2019年 6月
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2019.06.30(日) 悪戦苦闘 PCのホームぺージ作業に四苦八苦。そもそも自己流、見よう見まね。あてずっぽうに取組んだ経緯からして、基本的な知識は皆無同様、よくここまでやってきた・・・・とほめてやりたい気分(笑) 昨日も、根拠もなく適当に「ああやってみたら・・・こうやったらどうだろう・・・」一日中PCの前に座って゛それでもまぐれで復帰するかもしれない。そんな淡い期待で目ぼしい成果もなく一日が暮れました。 頭の芯までおかしくなりそう・・・。
超高齢化社会は待ったなし。2000万円問題はその後どうなったのか。参議院選挙で天下分け目の大激論に、さらに炎は高く燃え広がってしかるべし。
うやむやのうちに、逃げるが勝の衆議院選挙、秋葉原駅前の選挙活動で、反安倍集団に向かって、「あんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い放って顰蹙を買いました。
参議院選で2000万円問題にどのような発言をするか注目です。「自分の老後生活設計もまともにできなかったあんな人たち・・・・」と言うかもしれない。
◆webで「世界の高齢化率(高齢者人口比率) 国際比較 2017年」というデータから抜粋すると高齢化率(%)は以下の通り 1位―日本27.05 2位―イタリア23.02 3位―ポルトガル21.50 世界長寿を手放しで喜んでいて良いのかどうか・・・疑問符がつきそうてです。2000万円と絡めて、長寿は「悪」、姨捨山復活だなんていう時代になりませんように・・・・
ここ数日、パソコン不調で四苦八苦・・・これが年貢の納め時か・・・パソコン卒業(落第)の潮どきかと迷いましたが、二つあるHPのうち、「よもやま日記」のある方がまがりなりにも復旧できました・・・というか、日記を少し書いて、アップロードするのが精いっぱい。もう少しだけ寿命をのばさせていただくことにしました。 ◆硬膜下血腫などで、登山もそろそろ見切りをつけなくてはならなくなっています。ちょうど良い潮どき・・・「山岳巡礼」の方は当分このまま維持継続、折をみて閉鎖させていただくことにしたいと思います。 ◆ご好評をいただいた?「山岳巡礼」は、更新をせずに、このまましばらく残した上、折をみて閉鎖させていただこうと思っています。 以前なら、もう少し手際よく復旧できたかもしれませんが、コチコチに固まった脳ミソでは致し方なし(笑) 加えて硬膜下血腫の後遺症も影響しているかもしれません。ヤル気、理解力、判断力、機転の劣化・・・どこをどうしたら復旧できるのか、そこへ行き着くまでに1年分の脳味噌を使ってしまった感じです。82才の爺が、誰の知恵も借りずに自力解決したことだけは・・・(笑)
◆平爺のパソコン歴は20年あまり、すべて独学、格闘の歴史(大げさ)。 歳とともに頭が固くなり、ああでもない・・こうでもないと試行錯誤しても知恵は湧かず、チョイかじりの知識では「下手な考え 休むに似たり」でただウロチョロするばかり。なかな解決に至りません。。 ここ3日ほど、ネットで役に立ちそうなサイトを探したり、寝る間も惜しんで?復旧を期しましたが成果は不芳。頭が固くなっていることに加え、気力が衰えているとも解決できない理由だと心得ています。 「ウィンドウズ95」が登場、一般市民がPCに触れるようになったのが「WIN95」、つまり1995年以降、平爺も20年余の付き合いです。すべて独学、人様に頼ったことは一度もなし。よくやってきたよな~(自分しか褒めるひとはいません-(笑)-
半月ほど前には、ところどころ咲いていたレンゲソウは、すでに大半の田んぼは田植えが終わって早苗がなよなよと風にそよぎ、田園風景のがらりと変わっています。 ◆先日、野の花「ヒメジヨン」のことを書きました。可憐で可愛くて品もあって・・・ビンに挿しましたが3日ももたずにダメになってしまいました。 ふと「やはり野に置け蓮華草」の言葉を思い出しました。調べてみると「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」が元のことばらしい。摘んできて家で飾るより、自然の中で咲いてこそ美しいというのに通じます。何ごともふさわしい居場所というものがある。 ◆俳人・滝野瓢水が、遊女を身うけしようとした友人をいさめた句「手に取るなやはり野に置け蓮華草」が元らしい。遊女は色町にいてこそ美しく見える。 何気ない言葉のようですが、味わいのある言葉だと、あらためて思い知りました。こうした表現をよく思いつくものとただただ感心。 ◆そう言えば「はきだめの鶴」という言葉もありました。これはレンゲソウとはすこし意味が異なり「そこに似合わぬすぐれたものや美しいもの」があることのたとえ。
「栴檀は双葉より芳し」・・・たまにお目にかかるものの、その意味がイマイチ不確か、読みも難しい。そもそも『栴檀』とはどんな植物?香りが良いのかな~。気まぐれに手にした本にこのことばが載っていました。 栴檀は発芽のころから香気を放つ。大成する人は小さいときからすぐれている」ということのたとえ・・・という解説がありました。 「大器晩成」とは逆な感じ。世の中には絶対的な真理なんてない・・・と思うのは、無能が及ぼす平爺の言い分-大人になっても爺さんになっても、かぐわしさの漂う気配はいっこうにありません。 ノー天気の平爺お気に入りことば―「明日は明日の風が吹くさ」、「明けない夜はない」
このところマイカーの運転はほとんどしていません。運転の仕方を忘れてしまうほど(笑) 直近の運転は・・・日記をみると5月17日、書店へ行ったのが最後。つまり1ヶ月以上ハンドルに�手を触れていません。 予定では今年末、遅くても来年2月の誕生日までには免許証返納をするという気持は変っていません。 マイカーを買い替えて満一年、走行距離はたったの3000㎞強。かつては遠隔地登山など2、3回で走った距離です。免許証返納への“慣らし”は順調にいっている気がします。 市内運転だけの妻はほぼ毎日車を使っています。買い物、趣味の会、サークル、友人とのおしゃべりや昼食会・・・、まさに自転車代わり軽自動車です。平爺卒免後は平爺の車を妻に払い下げることとなります。 20歳台半ばから50年以上、マイカーと暮らしてきた身には、きっと大きな空洞感を味わうことになるでしょう。 ◆週2回の認知症介護施設ボラの脚は、行きは妻の車で送ってもらい、帰りは長野電鉄の最寄り駅まで徒歩約45分の歩き。この徒歩分は日課の早朝ウォーキングを減らすことにしました。雪の冬はちょっときついかuな・・・
2019.06.23(日) アジサイは古寺によく似合う アジサイは寺院の庭に咲く花という印象が強い(我が家の庭にも場違いにひっそりと咲いていますが) ◆「富士には月見草がよく似合う」・・・あまりにも有名なこのことば。太宰氏治著『富嶽百景』 の一節。太宰が旧御坂峠の天下茶屋に逗留して書いたとのこと。平爺は、三坂峠から三ツ峠山へは
富士山を眺めに何回も登った懐かしい山です。 ◆web検索すると「全国あじさい寺名所24選」というサイトが見つかりました。梅雨本番、紫陽花が話題になる季節です。平爺が紫陽花の季節に訪れたのは24選のうち奈良県の矢田寺だけ。ここ長野県にも2寺ありますが、訪れたおことはありません。一つだけでも見に行ってみようかな・・・。
善光寺【北海道】 資福寺【宮城県】 堂森善光寺【山形県】 高林寺【福島県】 楽法寺【茨城県】 能護寺【埼玉県】 本土寺【千葉県】 東慶寺【神奈川県】 極楽寺【静岡県】 本光寺【愛知県】 性海寺【愛知県】 室戸寺【京都府】 明月院【神奈川県】 長谷寺【神奈川県】 弘長寺【長野県】 深妙寺【長野県】 円満院【京都府】 觀音寺【京都府】 久安寺【大阪府】 矢田寺【奈良県】 月照寺【島根県】 阿弥陀寺【山口県】 千光寺【福岡県】 定林寺【福岡県】
思わぬ体調のトラブル発生から5ヶ月近く。以前と変わったことと言えば
・日課のウォーキングは外が明るくなってから 夜明けが早くなりました。3時半ころには薄明が兆して、4時には夜が明けます。街灯に頼ることなく早朝のウォーキングは気分も爽快です。 ここ2~3日が満月でしたが、夜明けの空には恨めしい雲、昨朝はようやくきれいな月を見ることができました。月齢カレンダーを見ると、満月は4日前(17日)でしたが、昨朝の月は満月と変わりなし。 ♪♪【花かげ】 (一)十五夜お月様一人ぼち 桜吹雪の花かげに 花嫁姿のお姉さま 俥にゆられて行きました (二)十五夜お月様見てたでしょう 桜吹雪の花かげに (三)十五夜お月様一人ぼち 桜吹雪の花かげに 今日は、かつて平爺の分身と言ってもいい「靴」のこと。 ◆いずれそのときが来たら棺にいれてほしものをエンディングノートに記してあります。その中の一つが履きつぶしたカジュアルシューズ。 ◆遡れば33年前、直腸がんが見つかり全摘手術、人工肛門となり、加えてリンパへの転移もあってお先まっ暗、「覚悟」を強いられた家族は、「大丈夫、きっとよくなるから・・・またマラソンもやりたいよね・・・よくなったらこの靴でウォーキングからやりなおそう・・・頑張ろうね」そう言って家族が病室へ新品の靴を持ってきてくれました。メモには「もう一度フルマラソンを走ろうね」と書いてありました。何としても生き抜いてほしい・・・そんな願いが伝わってきました。(内心、家族はもう履くことはないかもしれない・・・それが正直な気持ちだったと思います) 退院後、平爺はカジュアルシューズとして愛用、足に馴染んで履きつぶすほど履いてボロ靴となっても捨てることができず、大切に保管してきた靴です。私が第二の人生をスタートした記念の靴です。 ******************************** 納棺のときには、この靴を忘れずに入れてほしい・・・エンディングノートにも記してあるその靴が見当らない。絶対に捨てるはずはない、きっとどこかにしまってあるはず。とにかく探し出さなくては・・・。 後記・・・エンディングノートを書くことは、自分の足跡をたどったりするのに実に良い機会だと気づきました。 あらかじめ用意したり、支度を整えたりするのに早すぎるということはない。どちらかというと平爺は早め早めに準備をしないと落ち着かないタイプ。つまりせっかち。
今年も半分経過。年初の思いは身の回りの整理や、エンディングノートの見直しなどの終活。以前書いたものを見直してみると、手を加えたいヶ所が多すぎて、結局最初からやり直すのと同じことに。1年たつと、思いもいろいろと変わるものです。 来年も再来年も同じことの繰り返しでしょう。ちがうのは、1年ごとに現実味(臨場感)が増すということかな・・・? ◆先だって硬膜下血腫など思いもよらないアクシデントに見舞われ、今回の見直しは何となく気持ちが一歩進んだような気がします。 ◆見直したり、書きなおしたりしながら次第に気持ちが整っていくものかもしれません。天地がひっくり返っても、あと20年も30年も生きられないことだけは確か。そう言えば終(つい)の棲家として選んだ今の家、もう17年になりますが、それほど長いとは感じません。平均余命表と見比べても残りの日数はこの家に住んだ17年間の半分もない・・・そう思うと「もうお迎えか・・・」と思うほどのスピードでそのときがやってくる可能性も無きにしもあらず。ただし焦りや悲壮感のようなものはまったく感じません。 ◆エンディングノート見直しは、旅立ちへの心の準備を少しづつ少しづつ進める作業でもあるような気がします。「憎まれっ子世に憚る」ということばもあります。何ごともほどほどがよし。平均寿命くらいがあたりさわりのない目途というところでしょか。 普通「七味」と言えば「七味唐辛子」のこと。三大七味は以下の三つらしい。 •やげん堀/東京・浅草 ここ長野市善光寺の唐辛子がその三大に入っているらしい。長野へ来ると、土産に買って帰る人が多いとか。蕎麦どころ信州ですから当然? 味音痴の平爺、これまで唐辛子に美味い不味いがあるなんて考えもしなかった。七味なんてどれも一緒だと思っていました。 ◆今日の本題は唐辛子とは別の話。 客-「なにそれ」 占い老婆-「人生の味付けをするのに必要なものさ ・うらみ ・つらみ ・ねたみ ・そねみ ・いやみ ・ひずみ ・やっかみ この七つが人生に深みを与える。これを称して人生七味唐辛子というんだよ」という一節。
今年も半分が過ぎました。やらなくては・・と思ってるのは身辺整理や、エンディングノートの見直しなど。以前書いたものを見直し、手を加えたりしていますが、結局のところ最初からやり直すのと同じことになっています。1年たつと、思いもいろいろと変わってくるものですネ。来年もまた同じでしょう。 ◆先だって硬膜下出血などという思わぬアクシデントに見舞われたこともあり、今回は臨場感のようなのを感じながらの見直しになりました。自分でも気持ちの変化がわかります。 書きなおしたりしながら次第に心の準備が整っていくような気もします。天地がひっくり返っても、あと20年も30年も生きられっこないことだけは確か。そう言えば終(つい)の棲家として選んだ今の家、もう17年になりますが、それほど長いとは感じません。平均余命表と見比べても残りの日数はこの家に住んだ17年間の半分もない・・・そう思うと時間のスピード感が身に染みます。「もうお迎えか・・・」と思うほどのスピード? ◆毎年エンディングノートを見直すのも、旅立への覚悟と心の準備というものでしょう。
2019.06.17(月)ごまかし、逃げるのに重宝なことば―「遺憾」
苦しい釈明のときなど、政治屋がよく口にする言葉「遺憾」。 意味不明・説得力もなく、空しさだけが伝わってきます。
◆野党の不甲斐なさもあるが、政治が今ほど緊張感を欠き、劣化を感じたことがあっただろうか・・・・。森友・加計etc・・・・どれもこれもうやむやのままお蔵入り。政権与党内で『異』は認めない、そんな独裁制が定着しているのかもしれない。うっかり本音を口にすると、どのようなしっぺ返しを受けるか・・・それが怖い。そんな想像をしたくなります。政権は長ければ安定、おおいにけっこう・・・どころか、緊張感がなくなり、膿が溜まるだけ。政治に新しい風が吹いてもらいたい。 「驕(おご)れる平家、久しからず」 マスコミも「安倍内閣長期記録更新・・・」などと書きまくらないでもらいたい。長さより政治の中身が問われるべき。 何日か前、ウォーキングをしながらのメモに「修学旅行 米」と走り書き。米国へ修学旅行に行くという話ではありません(笑) ◆かつて修学旅行と言えば、京都・奈良・ヒロシマ・・・などが定番だったようです。今は行く先も多様化しいるらしい。不確かな記憶ですが、平爺は小学-長野県庁、中学-京都・奈良方面、高校—東京・江の島方面だったか・・・・? 修学旅行が楽しかったとか、勉強になったとか、貴重な体験だった・・・という印象はあまりない。はっきりと残っているのは、参加する生徒は「米」3合(もっと多かったかな?)を個々に持参、宿泊旅館で集めに来た袋へ入れたことです。食べ物を持参しないと旅もできない世の中だったのです。今どきの若者たちには想像もできないでしょうね。
◆戦争に負けて日本という国は疲弊のきわみ、飢餓に苦しめられ、米の代わりにサツマイモや米国支援のトウモロコシの粉が配給されたりして飢えをしのいでいました。リヤカーを引いて配給をもらいに行った記憶があります。今の子供や若者には「食べ物がない・飢え」というものがどんなものか想像もつかないでしょうね。
◆食べずに捨てられている食料が、日本では年間621万トン・・・これをお米に換算すると「国民一人あたり、毎日茶碗一杯相当のごはん」を捨てていることになるという。 ひもじかったあの時を思い出し、中東紛争地やアフリカなどで飢えに苦しむ子供たちにわずかでも役立てばと思い、貧者の一灯、わずかの額ですが、毎年ユニセフの食糧支援募金に振り込ませてもらっています。
「みどりつみ」?・・・もしかするとご存知ない方がいるかもしれません。 今頃の季節、松の木の剪定のことです。この作業は毎年やらないと樹形が崩れてしまうために必須の作業。我が家もかなり背の高い赤松が一本。転居してきてから、毎年平爺が2階家の高さほどある木に昇り、自己流で剪定してきました。 しかたなく初めて植木屋さんに来てもらいました。17年前、引っ越してきた当時は手も行き届いていて、目を引くような立派な赤松でしたが、以来平爺の自己流管理で樹形の崩れは著しく、無残な姿に変わってしまいました。
◆あらためて木を見上げると、あんなに高いところまでよじ登り、これまでよくケガもせずに素人がやってきたもの・・・・樹形を崩してしまいましたが自分を少しだけほめてやることにしました。 ウォーキングのお伴にケータイラジオは欠かせません。先日は花ことばで「ヤマボウシ」の話。ハナミズキと似ていて区別が難しい。 この時期、ハナミズキに似た白い花をよく目にするず、その名前が出てこない。ラジオを聞いてようやく「ヤマボウシ」を思い出しました。最近こうしたことがとみに増えてきたのは認知症の前段症状?いや認知症真っただ中へ入ったのかも。 ◆色あいの美しさばかりではなく、「白い花」もまた良いもの。派手さはありませんが清楚な感じが好きです。「ヤマボウシの花言葉は「友情」とのこと。 ふと頭に浮かぶのは、岡本敦朗の「白い花の咲くころ」 これは失恋の歌でしょうか。平爺の若かりしたころに流行った歌です。
認知症介護施設へのボランティア訪問は10年以上になりますが、ここひと月ほど休んでいます。理由は、1ヶ月ほど前の受診のおり、「硬膜下血腫は半年程度再発の可能性があるので車の運転は控えた方がよい・・・」とのアドバイス。 施設はマイカーで30分弱、徒歩で行ける距離ではなく、公共交通機関だと電車・バスの乗り継ぎなで不便の上に時間もかかります。施設の責任者からは「車で送迎させてもらいますからぜひ来てほしい」と言っていただきましたが、「そこまでしてもらうほど役にたっていませんから」と辞退。(そのように言っていただけるのは、ボランティアとしては冥利につきます) 爾来気の抜けたような日々を送っていましたが、一昨日は妻に車で送ってもらい久しぶりのボラに行ってきました。考えてみれば、こんな爺さんでも必要と思ってくれる人や施設があるということは何と有難いことかと思います。 その都度妻に送ってもらうのも無理・・・どうしたらいいのかな~ 寺院門前の今月のことば
「あいにくの雨 めぐみの雨 自我の思いが ・水不足の農民には「めぐみの雨」 ・日照りの花壇には「やさしい雨」 ◆仏教では、境遇により雨もそれぞれ違って見える、世の中ことごとく人によって見方が違うものという教えがあるようです。事象の一面だけを見て断ずることへの戒めでしょうか。 ◆誰でも知っている寓話――六人の盲目と象の話。 1人目は鼻に触りました。象はヘビのようだと言いました。 人は自分を基準にして相手を評価したり、狭い視野だけで物事を判断してしまいがち。今月の言葉はそれを戒める言葉のようです。 「卒免」何のことかと思いきや・・・運転免許証を自主的に返納することらしい。つまりめでたく自動車運転を卒業ということ。今年の流行語候補? ◆高齢ドライバーがからんだ自動車事故報道が珍しくないご時世。私も含めて高齢者はハンドルを握るのも肩身が狭い。事故の第一報に高齢者がからんでいると聞けば。新聞もテレビも飛びつき取材、報道。そのためか、高齢者の免許証自主返納が増えているらしい。と言っても、75才以上の免許証保有者の5%にすぎないとか。 ◆75才以上の返納者に特典を用意している地方自治体が増加とのこと。たとえばタクシー券や路線バスの回数券を交付する etc. ◆2ヶ月前に、高齢者運転免許更新の試験・講習を受けました。中には90才近い爺さんもいて、身のこなし、試験説明の理解度等・・・いかにもおぼつかない感じ。車へ乗り降りする動作もスローモーションを見ているよう。街中を運転する姿が想像できませんでした。 サーバーへのホームページアップがうまくいきません。サーバーへ問い合わせてみたが原因不明。 ◆うっとうしい雨も、見方・感じ方で情緒があるもの。
叢雨-ソウウ-強く降ってすぐ止む雨 ●五月雨を 集めて早し 最上川 芭蕉 じめじめと鬱陶しい梅雨に入りました。雪と異なり雨には情緒のようなものが感じられます。雨と聞けば「雨にも負けず・・・・」が浮かぶ方はおおいかと思います・ 「♪ 雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の 雨がふる 雨は真珠か 夜明けの霧か それともわたしの 忍び泣き・・・」 叢雨ー 白雨― 穀雨― 黒雨― 麦雨― 時雨―
(2)雨——情緒的な表現など ◆昔懐かしい歌謡曲 雨のオランダ坂 唄—渡辺はま子 泣いて別れた マドロスさんは 縞のジャケツに オイルのコート 煙に咽てか 泣いていた泣いていた またか・・・後を断たない幼児虐待 あまりにも残忍で、ムコ過ぎて、これが人の仕業か・・人の面をかぶった悪魔。
そう言えば新しい年号は何だったか?・・・とっさに出てこない。記憶を呼び覚ますと「令和」だった。1カ月が過ぎようとしているのに、一度も書いたことがない。年度記入を要する書類が2、3あったが、どれも西暦で可でした。そのうちに、老いた頭では完全に忘れしまいそう。 【追記】二十四節気の芒種とは 芒(のぎ)のある穀物を播く時期の意 野草の姫女菀=ヒメジョオンの花。『素朴で清楚』という花言葉がぴったりの感じです。 本来は同属の春紫苑(ハルジオン)と同様に「紫苑(シオン)」の漢字が使われるべきだが、別種の姫紫苑(ヒメシオン)と区別するために「ヒメジョオン」という名前をつけたという説も・・・何かややこしい。見分け方は、ハルジオンの茎は中が空洞なのに対し、ヒメジョオンは茎の中にスポンジ状の白い髄(ずい)がつまっているため簡単に見分けることができるとのこと。
[天声人語-6月2日付] 妻がこれを読んで平爺は知っているかと聞く。知ってるよ・・・道端や土手などにいくらでも咲いている・・・」そんな会話があってから、ウォーキングの際に何輪か摘んで持ち帰り、見みせてあげました。雑草とはいえ、見つめていると実に可愛いらしく素朴な花。花言葉も「素朴で清楚」、名は体を表す・・・。 孫が小学生のとき、平爺と散歩していると「ヒメジョオン」だと指をさす。実はこのときはじめて花の名前を知りました。その孫の名前は「はな」です。 認知症予防に効果があると言われるデュアルタスクについて。 ◆デュアルタスク・・・ dual task 同時に2つの課題を実行する脳トレの一種。具体気には体を動かしながら頭も使うという単純なこと。認知症予防脳トレ訓練士養成講座でも勉強したことですが、くだいて言えば「ながら動作」と言えばわかりやすいかも。 ①平爺が毎日実践しているのは、歩きながら100から7を引いていく引き算。
◆主婦の場合は料理関係。 食材・調味料・調理法・野菜を切りながらガスの火加減・・・同時並行でいくつもの作業が重なります。瞬時に頭を切り替えながら作業を進行。まさに超人的頭脳?だと思いませんか?高齢化に伴って料理が手際よく進まない、面倒になるのも逆説的にそれを証明しています。 ◆スーパーへの買い物。売り場をいったり来たりしないように、頭の中に購入予定品を並べ、効率よく回ってカゴに入れて行く・・・これも立派なデュアルディスクと言えます。 例えばテレビを見ながら、手はちゃんと動いて洗濯物をたたみ、格納場所を考えながら仕分けしていく。これもデュアルタスク。 ◆講座で推奨されたのが男女が組んで踊る社交ダンス。音楽のリズムを正確にとらえ、相手の動きにも合わせて足を運ぶ・・・かなりの集中力が必要です。平爺若かりし頃はけっこう上手かったですよ・・・ええっ、信じられないって?――それが効いていて今も認知症とは無縁・・・・? 正直に言います。このよもやま日記も認知症予防を思っての自分のため・・・。
「脚(足)は第二の脳」とも言われますが、ご存知の方も多いと思います。平爺がこの言葉を知ったのは『認知症予防脳トレ士養成講座』で少しばかり勉強し、認知症予防脳トレ士の資格をいたただきましたが、その講座で教えてもらった言葉です。資格は取りましたが、それらしいことをして社会に役立たせているかと言えばNOです。 ”足は第二の脳”と言われるほど脳の活性化と関係が深い。特別な技術も体力も無用、ただ「歩く」という簡単なことで脳の活性化がはかられ、認知症予防におおいに役立つ・・・こんな結構な話はほかには聞きません、歩け歩け・・・器具も特別の運動神経・体力・費用も不要、それで認知症予防ができるなんて・・・まゆつば? ◆平爺のウォーキングは、はた目には遊び心でやっているように見えるかもしれませんが、実は認知症になりませんように・・・という願をこめたウォーキングでもあります。 ◆硬膜下血腫というアクシデントのあった2月以降も、体調をかばいながらウォーキングは一日たりとも休まず続けています――最初は負荷ゼロに近いところから・・・はやる気持ちを抑えながらの再出発――先月は月間トータル70時間ほど歩きました。妻からは「ますます認知症っぽくなったわね」と言われています。平爺なりに頑張っているつもりなんだけどな~・・・。 ◍付記―内閣府によれば、6年後(2025年)には65 歳以上の認知症患者数が約700万人に。右を見て左を見ても『認知症の年寄りだらけ・・・』正直、ぞっとします。もちろん平爺もその仲間の有力候補、笑いごとではありせん。
ことの起こりは4カ月前、未明の暗い道をウォーキングしていたときのことです。突然転倒、頭を強打したらしく耳から出血、強い痛みやめまいに襲われて意識喪失状況となりました。ノドに何かつかえているが飲み込もうとすると激痛。強いめまいで直立しているのがむずかしい。これはただ事ではないと自覚。 ◆今は痛みも解消、たまに軽いめまいを感じる程度に回復し、明るくなってからペースを落としてⅠ~2時間のウォーキングを日課にしています。 ◆最初に罹った脳外科での病名は「硬膜下血腫」、あれから満4カ月経過し血腫は消えているとのこと。用心は続けますがヤレヤレという気分です。日常生活にも支障はありません。 ◆蹴られても叩かれてもびくともしないと威張っていたのは誰だった? 所詮はどこにでもいるただの爺さんに過ぎないことが証明されたといことだと思います。 (追記)先月中旬の脳外科診断――血腫はほとんど消えている。何か自覚症状が出なければ通院の必要はないとのこと、また耳鼻科でも「傷はきれいに治っている、変わったことがなければ通院は必要ない」とのことでした。
◆2週間前iに総合病院で24時間検査器具をつけて心電図測定検査をしてもらいました。本日午後からその結果を聞きに行ってきます。検査のきっかけは❝脈が乱れるという症状❞を自覚したからです。 どのような診断が下されるのか、やや緊張しています。まだ安心できるレベルではありません・・・運動や無理はダメです、・・・当面は静かに・・・なんて言われたらどうしましょう。そんなことがないように神様?に祈りながら聞いてきます。 ◆1月末、アクシデントに見舞われてから、もう5ケ月も経ったのか・・・早いな~ 自分で感心していたら世話はない(笑) 低山でもいいから、早く山歩きをしたいな~。山友のAさんは、登る山を決めて待ってくれています。なにしろ、登山を取り上げたら何も残らない平爺ですからネ。気持ち、わかっもらえるかな~ 3、4日前、いつもより1時間も早い目覚め。まだ3時、起きるには早すぎる・・・イヤホーンでラジオを・・・。歌謡曲の題名だったか「バラ」ということばが。バラの漢字はどんな字だったかな~? 指でなぞってみる。2字とも草冠で、一字は草冠に微妙の「微」というのは思い出せたが、それが「バ」の方か「ラ」の方かわからない。 夜明けを待ちながら、あとの一字を思い出せないまま4時前に布団から抜け出ると、もう夜が白み始めている。血圧、脈拍を測定し、朝刊の見出しとテレビ番組にざっと目を通し、4時半ウォーキングに出発。少し冷えて肌寒いが、すでに夜は明けて、雲一つない空に三日月が浮かんでいる。 ◆この日は民家が立ち並ぶエリアを歩く。時はバラの花の最盛期。花の季節以外は見落としているが、バラを植えている家がなんと多いことか。みんなバラが好きなんですね、2軒に1軒はバラが植えてあるという感じ。色も赤、白、ピンク・黄色・・・と多種多様。バラの花を見ても漢字は思い出せない・・・ ◍我が家の庭にもバラがありましたが、トゲで手入れがしにくく、かなり前に根ごと抜いてしまいました。
導眠剤代わりの読書、昨夜眠気がさしてきて本を閉じようとしたとき「絶対」という漢字が気になりました。「絶対」と「絶体」はどう違うのだろうか?それを気にしている間に眠気がさしてきて、いつの間にか夢路をたどっていました。 【絶対】 【絶体】広辞苑にこの言葉単独の記載はありません。webで調べてみると以下のような記述説が。 そうだったんだ。平爺はそのときの気分で「絶体」であったり「絶対」だっり・・・滅茶苦茶に使っていたような気がします。お恥ずかしい・・・・。 ◆さあ今日から6月です。「6月とは何のこと」と聞かれたら説明に困りますね。お遊びで広辞苑を引くと「1年で6番目の月、水無月」とありました。 |