・席巻して、知らぬ者なき国民的行事になったようです。

◆というわけで2019年恵方巻きの日は23日。恵方=東北東に向かいグワッとかぶりつてください。

20019.02.02()  これもカルタの使い方

 
 介護施設での遊び美道具

近ごろ、カルタを知らない子もいるかも・・・。スマホにはかないませんよね。認知症介護施設へのボラ訪問で、正月とは関係なく、遊ぶ道具の一つとして用いるのがカルタ。やりかたが普通のカルタと少し違う平爺流です。

◆「犬も歩けば」だけ書いた紙(カード)を見て、下の言葉「棒にあたる」を答えてもらうという簡単な遊び。答えられる人、答えられない人、さまざまです。
上のことばが先だと、たいていの方がすかさず下の言葉を答えます。逆に下の句を見て上のことばを考えるのは意外にむずかしそうです。
「金棒」を見て上の句を言ってもらう。答えは「鬼に」ですがなかなか思い出せない。答えをいうと「ああ、そうだ・・・・」完全に忘れているわけではないようです。

一生懸命考えるという習慣を失った認知症の方々には、こんな遊びでも、それなりの頭の刺激になっていると思ってやっています。

◆失礼な言いかたですが、刺激もなく、利用者同士の会話もなく、職員さんも頻繁に声かけをする余裕もない。そうした環境では、こんなカルタ遊びでも少しは刺激の役にたつかと思い、小さな工夫を積み重ねながら、もうしばらくボラをつづけるつもりです。

◆認知症患者のために平爺が考えた遊びの中で、レベルがちょっと上になるかもしれないのが、あいうえお56文字を、それぞれ一字づつ小さなカードにします。カードを20枚ほどアトランダムに置き、2字以上の言葉を作ってください・・・これを一人づつ順繰りにやる遊びですが、平爺が思っていた以上に真剣に、かつ楽しそうにやっています。

平爺も立場が逆転する日が来ますが、腐りかけたこの頭で、工夫を怠らずにボラを続けられたらな~と思っています。

2019.02.01(
) 20年間に心からの感謝を
   ⦅長ったらしい日記ですみません⦆

不肖平爺が「がん人工肛門からの出発・日本三百名山単独踏破の軌跡 いつかまたフルマラソンを」のホームページを公開したのは199921日。ちょうど20年前の今日でした。紆余曲折しながらも今日まで続けとこられましたのもアクセスして下さる多くの方々のおかげです。こころからお礼申し上げます。(2年遅れて「山岳巡礼」をスタートとしたのも21日でした) 

win95が発売され、PCが市民の手に届き始めた時期に、このホームページを立ち上げました。マニュアルだけを頼りに、暗中模索・苦労苦労の連続。今にして思えばよく独力でやりとげたと自画自賛。思い出も数えきれないほどありますがその一部を


病院のベッドで作って下さったお守りの
マスコット 今でも大切にしています。


HP
公開から1年が過ぎた頃、Yahooがお薦めサイトとしてネット上に紹介して下さいました。一日1件のアクセスがあるかどうかというときに、Yahooがお薦めサイトとして取り上げて下さり、その当日は数千件に達してびっくり。PC普及率も今とは問題にならない時代、すごいことだったと思います。


特に人工肛門同憂者からのご相談や感謝などのメール。それが発車エンジンとなり、いつの間にか20年という歳月が流れた気がします。ちなみに平爺の座右の銘は「つづける」。

ほぼ毎日、ガンの苦痛と苦悩を訴える女性からのメール、それを全身で受け止めて平爺からのレス。そして「痛みがつらいです」がラストメーとなり、数日後、ご主人から亡くなられたとの報。遺言とのことで越後米と、病床で痛みに耐えながら手作りしたマスコット(写真)が送られてきました。今もお守りとして大切にしています。

娘さんから「母がどうしても会いたいと言っています。病院まで来てもらえないか」との電話。急いでかけつけました。絞り出すうな声で1時間ほどの会話。それから日を経ずしてご主人から他界の報、見送ってほしいとのことで葬儀に参加させていただきました。涙を隠すことができませんでした。

送っていただいた和歌同人歌集

和歌をたしなむ女性。同人誌(左の写真)の巻頭歌としてこの方の作品12首が選ばれたという歌集を送って下さいました。余命を意識した句に涙しました。没後、ご主人からのお手紙にはご主人の感謝と、奥さんの死の間際「私が死んだらお礼を言ってください」の伝言があったとのお手紙をいただきました。お会いしたたことはありませんでしたが、気持ちは通じていたと思います。手紙を読んで平爺も涙、涙でした。支えあう良きご夫婦だったことが、和歌からも推測されます。
  ・神のみぞ 知るという言葉の不確かさ 術後二度目の 夏を迎えぬ
  
・夫と来て 蛍を見たる帰り道 思い出話は をさな日のこと

四国のある医師からの手紙ーー奥さんが直腸がん、不安の中で平爺のHPを読んで元気をもらいました。自分が医師にもかかわらず、どんな医者より大きな励ましとなったと書かれていました。礼状とともにお心づかいの品が。どうして平爺の住所が分かったのかな~

週刊誌に掲載

ライオンズクラブの京都講演に招かれたときのこと。40分ほどの話を終ったとたん、何人かが演壇の前に集まり、「素晴らしかったですよ」と握手を求め、中には「私は医師ですが刺激を受けました」という意味の賛辞をいただいたことも大変ありがたく、役にたっているのだなあ・・・・実感しました。

人工肛門に関して、役にたつ情報も少なかった時代、どのくらいの数のメールを交わしたことか。レスに追われる毎日でしたが、多くの同憂の方々に感謝されたあのころを懐かしく思い出します。

ホームページが媒体となり、雑誌、新聞、文筆家などの取材もかなり受けました。活字となって今も残っています。ある大手新聞社系の週刊誌に、3週連続で取材掲載して下さったり、月刊誌「山と渓谷」や「ランナーズ」「山岳」などにも載せていただきました。またテレビのドキュメンタリー番組を撮らせてほしいとう申し出もいただきましたが、家族の出演協力もという要請に応えられずお断りしたこともあります。

ほかにも思い出のエピソードはたくさんありますが、自己宣伝になってしまいますのでここまでにします。