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2018.12.3Ⅰ(月) 晦日・大晦日・おおつごもり ◆毎月の最後の日が晦日(みそか・つごもり)で、一年で最後の晦日つまり12月は大晦日(おおみそか・おおつごもり)。大晦日の前日は「小晦日」というらしい。 ◆おおつもごり(大晦日)というと、樋口一葉の小説「おおつもごり」を思い浮かべる人も多いかと思います。古い文体で読みにくく、平爺は最後まで読みきれなかったという記憶があります。それは国語の授業だったかな?暗く滅入るようなストーリーだったような気がしますが・・・・。 ◆落語にも、飲み代のつけ払いがネタの噺がありましたね。これも詳しいことは忘れましたが・・・。年の暮れとは人生の表裏さまざまのドラマが表面化する時かもしれません。 今年も寝たきりにもならず、借金とりに追い回されることもなく、まずは平穏に年を送れたことに感謝。
昨日の最低気温-5℃、最高気温-1℃の真冬日でした。積雪は少なく3㎝ほどで午前中でほとんど消えてくれましたが、一日中雪がチラチラ舞っていました。スズメもエサ探しに命をかけて頑張っています。 そのおふくろさんの「泣いても笑っても・・・」の言葉の陰には、啄木の一握の砂が重なります。 「はたらけど はたらけど 猶わが生活 楽にならざり ぢっと手を見る」 顔は一年中真っ黒に日焼けし、手の皮膚はガサガサ、爪は割れて幾筋もの黒い線。 それでも工面して手にしたもち米を蒸かし、正月用の餅をついてくれた。それが28日。元旦の雑煮には、私たち子供が飼ったウサギの肉入り。この世のものとも思えない美味いお雑煮でした。世界中に溢れるどんな美味美食も、平爺があのとき食べた正月の雑煮に勝るものはないと思います。 ●昨日の仏教用語の読み方-回答 ろっこん ごんぎょう りやく がっこう もんじょ じきどう けごん “礼拝堂”→仏教では「らいはいどう」だが、キリスト教は「れいはいどう」・・・(間違っていたらごめんなさい)
六根 勤行 利益 月光 文書 食堂 華厳 般若 弥勒 建立 悪口 外道 偸盗 涅槃 遠離 御堂 紅蓮 殺生 比丘尼 伽藍 ◆六根とは、五感に加えて第六感とも言える意識の根幹である
(ウィキペディアより) 眼根(視覚) 耳根(聴覚) 鼻根(嗅覚) 舌根(味覚) 身根(触覚) 意根(意識) 平爺が暗記した般若心経(はんにゃしんぎょう)の中にも
◆当地長野県の阿部知事は、年末年始恒例の「仕事納めの式」と「仕事始めの式」を今年から廃止するとのローカルニュース。知事の年頭あいさつも会議用テレビを利用しての放映のみにするそうです。 ◆門松を飾るのは、子供の頃に28日か30日と教わった記憶があります(29日は「9」=「苦」、31日は一夜飾りということで避ける)。近くの山で松の枝を切ってきて、稲わらと紙垂で門松を作ったことを覚えています。 我が家の松飾りは今日です。市場で買ってきた門松セットをそのまま玄関に取り付けるだけ。ちょっぴりですが正月ムードが漂います。
昨日の認知症介護施設でのこと。 若いと言われて嬉しいのは「自分が歳をとった何よりの証拠」とも言えます。認知症の方がお世辞を言うはずはないし、何となく嬉しい・・・平爺は単純なんです(笑) ◆ところで「老人」とか「老化」とか「高齢化社会」とかいう言葉が氾濫している昨今、老人とは何歳以上の人? ネット検索すると『65歳以上の高齢者』を指し、その数は3461万人(平成28年9月推計)、総人口に占める割合は27.3%と。つまり4人に一人は老人というわけ。これでは支援・介護施設や人手も追いつかないいのが実情でしょう。 平爺と同年齢層は4人に一人が人の手を借り生きているということ。平爺はまさに危険領域の真っただ中。現状がどこまで保てるのか、老化が進むこの先どうなるのだろうか。正直不安です。踵(かかと)が痛いくらいで愚痴をこぼしているわけにはいきません。 24日のイブをピークに、クリスマス騒動も終了、いよいよ大晦日に向かってのラストスパート・・・商売人はねじり鉢巻きでしょう。
◆自宅には仏壇があって、仏法に則った扱いをし葬式には「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」を唱えているのに、片やキリストの生誕日をあたかもクリスチャンもどきに変化。珍現象だと思いますが、逞しい商魂にのせられていると思えば可愛いもの?信仰行事というより日本特有の娯楽・フェスティバル。イエス様も苦笑いしているかもしれません。
今朝の気温-5℃、ウォーキング1時間50分。踵痛前の日常に戻ってきました。 平爺も、以前に比べるとかなり枚数は減ってきたものの、それでも負担感はそれなりに感じます。年賀状の中身を分析すると「儀礼」が多く、中には年賀状以外に本人と何十年も接触がないという方もいます。
◆webで調べると年賀ハガキ発行枚数
古い慣習に拘る年寄りでも、平爺のように年賀状に固執しなくなっている人が増えていると推測します。 ◆「終活」の一環として、死後に子供たちへ余計な負担もかけたくないという理由もあって、毎年少しづつ減らし、最高時の4分の一以下となりました。来年はさらに減らして、年賀状に関する終活を終了するつもりです。 3連休だったのですね・・・知らなかった。いつ働くの・・・なんてヤボ言っちゃーいけませんネ。
■ところで今は何の日だっけ・・・年によって日にちが変わるのも困りもの。当然祝日の月日も全部は言えません。この勤労感謝の日が3連休というのも今日知ったという始末。 ■平爺なら休日が増えることより、毎日家族と夕食が囲めるようになることの方を望むのではないかな~。 ♪サラリーマンは 気楽な稼業ときたもんだ 祭日は増え、週休二日制になっても、サラリーマンの勤務実態は厳しくなる一方とか。今では平爺には勤まらないたろうな~20余年前にリタイアできてよかった・・・・?
今身近で、腹を割って何でも話せる相手は山友のМさんだけかもしれませれせん。 ◆途中で車を止めて須川湖(池かな?)に立ち寄り、落ち葉を踏んで池畔を一周。冬枯れの木立に囲まれ、かすかに届く野鳥の啼き声が、静寂さをさらに際立たせる。青空を映しこんだ鏡のような水面には、水鳥の群れが音もなく静かに漂い、まさに冬ならではの情景。 ♪山の淋しい湖に 一人来たのも悲しい心 さらに車を進める。バブルの時代に別荘地として開発した痕跡、分譲地には名札が立っているものの、バブル崩壊で建物はほとんどなく、冬枯れの木立がただ淋しく続くのみ。 ◆峠状の広がった路肩に車を止め、ピークを目指す。と言っても10分余の距離。山頂には赤い屋根の神社のような小さな建物がある。東を向くと冠雪の浅間山、そして烏帽子岳など東信の山々、遠く雪化粧した北アルプス連例の一部、眼下には千曲川が滔々と流れ下っているのが見おろせる。戦国時代は見張り台、要塞の役目もあったらしい。。 ◆途中、観音像なとを見てから下山。昼食をとりながら政治談議を始め諸々の話題に時を忘れそうなほど語りあって恒例の忘年登山は終わりました。2か月半ぶりの山歩きでしたが、懸念した踵痛も大丈夫でした。 ●今日は昼間の時間がいちばん短い冬至、財布も無事に見つかったし、カボチャをおかずに少し多めの晩酌にしようかな~。 ●そして毎月22日は「夫婦の日」、とりわけ先月22日は「1122いい夫婦の日」でしたが特別なこともなし(笑) この歳になると切った張ったのエネルギーも残っていない。あと何年あるかわかりませんが、グチをこぼしながらもお互いつっかい棒になりあい、支えあっていくしかないでしょうネ。 ●2016年12月、厚労省による統計では離婚件数21万7千、下記は県別離婚率。
離婚率の高い順に びっくりするほどの差はないようですが、生涯仲良く添い遂げたいのなら山形県へどうぞ・・・。 「天国と地獄」と言えば、誰でも知っているあのオペラの一節。その曲に合わせての美女軍団の華麗なラインダンス。浅草区国際劇場や日劇の舞台で、長い脚を振り上げ刺激的に踊る様が目に浮かびます。 ◍は→ハンカチ ◍と→腕時計 ◍が→ガマグチ ◍ま→マッチ ◍め→眼鏡 ◍く→靴べら 今はマッチと靴ベラは無用。代わりに「ジ・ジ・ケ-」 ■ところが・・・ところがの大チョンボ・・・ これ以上探すところがない・・・銀行、クレジットカード会社、警察の遺失物係へ紛失届の電話。この日は運転できずボラはお休み。 ■一夜明けて、カミさんの車で免許証再交付申請のために運転免許センターへいざ出発・・・と身支度を整えズボンを履くと何か手ざわりがある・・・昨日だって平爺もカミさんも2回、3回と確認したはずのスボン、まさか・・・まさか・・・そのまさかの財布がズホンの尻ポケットに入っていたのです。 この日に限ってなぜポケットに入れたままになったのか。認知症の始まり?見つかった安心感と、認知症への大きな不安・・・どうしよう。
師走入りしときは、残りあと1カ月か~と思ったが、それがあっという間に残りは旬日のみ。年賀状も手づかず。いったい何をやって過ごしたのだろうか・・・ただ何となく時間が過ぎていった。 年明けの正月には今年はやろう・・・と思ったことがほとんど積み残し。 以前の廃棄処処分を免れた?水彩画作品、昨日はあわてて2回目の追加処分をしました。大げさにいうと身を切る思い(笑)応募展入賞の賞品として貰った額縁が4個、未使用のまま捨てるにしのびず、以前通っていた水彩画教室へ持参して、よかったら使ってもらおうと考えています。 ◆断捨離が出来なかった言訳をすれば「踵(かかかと)の激痛-足底筋肉炎」のせいと言いたいが、真相はヤル気がなかっただけのこと。 ◆誰しも悩むという写真。分厚いアルバムを書棚や天袋から引っ張り出し、座敷に何十冊も積み重ねるところまでいったが、あとが進まない。写真をアルバムに整理するところまでは人並み以上にやりますが、その先の最後の始末ができません。アルバムのままあの世へ持っていければいいのに・・・・ 隣組のお婆さんが先日亡くなりました。詳しくは知りませんが結構なお歳、体は不自由のようでしたが、大変感じの良い方でした。
◆ラジオだったと思いますが『指導死』と言う言葉を始めて耳にしました。はて何のこと? ネットには『指導死とは、学校において教師の指導により肉体的、精神的に追い詰められた生徒が自殺に追い込まれること』と記されていました。今に始まったことではなく、表に出なかっただけで昔からあったのかもしれません。 ◆『死に方』は、自殺以外には自ら選べないところが死の難しさ・・・なんて言ったら大顰蹙(ヒンシュク)ですね。 指導死は自殺の範疇に入るのかもしれませんが、その特異性から別に出来た造語かもしれません。 ◆近ごろ“心中”いう言葉は耳にしない気がします。愛を誓った男女が一緒になることを許されずに二人して死を選ぶのが「心中」ですね。哀しくもドラマチック・・・なんて言ったらバカヤローと言われちゃいますネ。 ◆歌舞伎を観たことはありませんが、40年ほど前の大阪勤務時代、大阪中心部「梅田新道」、略して「梅新」という国道1号線の十字路の角に職場があり、少し入った曽根崎町に「お初天神=正式名称を露天神社(つゆのてんじんしゃ)」という神社がありました。 歌舞伎で有名な演目「曽根崎心中」は、お初天神と関係があるということを聞いた記憶があります。添い遂げられぬお初と徳兵衛の二人、世をはかなんで露天神の森で心中。それから「お初天神」と呼ばれるようになった云々・・・・お初天神の境内に夕霧ソバというそば屋があり、親父さんと気が合い、何回も食べに行ったことを思い出しました。 意味を取り違えやすい言葉としてよく例に上がるのが「役不足」
よもやま日記用のメモに「役不足」と走り書きが。いつ書いたのか思い出せない。多分ウォーキング中にラジオを聞いていて何か感じるものがあってメモしたのだと思います。 ◆広辞苑 ところで『役者不足』という言葉はあるのだろうか・・・広辞苑には載っていません。あえて言えば、なり手がなくて役者がそろわないこと? ◆ついでにもう一つ 寸暇を惜しまずという気持ちはわかりますが、この場合は「骨身(ほねみ)を惜しまず」と混同してしまった例(これはwebからの引用) 言葉を正しく使うというのは、思った以上に大変だと思います。平爺も、間違いに気づかず使っているケースはいっぱいありそうです。 米軍基地の辺野古移転工事強行着手の報。 ◆前知事のときから、多くの沖縄県民の思いを逆なでするような安倍総理の姿勢に、平爺もその成り行きを憂慮、関心をもって見てきました。 「既存の港湾が使えない」となると、民間の桟橋を使い、パイプで土砂埋め立てという挙に出て工事が始まったとの報道。スポーツなら禁じ手、ただちに没収試合となるところでしょう。
◆太平洋戦争終盤、沖縄は本土の盾とされ、沖縄の一般県民を巻き込んだ地上戦へ。沖縄戦だけで日本人の死者は18万8千人、そのうち戦争とは無関係の民間沖縄人9万4千人が戦火の犠牲に、さらに沖縄からの学童引き上げ船対馬丸が撃沈され1500人ほどが死亡。 日本のための総理大臣なのか、アメリカのための総理大臣なのか・・・わからなくなってきます。 ◆世界で唯一の原爆被爆国の日本が「核兵器禁止条約」を米国に追随して不参加の姿勢をとり続ける現実と重なって、日本の行く末を案じずにはいられません。 参照webhttps://mainichi.jp/articles/20180623/k00/00e/040/310000c 2012.12.16(日) 冬至 今暁6時15分、1時間40分のウォーキングを終わって帰宅。気温-6℃、路面の水たまりはガチガチに凍っていました。 二十四節気最後の「冬至」まであと数日、12月22日です。昼間の時間がいちばん短い日で、平爺の故郷ではカボチャを食べる日。柚子湯の習慣は知りませんでした。信州はミカン類が採れないからでしょう。 ◆国立天文台長野測候所の「日の出・入り」を見ると、日の出のいちばん遅い日と、日の入りのいちばん早い日は同じ日ではないのですね。ちなみに当地(長野市)は次のようになっていました。 日の出(朝日)のいちばん遅い日 1月2日~11日 7時00分 ちなみに冬至の日の出、日の入を見ると、昼間の時間は9時間39分です。
◆何日か前の未明ウォーキング、濡れた路面が凍っていても見分けがつかず、滑って足をとられ、危うく転倒するところでした。今年は方針変更してウォーキングは明るい昼間の時間帯に変えようか・・・と目下思案中。 「イヤなことは先に済ましてしまおう・・・」というのが正直なところ。つまり好きで毎日せっせと歩いているわけではないということ、ご理解ください。-(笑)-
ノーベル賞受賞のニュースが流れたとき「珍しい苗字」と思った人が多かったと思います。平爺もその中の一人。 ◆ネットの日本姓氏語源辞典を見ると、読み方は「ほんじょ」で以下のような説明書きがありました。
◆漢和辞典では ●平爺が入社した当時、「庶務係」という女性だけの係がありました。来客のお茶出しや、書類の整理などをやっていたと思います。 *********************************** 残り少ない時間を、平爺はこんなことを調べるのに使っている。他人様から見ると何とも「変な爺さん」に映ることでしょう。
「顔じゃないよ こころだよ」あるいは「男は顔じゃないよ・・・・」よく耳にする―したことば。平爺は「顔のことをあまり言ってもらいたくない派」、告白すれば若かりしころの一時期、顔にコンプレックスを抱いていました。 ◆それなのにどうして突然顔の話を。 ◆突然変なことを書いたのは、連日のようにメディアで報道されている日産のゴーン元会長事件。美醜云々ではなく射すくめるような鋭い眼光と鐘馗様に似た釣り上った眦(まにじり)には、正直たじろぎます。見方を変えれば困難を力で乗り越える重戦車、ド迫力に満ちた顔とも言えそうです。 ◆ゴーン元会長は、意図をもってわざとあのような顔を演出しているのか? 本当の顔が別にあるとしても、やはり気になるな~。 ◍ちなみにwebで「柔和な顔の女性タレント」を探すと綾瀬はるかさんがヒットしました。 外見ではなく「こころだよ」という言葉を大切にしたいと思いつつ、つい気になっていることを書いてしまいました。
先日、高山村松川渓谷最奥の秘湯「紅葉館」で湯に浸かった帰り、同じ高山村にある「一茶館」に寄り道してきました。我が家からならマイカーで30数分ほどの距離。 一茶館のパンフには次のように書かれています。 家庭的には恵まれなかった一茶を、村人は温かく迎え入れたとのこと。逗留した離れ家は一茶館に並ぶようにして復元され、茶室のような質素な雰囲気が漂っていました。また訪れてみたいと思います。 一茶館の句碑の一つ 『苦の娑婆や さくらが咲ば さいた迚』
踵(かかと)の激痛に耐えられず、整形外科を受診したのが先月9日。それからほぼ1カ月。治療らしい治療はなく、痛み止めの湿布とリハビリ運動の指導のみ。これで本当に元に戻るのだろうか・・・弱気に陥り、もう登山は諦めるほかはないのかと弱気になったことも。一生分の山は登ったからそれも仕方ないか・・・。 ◆それでも日課のウォーキングだけは、脚をかばいながら歩幅は以前の半分、当然速度も大幅に落として平均1時間半程度ですが休まず続けました。独楽(こま)のように、止まったら倒れてしまう、そんな強迫感もありました。 ◆今朝は以前と同じ程度の負荷で2時間弱ののウォーキングを試してみましたが、強い痛みを感じることなく歩くことができました。ああ、よかった・・・ 『脇へ行くな 鬼が見るぞよ 寒雀』 一茶
◆田んほや野原でエサを得にくくなってきた11月中旬ころから、また庭に雀が訪れるようになり、夕暮れ迫る4時近くになると、40羽以上の集団で大賑わい。 ◆一茶の『脇へ行くな 鬼が見るぞよ 寒雀』の意味は? ももひき・・・今はズボン下というのかな~。「ももひき」の音感はいかにもダサイが、しっくり感があります。
◆日ごとに寒さがつのる師走。午前中は雪が舞っていました。本格的な雪はもうすぐ。雪かき道具も用意しました。早朝ウォーキングをしていると、前面には雪が張り付いたトラックを見ました。多分新潟県境方面からの車でしよう。
◆60年以上昔の春先、信州を出て花のお江戸へ。東京の暖かさにびっくり、もっと驚いたのは夏の蒸し暑さ、これには参りました。 ◆東京には冬が無い・・と思われるほどの暖かさ。転勤で東京を離れるまでの7~8年,真冬でも木綿の下着(Tシャツ)、ワイシャツ、薄手の背広、薄手のズボン・・・もちろん股引(ももひき)はなしという薄着で通しました。産まれ育った信州の寒さで鍛えた体、この薄着で十分耐えられました。 ◆定年後長野市に住むようになってから、下着を長袖のものにしたり、ズボンを少し厚手にしたりという程度で、風邪一つ引いたことがなく、これで20数年しのいできました・・・・が、妻がついに『もも引き』を買ってきてしまいました。「そんなもの要らないのに・・・」と平爺。「80過ぎた爺さんのみすぼらしい格好を見ているのがイヤなの・・・着なさい」従順に聞き入れるのも円満のうち。確かに暖かいが、きっと体がなまってしまうと思います。歴史が変わった日でした。 ウォーキングのとき記したメモに「文殊」と書いてある。2、3日前だと思うが、なぜ書いたのか思い出せない。よもやま日記のネタだと思うが何を書こうとしたのだろう?
◆文殊と言えば「3人寄れば文殊の知恵」知恵を授かる神様のようだ。 ◆Webを検索すると三大文殊・三文殊を謳う寺は全国にいくつもあるようだ。合わせると5大か10大か?知恩院もそうらしい。 文殊山(福井県-351m) 文殊山(大分県-617m) 文殊山(山形県-371m)
1941(昭和16)年、今から77年前の今日、日本軍がハワイ・オアフ島真珠湾のアメリカ軍基地に宣戦布告なき奇襲攻撃を仕掛けた日です。 12月8日は遠くなりにけり・・・ではいけないと思います。あの戦争がどれほどひどいものであったか8月15日の日本降伏の日と合わせて、私たちは振り返り、決して忘れてはいけない、後世に伝え残していかなくてはいけない・・・そのことを胸に刻んでいます。 開戦のとき、平爺は4才、そして終戦は8才でした。戦後の飢えとの戦いのような酷い生活がまざまざと目に浮かんできます。
◆今日は日本国民懺悔の日でもありますが、アメリカ国民にとっては「リメンバー パールハーバー-真珠湾を忘れるな」ということです。 ◆そして今は核兵器の時代、もし世界大戦のようなものが起きたら、敵も味方も・・・いや、人類は滅亡してしまうかもしれない。核兵器の恐ろしさを知る唯一の核被爆国日本が、核兵器禁止条約に参加しない現状をどう見たらよいのでしょうか。
またまた力士の暴力行為がワイドショーに。 それにしてもスポーツの世界とは、暴力とは縁の切れないものなんでしょうか。高校、大学、アマ・・・。つい先日もどこかの高校で運動部監督が部員生徒を殴ったとかでテレビ・新聞が監督をやり玉にあげていました。 ◆前にもこの日記に書いたと思いますが、平爺は『暴力は絶対にダメ派』です。子供のころから取っ組み合いのケンカをしたという記憶はありません(ただし兄弟ゲンカは別-(笑)-)。多分それは弱虫だからケンカをしても勝ち目がないことがわかっているから・・・イヤこれ本音。 上下関係で上位の者は何をやっても当然・・・それはかつての日本の狂った軍隊時代の話。1世紀遅れたようなことはもうやめるべきです。 「国体」・・・若い方は「国民体育大会」を連想するでしょうね。平爺と同年代以上の人たちならもう一つの意味「国体護持」を思い浮かべる方も多いような気がします。 ◆つまり日本国を統治するのは天皇陛下だったということです。戦後新憲法が制定され、主権は国民に移り、国民の選挙によって選ばれた国会のもとに国が統治される体制ができました。平爺の若いころ何かにつけ「戦後」という言葉が溢れていました。
◆突然「国体護持」と言っても面喰う人も多いかと思いますが、 太平洋戦争降伏にあたって天皇を主体とした体制(天皇制)をどのように保全するかでさまざまな意見があったということです。結局「国民主権」という現在の体制になりました。もちろん敗戦国日本に対し、連合国側はさまざまな注文を付け、従わざるを得なかったという側面もあったことでしょう。 ◆なぜこのようなことを書く気になったか、それは大嘗祭に関し、秋篠宮様の発言が「爆弾発言」としてメディアが大きく取り上げたからです。
今年もまた馴染となった温泉宿で1年の垢を落としてきました。
◆2013年から年末が近づくと毎年この宿を訪れるわけは・・・ 6年前(2013年)、長野・群馬県境の「黒湯山-2007m」へ登ったおり、下山道を間違え、まさに生きるか死ぬか、遭難一歩手前まで行ってしまいました。迷いこんだのは、まったく見通しのきかない猛烈な竹藪(ヒメ竹・チシマ笹)、それを押し倒し、かいくぐり6時間にわたる必死の格闘。ついに林道へ出ることができました。 ◆疲労困憊した脚を引きずり、ボロ雑巾のようになってたどり着いたのが七味温泉です。紅葉館の女将さんが親切にしてくれたのが忘れられず、その後毎年1回は訪れることにしているというわけです。 ◆紅葉館の露店プロは、七つの源泉を混ぜた湯ということで「七味温泉」、露店風呂へは岩窟をくぐって行くという珍してしさもあります。体の動くうちはこれからも毎年訪れるつもりです。
2018.12.03(月) 梟-フクロウ
「ふくろう=梟」は縁起物と言われ、小さなアクセサリーから大きな置物jまで多種多様。なぜ人気があるのでしょうか。闇夜に「ホ~ホ~」と低音で鳴くあの声、どこかしら不気味です。 ◍招き猫 ―猫は農作物や蚕を食べるネズミの駆除対策。その養蚕が衰退して役割は商売繁盛の縁起物にと変化。 以上総括すると「金運」を願う人間の欲望の現れと言えそうです。我が家には15羽もいるのに、「金運力」のないフクロウばかり。
明日のよもやま日記は休ませていただきます。少し気が早いですが、温泉宿に一泊して1年の垢を落としてきます。
今朝の日の出は6時40分。日の入りは今がいちばん早く4時32分。夜の帳がゆっくりと下りていくのではなく、見る間に暗くなっていきます。
◆早朝ウォーキングは街灯や月の明かりが頼り。野の草花も楽しめず、ただ黙々と足を運びます。春が来るまでは寒さとの戦い、昨朝も薄手の手袋ては指先が痛いほど。慰めは夜空の月と星、耀きはひときわ冴えて美しく見えます。 ◆去る11月23日の満月。雲ひとつない空に煌々と照る月を見上げ、その翌日は群がる雲から顔を見せたり隠れたり。 ◆「月に叢雲花に風」の読み方は「つきにむらくも はなにかぜ」、意味は「良いことには何かと邪魔が入りやすく長続きはしにくい。また、思うようにことが進まない」の意。この「月」は満月を指していて、せっかくの月に雲がかかってしまい見えにくくなってしまうことを表しているとのこと。「花」は、満開の桜で、せっかく見頃になった花が風が散ってしまう様。 物事が一番良い時に邪魔が入って長続きしないことを表している(Webli辞書より)
今日から師走ですね~早いな~。 「ふだんは落ちつき、どっしりと構えている先生が忙しく走り回るから師走」というようになったと聞いた覚えがあります。念のため広辞苑で確認。以下はその抜粋です。 ◆陰暦12月の異称。また、太陽暦の12月にもいう。極月(ごくげつ)。師走油(あぶら)-師走に油をこぼすこと。火にたたられるとして、こぼした人に水を浴びせる風習があった。師走坊主-(盂蘭盆うらぼんとは異なり、歳末には布施も少ないところから)おちぶれ、やつれている坊主。見すぼらしい者をたとえていう語。
「師走」の『師』はいくつかの説があるらしい。 ・御師-参拝しに来る人々の案内をする人で、12月は大晦日や初詣などがあり御師が忙しく走りまわる |