+.

  

 前月へ  翌月へ 『がん・人工肛門からの出発』トップヘ  『山岳巡礼』トップ

間もなく2018年が幕を閉じようとしています

つたないよもやま日記へお越し下さった多くの皆様に心よりお礼申し上げます。

1年間ありがとうございました
そして良い年をお迎えください
 

 あの世へ半歩足を踏み出した老いぼれ爺のたわごとに、時には反感を招き、ときには軽蔑され、そして少しだけ頷いて下さったこともあったかもしれません。

 よんどころない事情で休ませていただいた日もありますが、今年もほぼ休刊日なしで1年間続けて参りました。お一人でも見て下さる方がいらっしゃるということだけが、つづけるエネルギーのすべてでした。

 平爺にとって、空っぽの頭をひねくり回して書くエネルギーは、また生きるエネルギーにも通じます。アクセスして下さいました皆様には深く深く・・・厚く厚くお礼申し上げます。             -平爺より-


2018.12.3
() 晦日・大晦日・おおつごもり

◆毎月の最後の日が晦日(みそか・つごもり)で、一年で最後の晦日つまり12月は大晦日(おおみそか・おおつごもり)。大晦日の前日は「小晦日」というらしい。

おおつもごり(大晦日)というと、樋口一葉の小説「おおつもごり」を思い浮かべる人も多いかと思います。古い文体で読みにくく、平爺は最後まで読みきれなかったという記憶があります。それは国語の授業だったかな?暗く滅入るようなストーリーだったような気がしますが・・・・。

◆落語にも、飲み代のつけ払いがネタの噺がありましたね。これも詳しいことは忘れましたが・・・。年の暮れとは人生の表裏さまざまのドラマが表面化する時かもしれません。

今年も寝たきりにもならず、借金とりに追い回されることもなく、まずは平穏に年を送れたことに感謝。

2018.12.30()  泣いても笑ってもあと2日

寒そう 肩寄せ合うスズメ

昨日の最低気温-5℃、最高気温-1℃の真冬日でした。積雪は少なく3㎝ほどで午前中でほとんど消えてくれましたが、一日中雪がチラチラ舞っていました。スズメもエサ探しに命をかけて頑張っています。

年の暮れになると。おふくろさんがよく口にしていた「泣いても笑ってもあと2日」の思い出します。
衣食住すべてが足りない戦後の混乱期、髪振り乱し、働きづめに働き通し、6人の子供を必死で育て、92才で逝ったおふくろをふと思い出しました。おふくろの人生で楽しかったときはあったのだろうか・・・・。

そのおふくろさんの「泣いても笑っても・・・」の言葉の陰には、啄木の一握の砂が重なります。

「はたらけど はたらけど 猶わが生活 楽にならざり ぢっと手を見る」

顔は一年中真っ黒に日焼けし、手の皮膚はガサガサ、爪は割れて幾筋もの黒い線。

それでも工面して手にしたもち米を蒸かし、正月用の餅をついてくれた。それが28日。元旦の雑煮には、私たち子供が飼ったウサギの肉入り。この世のものとも思えない美味いお雑煮でした。世界中に溢れるどんな美味美食も、平爺があのとき食べた正月の雑煮に勝るものはないと思います。
1日だけでいいからあの世から戻って、あの雑煮を作ってくれたらな~


28日の日記に「門松を飾るのは、子供の頃に28日か30日と教わった記憶があります(9日は「9」=「苦」、31日は一夜飾りということで避ける)と書きましたが、『29』は『ふく-福』)とも読めます。縁起にはこのほかにもろいろあると思います。気にしないことですね。

      

 ●昨日の仏教用語の読み方-回答

  ろっこん ごんぎょう りやく がっこう もんじょ じきどう けごん 
   はんにゃ みろく こんりゅう あっこう げどう ちゅうとう ねはん
   おんり みどう ぐれん せっしょう びくに がらん どきょう

2018.12.29(
) 仏教のことば

いよいよ冬将軍のお出ましのようです。やりたくないな~雪かき。

◆先日、テレビで感動を覚えるドキュメント番組を見ました。斬新な考え方を持ち、実践している松本市の僧侶の話です。最期のときからあの世へ送る葬儀まで、「こういうお坊さんもいたのだ・・・」という心を打つ内容、残念ながら一口では語れません。それとは別に仏教独特の漢字の読み方にも気を惹かれました。たとえば「生病老死-しょうびょうろうし」とか「四苦―しく」など。  

 “礼拝堂”→仏教では「らいはいどう」だが、キリスト教は「れいはいどう」・・・(間違っていたらごめんなさい)
ちなみに仏教用語で以下の漢字はどのように読むのでしょうか。ネット検索して読み違えやすい字を拾ってみました。

  六根  勤行   利益   月光   文書   食堂   華厳  

  般若   弥勒   建立   悪口   外道   偸盗   涅槃

  遠離   御堂   紅蓮   殺生   比丘尼  伽藍  読経

◆六根とは、五感に加えて第六感とも言える意識の根幹である (ウィキペディアより)

眼根(視覚) 耳根(聴覚) 鼻根(嗅覚) 舌根(味覚) 身根(触覚) 意根(意識)

平爺が暗記した般若心経(はんにゃしんぎょう)の中にも
 
無眼耳鼻舌身意(む~げんに~びぜっしんい という六根の文字があります。

写真は8年前、75才の時に38日かけて四国八十八ケ寺を巡礼結願したとき、親友が般若心経の掛け軸をご自分で書いて祝ってくれた大切なもの。今も床の間に飾ってあります。



2018.12.28(
) 御用納め

早や正月気分

◆当地長野県の阿部知事は、年末年始恒例の「仕事納めの式」と「仕事始めの式」を今年から廃止するとのローカルニュース。知事の年頭あいさつも会議用テレビを利用しての放映のみにするそうです。
理由は「式典の時間を県民サービスに充ててもらい、県庁行事があると休みにくい環境になってしまうので、これを働き方改革のメッセージにしたい」と語ったとか。ちなみに、17年度の年末年始に式典を開かなかった都道府県は3県あったとのことです。
何をおいても過去の実績と旧習を大事にし、変化を嫌うお役所も、トップに頭の柔らかな人物が座れば、少しづつでも変わっていく良きケースではないでしょうか。

◆門松を飾るのは、子供の頃に28日か30と教わった記憶があります(9日は「9」=「苦」、31日は一夜飾りということで避ける)。近くの山で松の枝を切ってきて、稲わらと紙垂で門松を作ったことを覚えています。

我が家の松飾りは今日です。市場で買ってきた門松セットをそのまま玄関に取り付けるだけ。ちょっぴりですが正月ムードが漂います。

2018.12.27(
) 82才は危険領域

朝焼け

昨日の認知症介護施設でのこと。利用者の一人が亡くなれたあと、すぐに次の新しい方(女性)が入ってきました。一見した感じも、話をした感じも認知障害があるとは思えないほど。その方から「若く見えますね~」と言われてしまいました。所作が若いと見られたのか、見かけが若いと思われたのかは不明です。

若いと言われて嬉しいのは「自分が歳をとった何よりの証拠」とも言えます。認知症の方がお世辞を言うはずはないし、何となく嬉しい・・・平爺は単純なんです(笑)

◆ところで「老人」とか「老化」とか「高齢化社会」とかいう言葉が氾濫している昨今、老人とは何歳以上の人? ネット検索すると『65歳以上の高齢者』を指し、その数は3461万人(平成289月推計)、総人口に占める割合は27.3%と。つまり4人に一人は老人というわけ。これでは支援・介護施設や人手も追いつかないいのが実情でしょう。
生命保険文化センターの調査結果
   要介護・要支援を必要とする割合は
   80~84才・・・28.2%   80才以上は・・・60.0% 

平爺と同年齢層は4人に一人が人の手を借り生きているということ。平爺はまさに危険領域の真っただ中。現状がどこまで保てるのか、老化が進むこの先どうなるのだろうか。正直不安です。踵(かかと)が痛いくらいで愚痴をこぼしているわけにはいきません。

2018.12.26(
) 大晦日へラストスパート

24日のイブをピークに、クリスマス騒動も終了、いよいよ大晦日に向かってのラストスパート・・・商売人はねじり鉢巻きでしょう。

◆自宅には仏壇があって、仏法に則った扱いをし葬式には「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」を唱えているのに、片やキリストの生誕日をあたかもクリスチャンもどきに変化。珍現象だと思いますが、逞しい商魂にのせられていると思えば可愛いもの?信仰行事というより日本特有の娯楽・フェスティバル。イエス様も苦笑いしているかもしれません。

◆「イワシの頭も信心から」、今はあまり聞きませんが以前はよく耳にした言葉です。Web故事ことわざ辞典によると
『鰯の頭のようなつまらない物であっても、神棚にまつって信心すれば、有り難いと思うようになることから、 第三者の目からはつまらないものに見えても、信心する人にとっては尊くありがたい存在になるという意味で、 「信心から」は信心次第という意味。軽く見られたイワシが不憫?

2018.12.25(
) 年賀状

今朝の気温-5℃、ウォーキング1時間50分。踵痛前の日常に戻ってきました。

師走・・・特別なことがあるわけでもないのに、何となくせわしなさを感じさせる要因の一つが年賀状。

平爺も、以前に比べるとかなり枚数は減ってきたものの、それでも負担感はそれなりに感じます。年賀状の中身を分析すると「儀礼」が多く、中には年賀状以外に本人と何十年も接触がないという方もいます。
「まだ生きているぞ~」という生存宣言みたいなもの(笑)

webで調べると年賀ハガキ発行枚数
  2003446千万枚  201824億枚
15年間でほぼ半減。インターネットのメールやスマホの普及等に加えて、儀礼的な年賀状に意味を感じなくなってきたという価値観の変化もあるのかもしれません。
受け取った賀状の中には「明けましておめでとうございます。本年のよろしくお願いします」だけのものもあります。

古い慣習に拘る年寄りでも、平爺のように年賀状に固執しなくなっている人が増えていると推測します。

◆「終活」の一環として、死後に子供たちへ余計な負担もかけたくないという理由もあって、毎年少しづつ減らし、最高時の4分の一以下となりました。来年はさらに減らして、年賀状に関する終活を終了するつもりです。

2018.12.24(
) サラリーマンは気楽な稼業と・・・・

3連休だったのですね・・・知らなかった。いつ働くの・・・なんてヤボ言っちゃーいけませんネ。
平爺が社会人になったころは週休一日制で祝日は次の9日だけ。今でもその九日はきちんと覚えています・・元旦・成人の日。春分の日・天皇誕生日・憲法記念日・子供の日・秋分の日。文化の日・勤労感謝の日

本年最後の満月 12/23未明

■ところで今は何の日だっけ・・・年によって日にちが変わるのも困りもの。当然祝日の月日も全部は言えません。この勤労感謝の日が3連休というのも今日知ったという始末。

■平爺なら休日が増えることより、毎日家族と夕食が囲めるようになることの方を望むのではないかな~。
平爺も現役のころは、休日以外で女房・子供そろって夕食という経験はほとんどありませんでした。そして休日も仕事持ち帰りは当たり前(重要書類の紛失防止のため建前は持ち帰り禁止にはなっていましたが)
50年ほど昔、クレジーキャッツの「ドント節」が巷間大流行

♪サラリーマンは 気楽な稼業ときたもんだ
♪二日酔いでも寝ぼけいても
♪タイムレコーダー ガチャンと押せばq
♪どうにかかっこうのつくものさ

祭日は増え、週休二日制になっても、サラリーマンの勤務実態は厳しくなる一方とか。今では平爺には勤まらないたろうな~20余年前にリタイアできてよかった・・・・?

2018.12.23(
) 陽だまり忘年登山

静かな山の湖-須川湖

今身近で、腹を割って何でも話せる相手は山友のМさんだけかもしれませれせん。
一昨日(金曜日)その友Мさんと初冬の柔らかな日差しに包まれて、恒例の二人だけの忘年ハイキングを楽しみました。
上田市郊外、千曲川西方にある無名峰で、国地院地形図にも山名の記載はありません。高さは700mあまり。

◆途中で車を止めて須川湖(池かな?)に立ち寄り、落ち葉を踏んで池畔を一周。冬枯れの木立に囲まれ、かすかに届く野鳥の啼き声が、静寂さをさらに際立たせる。青空を映しこんだ鏡のような水面には、水鳥の群れが音もなく静かに漂い、まさに冬ならではの情景。

♪山の淋しい湖に 一人来たのも悲しい心
   胸のいたみにたえかねて・・・
ふと口ずさみたくなる。

さらに車を進める。バブルの時代に別荘地として開発した痕跡、分譲地には名札が立っているものの、バブル崩壊で建物はほとんどなく、冬枯れの木立がただ淋しく続くのみ。 

◆峠状の広がった路肩に車を止め、ピークを目指す。と言っても10分余の距離。山頂には赤い屋根の神社のような小さな建物がある。東を向くと冠雪の浅間山、そして烏帽子岳など東信の山々、遠く雪化粧した北アルプス連例の一部、眼下には千曲川が滔々と流れ下っているのが見おろせる。戦国時代は見張り台、要塞の役目もあったらしい。。 

◆途中、観音像なとを見てから下山。昼食をとりながら政治談議を始め諸々の話題に時を忘れそうなほど語りあって恒例の忘年登山は終わりました。2か月半ぶりの山歩きでしたが、懸念した踵痛も大丈夫でした。

2018.12.22(
) 離婚率

●今日は昼間の時間がいちばん短い冬至、財布も無事に見つかったし、カボチャをおかずに少し多めの晩酌にしようかな~。

●そして毎月22日は「夫婦の日」、とりわけ先月22日は「1122いい夫婦の日」でしたが特別なこともなし(笑)
今の妻(前の妻はありません)と一緒になったのは平爺が28才、妻が24才のとき、元来が鈍感タイプの平爺、夫婦の危険信号が出ても気づかず過ぎてきただけで、実は緊迫した場面もあったかもしれない。
指折り数えると、曲りなりにも52年間、半世紀にわたって何とか軌道修正しながら続いてこられた夫婦、これは大変なことですよねーこれだげてもノーベル平和賞ものかも?

この歳になると切った張ったのエネルギーも残っていない。あと何年あるかわかりませんが、グチをこぼしながらもお互いつっかい棒になりあい、支えあっていくしかないでしょうネ。

201612月、厚労省による統計では離婚件数217千、下記は県別離婚率

 離婚率の高い順に
     ①沖縄2.53  ②宮崎2.10  ③北海道2.09  ④大阪2.08  ⑤福岡1.99
     ⑥和歌山1.97 ⑦鹿児島1.88  ⑧高知1.879  ⑨熊本1.85  ⑩東京1.84
 離婚率の低い順に
     ①山形1,35 ②新潟1,39 ③富山1,40 ④島根1,48 ⑤石川1,49
     ⑥秋田1,50 ⑦岩手1,53 ⑧福井1,54 ⑨岐阜1,56 ⑩徳島 1,61 

びっくりするほどの差はないようですが、生涯仲良く添い遂げたいのなら山形県へどうぞ・・・。

2018.12.21(
) 財布騒動

「天国と地獄」と言えば、誰でも知っているあのオペラの一節。その曲に合わせての美女軍団の華麗なラインダンス。浅草区国際劇場や日劇の舞台で、長い脚を振り上げ刺激的に踊る様が目に浮かびます。

 大げさ過ぎますが天国と地獄を味わいました。入社して独身寮暮らしのころ先輩に手取り足取り教えてもらって麻雀を覚えましたが、そのとき頻繁に出てきたことば「ちょんぼ」、初耳でした。うっかりとか、しくじったりしたときに使う俗語のようなものです。その大チョンボをしてしまいました。

 恥を忍んでご披露、財布紛失物語りです。現金は万札が2、3枚他、クレジットカード、銀行カード、スイカ、酒店のポイントカードなどいろいろ・・・・。気づいたのは19日の朝。

 ◆平爺が車で出かけるときのおまじない「はとがまめくう」・・・外出時の必携品リストの確認符号です。  

    は→ハンカチ と→腕時計 が→ガマグチ ま→マッチ め→眼鏡 く→靴べら 

  今はマッチと靴ベラは無用。代わりに「ジ・ジ・ケ-」 
  
  ◍自動車運転免許証・人工肛門ケア用具・ケータイ電話

  を追加、都度声に出しておまじないを唱え、忘れ物のないことを確認してから出かけます。
 

■ところが・・・ところがの大チョンボ・・・
昨日のこと、ボラに出かけるときのおまじないを唱え、あれ?運転免許証の入った財布がない・・・カミさんも加わって大騒ぎ、いくら探しも無い。毎日買い物をしているわけではなく、最後に使った日がいつか思い出せない。しかし前日も車でボラに・・・そのときはおまじないに引っかからなかった。ということは財布があったはず・・・そして帰宅すると置く場所決めてある。

これ以上探すところがない・・・銀行、クレジットカード会社、警察の遺失物係へ紛失届の電話。この日は運転できずボラはお休み。 

■一夜明けて、カミさんの車で免許証再交付申請のために運転免許センターへいざ出発・・・と身支度を整えズボンを履くと何か手ざわりがある・・・昨日だって平爺もカミさんも2回、3回と確認したはずのスボン、まさか・・・まさか・・・そのまさかの財布がズホンの尻ポケットに入っていたのです。 

この日に限ってなぜポケットに入れたままになったのか。認知症の始まり?見つかった安心感と、認知症への大きな不安・・・どうしよう。
免許センターへの出発予定時刻5分前の椿事でした。下らないチョンボの全容を長々とすみません。平爺の認○度をお察しください。この日記もいつまで続けられますやら・・・・

2018.12.20(木
) 残すは旬日のみ

柿一つ とり残してや・・・

師走入りしときは、残りあと1カ月か~と思ったが、それがあっという間に残りは旬日のみ。年賀状も手づかず。いったい何をやって過ごしたのだろうか・・・ただ何となく時間が過ぎていった。

年明けの正月には今年はやろう・・・と思ったことがほとんど積み残し。今年は“断捨離”と“終活”の年と気負ったのは何だったのか。半歩も進まずに大晦日目前。やれたことは登山道具とスキー関連用具の処分のみ。

以前の廃棄処処分を免れた?水彩画作品、昨日はあわてて2回目の追加処分をしました。大げさにいうと身を切る思い(笑)応募展入賞の賞品として貰った額縁が4個、未使用のまま捨てるにしのびず、以前通っていた水彩画教室へ持参して、よかったら使ってもらおうと考えています。

◆断捨離が出来なかった言訳をすれば「踵(かかかと)の激痛-足底筋肉炎」のせいと言いたいが、真相はヤル気がなかっただけのこと。

◆誰しも悩むという写真。分厚いアルバムを書棚や天袋から引っ張り出し、座敷に何十冊も積み重ねるところまでいったが、あとが進まない。写真をアルバムに整理するところまでは人並み以上にやりますが、その先の最後の始末ができません。アルバムのままあの世へ持っていければいいのに・・・・

2018.12.19(
) 指導死

隣組のお婆さんが先日亡くなりました。詳しくは知りませんが結構なお歳、体は不自由のようでしたが、大変感じの良い方でした。脈絡もなくふと「尊厳死」という言葉か浮かんだのは、自分自身がそれなりの年齢になったということだと思います。

◆ラジオだったと思いますが『指導死』と言う言葉を始めて耳にしました。はて何のこと? ネットには『指導死とは、学校において教師の指導により肉体的、精神的に追い詰められた生徒が自殺に追い込まれること』と記されていました。今に始まったことではなく、表に出なかっただけで昔からあったのかもしれません。

◆『死に方』は、自殺以外には自ら選べないところが死の難しさ・・・なんて言ったら大顰蹙(ヒンシュク)ですね。
一口で「死」と言ってもいろいろな死が。思いつくままに上げて見ると

自然死 病死 自死=自殺 事故死 突然死 虐待死 安楽死 心中 
死因不明 そして指導死・・・

指導死は自殺の範疇に入るのかもしれませんが、その特異性から別に出来た造語かもしれません。       


◆近ごろ“心中”いう言葉は耳にしない気がします。愛を誓った男女が一緒になることを許されずに二人して死を選ぶのが「心中」ですね。哀しくもドラマチック・・・なんて言ったらバカヤローと言われちゃいますネ。

◆歌舞伎を観たことはありませんが、40年ほど前の大阪勤務時代、大阪中心部「梅田新道」、略して「梅新」という国道1号線の十字路の角に職場があり、少し入った曽根崎町に「お初天神=正式名称を露天神社(つゆのてんじんしゃ)」という神社がありました。

歌舞伎で有名な演目「曽根崎心中」は、お初天神と関係があるということを聞いた記憶があります。添い遂げられぬお初と徳兵衛の二人、世をはかなんで露天神の森で心中。それから「お初天神」と呼ばれるようになった云々・・・・お初天神の境内に夕霧ソバというそば屋があり、親父さんと気が合い、何回も食べに行ったことを思い出しました。

2018.12.18(
) 役不足

意味を取り違えやすい言葉としてよく例に上がるのが「役不足」

寒気に耐えて

よもやま日記用のメモに「役不足」と走り書きが。いつ書いたのか思い出せない。多分ウォーキング中にラジオを聞いていて何か感じるものがあってメモしたのだと思います。意味は知っているつもりですが、念のために確認してみました。

◆広辞苑
①俳優などが、自分に割り与えられた役に対して不満を抱くこと。②その人の力量に比べて役割が軽すぎること。誤って力不足の意に用いることがある。

ところで『役者不足』という言葉はあるのだろうか・・・広辞苑には載っていません。あえて言えば、なり手がなくて役者がそろわないこと?

◆ついでにもう一つ
寸暇を惜しまず と 寸暇を惜しんで
使い方として正しいのは後者。平爺なら間違えて使ってしまいそうです。

寸暇を惜しまずという気持ちはわかりますが、この場合は「骨身(ほねみ)を惜しまず」と混同してしまった例(これはwebからの引用) 

言葉を正しく使うというのは、思った以上に大変だと思います。平爺も、間違いに気づかず使っているケースはいっぱいありそうです。

2018.12.17(
) 沖縄の方々の気持ちに寄り添うなら・・・・

米軍基地の辺野古移転工事強行着手の報。

前知事のときから、多くの沖縄県民の思いを逆なでするような安倍総理の姿勢に、平爺もその成り行きを憂慮、関心をもって見てきました。

「既存の港湾が使えない」となると、民間の桟橋を使い、パイプで土砂埋め立てという挙に出て工事が始まったとの報道。スポーツなら禁じ手、ただちに没収試合となるところでしょう。

沖縄-平和の礎

◆太平洋戦争終盤、沖縄は本土の盾とされ、沖縄の一般県民を巻き込んだ地上戦へ。沖縄戦だけで日本人の死者は18万8千人、そのうち戦争とは無関係の民間沖縄人9万4千人が戦火の犠牲に、さらに沖縄からの学童引き上げ船対馬丸が撃沈され1500人ほどが死亡。
沖縄県民の戦争を憎む思いは、内地の人々とは比べ物にならないものがあると思っています。口でどれほど語られても実感は薄く、平爺も同じ身になって感じることはできないものの、平和の尊さはそれなりに理解しているつもりです。

 ◆戦後70年を過ぎた今も、「なぜ沖縄だけが犠牲にならなくてはならないのか・・・」、政治がアメリカだけでなく、沖縄にも正面から向き合うことが大切の筈です。翁長前知事のとき、官邸を訪れた知事と面会することさえ総理は拒んだという報道のあったことを思い出します。政府は「沖縄を日本の属国」とでも思っているのではないでしょうか。

日本のための総理大臣なのか、アメリカのための総理大臣なのか・・・わからなくなってきます。

◆世界で唯一の原爆被爆国の日本が「核兵器禁止条約」を米国に追随して不参加の姿勢をとり続ける現実と重なって、日本の行く末を案じずにはいられません。

今年6月23日に行われた沖縄慰霊の日に沖縄の中学三年生 相良倫子さんが朗読した詞を読み返してみました。
平和の詩 「生きる」を是非お読みになってみてください。
参照webhttps://mainichi.jp/articles/20180623/k00/00e/040/310000c

2012.12.16(
) 冬至


今暁6時15分、1時間40分のウォーキングを終わって帰宅。気温-6℃、路面の水たまりはガチガチに凍っていました。

二十四節気最後の「冬至」まであと数日、12月22日です。昼間の時間がいちばん短い日で、平爺の故郷ではカボチャを食べる日。柚子湯の習慣は知りませんでした。信州はミカン類が採れないからでしょう。

◆国立天文台長野測候所の「日の出・入り」を見ると、日の出のいちばん遅い日と、日の入りのいちばん早い日は同じ日ではないのですね。ちなみに当地(長野市)は次のようになっていました。

日の出(朝日)のいちばん遅い日  12日~11日 700
   日の入(日没)のいちばん早い日 123日~9日 1631

ちなみに冬至の日の出、日の入を見ると、昼間の時間は9時間39分です。
  日の出・6時56分  日の入・16時35分

 昨朝 雪-3℃

◆何日か前の未明ウォーキング、濡れた路面が凍っていても見分けがつかず、滑って足をとられ、危うく転倒するところでした。今年は方針変更してウォーキングは明るい昼間の時間帯に変えようか・・・と目下思案中。
「1日中何もすることが無くて自由なんだから、無理して暗いうちから歩かなくてもいいじゃない・・・」このセリフはカミさんの毎度のお小言・・・・。歳を考えると、そうかな~と思わぬでもない。

「イヤなことは先に済ましてしまおう・・・」というのが正直なところ。つまり好きで毎日せっせと歩いているわけではないということ、ご理解ください。-(笑)-

★雪がチラチラ舞った日はありましたが、多少なりとも「積もった」」というのは昨朝が初めて、つまり初雪。ウォーキングを終えて寒暖計を見るとマイナス3℃、いよいよ冬本番の始まりです。


2018.12.15(
) 
「庶」

自宅から10分ほど歩くとこんな風景-この雲、いいですね~

ノーベル賞受賞のニュースが流れたとき「珍しい苗字」と思った人が多かったと思います。平爺もその中の一人。

◆ネットの日本姓氏語源辞典を見ると、読み方は「ほんじょ」で以下のような説明書きがありました。

『富山県富山市、愛知県岡崎市にある浄土真宗専称寺の僧侶による明治新姓。同寺の山号の本庄(ホンジョウ)山から。同地に隣接する富山県射水市塚越付近を本庶郷と呼称していたと伝える。伝承からの推定では戦国時代以前』


◆広辞苑によると
『庶〗は もろもろの意で、数多くあるもの。
人民、大衆、庶民などのほか『数多い。もろもろの。いろいろの』とか『庶政・庶務』などの用語が載っていました。

◆漢和辞典では
「庶」・・・◍数が多い ◍いろいろな ◍さまざまな ◍一般の人 ◍めかけの産んだ子 ◍こいねがう ◍希望する ◍だいたいおなじ  ◍まあまあの程度
我々がこの漢字を使うとしたら「庶民的だよネ~」くらいでしょうか。

●平爺が入社した当時、「庶務係」という女性だけの係がありました。来客のお茶出しや、書類の整理などをやっていたと思います。

****************************************

残り少ない時間を、平爺はこんなことを調べるのに使っている。他人様から見ると何とも「変な爺さん」に映ることでしょう。

2018.12.14(
)  顔

昨朝6時過ぎ、明けの明星(金星)

「顔じゃないよ こころだよ」あるいは「男は顔じゃないよ・・・・」よく耳にする―したことば。平爺は「顔のことをあまり言ってもらいたくない派」、告白すれば若かりしころの一時期、顔にコンプレックスを抱いていました。

◆それなのにどうして突然顔の話を。
怒った顔、困った顔、物頂面、悪相、意地悪そうな顔、人の好さそうな顔、口で謙遜しながら顔は得意満面、顔で笑って心で泣いて、厚顔、目つきが鋭い、柔和な顔、人なつっこい顔・・・いくらでも出てきます。
あるときは正直に顔に出るし、あるときはハラワタが煮えくりながら笑顔を作ることも。
「目は口ほどに物を言い」という常套句もありますが、顔だけでは人の値打ちは計れません。

◆突然変なことを書いたのは、連日のようにメディアで報道されている日産のゴーン元会長事件。美醜云々ではなく射すくめるような鋭い眼光と鐘馗様に似た釣り上った眦(まにじり)には、正直たじろぎます。見方を変えれば困難を力で乗り越える重戦車、ド迫力に満ちた顔とも言えそうです。

◆ゴーン元会長は、意図をもってわざとあのような顔を演出しているのか? 本当の顔が別にあるとしても、やはり気になるな~。

◍ちなみにweb「柔和な顔の女性タレント」を探すと綾瀬はるかさんがヒットしました。

外見ではなく「こころだよ」という言葉を大切にしたいと思いつつ、つい気になっていることを書いてしまいました。

2018.12.13(
) 一茶館

一茶が逗留した離れ(復元)

先日、高山村松川渓谷最奥の秘湯「紅葉館」で湯に浸かった帰り、同じ高山村にある「一茶館」に寄り道してきました。我が家からならマイカーで30数分ほどの距離。
ゆったりとした山裾にあり、落ち着いた佇まいが好ましい環境です。
一茶が生まれ、そして終焉の地となった北信濃の柏原とは別に、一茶所縁の地がこんなに近い所にあったとは。

一茶館のパンフには次のように書かれています。
『小林一茶は、47才の時、この地の俳人であった久保田春耕を訪ねました。春耕から離れ家を逗留先として提供された一茶は、65才で亡くなるまで俳諧指導のため、頻繁に高山村を訪れ・・・』云々。

家庭的には恵まれなかった一茶を、村人は温かく迎え入れたとのこと。逗留した離れ家は一茶館に並ぶようにして復元され、茶室のような質素な雰囲気が漂っていました。また訪れてみたいと思います。

一茶館の句碑の一つ

『苦の娑婆や さくらが咲ば さいた迚』
       くのしゃばや さくらがさかば さいたとて 
     悟りのようなものを感じます。

2018.12.12(
) 回復向かう踵痛

名前は?

(かかと)の激痛に耐えられず、整形外科を受診したのが先月9日。それからほぼ1カ月。治療らしい治療はなく、痛み止めの湿布とリハビリ運動の指導のみ。これで本当に元に戻るのだろうか・・・弱気に陥り、もう登山は諦めるほかはないのかと弱気になったことも。一生分の山は登ったからそれも仕方ないか・・・。

◆それでも日課のウォーキングだけは、脚をかばいながら歩幅は以前の半分、当然速度も大幅に落として平均1時間半程度ですが休まず続けました。独楽(こま)のように、止まったら倒れてしまう、そんな強迫感もありました。
1週間ほど前から痛みが目に見えて軽くなり、少し速度を上げても痛みのぶり返しがない。当初の痛みを10とすれば、今は2~3程度。調子に乗って頑張るようなことをしなければ、山友Мさんとの恒例忘年ハイキングも可能かもしれません。
屋内でも足を引きずるようにして歩いていたことを思うと、ウソのような回復ぶりです。毎日欠かさず真面目にリハビリ運動をつづけたおかげかもしれせん。

◆今朝は以前と同じ程度の負荷で2時間弱ののウォーキングを試してみましたが、強い痛みを感じることなく歩くことができました。ああ、よかった・・・油断は禁物ですがほっとしています。

2018.12.11(
) 寒雀-かんすずめ

『脇へ行くな 鬼が見るぞよ 寒雀』  一茶

丸々とした寒雀

◆田んほや野原でエサを得にくくなってきた11月中旬ころから、また庭に雀が訪れるようになり、夕暮れ迫る4時近くになると、40羽以上の集団で大賑わい。
Web検索すると、冬の雀の呼び方がいくつかあること知りました。    ・冬雀  ・凍雀-こごえすずめ  ・寒雀  ・ふくら雀
「ふくら雀」・・・保温のために羽毛を膨らませた様子らしい。よく見るとどの雀もふっくらと一回り大きくなり、とても可愛く見えます。

◆一茶の『脇へ行くな 鬼が見るぞよ 寒雀』の意味は?
勝手に解釈すると、『エサ探しに夢中になると危ないぞ、何が狙っているか分からないから・・・』とでもいうのでしょうか。あくまでスズメ目線になっての句だとすればてすが。


2018012.10(
) 歴史の変わった日――ももひき

ももひき・・・今はズボン下というのかな~。「ももひき」の音感はいかにもダサイが、しっくり感があります。

トラックに張り付いた雪

◆日ごとに寒さがつのる師走。午前中は雪が舞っていました。本格的な雪はもうすぐ。雪かき道具も用意しました。早朝ウォーキングをしていると、前面には雪が張り付いたトラックを見ました。多分新潟県境方面からの車でしよう。

60年以上昔の春先、信州を出て花のお江戸へ。東京の暖かさにびっくり、もっと驚いたのは夏の蒸し暑さ、これには参りました。
子供の頃、寝ていると隙間風と一緒に雪が舞い込み、顔にかかったのを覚えています。信州のあばら家。まともな衣類もなく、着られるものは何でも身にまとって寒さしのいだものです。

◆東京には冬が無い・・と思われるほどの暖かさ。転勤で東京を離れるまでの78年,真冬でも木綿の下着(Tシャツ)、ワイシャツ、薄手の背広、薄手のズボン・・・もちろん股引(ももひき)はなしという薄着で通しました。産まれ育った信州の寒さで鍛えた体、この薄着で十分耐えられました。

◆定年後長野市に住むようになってから、下着を長袖のものにしたり、ズボンを少し厚手にしたりという程度で、風邪一つ引いたことがなく、これで20数年しのいできました・・・・が、妻がついに『もも引き』を買ってきてしまいました。「そんなもの要らないのに・・・」と平爺。「80過ぎた爺さんのみすぼらしい格好を見ているのがイヤなの・・・着なさい」従順に聞き入れるのも円満のうち。確かに暖かいが、きっと体がなまってしまうと思います。歴史が変わった日でした。

2018.12.09() 文殊菩薩

ウォーキングのとき記したメモに「文殊」と書いてある。2、3日前だと思うが、なぜ書いたのか思い出せない。よもやま日記のネタだと思うが何を書こうとしたのだろう?

2012.03.12 竹林寺

◆文殊と言えば「3人寄れば文殊の知恵」知恵を授かる神様のようだ。
記憶に残っているのは奈良在住時、初詣にお参りした桜井市の安倍文珠院・・・かなり有名らしい。赤ん坊の頃の孫娘を連れて「どうか頭の良い子に育ちますように・・・」とジジ馬鹿が願をかけたが、その孫も今は大学生。

◆四国遍路にも「番外9番札所文殊院」があった。ここでも孫のためにしっかりと手を合わせた。

◆Webを検索すると三大文殊・三文殊を謳う寺は全国にいくつもあるようだ。合わせると5大か10大か?知恩院もそうらしい。四国遍路の31番札所「竹林寺」は丘のような五台山-139m-の頂上にあって、日本三文殊を謳う文殊院があり、孫娘のためにここでも手を合わせたな~。

◆コンサイス日本山名辞典によれば「文殊岳(山)」という名前の山はいくつかありますが(下記)、
平爺の登った文殊山は一つもありませんでした。「文殊」のメモは何を書こうとしたのでしょうか?

   文殊山(福井県-351m)  文殊山(大分県-617m) 文殊山(山形県-371m)
   文殊山(山形県-522m)  文殊山(福島県-849m ) 文殊山(山口県-663m)
   文殊岳(静岡県-1041m) 文殊山(山形県-586m) 文殊岳(福井県-366m)


2018.12.08
(土) 今日は何の日--真珠湾奇襲攻撃・太平洋戦争へ突入した日

1941(昭和16)年、今から77年前の今日、日本軍がハワイ・オアフ島真珠湾のアメリカ軍基地に宣戦布告なき奇襲攻撃を仕掛けた日です。 奇襲は成功、「日本勝った勝った」と浮かれていたのはほんのいっとき、端を発して世界大戦へと拡大。36ケ月に及ぶ戦争犠牲者は5千万人とも8千万人とも。
この12月8日が何の日か知っている人はどれだけいるでょうか?

12月8日は遠くなりにけり・・・ではいけないと思います。あの戦争がどれほどひどいものであったか8月15日の日本降伏の日と合わせて、私たちは振り返り、決して忘れてはいけない、後世に伝え残していかなくてはいけない・・・そのことを胸に刻んでいます。

開戦のとき、平爺は4才、そして終戦は8才でした。戦後の飢えとの戦いのような酷い生活がまざまざと目に浮かんできます。

   初冬・平和な風景

◆今日は日本国民懺悔の日でもありますが、アメリカ国民にとっては「リメンバー パールハーバー-真珠湾を忘れるな」ということです。 しかし考えてみると、忘れていけないのは日本の方では?

◆そして今は核兵器の時代、もし世界大戦のようなものが起きたら、敵も味方も・・・いや、人類は滅亡してしまうかもしれない。核兵器の恐ろしさを知る唯一の核被爆国日本が、核兵器禁止条約に参加しない現状をどう見たらよいのでしょうか。歴史の教訓を生かせない日本・・・・。世界に誇る日本の平和憲法をどのように変えるというのでしょうか。



2018.12.07(
) またか~

秋の名残

またまた力士の暴力行為がワイドショーに。
相撲に無関心の平爺、現在の横綱は?大関は?・・・問われても答えられない相撲音痴。そんな平爺ですから、良かれ悪しかれ相撲界に何か起きても批評のしようもありせん。ただ一つ、暴力はいかんよ・・・と言うことくらい。

それにしてもスポーツの世界とは、暴力とは縁の切れないものなんでしょうか。高校、大学、アマ・・・。つい先日もどこかの高校で運動部監督が部員生徒を殴ったとかでテレビ・新聞が監督をやり玉にあげていました。

◆前にもこの日記に書いたと思いますが、平爺は『暴力は絶対にダメ派』です。子供のころから取っ組み合いのケンカをしたという記憶はありません(ただし兄弟ゲンカは別-(笑)-)。多分それは弱虫だからケンカをしても勝ち目がないことがわかっているから・・・イヤこれ本音。
ひんしゅく覚悟で、敢えてひどい言いかたをさせてもらえば、大相撲だってたかが見世物、一般のフアンに気持ちよく見てもらってナンボの世界でしょう・・・

上下関係で上位の者は何をやっても当然・・・それはかつての日本の狂った軍隊時代の話。1世紀遅れたようなことはもうやめるべきです。

2018.12.06
 爆弾発言

「国体」・・・若い方は「国民体育大会」を連想するでしょうね。平爺と同年代以上の人たちならもう一つの意味「国体護持」を思い浮かべる方も多いような気がします。
「国体」を広辞苑で引くと次のように記載しています。『主権または統治権の所在により区別した国家体制。第二次大戦前・戦中の日本では天皇制を指した』

◆つまり日本国を統治するのは天皇陛下だったということです。戦後新憲法が制定され、主権は国民に移り、国民の選挙によって選ばれた国会のもとに国が統治される体制ができました。平爺の若いころ何かにつけ「戦後」という言葉が溢れていました。

◆突然「国体護持」と言っても面喰う人も多いかと思いますが、
  
weblio辞書――
  八木秀次によれば『ある国の基礎的な政治の原則』

   事実上、日本の事象に特化した政治思想用語であり、特に
  「天皇を中心とした秩序(政体)」を意味する語とされて
  いる。そのため、外国語においても固有名詞扱いで
  "Kokutai"
と表記される―云々」

太平洋戦争降伏にあたって天皇を主体とした体制(天皇制)をどのように保全するかでさまざまな意見があったということです。結局「国民主権」という現在の体制になりました。もちろん敗戦国日本に対し、連合国側はさまざまな注文を付け、従わざるを得なかったという側面もあったことでしょう。

◆なぜこのようなことを書く気になったか、それは大嘗祭に関し、秋篠宮様の発言が「爆弾発言」としてメディアが大きく取り上げたからです。
天皇制はどうあるべきか、戦後70有余年、「象徴天皇」をもう一度理解するチャンスを与えてくれた発言だったかもしれません。宮家であっても、品位を逸脱しなければ発言は自由であって然るべきだと思います。これからも自由に発言し、行動することでより国民により近い皇室であってほしいと思います。

2018.12.05(水) ♪あ~ い~湯だな!!

今年もまた馴染となった温泉宿で1年の垢を落としてきました。
毎度同じことを書きますが、それは自省をかねてのことでもあります。

長野市の西方、紅葉の名所として知られる松川渓谷を溯り、標高1200m余の山間にあるのが七味温泉。民家はなく山奥にたった4軒の宿があるだけの秘湯。

2013年から年末が近づくと毎年この宿を訪れるわけは・・・

6年前(2013年)、長野・群馬県境の「黒湯山-2007m」へ登ったおり、下山道を間違え、まさに生きるか死ぬか、遭難一歩手前まで行ってしまいました。迷いこんだのは、まったく見通しのきかない猛烈な竹藪(ヒメ竹・チシマ笹)、それを押し倒し、かいくぐり6時間にわたる必死の格闘。ついに林道へ出ることができました。
この林道を下っていけばどこかの里へ出られる・・・それだけを信じて体にムチ打ち長い林道を下っ行きました。
今振り返ってもゾッとします。(竹の子採りで入山、毎年迷って死者が出ていることをこのときに知りました)

◆疲労困憊した脚を引きずり、ボロ雑巾のようになってたどり着いたのが七味温泉です。紅葉館の女将さんが親切にしてくれたのが忘れられず、その後毎年1回は訪れることにしているというわけです。

◆紅葉館の露店プロは、七つの源泉を混ぜた湯ということで「七味温泉」、露店風呂へは岩窟をくぐって行くという珍してしさもあります。体の動くうちはこれからも毎年訪れるつもりです。
  ◍遭難寸前の黒湯山登山記録 http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/hkk-1326.htm
  ◍紅葉館のサイト      http://www.hikyou.jp/detail.php?shid=30553

2018.12.04(火)
 本日はお休みさせていただきます

2018.12.03(月) 梟-フクロウ

「ふくろう=梟」は縁起物と言われ、小さなアクセサリーから大きな置物jまで多種多様。なぜ人気があるのでしょうか。闇夜に「ホ~ホ~」と低音で鳴くあの声、どこかしら不気味です。

縄暖簾の一杯呑み屋の入口には、酒徳利と通い帳を手にした太鼓腹のタヌキの置物があり、中へ入ると招き猫の置物。旅先で土産物屋をのぞくとフクロウの小物がたいてい売っています。
それぞれが縁起物だと言いますが、そのわけは・・・

◍招き猫 ―猫は農作物や蚕を食べるネズミの駆除対策。その養蚕が衰退して役割は商売繁盛の縁起物にと変化。
◍タヌキ ―「他を抜く」ということで、商売敵に勝つという縁起。

さてフクロウの縁起は――

小さいフクロウが、我が家のサイドボードに並んでいます。カミさんが折々に買ってきたものです。どんな縁起があるのか調べてみましたが、謂れはかなり無理してくっつけた感じ。
  ◍「不苦労」・・・苦労が無い。人は少し苦労した方が成長できる思いますがね―?
   ◍「福朗」・・・幸福で朗らかな人生を願って・・・フクロウにそんな神通力があるかな~
   ◍梟は首が270度も回る→見通す力があり、「商売繁盛」につながる。
   ◍夜目がきく・・・目ききが鋭く、商売で損をしない。

以上総括すると「金運」を願う人間の欲望の現れと言えそうです。我が家には15羽もいるのに、「金運力」のないフクロウばかり。
老夫婦二人、三度三度のご飯は食べることができているのでそれでよし。残りの人生、これまで通りつつましく生きて行こうと思います。

明日のよもやま日記は休ませていただきます。少し気が早いですが、温泉宿に一泊して1年の垢を落としてきます。

2018.12.02(日) 月に叢雲花に風

今朝の日の出は6時40分。日の入りは今がいちばん早く4時32分。夜の帳がゆっくりと下りていくのではなく、見る間に暗くなっていきます。まさに釣瓶落とし。

 
11/23 pm19:09  満月  11/24 am5:07 叢雲

◆早朝ウォーキングは街灯や月の明かりが頼り。野の草花も楽しめず、ただ黙々と足を運びます。春が来るまでは寒さとの戦い、昨朝も薄手の手袋ては指先が痛いほど。慰めは夜空の月と星、耀きはひときわ冴えて美しく見えます。
  ♪星影やさしく またたく美空・・・
が浮かびます。

◆去る11月23日の満月。雲ひとつない空に煌々と照る月を見上げ、その翌日は群がる雲から顔を見せたり隠れたり。
ふと『月に叢雲 花に風』と『名月を とってくれと 泣く子かな(―茶)』が頭に浮かびました。

◆「月に叢雲花に風」の読み方は「つきにむらくも はなにかぜ」、意味は「良いことには何かと邪魔が入りやすく長続きはしにくい。また、思うようにことが進まない」の意。この「月」は満月を指していて、せっかくの月に雲がかかってしまい見えにくくなってしまうことを表しているとのこと。「花」は、満開の桜で、せっかく見頃になった花が風が散ってしまう様。

物事が一番良い時に邪魔が入って長続きしないことを表している(Webli辞書より)

2018.12.01(土) 「師走」とは?

今日から師走ですね~早いな~。
人生残りの年数は・・・10指でもお釣りが?

「ふだんは落ちつき、どっしりと構えている先生が忙しく走り回るから師走」というようになったと聞いた覚えがあります。念のため広辞苑で確認。以下はその抜粋です。

◆陰暦12月の異称。また、太陽暦の12月にもいう。極月(ごくげつ)。師走油(あぶら)-師走に油をこぼすこと。火にたたられるとして、こぼした人に水を浴びせる風習があった。師走坊主-(盂蘭盆うらぼんとは異なり、歳末には布施も少ないところから)おちぶれ、やつれている坊主。見すぼらしい者をたとえていう語。

◆「師走」にはあまり良いイメージがありません。
そう言えば、登山で転倒、胸骨圧迫骨折というケガを負ったのは一昨年の師走。33年前に直腸がんが見つかったのも12月でした。今年の12月は気をつけて過ごそう。

「師走」の『師』はいくつかの説があるらしい。

 ・御師-参拝しに来る人々の案内をする人で、12月は大晦日や初詣などがあり御師が忙しく走りまわる
 ・師(坊さん)-年末は、檀家に経をあげるという習慣があり忙しいから。
 ・師(先生)-学校の先生はテスト・行事・生活指導などで多忙な月。
良く分かりませんが以上です。


前月へ 翌月へ  『がん・人工肛門からの出発』トップヘ  『山岳巡礼』トップ