平のよもやま日記

 


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年前、県民の4分の1が命を落としたとされる沖縄戦。糸満市摩文仁の平和祈念公園で行われた慰霊式典式で、浦添市立港川中学3年の相良倫子さん(14)が朗読した詩です。ぜひお読みになってみてください。
 

私は、生きている 

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ  心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻腔に感じ、遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
 

私は今、生きている。 

私の生きるこの島は、何と美しい島だろう。 

青く輝く海、岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、ヤギの嘶き、小川のせせらぎ
畑に続く小道、萌え出づる山の緑、優しい三線の響き、照りつける太陽の光。
 

私はなんと美しい島に、生まれ育ったのだろう。 

ありったけの私の感覚器で、感受性で、島を感じる。心がじわりと熱くなる。 

私はこの瞬間を、生きている。

 

この瞬間の素晴らしさが、この瞬間の愛おしさが、今という安らぎとなり、私の中に広がりゆく。 

たまらなくこみ上げるこの気持ちを、どう表現しよう。
大切な今よ、かけがえのない今よ、私の生きるこの、今よ。  

73年前、私の愛する島が死の島と化したあの日。小鳥のさえずりは恐怖の悲鳴と変わった。 

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。 

青く広がる大空は鉄の雨に見えなくなった。 

草の匂いは死臭で濁り、光り輝いていた海の水面は、戦艦で埋め尽くされた。 

火炎放射器から噴き出す炎、幼子の泣き声、燃え尽くされた民家、火薬の匂い。 

着弾に揺れる大地。血に染まった海。魑魅魍魎のごとく、姿を変えた人々。阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。 

みんな生きていたのだ。 

私と何も変わらない、懸命に生きる命だったのだ。彼らの人生を、それぞれの未来を。疑うことなく思い描いていたんだ。 

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。仕事があった。生きがいがあった。 

日々の小さな幸せを喜んだ。手を取り合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

 

それなのに。壊されて、奪われた。 

生きた時代が違う。ただ、それだけで。無辜の命を。当たり前に生きていた、あの日々を。 

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。 

悲しくて、忘れることのできない、この島のすべて。 

私は手を強く握り、誓う。奪われた命に思いを馳せて。心から誓う。 

私が生きている限り、こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。 

もう二度と過去を未来にしないことを。 

全ての人間が、国境を越え、人種を超え、宗教を超え、あらゆる利害を超えて、平和である世界を目指すことを。 

生きること、命を大切にできることを、誰からも侵されない世界を創ることを。 

平和を創造する努力を、厭わないことを。 

あなたも感じるだろう。この島の美しさを。 

あなたも知っているだろう。この島の悲しみを。

 

そして、あなたも、私と同じこの瞬間を一緒に生きているのだ。 

今を一緒に、生きているのだ。 

だから、きっと分かるはずなんだ。戦争の無意味さを。本当の平和を。 

戦力という愚かな力を持つことで得られる平和など、本当はないことを。 

平和とは当たり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きることだということを。 

私は、今を生きている。みんなと一緒に。  

そして、これからも生きていく。一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。 

なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。 

つまり、未来は、今なんだ。 

あなたも感じるだろう。この島の美しさを。 

あなたも知っているだろう。この島の悲しみを。 

そして、あなたも、私と同じこの瞬間を一緒に生きているのだ。 

今を一緒に、生きているのだ。 

だから、きっと分かるはずなんだ。戦争の無意味さを。本当の平和を。 

戦力という愚かな力を持つことで得られる平和など、本当はないことを。 

平和とは当たり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 

私は、今を生きている。みんなと一緒に。 

そして、これからも生きていく。一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。 

なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。 

つまり、未来は、今なんだ。

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